第二章 魔法学院から冒険者へ、そしてゾハスへ(下)
前回に引き続き、今回も少し説明回となります。
宿場町、ゾハス。
ゼルグ公国最大の、陸の交易都市である。
南と東にはゾグレス川。街道も二つ、交差している。さらに、その東側の川を上流へ行けば宗主国、シゲルダ王国の首都イスカヴァルへと行き着く。
しかしここ数年、旅の商人達はこの街へ泊まりたがらなくなってしまった。皆、その川の上流のサリシュという村か、街道を東に行ったイブライムの手前にある、スエルという村まで行ってしまう。
理由は明白だった。
『ゾハスの北にある、川を挟んだ向こう側が魔獣の巣窟になっていて、そいつらが月に数回、街を襲撃しにやってくるから』。
これであった。
ゾハスの北にある、川を挟んだ向こう側がなぜ、魔獣の巣窟になっているのか。
それにはまず、この国の生い立ちについて話をせねばならない。
その昔、ゼルグ公国というものがまだ無かった頃……。
ときのシゲルダ王は頭を悩ませていた。
その元凶は、国の北部にあるゼルグ地方近海の海にぽっかりと浮かぶ、小さな島だった。
そこから年がら年中、酷い臭気がやってくるのである。ある時は糞尿のような臭いだったり、ある時はどぶが腐ったような、卵が腐ったような…とにかく悪臭なのだ。
そしてこの臭いがやってくると、土までもが腐ってしまう。作物も育たない。魔法も効かない。人々は本当に、貧しかった。
そんなある時。降嫁していた王の妹が、一人の女子を生んだ。
その子は本当にかしこかった。王もわが子のように可愛がった。
するとある日、その子が王にこう言上したのだ。
「おじうえ。あのしまが、泣いておられます。
あのしまは、ほんとうは海ではなく空に浮いていなければいけない。海にふれているせいで、あのしまはくさって、においをはなっているのです。」
6歳児がなにを、と周りの貴族は笑ったが、王は笑わなかった。そして、軍の長にこう命じた。
「あの島を徹底的に調べろ。特に、あの島の周りの海をだ。」
果たして……。
この女子のいう事は真であった。
海に潜ってみると、何とこの島は陸とは全くつながっておらず、ただの岩で、それが海底から何か鎖のようなもので繋がれていたのである。そして、その巨大な岩は、海水によって浸食し、腐り始めていた。臭いの原因はこれだったのだ。
王はすぐに、隣国からの協力も得て手練れの魔法使いを呼び寄せ、その巨大な鎖を…切った。
すると、海底に居た魔獣が一体、襲いかかってきた。
巨大な蛸の魔獣であった。死闘となった。
しかし…数日にも及んだその戦いはどうにか、人間が勝利した。
すると…どうだ。
その島がみるみると浮上し、天空へと上っていくではないか。
戦いに参加していたシゲルダ王も、呆然とそれを見上げていた。
しばらくすると……その天空に浮いた島から、6対もの白い翼を持った、ゆったりとしたローブに身を包んだ女性がまばゆいばかりの後光とともにあらわれ、王にこう告げたという。
「そなたらに感謝申しあぐる。妾らは数千年、あの鎖に囚われておった。今この世界に魔力は戻る。妾のこれが、力じゃ。
礼に、そなたらには豊かな地と、安寧をもたらしてやろう。そして頼みがある。そなたの姪を、妾のそばに置いて、妾のこの島を守って欲しいのじゃ。さすれば、未来永劫、この地は守られるであろう。どうじゃ。」
否やは無かった。
王は迷わず、妹とその夫(彼は侯爵だった)を後見人とし、その娘…アデラにゼルグ地方一帯を与えた。そして、以降はこの地と天空の島を代々治め、守るよう申し渡したのである。
これが、ゼルグ公国の、はじまりであった。
あの時あらわれた女性は、自らを精霊王と名乗った。
そして、約定は確かであった。
シゲルダは実り豊かな地へと生まれ変わり、大陸でも随一の穀倉大国となったのである。
しかしこの時精霊王は、人間達に黙っていたことがあった。
魔獣もまた精霊が創造し、それが結果として人間に危害を加えていることを。
精霊にも人間と同様、罪を侵すと罰せられる。
罰せられた精霊は、この天空の島を追放となる。もう戻れない。となると、地に堕ちるしかない。
地に堕ちた精霊はイスピルタム、と呼ばれる。そのイスピルタムはどうなるかというと…とあるイスピルタムは怠惰となり、眠りを貪っては夢で「こんな魔獣を見た!」となって…本当に創造してしまう。またあるイスピルタムは暴食だ。人でも土でも木でもマグマでも、なんでもとにかく食う。食ったら出るものが出る。その出たものが魔獣になって暴れる…とこうなのだ。
そろそろ、話を戻そう。
ゼルグ公国の宿場町、ゾハスの北側にある山々が何故魔獣の巣窟と化しているのか。
それはそのイスピルタムのうちの一匹…レギデウスというこいつが、精霊の島からぽいと捨てられここに堕ちてきて、そのままここに城まで作って住みついているからだ。
レギデウスは、嘘と妄想を司っている。なので、『こんな魔獣が居た!』という嘘をついては本当に魔獣をぽんぽんと創造してしまう。
イスピルタムが直に創造した魔獣は始祖になるので、まぁ強い。レギデウスが創造した魔獣共も、例外ではなかった。
綾子がイブライムを発つ日がやってきた。
初めて、国の西側へと足を踏み入れる。綾子がこの世界へとやって来てから、二度目の引っ越しだった。
見送りはランディとその妻ジュリア(…これがまたびっくりするような美女なのである。二人が並ぶとまるで美女と野j(以下自粛))。8歳になる娘、ソフィーもいる。
「何かあったら連絡よこすんだぞ。人を遣るからな」
「ありがとうございます」
綾子はしかと頷いた。
ジュリアからは何かふろしきに包まれた物を渡された。
(こっ…これは…!)
甘い香りに綾子の顔がぱあぁっと輝いた。彼女の得意のお手製、さつまいものパイだ!
「ママ、お世話になりました。いただきます。」
「しっかりね。身体に気を付けて。」
ジュリアが言うと、そのハニーブロンドの髪がふわりと揺れた。
と、綾子の袖をついと引くものがある。ソフィーだ。父親ゆずりの気の強そうなとび色の瞳が綾子を見上げている。
?と思って綾子がかがむと、マントの胸元に可愛らしいブローチを付けてくれた。
「これは…!!」
綾子は今度は思わず声に出してしまった。何てことだ、ワーウルフの魔石があしらわれているではないか。しかもそのブローチ自体の細工も、麦の穂をかたどった見事なものだった。ミスリル銀だろうか。
「こいつ、魔道具師になりたいんだそうだ。シチルキさんのところにもう出入りしてる…それもソフィーが作ったんだ。」
シチルキさん、とは、イブライムの金物屋街の裏手にある魔道具屋のあるじだ。小さい店だし、本人も頑固親父そのものだが、腕はたしかである。
「…ソフィー。あなたは、きっと凄い魔道具師に、なれますよ。大事に、します。」
綾子はソフィーと身長を合わせ、ゆっくりと言った。ソフィーは難聴なのだ、相手の口元を見て言葉を判断している。
ソフィーが頷く。手を握ってくれた。
こうして綾子は荷馬車に乗って、旅立っていったのである。
春先の道は、雪解けでぬかるんでいた。
時折、馬の足や車輪がそれに嵌って動けなくなる。
この日乗っていたのは乗り合いの馬車だった。綾子もそんな時は御者やほかの乗客とともに、作業を手伝った。
ここから二日間、乗り換えながら綾子は馬に揺られ続けることになる。長い道のりであった。
揺られながら、綾子は考えていた。
今、ゾハスの街は対魔獣戦の最前線となっている。そこまでは良い。
どうも分からないのは、『何故魔獣共は目の敵のように、月に数度も、ゾハスの街を襲撃してくるのか』。これであった。
本来魔獣というのは、単体で行動する人間を襲うものである。だから、旅の人間が狙われるのだ。あちらも自我が無いとはいえバカではない。時に魔法を駆使し、知恵を働かせて魔獣達を仕留める人間共の強さは本能で分かっている…街を襲うなど、自殺行為に等しい。
何か、裏があるとしか思えない。
二日後。
綾子はゾハスの街へと入った。




