第二章 なんか赤髪になってとるし子供になっとるし!
凄まじい冷気が吹き込んできた。
そしてそこには、もこもこの毛皮を身にまとった大柄な男が立っていた。フードから金髪が飛び出ていて、蒼い目をして、角ばった顎にはもっさりとひげを蓄えている。そしてよく見ると、その後ろには同じような恰好をした女性もいた。二人とも、4~50代のように綾子には見えた。
二人は綾子の様子を見るなり、驚きふためいた。そして二人して床にへばる綾子へと駆け寄ると、次々にこう言った。
「気が付いたかお嬢ちゃん…!」「良かった…!良かった…!!」「エマ、こうしちゃあいられん。すぐお館様へ報告してくる」「うん、頼んだよあんた」
(やべえ、すごい流暢に日本語喋ってる…!)
綾子が変なところに感動している間に男の方は、再び雪の吹きすさぶ外へと出て行った。
女はそれを見届けると、綾子ににっこりと笑いかけ、彼女の小さな身体をひょいと抱き上げるとベッドへと戻した。なんて怪力だ…とあぜんとしていると、
「体調はどうだい?寒くはないかい?」
と、大きな手で頭を撫でてきた。
それにしても凄い体格差だ。と綾子は感じつつ、「大丈夫です。あの、ここは一体…。」
綾子は、耳を疑った。
「…は?」
「だから、ここはポルタという村だよ。あなたは、すぐ近くを流れてる川のほとりで倒れていたの。酷い怪我だったんだよ。」
聞くと、倒れていたのは一週間ほど前だったという。どうやら厳しく縛られた状態から足を無理やり抜いたらしく、足首の関節は脱臼、さらに日常的に拷問を受けていたらしくあばら骨も折れていて、全身が傷とあざだらけだった。しかも、この氷点下の気温の中川の水に流されてきたらしく体温は冷え切っており、発見時は心臓が今にも止まりそうな状態だった…発見した村人の一人はたまげて、この村唯一の治療院であるこの家へと運び込むと、すぐにこの辺りを治める領主の元へと走った。
(ポルタ村…領主…これは一体…)
綾子は今にも混乱しそうな思考をなんとかなだめ、落ち着かせた。
とにかく、ここは日本ではない。この夫婦の顔だち、そしてこの家の様子からしてそれは明らかだ。あのアパートから、どういうわけか連れてこられたのだ。
しかし領主とはずいぶんと古風なように綾子は感じた。今どき、領主を置いて治めさせるシステムを取る国なんてあるのか…?
しかし、綾子にはまずこの女性に言わねばならないことがあった。とっても、大事なことだ。
「…すみません。そうでしたか。助けていただいて、ありがとうございます。もし発見されていなかったらと思うと…。」
言うと、綾子はベッドの上から頭を下げた。
その女性は、きれいな水色の瞳を見開いて、しかしすぐに笑顔になった。「当たり前のことをしただけさね。」と。
「あの、じゃあ、ちょっと教えてもらえませんか。私、どこから連れてこられたのかも分からないんです。ここがどういう国なのか、とか、全然知らないんです。」
綾子は勢い込んで言った。
「…そう…。」
女性は思案して、「それは、もうすぐお越しになる領主様にお聞きになるといいわ。詳しく話してくれるはず。」
「えっ。ここに来られるのですか。」
「そうよ。あなたが気が付いたら、すぐに知らせるようにって言われていたの。あなたには悪いんだけど…。」
「…いえ。」
彼女は領民だ。領主の命令は絶対だろう。綾子は首を横に振って、「ひょっとして、こう、尋問みたいなことをされるのでしょうか…」
「事情は聞かれるだろうね。あなたは、正直に応えればいい。彼らの尋問魔術は絶対だからね…おそらく嘘は付き通せない。」
「尋問魔術…」
綾子は聞き慣れぬ言葉に、オウム返しになった。
「そう。話を聞かれるときに、騎士団の方がかける特殊な魔法さ。これにかかると、ほとんどの人は正直なことしか答えられなくなるし、嘘をつこうとするととんでもない痛みが全身に走るそうだよ。」
(魔法…だって?!)
綾子はとんでもないことを聞いてしまったような気がした。
領主。騎士。そして魔法。
何てことだ。
ここは日本はおろか、地球ですらないのではないか。
「ごめんなさい。怖がらせてしまったね…。」
女性のやわらかい手が綾子の小さな手を包んだ。なんだか安堵するものが流れてきている気がした。
「…いえ。」
綾子は毅然と言った。「とにかく、私はその方たちが来たら正直に答えればいい、ってことですよね。」
どうせもうすぐ領主とやらがやってくるのだ。じたばたしたって始まらない。長いものには巻かれろである。
「…本当…。あなたは賢い子だわ。まだこんなに小さいのにしっかりして…。」
女性は涙を浮かべてそう言ったが、これにまた綾子はぶったまげた。
(小さい、だって?!)
もうここまで来ると、驚くのも疲れるというやつである。
「…すみません。ちょっと変なことをお願いするんですが…。」
「うん?」
「…鏡ってありますか…?」
「あぁ。あるよ。」
女性は怪訝な顔になったが、すぐに棚の中から手鏡をよこしてくれた。
こうして……。
(やっぱりか…!!!)
そこには、自分とは似ても似つかぬ、燃えるような赤い髪をした、緑色の瞳をした女の子が映っていたのである。
もう、疑いようが無かった。
自分はあの時死に、この世界へとやってきてしまったのだ。
なんという親不孝だろう。
真っ先に思ったのが、これだった。
父は死んでしまっていたが、母は健在だった…精神状態はどうあれ。
正にあの頃は父が亡くなり遺産相続で親族の間でトラブルが勃発(また面倒なことに父はまぁまぁな資産持ちだったのだ)、その対応でバタバタしていた矢先の事だったのだ。
うろおぼえだが、断言できる。
私はあの時自殺しようとなどとは、断じて思っていなかったし、あんなことは自分はやっていない。
見せかけて、殺されたのだ。何者かに。
やったのは誰なのだろうか…。
あのトラブルの元となった、金に困っていた従兄か。父の愛人の子と言って乗り込んできた女か。
やりかねない、と綾子は思った。二人とも、父の遺産をどうにかして自分のものにしようとそれは必死だった。
その他にも色んな憶測が、思いが、脳内を駆け巡った。
しかし……。
どうにもならないことだ。今、となっては。
これであった。
あの世界に、戻れるのか。
戻りたいのか。
正直、やり残したことは結構あった。
その相続云々のこともそうだし、残してしまった母も心配だ。彼女に、私がやりかけていた弁護士とのやり取りを引き継げるだろうか。
それに、例の父の一件が『修士論文の提出も終え、あとは卒業』というタイミングだったために大学院の卒業証書も受け取れていない。同期とも、会えずじまいだ。なんてことだ。彼らとはもう酒が飲めないではないか。
ここまで思考すると、急にさみしさがこみあげてくる。
しかし……。
今一度、自問してみる。
日本に。静岡に。自分は戻りたいか。
答えは、出てこなかった。
色々と考え込んでしまったが、はっと気がつくと、例の女性が手を握り、心配そうにこちらを見ていた。
「あっ…」
しまった。すっかり忘れていた。
「大丈夫だよ。あとは領主様がどうにかしてくれるさ。あの方はよく出来てるからね、悪いようにはしないはずだよ。」
「はい…」
うん。まずはその領主様とやらのツラを拝んでからだ。
そう思った綾子は、ここで改めて、その鏡に映る女の子を見た。
歳は…11、2歳くらいだろうか。燃えるような、ウェーブのかかった髪だ。今は肩あたりまで切りそろえられていてぼさぼさだが、延ばして手入れをすれば結構綺麗になるんじゃないだろうか。顔は、正直に言って可愛らしい部類に感じた。目の色も印象的だし、そばかすも愛嬌だ。
綾子は日本にいた時代、10代の頃は酷いニキビに悩まされていた。正直、この顔立ちは羨ましいくらいである。
「ありがとうございます。」
綾子はひとまず、鏡をお返しすることにした。
「あいよ。」
女性は受け取ると、「顔の傷が気になったろうね…。大丈夫。それはあたしが何とかして、治すから。顔は女の子の命だからね。」
そういや頬にもかすり傷があったのを今頃になって思い出したが、綾子は「ありがとうございます…!」と話を合わせた。
「どうしても治療の優先度、ってのがあったからさ。何せあなたは、その足と、冷え切った身体と止まりかけた心臓をどうにかしないとだったから。あたしももうちょい魔力量があれば一気に治せたんだけど…。ごめんよ。」
「い…いいえ!とんでもないです。おねえさんがいらっしゃらなかったら、私助かってなかったです。」
綾子があわてて言って、「おねえさんは、傷ついた身体を魔法で治すお仕事をしているのですか?」
「おねえさんだって…アッハッハッハ!」
壮年のその女性は照れ隠しにゲラゲラ笑って、「エマでいいよ。…そう。あたし達夫婦はこれを生業にしてる。回復術師って言うんだ。」
そう言うと、エマは棚から何かを出してくると、綾子にひょいと渡した。
それは、勲章のようだった。白い翼を背にした、女神らしき姿が精巧に刺繍されている。
「これが、四等回復術師の免許状さね。同じのを、夫も持ってる。」
そ、そんな大事なものを…!綾子は慌てて、そして丁重にそれをエマにお返しすると、「それはすごい。素晴らしいです…!」と言った。
「ありがと。」
エマは眩しそうに目を細めた。
エマの夫、トマスが領主のエドガーと騎士の男数人を連れて家に戻ってきたのは、そんな時だった。