才の器
ローブの下に鎧を纏った賢者が、大きく槍を振るった。
わしの目にも霞むほどの速さ。そして、身体の軸に振れはなかった。
武器を扱う賢者を見るの初めてだ。しかし、この一振りで分かる。槍はおろか、剣技も凄まじいものだろう。
学を収めし賢者であり、武を収めし戦士ということか。
「賢者はそろそろ出立か」
その背に声を掛けた。
「はい。そろそろ、敵も現れるようです」
「それで、この城塞の守りはどうする。城門にもたどり着けないというが、それでも大事な守備だ」
「編入した衛士をトルムさんの指揮で護って貰います」
トルムの指揮か。
思わず息を付く。
「どうしましたか」
よほど深いため息になったのか、賢者が振り返った。
「賢者ならば、いいか。トルムのことでな、少し考えあぐねている」
「副官がどうかされたのですか」
「我はな、トルムは才のある者だと思っていた。それが、賢者と会い、その考えと軍の動きにトルムが付いていけなくなっている」
トルムの才が鈍く感じられてしまう。その思考と行動に鈍さを感じてしまうのだ。
「人は、人種を問わず人は、全て平等です。ですが、三つだけ平等でないものがあります」
賢者が静かに口を開いた。
「ルクスと才と寿命です。人には適した道があり、それに伴う才があります。ケルミの公領主館でリベルという女性にあったのを覚えていますか」
迎えに出てきたあの女政務官か。
「あの方は、リウザスの町の平民です。ですが、才に溢れるためにバルクス公に推薦しました」
平民から政務官。栄達ではないか。
それだけの才がある女だったのか。
「ですが、僕の修士ではありません。僕の修士には、マデリという少女とセリという少年がいます。この二人も才に溢れています」
この賢者が直接見ている修士ならば、そうなのだろう。
だが、何を言い出すのだ。
「その二人共、同じリウザスの町の平民です。ですが、その才は守護領地では収まりません。才を活かせるにはもっと広い器が必要で、僕はそれを国だと見ています。その為に、二人を修士にして教えています」
平民を王宮官吏にするということか。
それに、その言い方では政務官の補佐ではない。中枢を担う、上級政務官だ。
先例のない栄達ではないか。
「才は平等ではない、か。だが、トルムは不意に鈍くなった。才は鈍ることもあるのか」
「逆です」
賢者が笑みを見せる。
「トルムさんが鈍くなったのではなく、ジウル軍司長が鋭くなったのです」
我が……成長したということか。
賢者の側でその思考を見、行動を見、軍略を見たことで成長できたのか。
「この歳だが、賢者に言われると面痒いな。ならば、トルムも――いや、何でもない」
そこで言葉は止まった。
賢者がアベルという政務官の話をしたのは、トルムに重ねたのだと気が付いたのだ。
トルムの才は、そこまでということか。
「トルムさんは指示されたことを忠実にやり遂げます。王国旗にも動揺せず、守備を任せられる方です」
「そうだな。しかし、才の器というものは残酷なものでもあるな」
口を付いた言葉は、自分で思わぬほどに重かった。
「自らの才に合わない大きな器は、人を惑わせます。器を才だと、自らの器量だと勘違いさせてしまうのです」
なるほど。公貴の腐敗の原因はそこか。
「人は、生まれながらにしてその上限が決められているのか」
我の言葉に、賢者が笑みを見せる。
「本来、人の差は経験の差に過ぎません。そして、経験の差などを些少なものです」
「いや、経験の差は大きいだろう」
年上の者の知識はそれだけ積み重なった重みがある。
「いえ、人が世代を重ねて積んできた経験に比べれば、些少なものです」
「いや、それは比べるものが違う」
「同じです。その経験を体系化したものが、学術、学問です。人はそれを学ぶことによって膨大な経験を自分のものに出来るのです。才はそこで伸ばすことが出来ます」
なるほど、古人の経験を体系化したものか。
「それでは、学を修めた者とそうでない者とでは、大きな差が出来るものだな」
「そうです。ですから、僕はこの国に多くの開学を作りたいと考えています。皆が身分や貧富に関わらず、学ぶことの出来る機会と場所を与えたいと考えています」
全ての民に学ぶ機会と場所。
わしには、途方もない夢に思える。
公貴にとって知識は独占するものだ。
農夫に知識は必要ない。工夫に知識は必要ない。下手に民が知識を持てば、統治がしずらくなると考えている。
「しかし、学びにも差は出来る」
学の早い者がいれば、遅い者もいる。
そこに、持って生まれた才が加われば、どうしても人の差は出来てしまう。
「どうして、皆が同じ場所で、同じ道を進むとお考えなのですか」
同じ場所に、同じ道。
そうか、人にはそれぞれ立つ場所があり、進むべき道がある。
目指す場所は異なる。
「その才に合った、高みを目指すか。やはり、才とは残酷なものでもあるな。賢者は、何もない空間に爆炎を起こした。聖符もなしにだ。想像もしなかったことだ」
「ルクスは、強弱はあっても創聖皇から皆に与えられています。ルクスは創聖皇の心でもあります。そして、その心は自由で、願いと想いで発動します。聖符はそれを図に表したものでしかありません」
「ルクスは、自由か。それを言えるのが、才だな」
思わず呟く我に、
「ですが、その公平ではない才に、創聖皇は一つだけ方法を用意してくれています。誰もが知り、誰しもは出来ないことですが」
賢者が静かな声で言う。
方法、公平ではない才をひっくり返せるのか。
「はい。自らをより高みに引き上げられる、方法です」
「何だ、それは」
「人が高みに登るには、山道を進みます。ですが、道は登りやすいように曲がっています。そこを真っ直ぐに進むのです」
道なき道を進む。
山の中で、森を、崖を進むというのか。
「自ら道を切り開いていくことを、努力と呼びます。もちろん、並大抵の努力ではありません」
賢者の瞳が目に飛び込んできた。
死を潜り抜けてきた闇を思わす瞳。
「皆が知っています。努力を続けることで、才の限界を越えられることは知っているはずです。ですが、それを出来るのは一部の人たちです」
流れてきた次の言葉は、重いものだった。
そうだ。賢者はそれをしてきたのだ。
覚悟を決め、命を削る努力をし続けてきたのだ。
なるほど、これ以上に説得力のある言葉はない。
「この国が、真面になれば。平和になれば、わしも賢者のように国の役に立てようか」
「もちろんです。ジウル軍司長の道はすでに一本になっています」
「ほう、わしの進むべき道が見えるのか」
「はい。それはジウル軍司長も分かっているはずです」
賢者が笑い、背を向けた。
そうか、確かにそうだな。
わしにも進むべき道は分かっている。
後進の育成。
この国を支える者を育てることだ。そして、賢者が言いたかったことは、人を育てるには、学び、努力せよということだ。
我は、まだゆっくりとは出来そうにないな。
思いながら、階段を下りていく賢者に礼を示した。
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