女王に栄光あれ
城門の前にすでに防壁はない。
ただ、周囲の木々切り倒され、荒れているだけだ。
しかし、その奥に見える丘の一部が大きく盛り上がり、数日前の戦いの激しさを教えていた。
あの土の下には四千を越える屍が、埋葬されているのだ。
「賢者殿、身体は大丈夫か」
掛けられた言葉に、ジウルを見る。
「大丈夫です。ルクスも浄化されています」
「そうか、ローブの血も落ちたようだな」
その言葉に、傷ついたローブに目を落とした。いたる所に剣戟の跡が見えるローブだ。大切にしていたローブだが、戦場ではこれを着るしかなかった。
このローブが、僕が命を奪う覚悟であり、命を捨てる覚悟になるのだ。
「しかし、賢者殿は様子が変わったな」
「変わりましたか」
「変わった。凄味を増したというか、人としての厚みが一段と増えたようだ」
凄味か。僕自身、決めた覚悟はより強くなったと思う。。
「さて、賢者殿よ。これは撃退できるか」
ジウルの言葉に、草原に目を移した。
城塞都市の正面に布陣する軍は、増えていくばかりだ。すでに一万は優に超えている。
「撃退はしません。反乱の鎮圧ですから、印綬の継承者が来られるはずです」
「印綬の者さえ来られれば、弁明も出来るか。我も、共に証言しよう」
「いえ、一人で行きます」
ジウルに再び目を向ける。
「僕が行けば、城門を開けて皆さんは武装解除して下さい」
「待て、一騎で行くのはいいが、印綬の者は陣の奥に控えるだろう。間違って襲われたらどうする」
「いえ、間違いではありません。これは、単騎駆けです。僕は反乱の首謀者として、討たれに行きます」
出て来るのは義の印綬の継承者、ジュラだろう。ジュラの為には、僕が討たれる姿は見せない方がいい。罪悪感など持たなくてもいいのだから。
王立軍内を駆けてルクスを削らせ、衛士に討たれるしかない。
「どういうことだ。落としどころを聞いた時、印綬の者が来ることと言っていたではないか」
「はい。印綬の継承者が来られるということは、これを反乱として女王が認知したことになります。反乱は天逆ですので、女王はそれを討つ義務が生じますから、それが落し所です」
「何を言っている。それでは、これは中北守護領地の内乱にされるのか。賢者殿が討たれることで収めるのか」
「そうです。その為にも檄文は僕の名前で記し、バルクス公には表に出ないように領主館に籠って貰っています。全ての責は、僕にあります。そして、内乱の詳細調査で仕組んだ者を処断して貰います」
「どうしてだ。賢者は、印綬と同格ではないか」
「あくまでも同格で、印綬の継承者ではありません」
僕はジウルに向き直ると、頭を下げる。
「僕は、ジウル軍司長にもこの地の民にも謝らなければなりません。ジウル軍司長が含みを持たれたように、これはこの守護領地だけの問題ではありません。僕は王国の問題にしていたのです。その歪を正すのに、僕にはこの手段しか思い至りませんでした」
「違う、それは違うぞ、賢者殿。この守護領地だけでなく、国を考えての行動は、今の我ならば分かる。頭を下げないでくれ」
ジウルが僕の肩を抑えた。
「しかし、賢者殿一人には行かせない」
その重い声に重なるように、
「馬車がこちらに来ます。掲げられているのは王国旗」
トルムの声が響いてきた。
向けた視線の先、正面の陣とは別の方向から六頭立ての馬車が疾走してくる。
それを追うように、陣からも数騎の騎馬が動き出した。
あの様子では、展開している王宮の軍とは別のようだ。
「開門を。馬車を入れ、騎馬は追い返します」
僕は階段を下りる。
六頭立ての馬車は、王宮の早馬車だ。フレア女王を王宮に向かわせるために用意された馬車のように、あれは王宮にしかない馬車だ。
展開した王宮軍が慌てて追うということは、それが来るとことを知らないことを意味する。
そうなれば、あれを出したのはブランカたち印綬の継承者だ。
僕は階段を降り、開かれる門に向かった。
駆けてくる馬車に、騎馬が迫っている。
馬車を護れ。思いを込めてルクスを放った。
騎馬の正面で爆炎が上がる。
その間に馬車は門を潜り、厚く巨大な門が閉められていく。
騎馬は暴れる馬を抑えるのに手一杯のようだ。
止まった馬車の扉が開き、飛び出してきたのはセリとマデリ。
どうしたのか問う前に、
「先師、すぐに見て下さい。女王が動きます」
マデリが叫ぶように口にする。
だめだ、僕の思考が付いて行かない。状況の整理が出来ない。
その僕を引っ張るように、セリが城壁の階段を上がる。
どうして、二人はここにいる。
女王が動く、女王自ら僕を討伐する軍を動かす。信じられないが、二人はどうしてその反応なのだ。
階段を上がるとジウルも狭間から身を乗り出していた。
その意味はすぐに分かる。
掲げられた王旗は、馬車が来たのと同じ方向から進んでいた。
これは、まさか。
中央にいるのはフレア。その後ろにブランカたち四人の印綬の継承が続き、その後ろには、王宮近衛騎士団の姿が見える。
一団は周囲を威圧しながら進み、こちらに向かってきた。
「賢者殿」
ジウルが困惑した声で呟く。
僕も声が出ない。
一団は城塞都市の前で向きを変え、王宮軍に対峙した。
数は四千ほどだが、その威容は対峙する一万の軍を呑み込んでいた。
わずかに遅れて、
「反乱軍に告ぐ。これは天逆である、直ちに武装を解除して投降せよ。投降せぬ場合、諸官だけでなく、一族に至るまで天逆として処断する」
ジュラが言う。
その声は決して大きくないが、ルクスの響きを持ってよく通る声だった。
「参りました」
思わずその言葉が、僕の口から出た。
「これは、参りました。女王は、本当の王におなりなった」
フレアが僕の読みの上を行った。フレアだけでなく、ブランカたちも動いたのだろうが、覚悟を決めて決断したのはフレアだ。
「先師。おいらたちは女王に文句を言って出て行ったから、見れてはいないけど、フレア女王は衛士を並べた前で言ったらしいです」
セリは言葉を切ると、感極まったように鼻をすする。
「反乱をした王宮衛士を討ち、鎮圧しているアムル賢者を助けると、あのフレア女王が言ったんだって聞きました」
「そうですか」
僕も言葉が出てこない。
「うちたちが、フレア女王に別れを言って先師の元に向かっていたら、アメリア様たちがこの馬車をくれたのです。そして、そのことを教えてくれました」
マデリの肩も震えている。
「そうですか」
「先師。先師はこれで王宮に帰れるのですね」
そのマデリの顔が上がる。
フレア女王が、真の王となった。それを僕は国中に知らせなければいけない。
「いえ、そうなれば今の僕は邪魔になります。僕は、僕自身が討たれるために、僕自身を表面に出しました。檄文に署名し、衛士を指揮し、ジウル軍司長には旗までも用意してもらいました」
「それが、なぜいけないのだ」
声を上げたのは、ジウルだ。
「民は、僕を見てしまいます。女王を見ていません。僕が討たれれば、その後の王宮の処断で、民は女王の偉大さを知りますが、このままではそれが知られません」
「何を言っている。賢者殿がいたから内乱を止められ、周辺守護地の軍も撃退できた。賢者殿が、この国を救ったのではないか」
「いえ、賞賛の全ては女王の元に返らなければなりません。称えられるのは女王でなくてはなりません。セリくん、マデリさん。僕はしばらく国を離れます」
「離れるとはどういうことですか」
セリが強い口調で聞く。
「ちょうどいい機会です。僕は恩を返しに行かなければいけません。この国に叡智を招きに行きます」
「先師こそが叡智――先師の先師ですか。ウラノス王国に行かれるのですか」
セリが弾けるように言う。
「はい。サイノス王に会って来ます」
「うちも行きます」
マデリが僕の声に重なるように叫んだ。
「うちは先師にもっと教えて貰いたいです。先師の側で学ばさせて下さい」
「おいら行く。おいらも一緒に行きます」
セリも強く言いながら、僕のローブを掴む。
「この国は変わります。あなた方は、この国を支える人にならなければいけません」
言いながら、僕の心に迷いも出た。
この二人をボルグ先師、クルス賢者に会わせたい。きっと二人には、より大きな成長の機会になる。そして、クルス賢者たちならば。
「いいじゃないか、賢者殿。その二人だけが修士なのだろ、だったら賢者殿の下でその思考の流れを見せてやるべきだ。我に見せたように深い思考を学ばせるべきだと思うぞ」
僕の心を後押しするように、ジウルの声が響く。
賢者の下に殿までつけたその意味を、僕は深く受け止めなければいけないな。
「承知しました。ジウル軍司長が言われるなら、僕もその選択は間違いがないと思います。ですが、フレア女王には伝えなければなりません」
僕はその目をジウルに戻す。
「お手数をお掛けしますが、これを女王の陣までお届け願いませんか」
書き溜めていた書類を出した。
「遺書のつもりだったか。しかし、挨拶はしていかないのか」
「会えば、止められます。僕には、女王に逆らうことなど出来ませんから、会わずに行きます」
「大した忠心だな。分かった、持っていこう」
ジウルがそれを受け取る。
眼下では王宮の軍で混乱が広がっている。
仕方がないことだ。王宮を後ろ盾に、裁かれることはないと信じて好きに荒らしてきたのだ。
天逆という罪は重く、罰は厳しいものになる。
当然、その収拾に女王も動けない。
「今のうちに行きましょうか」
その僕に、
「これを預かってきました」
マデリが杖を出す。
「侍女頭のフレデリカ様から、フレア女王陛下の選ばれた、賢者様への贈り物だと言われました」
僕はそれを手にする。
女王が手に入れるには、安すぎる杖。庶民が手にするには高価な杖。それが全てを教えてくれる。
これは、女王自身の手にしたお金で買ってくれたものだ。
治療のお礼にジウルがくれたお金で買ったものだ。
僕はその杖を天に向けた。
フレア女王に栄光あれ。ラルク王国に幸あれ。
思いを込めてはなったルクスは、空一面に広がる彩雲のような光の天幕を張った。
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