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第六章 綾子、リハビリする。

 意識が浮上した。

 誰かが手を握ってくれている。小さなお手てだ。子どもだろうか。

 ぼんやりと目を開けると、やはりそれは子どもだった。少し赤身のかかった金髪に、目元はくりっとした男の子である。

 目が合った男の子の目が落ちそうなくらいに見開かれた。そして、みるみる涙を盛り上げた。

「…ルドウィグ」

 綾子はその男の子の名を呼んだ。

「…アヤコぉ…えぐっ…しんぱいしたぞぉ…!」

 ルドウィグというらしいその少年はぐしぐしと泣き出したもんだから、二人の手が彼の鼻水にまみれてしまった。綾子もつられて泣き笑いである。

「お、おい」「あの子気が付いたぞ」「誰か担当の回復術師を…!」「良かった…良かった…!」

 周りで寝ていた傷病の者たちが騒ぎ出した。





「なんとか、山は越えてくれたわね。」

 ナタリーがかいがいしく綾子の状態を確認している。

 この世界にも、舌圧子ぜつあつしがあるらしい。口の中にあれそっくりの金属のヘラを入れられ、綾子はやっぱり「おえっ」となった。

医師せんせい。私の身体は一体どうなってたんでしょうか」

「ナタリーでいいわよ」

 ナタリーは言って、「…おそらくなんだけど、貴方が使役?していたあの草…豆の木をつたって、あの少女の姿をした魔獣の瘴気が体内に入り込んでしまったんだと思う。あれがあの魔獣の、貴方に対する攻撃だったんでしょうね。瘴気が直接血管の中に侵入して、全身を中から攻撃していてね…胃と肝臓を食い破っていたのよ」

 怖っ。それはぶっ倒れて意識を失うはずだ。綾子は青ざめた。

「あの黒い煙は瘴気、だったんですね。他に被害は出ませんでしたか。」

「それは大丈夫。みんな、充分な距離を取ってたみたい。レスター団長も、ドウェインさんもピンピンしてるわ。」

「それは良かった…」

 綾子は胸をなでおろした。こんな痛みは自分一人で充分だ。

「それにしても…あの豆の木、どうやってあんな風にしたの?イブライムから来た研究所の人がびっくりしてたわよ」

 はい、おしまい。と診察を終えたナタリーが綾子が服を来たのを確認してカーテンを開ける。

「あれは元々あそこに生えてた雑草ですね。それに私の魔力を流して、少し話しかけてですね…。それで、変異を起こして大きくして、使役してたんです。」

 カラスノエンドウって言うんですよ。と綾子はニコニコと言うと、やはりナタリーは信じられないわと肩をすくめた。

 綾子の話は続いた。

「この術は、同調力が非常に強いんです。幸い引きちぎられたりだとか、物理的なものは大丈夫なんですが、瘴気だとか汚染系の魔術を植物の本体が食らうと、主の私も一緒に食らってしまうんですよね」

「そうだったのね…。まるで召喚魔法みたい。」

 ナタリーが言った。

「そうですね。術の構成はかなり似てます。」

 綾子がそんな話をしていると、さっきまで手を握って号泣していたルドウィグ少年が父親の手をぐいぐいと引いて戻ってきた。

「パパ!こっちこっち」

「アヤコ!!良かった、気が付いたか」

 ドウェインだった。

「…師匠。心配をかけました」

 綾子、神妙にベッドの上から頭を下げる。

「大丈夫だ。まぁ、これで皆も安心するだろう。エドガーさんも村からすっ飛んできたぞ、後で会ってやれ。」

「え、義父上ちちうえが来られているのですか」

 綾子が目をひんむいた。ポルタ村からゾハスまでは、早馬で駆けても数日かかる。

「そりゃあそうだろ。後見人とはいえほぼ親子みたいなもんじゃないか」

 たしかに。綾子は頷いた。

 あの村での出来事から今までの間に、綾子とエドガーの間柄はずいぶんと近しいものになった。学院に入ってからも支援は惜しまずしてくれたし、彼の娘夫婦が首都イブライムで小さな商会をやっていたこともあって、ちょくちょく様子を見に来てくれていた。そうこうしているうちに義理の姉夫婦とも親しくなり、そのうち「ほら、義父上って呼んでごらん」となり、今に至っている。エマ夫婦とも交流は途絶えていないし、なんだか親が二組居るような感覚だ。

「自分、色んな人に心配かけてたんだなぁ…」

 綾子がしみじみと言うと、そうだよとドウェインはしたり顔で言った。




 こうして、地獄のリハビリが始まった。


 綾子が意識を失っていたのは3日ほどらしい。

 驚異的な回復力であった。

 これは、彼女自身の持つ膨大な魔力もさることながら、ここに詰めていた回復術師達の力も大きい。何せ血液に魔獣の瘴気が入り込んでしまったのだ、体内の血は全て入れ替えねばならなかったし、食い破られた内臓も治さなければならなかった。しかもこれに加えてやっかいだったのが全身を巡る血管だった…あの瘴気は、綾子の血管までも大きく傷つけていたのだ。

 この治療を、全て同時にやらねばならない…回復術師一人では、とても対応できるものでは無かった。



 彼女の治療は、一等回復術師が一人。あと、二等としてサイラスと、ナタリー。3人がかりで一気にあたったのである。






「うぅ…」

 キツい。綾子は思わずうめいた。

 まるで、自身の身体ではないようだった。重力が敵に見える。立つだけで、全身がとにかく重い。そして傷ついた血管の影響だろうか、全身が内出血を起こして青あざだらけだ…動かすと、その度に体のあちこちから痛みが走る。

「少し休むか?」

 サイラスが声をかける。隣にはエドガーも心配そうに綾子を見守っている。

 しかし綾子は首を横に振った。

 焦っても仕方がないのは分かっているのだが、少しずつ歩行距離を延ばしておきたい。

 それに今、杖をついて歩く先に、見たいものがあるのだ。

 たかだか数100mの距離を10分もかけて、綾子は歩き通した。

 そして、それは見えてきた。

 そこは正に、先日の戦闘で綾子が一時重体となった広場であった。

 以前、そこは噴水もモニュメントも無い、ただのだだっ広い石畳があるのみだった。

 しかし今、その真ん中には大きな銅像がお目見えしている。

 綾子はそこへ向かって懸命に足を進めた。

 そしてとうとう、その銅像の前までたどり着いた。


 それはあの時綾子が倒した、キマイラの像であった。


 しかも丁寧に、それに絡みつく豆の巨木まで忠実に再現されている。


 今にも動き出しそうな迫力だった。


「そりゃあそうだ。何せあのキマイラの死体を粘土で覆って、それで型を取って銅を流し込んだって聞いたぞ。」

「そんな大がかりなことを…」

 綾子、驚きのあまり開いた口が塞がらない。

「何せこの街の現状を打破する突破口に、こいつがなるかもしれないんだからな。まぁこうなるだろうよ。」

 なぜかサイラスが得意気だ。

「だから、作品名が『未来』なのですね。」

 エドガーも彫りこまれたタイトルを見ながらうんうんと頷いている。「カラスノエンドウの花言葉も『未来の幸せ』です、それとかけているんでしょう。」

 綾子は照れ笑いになった。そして…あらためてその銅像を見た。

(こんな姿だったか…。)

 あの時は無我夢中で、敵の姿を見ている余裕などなかったのだ。

 そしてやはり気になるのは、その後の状況だ。


 今日で、あの襲撃からちょうど一週間。


 広場のすぐ前にそびえる物見の塔に詰めている人間によると、ここのところ魔獣の気配が全く無いのだそうだ。

 やはり、あの時お見舞いしたというアイザックさんの一撃は響いたのだろうか…。


 しかし問題…というか、疑問は山積みだ。


 あの少女は一体何者なのか。


 どうやって獣人だけを狙って、あやつり攻撃を仕掛けたのか。


 そして何故、このゾハスの街を襲っているのか……。


 あの瘴気が血の中に入ってくるその刹那、綾子はたしかに、あの少女の心の闇を覗いたように思うのだ。






 …あれは、ゾハスの民に強い恨みを持っている。






 その晩。ミノタ貝の音が街に響き渡ることは一度も、無かった。


ありがとうございました。


また、来週月曜日に。

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