知恵比べ
「ブランカ殿」
扉越しに掛けられたアメリアの声に、顔を上げた。
マーデが扉に駆け寄っている。
しかし、終業間際のこの時間に何の用だろうか。
「ブランカ様、アメリア様が来られました」
扉を開けたマーデが、彼女を招き入れる。
「どうしたのだ。アメリア殿」
わしの言葉に何も答えず、アメリアは紅潮した顔で駆け寄ってきた。
「バルクス公領主からの手紙です」
バルクス公領主の名に、わしも立ち上がる。
「賢者からの手紙か」
「いえ、賢者殿ではありませんが、賢者殿の近況が書かれているのです」
叩きつけるように手紙を机に置くと、
「私とガイアは公領主と面識があるので、これを送ってくれたのでしょう」
興奮した声で言う。
「そ、そうか」
しかし、手紙に伸ばした手は、遮られた。
「今、皆を呼んでいるわ。読むのはそれからよ」
「ちょっと待て、ここに皆を呼んだのか。それに、アメリア殿は先に読んだのだろう」
「宛先に私の名前があるのだから、当然だわ。それに、女性の部屋に皆が集まるのもおかしいでしょう」
だからと言って、この部屋なのか。
以前にここで皆が集まり飲んだ後、マーデはあからさまに不機嫌だった。
「先師は、お元気なのですか」
そのマーデが、弾けるようにアメリアに尋ねる。
これならば、大丈夫かもしれない。
壁際に立つケイズも気になるようだ。
それも当然か。五日前に二本目の警鐘雲が空を切り裂いたのだ。
「先にこれを渡すわ。賢者殿の檄文が同封されていたの。皆にも見せてあげて」
檄文、自らの大義を掲げるか。しかし、民の識字率は低い、檄文を読み聞かせても内容が分かるかどうか。
目を落としたそれに、手が震えた。眩暈がしそうだ。
大義を掲げるどころではない。
民を奮い立たせ、反乱衛士を惑わせ、反乱公貴を脅し、王宮を糾弾する。読む立場によっていかようにも取れるが、つまるところは、公貴と王宮に喧嘩を売っている。
これは、民の心を掴む。そして、公貴と王宮は退けなくなる。
わしはそれを机に戻し、椅子に身体を預けた。
待つほどもなくジュラがセリを連れ、ガイアスたちは賢者の政務官を連れて部屋に来た。
政務官たちは手早く机を並べ、葡萄酒の樽を置いていく。マーデやセリも手伝っていた。
前回はあれだけ酒の後片付けに眉を秘めていたマーデが、今は積極的に動いている。それだけ、賢者のことが気掛かりだったのだろう。
しかし、全員がこの部屋に集まるのはやはり狭いな、賢者の部屋が開けばいいのだが。
「揃ったわね」
アメリアが声を張る。
「中北守護領主のバルクス公から、賢者殿の近況を伝えたいと手紙が届いたの。皆も気になるだろうから、私が代表して読み上げるわね。日付は七日前になっているわ」
その言葉から始まった手紙の朗読に、わしは、いや、皆が言葉を失った。
千に及ぶ警吏を巻き込み、職場放棄を理由に九割を解雇。残った千の衛士で二千の反乱軍を討伐し、さらに外北守護領地からの侵入を排除すべく展開中。
最終的には南に守備隊を回し、防衛線を引く。
「やっぱり、賢者殿だよな。それに、七日前ということは、反乱制圧は警鐘雲とは関係がない」
沈黙を破ったのは、ガイアスの溜息のような声だ。
そして、それは全てを理解した声。
「整理しようかの」
ジュラが言いながら、カップを並べていく。
「そうだな。もう終業時間だ、ケイズたちは帰っていいぞ。ここから先を知れば、おまえたちが危うくなる」
「そ、そうですか。では、失礼いたします」
戸惑ったように、ケイズたち五人が頭を下げた。
「最後に言っておくが、これではっきりしただろう。賢者はおまえたちを見捨てたわけではないぞ。お前たちを護るために、一月も前からわしらに預けたのだ」
その背に言葉を送り、息を付く。
「あれは、意味は分かっていないな」
閉じられた扉に、ジュラが呟いた。
「それでいいんだ。意味が分かるってことは、賢者の気遣いが無駄になるってことだ」
「確かにそうよね」
アメリアの声も重い。
「しかし、それでも賢者殿の政務官たちは有能だな」
ガイアスが並べられたカップに葡萄酒を注いでいく。
「確かにね。私は自分の官吏よりペルナを重用してしまうわ。賢者殿に返してくれと言われれば、仕事に支障が出るくらいよ」
「それはわしも同じだ。ケイズはわしの意を汲む。サキとケイズがわしの両輪だな」
「ほう、ブランカ殿がそこまで言うのかえ」
ジュラが笑った。
わしとて、褒める時は褒める。
「それでは、皆は分かっているようだな」
皆を見渡した。
「まずは、中北守護地が狙われたということだよな。賊の跋扈と地方公貴の反乱」
ガイアスの声を聴きながら、葡萄酒を飲む。
「それを潰された以上、周辺守護領地が動く。もし、本当に動けばそれが証明になるわ。中北守護領地の混乱は外的要因だとね。そして、それが警鐘雲の原因ということも」
「そうだな。もし動けば、その上にいる者も炙り出されるわけだ」
ジュラがカップを煽った。
「動くさ。動かざるを得ないように、賢者が手を打った」
机の檄文を開く。
「これを小さな集落に至るまで全てに送ったそうだ。長老が読み聞かせやすいように平易な文章だが、見る者の立場でその内容は変わる」
ジュラがカップを置き、その檄文に目を落とした。
「これは、民は奮い立つな。そして、公貴と王宮は怯えるしかない。凄まじいな」
その声は重い。賢者の読み切った先に辿り着いたのだ。
「賢者はルクスを見ることで嘘を見抜くと、すでに噂は広がっておる。その賢者が、子供の誘拐に嫌疑のある者は、問いただして身分を問わずに処罰するとなっている。印綬と同格ならば審問に呼び出されて、断わるわけにもいかぬ」
「誰が上にいるのか、天辺まで追い詰められてしまうな」
ガイアスもそれを見る。
「そして、最初の「子供に、孫に、子孫に渡したい国の姿はこれなのか」に繋がる。これは守護領地の問題ではなく、国の問題だと示している。ことは守護領地では収めないとの賢者の決意だ。王宮にとっても、賢者は排除しなければならない存在になった」
「全力で潰しに来るか」
「しかし、南に守備線を引くということは」
わしも溜息しか出てこない。
「賢者が見据えているのは、王宮で間違いないわね」
「同時に、これは王に対する反乱扱いになるな」
賢者が読んでいた未来はこれだ。
ケイズたちを巻き込まないように、一月も前から切り離したのは、この反乱には関与していないという証明のためだ。
反乱ということになれば、天逆。王はそれを討つ義務が発生する。
「わっしたちにも言わなかったのは、内乱に加担させぬためにだな」
「そうだな。そして、一人で全てを抱え込むつもりだ」
「抱え込む、どうしてだ」
ガイアスがカップを置いた。
「わしらと同格と言っても賢者は異種族、内乱といえども国を割ることはない。そして、内乱を王が討てば、その経緯は徹底的に調査される。その調査の執行は印綬の役目だ」
「ちょっと待てよ。内乱を起こすのは分かったが、それは俺たちに収めさせるためではないのか。賢者殿は自分がフレア女王に討たれるつもりなのか」
「わしらが収める、収めようがない。賢者の読み通り王宮が敵ならば、ジュラ殿の掌握が出来ぬ軍が進む。なし崩しにことを進めていく」
「だけど、軍の進退は全て王の裁可が必要のはずよ」
「ジュラ殿が掌握出来ぬ軍だ。女王の裁可は事後承諾に済ます気だろう。その為に、賢者はセリをジュラ殿に付け、軍の指揮系統を探らせている。内乱調査で必要だからな」
わしの言葉に、アメリアが机を叩きながら立ち上がった。
「以前に皆には話したけど、賢者殿に導いてほしいと言った時、賢者殿は苦しそうな顔を見せたわ。このことだったのね」
「賢者は、その頃から行く末を見通していたのか」
何て奴だ。一体どこまで先を読んでいるのだ。
「そして、それを覚醒前のフレア女王に話した時、賢者殿から聞いたと言っていたわ。聞いていながら、対応が出来ないというの」
「フレア女王とは話さなければいけないのう」
ジュラの声も重くなる。
「話すと言ってもな。朝議で女王との面談を侍従長に詰めて以来、近衛衛士の警備は意地になったように厳しくなったからな」
「どちらにしても、今のままでは駄目だな。賢者の意向に乗るしかないのかえ」
ジュラが再びカップを煽った。
「さて、それでは面白くない。賢者は自らを贄に、壁を乗り越え道を示すと言った。賢者の読み切った未来、わしらでそれを変えられるか。知恵比べでもしようか」
「賢者との知恵比べか、確かに勝機はないとは言えないの」
「どういうことだ。賢者殿の読み切った未来を変えられるのか」
ガイアスも席を立つ。
「不確定要素がある。賢者の運だ」
ジュラの笑みに凄味が出た。
「確かに、賢者殿は運があるわ。印綬の継承者と同格になってウラノス王国での罪は失くなった。住む所も出来た。それ以外にも小さなことだけど。移動の馬車も用意された。障害が賢者殿を避けるように進んでいったわ」
「アメリア殿の言う通りだ。今度はこっちで不確定要素を作ってやればいい」
ガイアスも思考が明確になっている。
この思考の流れも、賢者殿の導きか。
「そうだな。不確定要素はフレア女王だ。わしらの切り札を使おうか」
わしは、壁際に蒼白になって立つマデリに目を移した。
「マーデ。十七の誕生日はいつだった」
「と、十日後です」
マデリが慌てて顔を上げる。
「誕生日を持って、マーデを女王付き政務官に推薦する。これは賢者も望んだことだ」
「では、成人の祝賀と女王付き政務官の披露目の会を催すのね。そこで女王と話をする。それで、女王への通知はどうするの」
「侍女頭のフレデリカがいる」
「確かにそうよね。賢者殿はフレア女王は終局に至るまで決断できないと読んでいる。その前に決断させられればいいのね」
「さて、賢者に参ったとでも言わせようか」
わしの言葉に、皆の顔が明るくなる。
さて、賢者よ。知恵比べをしようかの。
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