第十章 綾子、スライムと戦って石灰をゲットする(下)
翌朝。
イエル村の名物…ここは温泉が出ているのだ…に、とっぷりと浸かってほくほくになったドウェインが食堂へと向かうと、そのなかのテーブルに黒山の人だかりが出来ていた。
時折どよめきが上がっている。「お、おいお嬢ちゃんまだ食うのかい?」「はい、すみませんお腹がすいちゃって…」
(…まさか!!)
あの声はアヤコだ。ドウェインが人だかりをかき分けそのテーブルの前へ行くと…果たして。
空になった寸胴鍋、その数二つ。肉の骨、大皿に山盛り。
「あ、ドウェインさんおはようございま…」
「あ、アーヤーコーーーー!!!!!」
ドウェインの悲鳴が食堂に響き渡った。
「す、すすすすみません…」
数刻後。綾子は腕組みをするドウェインを前にちぢこまっていた。
「……いや。言わなかった俺も悪い。」
ドウェインは頭をかいて、「急激に魔力を消耗したために出た症状だ。…お前、トムから緑色の瓶を渡されたろう。」
「あっ。魔力の回復薬って言われました。」
綾子はかばんから、その瓶を取り出した。
「今度から、急激に腹の減りを感じたら食う前にこれを飲むんだ。…今すぐ飲みなさい」
「ハイ。」
ドウェインの背後からズゴゴゴゴ…という音がした気がした綾子はコンマ0秒でその瓶の蓋を開けて飲んだ。…まずい。どくだみの味がする。そして…。
「うぷっ。」
物凄い腹に膨満感が押し寄せてきた。
「一気に腹一杯だろう。今食ったやつだ、その腹一杯は。」
…まあそもそもこの子は昨晩も、何も食べずに寝てしまっているのだ。ドウェインは思い直して、「いいかアヤコ。よく覚えておくんだ。昨日みたく一気に魔力を使って戦った日の晩は、どんなに疲れていてもちゃんと飯を食え。せめてそれを飲んでから休むんだ。でないと魔力が回復しないで、こういうことになる。」
おお。そうなのか。綾子は合点がいって、「はいっ。」と頷いてみせた。
二人がイエルの村を出立するころには、日もすっかり上がっていた。
旅人のほとんどがもう出立してしまっている。二人は、遅いほうであった。
ここからエストフの港町までは、歩いて一時間。
街道も石畳で完全に舗装されているし、道沿いには商店や宿屋も林立している。街と村が、ほとんどつながっているような感じだった。物凄い賑わいである。
綾子は思わずきょろきょろと見回しながら歩いている。
「先にビリーさんに会うぞ。昼飯はその後だ。」
「ドウェインさん、もう大丈夫ですって」
綾子がむくれると、ドウェインは思わずハハハと笑った。
やってきた二人をみて、ビリーは目をむいた。
ドウェインが、小さな子を連れている。利発そうな、赤髪の女の子だ。
「やや!ドウェイン殿!!この子は娘ごですかい?!」
「いや違う。」
ドウェインはかぶりを振って、「この子はアヤコと言ってな。今回の依頼で出た貝殻が大量に欲しいそうなんだ。」
「へっ…?」
あんなもの何に使うのだ。とビリーの顔にはそう書いてある。
「初めまして…。この度、ポルタの村で神託を授かりましたアヤコと申します。ドウェインさんから伺いまして、どうしても村の土の魔力の回復にここの貝殻を使ってみたく…。」
…本当は違うのだが、そういうことにしておこうと綾子は考え、こう言った。
「…なるほど。貴方がトト様の…。ウワサは聞いとりました。」
どうやらポルタ村の神木の一件は、エストフまで聞こえているらしい。
目の前で、紙が取り交わされている。
ちらと目に入ったが、どうも契約書らしい。
さっき宿の支払いのときにドウェインがお金の価値を教えてくれた。それで分かったのだが、たしかにこの依頼は安かった。この国で一番高価な通貨が白金貨という硬貨なのだが、今回の報酬はそれが十枚だ…綾子の感覚で、白金貨一枚が丁度一万円…ということは十万円である。それで、干潟一面の貝の死がいを片付けなければならないのだ。どのくらいの広さなのかまだ見ていないので何とも言えないが…安過ぎる。と綾子はおもった。
そうこうしているうちに、二人は立ち上がった。合わせて綾子もぴょこんと椅子から降りる。これから現状の視察に向かうのだ。
近づくにつれて、海のにおいに混じって凄まじいばかりの腐臭が、綾子の鼻をつんざいた。
「うぷっ…」「大丈夫かいお嬢ちゃん」
本日二度目の『うぷ』とはつゆ知らず、ビリーが心配そうに綾子の顔を覗き込む。
「確かに凄い臭いですね…住民から苦情が来るわけだ」
ドウェインも鼻に手をやっている。
「ええ。すでに身体を壊すモンも出てるんでさ。風向きが変わると、街の中心部や酷いときはイエルの村までこの臭いが来ちまうんです」
それは大変だ。綾子は目をむいた。そして…見えてきた。
「うわっ…」
ドウェインも、目の前の光景に言葉を失っている。
そこは干潟…と呼ばれていたはずだった。しかし…。
そこが全部、真っ白な貝殻で覆われている。
東京ドーム何個分、とか、ニュースキャスターが言いそうな、それくらいの広さの干潟は、一面貝の死がいで覆いつくされていたのである。
不意に風向きが変わって、また例の腐臭が三人を襲ってきた。
現状の確認が済んだ三人は、そこで作業をしていた日雇い労働者からも話を聞き、組合の建物へと戻ってきた。
当初、組合は取り急ぎ日雇いを雇って、人海戦術で事に当たらせようとしたらしい。
しかし如何せん、量が多過ぎた。
ドウェインも、試しに魔法を駆使して砂地までその貝の層を掘ってみたのだが、たしかにかなりの深さだった。堀った穴で、ドウェインの身長を越しそうな勢いだったのだ。
しかも、その底には貝の死がいが腐って緑色のヘドロを形成していた。これが春の温気と相まって、腐臭を放っていたのである。
本来なら自然に、海の流れにまかせるべきなのだろうが、ここは干潟で潮の流れがほとんど無い。このままでは干潟は汚染されていく一方なのは目に見えていた。
そして当初事に当たっていた日雇いたちも、掘っても掘っても終わらぬそれと、この腐臭で体調を崩すものが続出し、次々に脱落していった。今は数人しか残っていない。
「お二人、良かったら湯を浴びますか。」
ビリーがたまりかねて申し出てくれた。
「たらいに張ったものと、布で十分です。ありがとうございます。それから、この子は別室で。」
ドウェインは綾子への配慮も忘れない。
数刻の後……。
「現状は分かりました。たしかにこれは酷い。」
さっぱりとしたドウェインだったが、その顔はきびしい。
「どう処理すれば良いか、わしらも皆目で…。知恵をお貸し願えんでしょうか…。」
ビリーははげ頭とかきかき言う。
「そうですね…。」
ドウェインは頭を巡らせ、「まず、焼却は必須だと思います。あのヘドロ状の死がいは腐ってしまっている。あのまま放置していたら伝染病の原因にもなりかねない。それに干潟の環境も汚染が進んでしまうでしょう。」
「ええ…あそこはアサリがどっさり採れる場所だったのですが…無念です。」
ビリーは肩を落した。
「俺も、あの依頼でこんなことになるとは…。面目ない。」
「いやいや、とんでもねえ。顔を上げてくだせぇ旦那!」
ビリーが慌てて、「なるほど、充分に焼けば良いのですね…。」
「ええ。それだけでも、まず臭いはいくぶんかマシになると思いますよ。早速、この子と二人で事に当たってみたいと思います。」
そう。例の魔力の制御の訓練、この依頼でやろうということになったのだ。良い練習である。綾子は背筋をのばした。
「あと、アヤコ。あの貝殻、どのくらい持って帰るつもりだ?」
ドウェインが綾子を見下ろした。
「さすがに全部は厳しいです。出来て、一間四方…深さ一尺くらいの量かと」
綾子は即答した。
そう。この世界にやって来てこの一件で長さの単位を学んだ綾子は思わず、のけぞりそうになった。
何と、使われていた単位が、日本の江戸時代で使われていたものとほぼ同じだったのである。
つまり綾子は今、『約3平方メートル、深さ30cmの量の貝殻が持っていける限界だ』と言ったのだ。
「たしかに。川のぼりの船を使うにしても、そのくらいが限度だろうな…。そのまま持って行くのか?」
「はい。一旦持って行って、村で処理します。見たところ、貝の死がいは底にたまっていて、表面の物は貝殻だけのようにお見受けしました。表面のものであれば、臭いもそんなにしないと思うので…。」
「…分かった。じゃあ、あとは処分対象だな…」
「私の持って行く分は、誤差ですね…。」
「そうだな…。」
この後も、綿々と打ち合わせは続いた。
翌日。
ドウェインと綾子の姿は、例の干潟にあった。
二人とも、頭にターバンやら布やらを巻いていて、鼻元もマスクのように布で覆っている。そして綾子はズボン姿。どこからどう見ても、少年だ。
完全な臨戦態勢であった。
「よし…行くか。」
ドウェインが腹に決めたようにして、言った。
こうして、作業は始まった。
「アヤコ。じゃあまずはお前の分を運び出そう。あれが舟だ。分かるか?」
見ると、はるか遠くに小舟があって、誰かが立っている。海の近くにつけてくれているのだ。
「舟の近くから運び出すぞ。行こう」
二人が向かうと、その乗っていた…それはよく日に焼けた老父であった…が、手を振ってくれていた。
「ジムと申します。ブラントン様からの使いで参りました。」
ほっかむりをしたその老父は、それを外すと頭を下げた。深い藍色の目をしている。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
綾子も頭の布を外し、丁重に頭を下げた。
ドウェインも目礼しながら、内心で驚いていた。
失礼な言い方かもしれぬが…そのアヤコの態度が、どう見てもゾハスのスラムの出身とは思えなかったのである。むしろ、どこぞの領主の娘…例えば、男爵位くらいの階級の娘のそれ、にしか見えない。
(この子…ひょっとすると出自を隠しているのかもしれない。)
「ドウェイン師匠???」
はたと気づくと、今度は綾子がドウェインの目の前で手をパタパタと振っていた。
「おお、悪い。よし。じゃあ教えるぞ!」
ドウェインは言った。
いざ教えてもらって、綾子はようやく理解した。
確かに昨日のそれは、魔力を使い過ぎていたのだ。
何も一撃で殲滅させる必要は無かったのだ。火炎の勢いが強すぎたし、そもそも魔法だけでなく、持っていたナイフなどで攻撃しながら片付けていったら良かったのである。
「いいかアヤコ。一気にやろうと思うな。」
気がつけばそれが、ドウェインの口ぐせになっていた。
さて。
ではいざ、この目の前の貝殻の山だ。これをごそっと取って、あの舟へと移す。
結果想像したのは、大きなショベルカーだった。
それを思い浮かべながら、その貝殻の山に向かって手をかざし…綾子はすくう仕草を取った。
ごそり。と、その大量の貝殻一山が丸々、宙に浮いた。
「うわっ…」
老父がたまげた声を上げるが、集中が切れるので無視だ。
あとは、それを舟の真上まで持って行き…よし、行けた。…綾子は少しずつその高さを低く調整すると、手を離すようにして、一気にその術を解除した。
ガシャガシャガシャガシャ…。
音がして、舟の上にそれが落ちてきた。成功である。綾子は思わずガッツポーズをした。
「上手くいったな。初めてにしては上出来だ。よし。」
ドウェインは綾子の状態をすばやくチェックした。魔力量も問題なさそうだ。
かくして、気の遠くなる作業は幕を上げたのである。
表面の貝殻を、さっきと同じ要領で削り取り、干潟の東側、内陸の方へと寄せる。
この辺りまで寄せておけば、住民への被害も軽いはずだ。
人海戦術よりは大規模に出来るとはいえ、この作業だけでも二人がかりで丸二日かかった。
そして、ようやくヘドロが顔を出した。
臭いがいっそう、酷くなる。
これも同じ要領で砂地ごと、削り取り…これがまた海水をたっぷり含んだ汚泥なものだから重いのだ…これを、先だっての作業で出来上がった、大量の貝殻の山の上へと載せていく。
そこへドウェインが出してきたのは、油だった。数人いた日雇いの男達がその運搬を手伝っている…樽で持ってきているのだ。
「これで、可燃性を少しでも上げるぞ。」
ドウェインは言って、「アヤコ。いいか。火魔法は攻撃力が高いぶん、消耗が激しい。こういう大規模な作業のときはなるべく、物理的なものを利用するんだ。」
綾子は教えに頷くと、エマから昔教えてもらったとおり、暖炉に火をつけるのと同じ塩梅で小さな火の玉を魔法でつくり、その山へと投げ込んだ。
ヘドロから貝殻から、一気に燃え始めた。良い感じだ。
こうして、作業を初めて一週間。
あれほど、水平線近くまで広がっていた一面の白い貝殻は全て、東側へと移され…しかも燃やして灰になったものだからその嵩も大幅に減らして…、干潟はほぼほぼ、元の姿を取り戻した。
流石に中に住んでいた生き物は無事では済まなかったが、あとはもう、干潟自身の自然の回復力を信じるしかない。
そして、やはり焼却させたのは正解だった。あの鼻をつんざく臭いはもう、していない。磯の香りだけだ。
依頼達成である。
ビリーは現地でそれを見届けると、涙目になってよろこんだ。そして……。
「さ、お嬢ちゃん。これが今回の報酬だ。」
ビリーは、綾子に金貨を手渡した。
「えっ」
手に握られたその金貨に綾子はわが目を疑った。白金貨が7枚もある。「これは一体」
「ビリーさんの心意気だ、アヤコ。契約を変更してくださってな。俺とアヤコで十五枚にしてくださったんだよ。悪いが俺は八枚にさせてもらった。」
教えてやったお駄賃だ、とドウェインはにかりと笑った。
「え、え、良いのですかこんな」
「受け取ってくれアヤコ。お前は働いたんだ。当然の対価だ」
「うっ…。分かりました。」
初めての報酬だ。綾子は感激した。そしてドウェインとビリーと握手し、「ありがとうございます…!これで、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんと奥さんにプレゼント、買います!!」
「なっ!旦那もうすぐお生まれになるんですか!!」
ビリーがあわててドウェインを見た。知らなかったらしい。
「おいコラ、アヤコ!!!」
ぴゅーっと逃げる綾子。
「いけねぇ、こうしちゃいられねぇぞ!おいエディ、宴だ!!アンソニーさんも呼んで来い!!今すぐだ!!」
組合の一間が、どっと沸いた。
翌日。
二人は、例の川上りの舟の上にいた。
けろっとしてジム老人と笑い、話をしている綾子とは対称的に、ドウェインは二日酔いと船酔いのダブルパンチを食らっていたという。




