第十二章 イェールダー家の惨劇(上)
目の前に、ごちそうが並んでいる。
緑も鮮やかなサラダ。ところどころ載っている赤いものは、干したトマトを刻んだものなのだそうだ。
そして、ひときわ目を引くのは大きな肉のかたまりである。重そうな鉄皿に載せられじゅうじゅうと音を立てているそれは、500gを優に超えていそうだ。
ボーイの制服に身を包んだ男性が、慣れた手つきでそれを切り分けている。
綾子は今日も、そのレストランで緊張していた。
目の前には、お仕着せから着替えたカミラ…あのマーガレットの幼馴染、ジョージの母親だ…が、隣に座る女性と談笑している。
その女性…、着ている服こそ質素なように見えるが、すらっと伸びた背すじとその美しいかんばせ…時折シルバーグレイのまとめ髪がキラリと瞬いていて…完全に人の上に立っている人間のオーラが丸出しである。
「大丈夫よ貴方。今日は私が急に呼び寄せたのだし、気を楽にして頂戴。」
見かねたその女性が口元にえくぼを浮かべ、苦笑いになる。その目元に笑い皺が浮かんだ。
「はいっ」
綾子、どうも硬いままである。
この女性の名は、カサンドラ。カサンドラ・ウォルター子爵夫人。
あのウォルター子爵の、妻である。
「夫から伺いましたの。…ジョシュ・イェールダーに会ったそうね?」
単刀直入、カサンドラはこう切り出した。
「はい。私は直接話しておりませんが、アイザックが話を…」
「元気でしたか。」
「元気…かどうかは……。」
何せ、遺骨を受け取った際に見たきりだ。綾子は頭を巡らせ、「思いつめられているようでした…よく、話してくださったと思います。」
「そうですか…。」
カサンドラはその表情を曇らせ、俯いた。
「…本人を同席させられず、申し訳ございません。」
「いえ。明日お帰りなのです。引継ぎをなさるのは大事なこと。わたくしからも騎士団長によく言って聞かせます。」
カサンドラが頼もしく言うのへ、
「さ。二人とも、折角のごちそうが冷めてしまいます。」
カミラが言ってよこした。
出てきたローストは、正に絶品であった。
「こちらは、アヤコが仕留めたものだそうですよ。」
「まぁ…!それは素晴らしいわ。ご苦労だったわねアヤコ。あの魔獣には本当に困っていたのです、通るたびに旅の者が危ない目に遭っていたのですよ」
「もったいないお言葉です。」
言いながら綾子は、先日の戦闘を思い出していた。確かにアレはA級以上でないと倒すのは厳しかったろう。
「さて。」
カサンドラは赤ワインのグラスを置き、「今日来ていただいたのは言うまでもありません。」
来たっ。
「一つは、個人的にジョシュのことが気がかりだったということ。
実はジョシュとうちの息子は同い年ですの。初等(いわゆる小学校)も、同じだったのです。あのドラ息子が『聞いてきてくれないか』とうるさいので、聞きに参ったというのが一つです。」
そんなことぐらいで呼び出す夫人ではないだろう。ってことはあとのやつが本題か。綾子は思った。
「もう一つは、これからいくつか質問をしますが…それに答えてもらいたく、お呼びしたのです。」
「…承ります。」
なんかヤな感じがするがしょうがない。綾子は腹をくくった。
その顔を見たカサンドラの表情は動かない。そしてその灰色のまとめ髪をかしげ、こう聞いてきた。
「貴方…『イェールダー家の惨劇』をご存知?」
そんなの聞いたことがない。綾子は首を振った。
カサンドラ・ウォルター。
その昔、死の瀬戸際にいたカミラと息子のジョージを、ゾハスのスラム街から助け出した、彼女が正に張本人である。
カミラは以前、カサンドラの屋敷でメイドとして働いていた。
しかし数年勤めたカミラは突然、暇を願い出ることとなった。ウォルター商会に出入りしていた商人の男と結婚することとなったためである。
カサンドラもジェームスも、男の事はよく知っていた。出来る男である。仕事はそつなく、全くもって無駄がない。不正も働かない。誠実な男であった。メイドを辞めるのは寂しいことだが、致し方ない…その男の実家はここから遠く離れたシゲルダ王国の首都、イスカヴァルにあったのだ。
こうしてその男はカミラの両親との挨拶もきっちりこなし、カミラもカミラで向こうのご両親ともしっかりと顔を合わせ…然るべき手続きを経た二人は、カミラの両親、そしてウォルター夫妻に見送られて、村をあとにした。
数年後……。
カミラは幼いわが子を抱っこして、命からがら男の家から逃げ出した。
いわゆる、家庭内暴力であった。
男の面は、思ったより分厚かったらしい。まさかここまで酷い加虐趣向があるなど…ウォルター夫妻も全く、気が付かなかった。
カミラはなんとか、家から持ち出したお金で、夫と、夫の雇った追っ手の目をかいくぐり、ゼルグ公国まで戻ってきた。
しかし、あと少し…というところにあるゾハスで見つかりそうになり、さらにそこへ持病の喘息が悪化、動けなくなってしまった。
ウォルター商会の副長、エドモンが見つけ出していなかったら、親子は確実に死んでいただろう。
話を戻そう。
「そう…ジョシュは何も話さなかったのね…。」
カサンドラは言って、「では、一体何を話したのかしら。」
「あの人相書が、十年前ゾハスで亡くなった自分の妻にそっくりだ、と。奥様の名はサラ・イェールダーといって、亡くなったとき21だった、あと…ご両親が馬車の事故で亡くなって、それからその方はおかしくなっていって、そうしたら突然タウンゼントホテルの人間がやってきて連れ去るようにして行ってしまって…それが、サラさんとの最期だったと…」
「そう…。あの人相書はわたくしも拝見しました。言われてみれば、目元がパトリックに似ているな、とは思ったけれど…。それは、謎が謎を呼んでいるわね…ゾハスでサラそっくりの少女がアンデッドになって、街を襲っているなんて」
「えぇ…。」
「アヤコは、そのアンデッドがサラだと?」
「…断定は危険かと思います。」
あの遺骨がサラでは無かった、ということをこの二人は知らない。綾子は言葉を選び、「しかし…可能性は高いと思います」
カサンドラは思わずカミラと顔を見合わせた。その顔つきは厳しい。顔色も少々悪くなっていた。
「…分かりました。」
やがてカサンドラは意を決して、「やはり、話しておこうと思います。」
その後、カサンドラの口から聞いたその話は、衝撃というにはあまりに安易な…筆舌に尽くしがたい、重いものであった。
時は十年前、あの町の遺体安置所で『サラの遺体』とヨハン、ジョシュ、そしてジェームス・ウォルターが無言の対面を果たしたその時まで遡る。
「ヨハン…。なぜもっと早く連絡をよこさなかったのだ…!」
ジェームスは思わず声を荒げた。
「申し訳もございません…動転してしまい、思わず何も伝えずゾハスに向かってしまっておったのです」
「今さら言ったところでこの子は戻って来んが…。俺は怒ったぞ。この件、絶対に何かあるぞヨハン。パトリックにミュスカ(サラの母)、そしてサラまでも…この死、あまりにも不自然過ぎる。聞くと、騎士団の連中はろくすっぽ調べておらなんだというではないか。どうもおかしい。ヨハン。ジョシュ。…この件、すこしこっちで探りを入れてみる。任せてもらえるか。」
そういうとジェームスは、二人の肩に手を置きしっかり、頷いて見せたという。
そしてジェームスはその翌日から水面下で、電光石火のごとく調べを進めたようだった。
実はジェームス、この前日まで首都イブライムに居たのは授爵の式出席のためだった…この時、妻カサンドラと商会の一部の部下を除き、村の者も町の者も誰一人としてこの事実を知らなかったが、すでにこの時子爵の位を賜っていたのである。
子爵になると、国からこういった内密の調査名目で密偵を借りる事が出来る。
ウォルターはさっそくこの権利を行使した。
こうなればもう、鬼に金棒である。
数日後、村に住むとある老人が真っ青な顔をして、ウォルターの前に姿を見せてきた。
老人は涙ながらにこう言った……、
「村長が怖くて怖くて黙っておったのですがあの日から毎日のように二人が夢枕に立ってきて、もう耐えられそうにございません」
そうして聴き取った結果は、ウォルター達の予想通りであった。
パトリックとミュスカ、そして御者の三名はやはり、殺されていたのだ。
さらにその殺した男ら数名の面体を聴き取ったところ、驚きの事実が判明した。
そいつらは全員、トゥリスの村の村長の下で働いている者たちだったのである。
これでは村長が黒幕…と、言っているようなものではないか……。
あの年老いた村長……名をロブ・ターナーといった…あれは村人からの信頼は厚い。トゥリスの歴史と伝統を重んじ、女子供は大事に保護し、質の高い薬草を町に提供してくれる。
しかし外にいるジェームス・ウォルターからすればあの村長は肝の小さい、姑息な悪党そのものであった。
一言で言うと、とにかく金、金、カネである。
賄賂を掴ませないととにかく動かない。
村人から徴収したお金は全く村人に還元しない。あんなに質のいい薬草を生産しているはずの村人の生活はいつまでたっても、貧しいままだ。しまいには村に治療院すら、無い。『回復術師を住まわせるのに金がかかる』と、こう言い出す始末だ。
そんな男がよりにもよって人殺しに手を貸すなど、正気の沙汰ではない。きっと、相当の金を積まれて動いたのだ。
そんなウォルターの予想は正しかったことが、後に馬車を崖から突き落とした男の供述により、証明されることとなる。
次に出てきたのは、騎士団の方であった。
こちらの方は、当時の騎士団長が事故を担当した団員に話を…強力な尋問魔術を施し…聞いてくれた。幸い団長は村長と違ってそんな金で動くような男では無い。大きな戦果を挙げるタイプではないが、その分実直で充分信頼に足る人物であった。
その結果、これまたとんでもない事実が発覚した。
「村の調香師、モーリス・グレイに、『従わねば妻と子どもを密売人に売る』と脅され、大金を掴まされ、事故として処理した。妻と娘が今もモーリスの下で軟禁されているのです、団長助けてください」
団員はがたがたと体を震わせ滂沱の涙を流しながら、こう言ったものである。
このモーリス・グレイというこの青年こそが、この一連の事件の首謀者であった。




