第四章 キマイラあらわる!
『ウゥーーーー。ウォーーーーゥ。』
牛のような、ほら貝のような低い音が、夜のゾハスの街に響き渡った。
寝ようとしていた綾子は跳ね起きた。
(来たか…!!!)
外から悲鳴らしき声と、ドタドタという足音も聞こえてくる。街が騒然としている。
(まさか、もう街の中に魔獣が)
予感は的中していた。窓を開けて外を見ると、逃げ回る人々…その後ろから、何か黒い物が追いかけている。しかし夜の闇にまぎれていてその姿がはっきりと分からない。
こうしている場合ではなかった。綾子は簡単な装備を身に着け武器を手に取ると、いちもくさんに階下へと駆け下りた。
「アヤコさん…!」
下では、地下室へ避難しようとする大家さん夫婦の姿があった。その扉には目くらましの魔術がかかった護符がある…懸命な判断だ。
「行って参ります」
綾子は短く言うと、玄関から外へと飛び出ていった。
ご無事で、という声が追いかけてきた。
外に出ると、そこはもうすでに戦場と化していた。
目の前を男性が、物凄いスピードで逃げていった。
綾子はその男をやり過ごすと、その道の真ん中に立った。迎え撃つ気だ。
そして果たして……その黒い物体はあらわれた。
この街の中心部は小さいものだが、ちゃんと街灯が設置されている。今の領主が私財を投げうって、買って建ててくれたものだ。
その灯りに照らされたものを見た綾子は、あやうく腰を抜かしそうになった。
あんなものは見たことが無い。
それは若い女であった。
しかし首から下が、無い。生首である。
それは栗毛の長い髪をふわりふわりとふりみだし、空中に浮いていた。その眼は窪んで腐ったような眼球をしていて、口からはギザギザの歯と、血がだらだらと流れていた。綾子はすぐ気づいた…なんてことだ、あれは人を食っている。
生首女が舌なめずりをした。
綾子はすらりと、武器を抜いた。
次の瞬間、生首女が綾子へと襲いかかってきた。
勝負は、一瞬で片が付いた。
綾子のレイピアが下段からヒュン、とうなりを上げた次の瞬間には、もう生首は縦に真っ二つに切れていたのである。そして…。
ボウっ。
おくれて発動した火炎魔法で、その生首がめらめらと燃え始めた。
「アヤコさん!」
その声に振り向くと、そこへ見慣れた顔が走り寄ってきた。
「すみませんジョセフさん、外へ出てみたらいきなり出っくわしちゃって…」
綾子が苦笑いになった。
「いえ。お見事でした。」
ジョセフ、というらしいその優しそうなたれ目の男はそれでも引き締まった顔つきで、「行きましょう。ドウェインさんとアイザックさんがお待ちかねです」
ドォオオン。ッドォオオン。
城壁に近づく頃にはもう、その地響きと轟音が辺りに響き渡っていた。
住民はすでに避難を終えたらしい、人っ子一人見当たらない。その速さに綾子はおどろいた…もう彼らは慣れっこなのだ。
「この音は…」
「この城壁を体当たりで突破しようとしているのですよ。」
小走りになりながら二人は話している。
「体当たりしているのは一体ですか」
「ええ。種族も分かっています。キマイラだそうです」
「うげっ」
綾子は苦虫を噛み潰したような顔になった。体つきこそ山羊のそれだが頭は二つ、獅子の頭と山羊の頭を持ち、山羊の頭からはマグマみたいな炎と尻尾には蛇がいてこれまたシャーシャー毒をまき散らす…むちゃくちゃな恰好の魔獣だ。おまけに蝙蝠の翼も持ってるから、平気でゾグレス川も渡ってきてしまう。一度だけ相まみえたことがあるがアレは厄介だ。
目の前に人だかりが見えてきた。見知った顔がいくつもある。冒険者と騎士団の混成部隊だ。
「師匠!」
綾子はその中の一人に声をかけた。
「来たかアヤコ」
見慣れた赤髪のドウェイン・タッカーが振り向いて、二っと笑った。
「すみません遅れました!」
「いや、大丈夫だ。他の奴らも街中で戦闘に入っちまってる。あの生首はC級以下の奴では厄介だろうよ」
「状況は?」
「外から見張りの城塞をぶっ壊そうとドンドンやってる奴が、キマイラだ。数は一体。まだこっちで食い止めてるが、そうは保たん。この広場で迎え撃つぞ。」
「了解です!」
ッドオオォン!とまた凄い音がした。見ると、それは城塞に取り付けられた大きな扉の方からしていた…人が何人もその扉を抑えつけながら何か術を代わる代わる放っている。
それを指揮していた冒険者筆頭のアイザックが、ドウェインと綾子を見た。すると、右手をさっと上げ、
「よし!ここで奴を迎え撃つ!!皆、門から離れろ!!!!!」
大音声と上げた。
その巨大な門に縋りつき侵入を防いでいた男達が一斉に離れた。
一瞬の間があった。しかし。
ドカーン!!バリバリバリバリ!!!ドオォン!!!
地響きと轟音がして、その巨大な扉が木っ端みじんにふっ飛ばされた。よく見ると扉が、全部炭と鉄くずと化している。あの魔獣が、火炎で燃やしたのだ。
そしてよく見ると、さっきまで抑え込んでいた男たちは全員、汗びっしょりだった。あの火炎に対抗するため、大量の水を魔法で喚び、火を消していたのである…辺りはサウナばりの水蒸気が発生していた。
そして綾子はその目で捕えた。
中へ転がり込んでくる巨大な獣の姿を。
その姿が、松明と光の魔法で照らされている。
綾子の顔に壮絶な笑みが浮かんだ。
咆哮を上げる獅子の頭。炎を口元にまとった山羊の頭…頭蓋骨化している。四本足の大きな体躯。そして尻尾には毒をまき散らす大蛇。
間違いない。
半年ほど前に相まみえたあの種。キマイラであった。
辺りが静寂に包まれた。
30人ほど居た混成部隊が全員、キマイラを取り囲んで武器を構えている。
ドウェインも長剣を構えた。
綾子もすでにレイピアを抜いている。片手で、切っ先は地面すれすれに構えていた。
キマイラは完全に、この二人を標的に定めていた。二人とも膨大な魔力持ちを示す赤い髪…美味そうに見えているのだろう。
「ドウェイン、加勢するか?」
誰か、男の声がした。
「いえ、団長。弟子と二人で片を付けます。どちらかが怪我をしたら頼みます。」
ドウェインの凛とした声に綾子は(おっ?!)となった。実は団長とはまだ会えていなかったのである。
「分かった」
その声に、綾子の気が一瞬それた。
その期を逃す魔獣では無かった。獅子の頭の方がガウルル!!と咆哮を上げ、山羊の頭の方がその白骨の眼窩から光る眼をきらりと瞬かせ、その鋭い蹄で一気に地面を駆け襲いかかってきた。
しかし元より、油断を誘ったものである。
綾子のレイピアが下段から上へピュルン、と空を切った。
するとどうだ。
今度はキマイラの足元…つまり土の中…からぼこぼこっと音がしたかと思うと、出てきたものがしゅるりしゅるりとキマイラの足に巻きついていくではないか。
なんてことだ。あれはただの雑草…カラスノエンドウだ。茎の太さだけで軽く50cmはあって異常に肥大化しているが、あれは間違いない。
ガクンと後ずさるキマイラ。
しかしこのようなもので足止めをくらうような奴ではない。
巻きついた蔓がぶちぶちぶちぶちっ、と音を立てて切れていく。しかしその間にも土の中からぼこぼこと別の蔓が伸びてキマイラの体を縛りにかかってくる。
キマイラの山羊の頭の方が堪らず火炎を吐いた。しかし蔓はさっぱり燃えない、綾子が水の魔法を唱えている。
その期を逃すドウェインでは無かった。
ドウェインが術をぼそぼそと詠唱する。長剣が金色に光った。そして次の瞬間にはもう、ドウェインの身体は縛り付けられたキマイラの頭上にまで跳躍していたものである。
勝負は決した。
口から血泡を吐く獅子と山羊の頭。尻尾で散々酸入りの毒をまき散らしていた大蛇もぐったりしている。そしてその胴体からはあの長剣が突き出ていて、その切っ先にはビクリビクリとうごめく肉塊が見えた。
見事な一撃である。
ドウェインが、その長剣をそのままにして獣の背から降り立つと、周りから一斉に歓声が上がった。
そして、わぁわぁと声がする中から一人、その円陣から綾子たちの元へやってきた男があった。
「見事だった」
「…俺は何もしてない。やったのはコイツだ」
ドウェインが傍らでまだ、カラスノエンドウをあやつりキマイラの遺体をぎゅうぎゅうと縛りにかかっている綾子を顎でしゃくった。
綾子は視界の端で、その男を見た。夜闇でよく分からないが、暗めの色の髪を後ろできちっと束ねていて、落ちくぼんだ眼窩から除く目つきは鋭い。そして右頬と首のあたりに傷跡が見えた…ということは…。
「術を解くことが出来ないのでこのままで失礼します」
綾子は先に断って、「レスター団長でいらっしゃいますか。」
「ああ。アヤコ。見事な機転だった。まさかこんな雑草に魔力を流し込んで使役するとは…。」
男…ゾハス市街所属の騎士団長、レスター・コリンズは思わず、といった顔でその豆の大木を見上げていた。
その大きさは、レスターやドウェインの背丈の軽く二倍はある。それがギチ…ミシ…と音を立ててキマイラの死体を締め上げているのだ。とてつもない力がかかっている。
「おいおい、そこまでしなくても…」
レスターが綾子を見た。
しかしドウェインも油断無く、その様子を見守っている。そして、「キマイラは心臓を貫かれてもしばらく生きています。それは、あの通り獅子の頭と蛇の頭があるからです。本体こそ山羊で、心臓も一つですが…油断しているとあの心臓を取り返そうと獅子の方が暴れたり、蛇が鎌首をもたげてくることもある。だから俺の剣は刺しっぱなしにしているのですよ、あれには特殊な術をかけてありますからね。…おいアヤコ、今のうちに何なら俺が燃やすか?」
と、綾子の方を見た、その時だった。
綾子の様子がおかしい。
その顔は青ざめ、全身がガタガタと震えている。
「おい、様子が変だぞ」
「どうした!!」
続きは、明日0時に。




