第九章 綾子、傷心旅行に出る。(下)
翌日。
綾子は人相書を手にして、町の騎士団の青年と共にトゥリスの村にあるお宅や店一軒一軒に聞いて回っていた。
聞き込みである。
ファーナビー男爵はやはり有能であった。すぐに騎士団にかけ合って、協力を要請してくれていたのである。
騎士団からは十数名、人を貸してくれた。
「この村はどこにでもある、地方の村といっしょなんですよアヤコさん。」
その騎士の青年は苦笑して、「よそ者には冷たい。でも騎士への信頼は厚い。僕らが回った方が確実に情報は手に入る。」
それもそうだ。どこの馬の骨か分からん奴が「この女の人知りませんか」ってやってたら怪しまれてしまう。
そして綾子はすぐに気が付いた。
この青年の顔が、自分の視点のすぐ前に来る。ということは背丈が同じ……。
男爵の言っていることは本当だったのだ。
こうして、村や町のいたるところに例の人相書が貼り出された。
さらに騎士団の方では、現時点で出されている行方不明者届の中に、この特徴に合致する女性が居ないか調べてくれた。
結果は、ゼロであった。
少なくとも10年前から現在まで、トゥリスの村で行方が分からなくなった女性は一人も居なかったのである。
夕方に入り、無事にアイザックと合流出来た綾子は、男爵から指定された一軒の酒場にいた。
酒場、というよりかは、レストランと言った方が適当かもしれない。
総レンガ造りの建物。壁に取り付けられた何本もの太い、ロウソクの光。二人の座る席の真ん中にも燭台が鎮座して、何とも良い雰囲気をかもし出している。
アイザックは何度も座りなおしていた。落ち着かないらしい。
「アイザックさん。」
綾子が呆れている。
二人は念のため、混成部隊から借りた制服を着込んでいた。上は襟の付いたシャツに、アイザックはタイ、綾子は細いリボンを結んでいる。そこにえんじ色のベスト、その胸元にはゾハスの市の紋章が刺繍されていた。下は同じ色のスラックス。
隊の制服は男女ともに下はスラックスだ。女性でズボン姿というのは騎士くらいのものなので、かなり目立つ。
綾子は今日も、その長い赤髪を一つに束ねていた。キリっとした顔だちに、隊服はよく似合っている。
どうも用事が立て込んでいたらしい。
20分ほど経ってようやく、男二人がバタバタとやってきた。
一人は昨日も会った、ブライアン・ファーナビー男爵。
そしてもう一人は、初めて会う顔だった。総白髪に丸い、皺の刻まれた顔が収まっていて小柄な背も相まって『可愛らしい老人』という印象だ。
「御二方。お待たせして申し訳ありません。紹介します…」
男爵は言って、「ジェームス・ウォルター子爵です。」
二人は立ち上がって挨拶し、握手を交わした。
この人が、ここトゥリスに自生していた薬草を一気に大きな商いにして財を成した、ウォルター子爵…。
まさか会えるとは。綾子は少々、緊張していた。
4人が席に着くと、琥珀色のワインが注がれる。
「私の領地で採れましたワインです。お口に合うと良いのですが」
子爵は言って、「では。」
と、杯を掲げた。
ワインは甘く酸味が効いて、流石に美味いものだった。
その席は、他の客のいる大広間とは別の、奥の一間を借り切っていた。
4人の他は、給仕の者しか居ない。
「私は最近爵位を賜った身でしてね。どうも、堅苦しい晩餐は好まぬのですよ。それで、ここにしたのです。」
ウォルター子爵は照れ笑いでそう言うと、毛量のある白髪頭を掻いた。
「このような席を設けてくださり、感謝申し上げます。私共も、こういった所の方が助かります。」
と言うアイザックに、綾子は思わず二度見しそうになったが何とかこらえた。
「今夜は少し込み入った話になりそうですので…食事は後にしましょうか。話の方を先に片付けましょう。」
子爵はにっこりとこう言った。そして一気に顔を引き締めると、こう続けた。
「人相書は拝見しました。知らない女性でした、何せトゥリスの村の女性の人口は100人を超えていて、私も把握しきれてはおりませんでな…。しかし、私もブライアンと同じ印象…というか、直感しました。この少女は、トゥリス族…この村の出身の女性ではないかと思います。」
きっぱりと、言ってのけたものである。
「一応、うちの商会で働く者にもこの人相書を回しておいたのだが、心当たりがあると言っているものはおらなんだです」
トゥリスの村の人口はおよそ三百人。うち百人近くの者が、この商会で何らかの形で働いているという。
随分な率である。彼の商会は正に、この村と町の経済を動かしているのだ。
「まあ、動いたのが今日ですし…。証言が取れてくるのはこれからかと思います。」
アイザックは言った。
「同感です。何せこの顔立ちは、村には非常に多い。ただ、この村はそう広くありません。数日もすれば…何か聞こえてくると良いのですが」
男爵はそう言って、「お二人はいつまで」
「当初明日戻るつもりでいたのですが、まさかこうなるとは…。レスター団長には文を出して、一週間ほどに延ばそうかと。」
というアイザックに子爵も深く頷いて、
「それが良いでしょう。ああそうだ、それでですね。その、あちらの団長殿にその文と一緒に送ってほしいものがあるのですよ。」
「それは構いませんが、どういった…?」
「その前に……。今一度お伺いしたいのだが」
急に口調ががらりとため口になった子爵が厳しい顔つきになり、「この女性がアンデッドとなり、ゾハスの街を襲っているというのは本当かね。」
「はい。」
アイザックは即答して、「あの場に居た混成部隊全員がこの目で見ました。それに、ここにいるアヤコは彼女からの攻撃を直に浴び、一時重体となっているのです…今もまだ体力が戻っておらずリハビリ中なのですよ」
子爵はショックを受けた顔つきになって綾子を見た。そして絞り出すようにしてこう言った。
「左様であったか……。アヤコ殿、災難であったな…すまぬ。」
綾子はおどろいて、「顔をお上げください!第一、まだあの少女がこの村の方と決まったわけではありません!」
「うむ。うむ…。」
子爵は二度、三度と頷くと、「アイザック殿。その襲撃が始まったのはいつごろであった。」
「6年ほど前からになります。」
「左様か…。ではやはり、これは役に立つであろう。ブライアン。」
「はっ。」
返事をした男爵が、懐から折りたたんだ一枚の紙を出してきた。
それは、人の名前と年齢、住所が記載されたリストだった。数は10名ほどだろうか。全員女性のようだ。
「これは…?」
「現在20代~30代のトゥリス族の女性で、かつ6年前、ないしそれより前にこの村から転居した者のリストじゃ。幸いこの村の人口は100人少し…。しかも引っ越す者となるとそう多くはない…おかげでここまで絞れたのじゃ。」
「トゥリスの女性は、40を越しますと頬から首にかけて、特徴的なシミ…と言いますか、あざが出て来るのです。ああ、ちょうどよかった。カミラ。」
「はい。」
給仕をしていた女性が空いたグラスを持ったまま、男爵の傍らに立つ。やはり、非常に小柄だ。
よく見ると、その女性の首のあたりにはうっすらと、草木を刺青で描いたような黒いあざが見える。
すると、そのカミラという女性が綾子に向かい、手を振った。
「…!!!」
綾子の顔が固まった、かと思うとみるみるうちにそこに驚愕が広がった。
アイザックが『?』という顔になる向かいで、子爵と男爵はいたずらが成功したような顔になっている。
「カミラおばさん!!」
綾子は思わず立ち上がった。
「マーガレット。あぁ…今はアヤコちゃんかい。」
よろしいですか、構わぬよ。というやり取りの後、カミラは綾子の元へと駆け寄った。
「大きくなって…。それに、その髪…。立派になって。」
「おばさん。心配してました。ジョーからは聞いてはいたのですが…。」
そう。
以前『いろいろ再会』でおはなしした、今ゾハスで料理人として働いているマーガレットの幼馴染。その母親が彼女である。
あの、ゾハスのスラム街で酷い咳をしてガリガリに痩せた女性はもう、どこにも居なかった。顔色も良く、生き生きとしている。
「カミラおばさん。トゥリスの方だったんですね。」
「そんな話も出来ないくらい、体が悪かったからねぇ。」
カミラは言うと綾子を見上げ、「本当、立派になって…。」とまた言った。
「男爵、子爵…本当に、ありがとうございます。」
綾子は頭を下げた。
「サプライズは成功じゃな、ブライアン。」
この子爵、意外におちゃめらしい。
「話を戻しますが…」
男爵は咳払いをして、「トゥリスの女性は、30代の後半から40代にかけて、このようなあざが浮いて参ります。それで、このリストからはその年代を外したのです。」
「たしかに…。あのアンデッドにそんなあざはありませんでした。」
綾子はカミラを見た。
「これは大きな手がかりになるやもしれません。ゾハスの役所に、この出生地と名前で調べてもらえば…」
アイザックが言うと子爵も大きく頷いて、「そう。あわよくば…特定に繋がるやもしれん。」
この国では、戸籍の扱いが確立されている。子どもが生まれれば、性別、誕生日、住所とは別に出生地も記録、登録される。
さらに転居をする場合は、転居前の役所、さらに転居先の役所にそれぞれ出向いて届けを出さねばならない。そうしないと、下手をすると仕事に就けないことだってあるのだ。
「出生地、というのは一生ついて回る、不変の情報になるんです。本人は普段生活で意識したりしませんが、戸籍上はかなり重要な情報なんですよ。」
これはすぐに対応した方が良さそうだ。アイザックはこのリストを受け取り、
「…ありがとうございます。早急に送らせていただきます。」
この時の、子爵と男爵の取った行動は正しかった。
このリストは後に、大きな手がかり、足がかりとなったのである。
そして数日後。
この人相書の女性を知っている、という一人の青年が両親に連れられ、まるで自首でもするような思いつめた表情で、町の騎士団の詰所へと出頭してきたのである。




