第十章 綾子、スライムと戦って石灰をゲットする(上)
行程は、順調だった。
やはり天候が良いのは大きい。この辺りは延々と平野が続いていて、見通しは良い。少しアップダウンこそあるが、うっそうとした木なども無く、歩きやすい道のりだ。
時折、アヤコを見下ろして状態を確認する。まだ足の疲れは出ていなさそうだ。聞くと農作業を普通にやっている子だと聞いた、足腰が鍛えられているのだろう。
歩く二人の前を、黄色い蝶が横切って行った。
「それで学院の連中は何と?」
ドウェインは質問した。
「すぐにでも入ってほしいと言われました。」
「だろうな。」
ドウェインはしたり顔で言った。
あの日。
綾子は魔力量を測るというその測定器を壊してしまった。どうも測定器(これがまた、体力測定で使うような肺活量を測るみたいなやつだった)の測定限界を超えてしまったらしい。
「でも、今はこの件があるので…。ブラントンさんがきちんと話をしてくださったみたいです。そうしたら今度は、トト様が姿を見せるというのが滅多にないことらしくて、学院の方たちはそっちで色めき立っていました。根掘り葉掘り聞かれましたよ」
「あぁ…あいつらは研究者だからな。」
ドウェインは言いさして、「…よし。そろそろ抜ける。見ろ、アヤコ。あれが分かるか。」
指さす方向を見た綾子はそれをみて、思わずぽかんとした。そして空を見上げた。
それは今歩いている街道の、少し先にあった。
なんてことだ。
そこにあったのは透明な膜、だった。とてつもなく巨大だ。上空まで覆われている。まるで、超巨大なシャボン玉が土の上に落ちて、半球状になった中に居るかのようだった。
「分かったか。これがあの、トト様の結界だ。俺たちはずっと、この中に居たんだよ。」
「え?!こんなところまで、あのお方は守っておられたのですか。」
綾子は思わずすっとんきょうな声を上げた。だとすれば物凄い大きさではないか。
「そうだ。というか、お前がここまで広げたんだよ。エマから聞いたぞ、お前トト様に魔力を渡したそうじゃないか。」
「…!」
そんな。
「…お前は知らない間に、ここを通る旅人を守ってたんだ。俺にも出来ることじゃない…トト様は精霊の眷属だからな。あんなことは誰にでも出来る芸当じゃあないんだぞ。」
…ということは。
綾子とドウェインは、その膜の前に立った。触っても、何の感触も無い。
後ろから旅の者らしき若い男が、二人を追い越しそれを通って行った。
「そうだ。ここから先は魔獣が出る。…っつってもそこまでの物じゃあないが。」
ドウェインは綾子を見下ろし、「…やってみるか?」
いよいよだ。綾子は緊張して、頷いてみせた。
「…とはいえ、この辺り…特にこの街道沿いってのは基本的に安心していい。これを見ろ」
ドウェインはその道のはじっこにしゃがみこんで、綾子を手招きした。
のぞきこんでみると、そこには立派な杭が刺さっていた。その先端には何か、石がはめ込まれていた。
「これが、魔獣除けだ。整備された街道沿いであれば設置されてる。とはいえ、上級のヤツには効かんが…。」
「この辺りは、その上級のヤツっていうのは、出ないんですか?」
「まず聞いたことはないな。ただし、この川の向こうは別だ、うようよ居る」
「そいつらは、川を渡ってこれないのですか?」
「それは無理だな。ドラゴンは別だが…。あいつらは空を飛ぶからな。」
ふおぉ…ドラゴンが居るのか…!綾子の顔が好奇心に輝いた。…って待て待て。
「なんで渡れないんですか?」
「詳しいことは俺も知らないから何ともなんだが…このゾグレス川の上流には魔女が治めてる領地があってな。その魔女が、魔獣を寄せ付けない何か…を川に流しているからだと言われてる。」
ふおぉ…魔女も居るのか…!!
「…ということは、ひょっとして川の東側って全体的に安全だったりするのですか…?」
「…お前やっぱり頭が良いな。その通りだ。」
ドウェインはにや、と笑って、「ただ、全くいないわけじゃない。それにこの杭は経年劣化するんだ。」
と、その時だった。
どこからともなくブーンブーンと虫の羽音がする。みるみる大きくなってきた。
ドウェインが綾子をかばい、あたりを警戒しはじめた。そして…見えた。
「!!!」
ゴキブリだ。それも大きい。体調1mは超えている。何匹いるのだろう、3匹くらいか。
奴らは右側にあった荒野を、雑草を蹴散らしながら飛んできて、ドウェインたちが居る方…ではなく、先ほど後ろから追い抜いて行った若い男の方へと突進して行った。襲う気だ!
「行くぞ!」
ドウェインが言うなり走り出した。
綾子もあわてて続いた。
前方から悲鳴が聞こえてきた。
ギャリン!ガリガリガリ!!
三匹の超巨大なゴキブリがその若い男を襲っている。
男もナイフで応戦しているが、薙ぎ払っても薙ぎ払っても全くダメージが与えられない。羽も身体も鋼鉄みたいに固いのだ。刀身から火花が散っている。
と、その時だった。
どこからともなく石が飛んできて、一匹の眉間に命中した。
『ギシューッ!!シャーッ!!!』
虫の口から緑色の泡とともに叫ぶ音が聞こえた。
男が何かに気づいたのか、すかさずその眉間にナイフを突き立てた。
あとはコツを掴んだようだ。あっという間に残る二匹の眉間も狙い、男は無事それらを倒した。
「…ありがとうございます…!」
男は息を切らせつつ、礼を言った。
ドウェインが石をぽいと投げ捨て、「装甲虫…こいつは眉間が急所だ。知らなかったんですか?」
ここでようやく子供の足の綾子が追いついた。
「お恥ずかしい限りです…。ええ。僕は商人なのですが、こういった戦いは経験が無く…。旅も、今回が初めてなのです。」
その若い男は言うと、その細い身体を縮めた。
ドウェインはあきれて、綾子と顔を見合わせた。
「それは無謀過ぎる。護衛を雇わなかったのですか。または定期船に乗るとか、荷馬車に載せてもらうとか。」
この国は街道のほかに、川運による流通も発展している。
「それが、ゾハスで路銀をスられてしまって…。手持ちの品ではどうにもならず…。」
男は心細げに言って、「あの。イエルの村に自宅があるのです。そこまでいけば、報酬はお渡ししますから…。お願いできませんか。」
ドウェインはまた、綾子と顔を見合わせた。
ややあって……。
ドウェインは根負けしたように、「どうせ同じ目的地です。同道しましょう。」と言ったものである。
その優しそうなたれ目の金髪男は、エヴァンと名乗った。
聞くと、まだ二十歳にも満たないという。ドウェインとは十歳近く離れている計算だ。
(えっ…)
綾子はびっくりしたが、なんとか顔に出さなかった。
ドウェインの年齢が、思ったより若かったのである。その手入れしていないぼさぼさの赤茶色の髪と無精ひげのせいで、てっきり四十近い歳だと思ってたのだ。
「魔道具師というのは特殊な職でして…。一応、僕は学院に在籍しているのですが、最後の数年は現地の道具師に弟子入りして、実地で技を磨くのです。」
エヴァンはドウェインに言いながら、そのナイフで器用に虫を解体している。
「わたしも、やってみていいですか?」
綾子がドウェインを見た。
「おう。やってみるといい。装甲虫は毒が無いからな。」
ドウェインも快諾して、様子を見ている。
二人が作業を始める。
「魔獣ってね、核っていう、僕たちのいうところの心臓があるんだ。その核の中に、たまに石を抱えているやつが居るんだよ。それがこの魔石ってやつ。僕たちの職業では、無くてはならないものだよ…そう。上手。ほら、君の方もあった。」
綾子は、その石を取り出した。ちょっと粘ついた液にまみれていたので、持っていた水筒の水で洗う…ぴかぴかした、ルビーのような真っ赤な石だった。
「これでよし。」
エヴァンはその荒野の隅っこを借りて、その死がいを埋めて手際よく始末すると「お待たせしました。行きましょうか。」と言った。
結局この後、魔獣とは二回戦闘になった。
うち一回はドウェインとエヴァンが倒していたが、最後の一回は綾子も出た。というか出させられた。
「いいかアヤコ。結局魔法はイメージだ。詠唱はサブに過ぎない。イメージが強くできた方がより強力に魔法を出せる。」
ドウェインが言ったのはこの一言きりだった。
なんとご無体な…と綾子は思ったが、いざ戦闘に出てみると確かにこれ以外言うことが無いのだと痛感させられた。
その三回目に出てきたのは、スライムの群れだった。
三人は道を急いでいた。日が暮れ始めていたのだ。
「あともう少しだアヤコ。」
ドウェインが綾子を励ます。流石に疲労が来たのだろう、少し足が重くなっていたのだ。
すぐそこに、ポルタ村より明らかに大きい規模の村が見える。入口にはかがり火も見えた。そしてその先には海だ。
よしもう少し。立ち上がった綾子は何の気なしに、一歩踏み出した。
そこに水たまりがあった。
するとその水たまりが突然ゴボリと音を立てて綾子を飲み込もうとしたのだ。
「!!」「あっ!!!」
心臓が縮みあがったが、ドウェインから聞いていた通りだ。よく見ると、その粘着した水の中に色の違う所がある。それは心臓のように脈打っていた。
綾子はそこをめがけてざくりと、ナイフを立てた。
主を失ったゼリー状の物体がどちゃりと地面に落ちた。しかし。
「まだだ!来るぞ!!」
ほっとしたのも束の間。気が付くとドウェインが綾子をかばうようにして剣を構えていた。エヴァンも後ろでナイフを両刀づかいにして構えている。
なんてことだ。あの水たまりに擬態していた一体はおとりだったのだ。
劣化していたらしき結界杭の近くに潜み隠れていた数十体が、一斉に三人に向かって襲いかかってきた。
「アヤコ、今だ!火を放ってみろ!!」
「ふえ?!」
マジか。やれってか。
綾子は慌ててイメージしてみた、火を放つ火を放つ…いかん何故か小さいころ見たサーカス団の屈強な男性が火を口から吹いてるパフォーマンスが頭の中にリフレインしてしまった、えーとえーと、あぁままだ!
綾子は手のひらをかざし、胸に空気をため込むと、その手のひらに高濃度のアルコールがあることをイメージしてそれを一気に…噴き出した。
ごおっ!!という音とともに、口から火炎が放射されてきた。
数秒後。
「…!!」
「すごい…!」
エヴァンが腰を抜かしている。
ドウェインも、流石にこれは驚いた。
三人の周りはスライムの死がいで、ヘドロが形成されていた。綾子が今の一撃で、全滅させていたのだ。
綾子もへたへたとしゃがみこんだ。物凄い疲労が彼女の身体を襲っていた。
「…よくやった。だがな…」
ドウェインは頭をなで、「ちょっと魔力出し過ぎだな。明日、例の依頼の時に効率良い出し方を教えてやるよ。お前そこからだったわ…」
(…だから練習させてくれって言いましたがな!)
綾子はにへらと笑いながら、心の中で盛大にツッコんだ。
夜に入った。
無事本日の目的地、イエルの村に着いた綾子はその宿のベッドに横たわり、手の中でキラキラとひかる青い石を眺めていた。
あの後、スライムの死がいを確認していたエヴァンがくれたのだ。
「見つけたよ。…多分こいつが群れの指示役。ボスだったんだね。」
エヴァンはそう言って、「持っとくといい。君が初めて倒した魔獣の魔石だ。お守りになるよ。」
聞くと、この世界でスライムは低級魔獣らしい。結構怖かったんだが…。
きっと、私のように人生で初めて倒したのがスライムで、魔石をお守りにする人は多いだろう。
…。
ノックしても返事が無いのでドウェインとエヴァンがそおっと部屋の中を覗き込むと、アヤコは毛布も被らずベッドの上で寝入ってしまっていた。
無理もない。ポルタ村からイエル村までは約20km。それを休憩を挟んだとはいえ歩き通したのだ。
二人で彼女の小さい体を抱き上げ布団に入れてやったが、アヤコが起きることは無かった。




