最終章 綾子、旅立ちの日。
あれから、はや半年……。
いろんなことがあった。
あれから、港から持ち帰った貝殻は川の水で洗い、河原で燃やして灰にした。これで有機石灰のできあがりである。
あとはそれと、作っておいた牛糞堆肥を元の土にすき込んで、改良は終わりだ。
手伝っていた農夫たちからはどよめきが起こった。
「コレですで姫様…!わしらがいつもやっておった土は、コレですで…!!」
どうやら、これまで彼らが魔法でやっていた土と、今やったこの土はほぼ同じように彼らの目には映っているらしい。
この様子を見ていた周辺の村人たちからは、「今からあのタイヒを作っておけば秋撒きの小麦に間に合う。是非作らせて欲しい」と領主に嘆願が出た。むろん、綾子はよろこんで手伝った。
そして今日、無事収穫と相成ったのである。
その実験用の畑だけが、大豊作であった。
ここまでは予想通りだったのだが、ここで嬉しい誤算が起きた。
なんと土の魔力が、従来の3割ほどではあるが回復していたのである。
要因が堆肥なのか、貝殻石灰の方なのかは分からない。ただおそらく貝殻の方ではないかと綾子は感じた。
有機石灰、というものは効果が徐々にあらわれてくる。
その魔力の回復のスピードも、それと非常に似通っていたのだ。
さらに、まだあった。
収穫された小麦の質が、以前とは比べ物にならないほど高くなっていたのだ。
以前の小麦から作ったパンはコシが足りず、焼き上がりもぼそぼそとしていた。それが、驚くほどもっちりとしたものに変わっていたのである。
これは、以前の『魔力による土壌改良』では絶対に出ない物だと、村人たちは口をそろえた。
事態を重く見た領主のエドガー・ブラントンは、綾子と協力してこの土壌改良法を後に伝えるため、その内容を全て記録として書き留め、保管することに決めた。さらに…。
「アヤコ。これを、学院にも論文として提出しましょう。」
論文、とはまた懐かしい響きだ。
「ロンブン、ですか」
しかし知らないふりをした。
「ええ。おそらくですが、このような呪いを受けた土地に魔力を取り戻した例というのは過去に無いはずです。きっと大発見の扱いですよ…さらに、貴方自身の権利の保護にも繋がる。」
「権利の、保護?」
綾子は首をかしげた。
「将来、貴方のやったこの方法を『自分が発見した!』と横取りする奴が出ないとも限りません。これを提出することは、そういった詐称を未然に防ぐことにも繋がるのですよ。」
なるほど。それは…考えつかなかった。
こうして時は、七章の冒頭…綾子の住み暮らしている離れにトト様がその美し過ぎるかんばせでやってきた、あの一夜に戻る。
『…人は、欲が深いからの。そして時に、どうしょうもなく小さいことにしがみついたりするものよ…。』
トト様はそう言って、『あの男も、ここまで生きてきて、それを身に染みて感じたのだろうよ。』
「…そうですね。」
何となく、それは綾子も感じていた。
聞くと、エドガー・ブラントンという男はここに来る前の十数年もの間、学院で教鞭をふるい、この国の法律について教えていたのだという。
しかし表立った肩書きはそれでも、その裏に別の顔があるような気がして綾子はならなかった。
根拠は無い。ただ、カンである。
『…して、アヤコ。いつ旅立つのじゃ。』
トト様の一言に、綾子は一気に現実へと引き戻された。
「明後日、発とうと思っております。」
そう。綾子はやはり、魔法学院への入学を決めたのだった。
そして、その日はやってきた。
この日。
村の入り口には大きな荷馬車が一台、横づけされていた。
秋撒き小麦の種まきは終わった。これから若い男たちは家族を残して、都へ出稼ぎに出るのだ。
その中に一人、子供が混じっている。
綾子であった。
村の者が総出で、見送りに来ていた。
「姫さま、気を付けて……」「俺たちが守る。大丈夫だよ母ちゃん。」「姫さま、この御恩は必ず……。」「ありがとうございます。冬休みには帰ってきますから。畑を頼みます。」「おい、もう行くぞ!このままじゃ日が暮れちまう!!!」
誰かの大声に、一同がどっと笑った。
最後に声をかけたのは、エマとトマスだった。
「しっかりやるんだよ。」
「エマさん…本当にお世話になりました。」
涙が出てきた。
「向こうには息子も通ってる。行ったら頼るといい、あいつには手紙で伝えてある。サイラスっていう、ひょろりとしたこいつ(エマ)そっくりのヤツだ。学年は二つ上だ」
トマスがその髭の間から声をかける。
「分かりました。」
聞くと、サイラス青年は14歳。回復術師を目指しているのだそうだ。成績も良く、真面目らしい。
「そろそろ参りましょう。」
雇われていた御者が、そっと声をかけた。
景色が飛ぶように過ぎていく。
流石に歩きよりは早かった。
綾子がこの半年奮闘したあの畑も、良く見えた。
少し走ると、トト様の神木が見えてきた。
よく見ると、その木の下に誰かいる。あのこげ茶色のマント……お婆様だ!
「おばばさまーーーー!!!」
綾子は遠くに見えるそれに向かって、大きく手を振った。
その小さな背中が振り返った。向こうも手を振っている。
そして次の瞬間、綾子は見た。
そのお婆様のかたわらに何かがふわりと降り立った。トト様だ。
あっと思ってみていると、トト様はお婆様に声をかけ、そのしわだらけの額に口を付けた。
すると、どうだ。
曲がっていた背中が伸びていく。ぼさぼさの白髪に、あれよあれよと艶が出てくるではないか。
次に綾子がまばたきをしたその時には、もうそこに老婆の姿は無かった。遠目でも分かる。頭こそ総白髪だったが、その顔は若い女性のそれだったのである。
ここまで来て、綾子はようやく気が付いた。
トト様の手が、お婆様の腰に回っている。奥様だったのだ。
「待っておるぞーーーーーー!!!!!」
向こうで大声を上げた若々しい声が小さなそれとなって、綾子の耳まで届いた。
これにて、ポルタ村編は終了となります。
少し構想を練りまして、この後は冒険者編の連載を予定しております。冒険者編1、としまして、まだなりたての10代の頃起きた事件を。そして冒険者編2、としましてここはまだ書いてないのですが最終となる予定です。
宜しければ、引き続きお付き合いいただけますと幸甚です。
ありがとうございます。




