ジウル軍司長
浮き上がった光に、石組みの壁とテーブルの地図が照らし出されていた。
窓からは仄かに焚火の明かりと歓声が響いてくる。
僕は地図から目を離した。
外北守護領地からの侵入経路は三か所。意識を広げても敵はその範囲の外におり、どこを通ってくるかは分からない、
しかし、公領主館に向かうには必ず通る場所がある。
デリツの街道駅だ。
しかし、周囲は平原で、あるのは小さな街道駅だけ。
このメルナスと同じ交通要衝だが、状況は違い過ぎる。
これでは少数の衛士での防衛線は築けない
椅子に座り直した時、
「この戦の最大の功労者が、ここにいても仕方がないだろう」
声が掛けられた。
扉を開けているのは、ジウルだ。脇に樽を抱え、少し顔が赤い。
「ジウル軍司長こそ、今日はありがとうございます」
「礼を言われることはしていない。それよりも、広場での祝宴には出ないのか」
「次の準備が必要です。ジウル軍司長こそゆっくりして下さい」
「それほどの働きはしていないさ」
ジウルが足を進め、机の前に腰を下ろす。
「他の地区でも反乱も鎮圧したと聞いたが、状況はどうなのだ」
「南の反乱で、こちらの損耗が大きかったようです」
バルクス公の遠隔書式で、報告は来ていた。東西で三割、南で五割の損耗だ。
「指揮によるものだろうな。こちらは十人ほどがかすり傷程度だ」
ジウルは樽を机に置き、二つのカップに葡萄酒を注ぐ。
「賢者よ、我に言った共に進むために、指示は出さなかったという言葉を覚えているか」
「もちろんです」
僕もジウルに向き直った。
敵にぶつかる前に、話した言葉だ。
「あれは、指示をすることでその指示に固執をするかもしれないとの理由か。指示を守るあまりに、それ以上が出来なくなるという危惧か」
「違います。戦いは常に流動します。ジウル軍司長には僕の動き、思考の流れをフラットの状態で見て貰いたいと思いました」
「それは、次からの戦に活かせとのことだな。しかし、我にその能力はないかもしれん」
ジウルが目を逸らす。
「いえ、十二分にあります。まずは柵を避けて左右に分かれた敵への対応の準備、逃げ出したことの確認。そして、追撃戦では深追いをせず、道を拓くことに専念をしてくれました」
ジウルの逸らされた目が開かれた。
「そして、バルミス公を討つ時、即座に意図を理解して直隷衛士の分断に動きました」
「驚いたな」
僕に向き直ると葡萄酒を煽る。
「あの状況の中で、我の動きも見ていたのか」
「はい。その中で感じたことがあります。ジウル軍司長は衛士同士の戦いをされたことがあるのですね」
「この守護領地で、反乱は三度目だ。一度は先代の時、二度目はバルザス様が公領主の後を継がれた時。我はその戦いに参加した」
なるほど。あの動きも経験に裏打ちされたものか。彼ならば、後ろを任せられる。
「しかし、反乱を起こした地方公貴ならば潰されるはずです。それにしては、公貴が多いように思うのですが」
「王都の中央公貴の次男が、地方公貴として派遣される。公貴は増えるばかりだ」
そういうことか。中央から来る公貴ならば、中央に逆らう公領主に従うことはしない。反乱も起こるわけだ。
これでは守護領地の運営も難しいだろう。
「それで、二百八十家もの公貴の家があるのですね」
「そうだな。我もその一家だ。もっとも中央にも相手にされない零落公貴だがな
呟くと、机の地図に目を向けた
「それで、次の動きは周辺守護公領主の介入だと言っていたな」
「そうです。反乱が潰され、彼らは後に退けなくなりました」
「動くのは、どこだ」
「全てです。そして、王宮も介入します」
「遠征軍を出してくるのか」
「いえ、軍務監査官の同道でしょう。地方公貴が撃退されれば、それを口実にすぐに軍の派遣が出来ますから」
「全方位となると、撃退は厳しいな。それでも、賢者には備えがあるのだろう」
「考えています」
僕の言葉にジウルが笑う。
「考え、か。今日のあの見事な指揮、どうすればそこまで読み切れる」
「ジウル軍司長でしたら、理解できるはずです。衛士は鍛えられていますが、賊と妖獣の討伐に動くだけです。進めと言われれば、目の前の敵に突進するだけです」
「周りが見えないか」
「賊や妖獣ならばそれでいいでしょうが、衛士相手の内乱では数の原理しかなくなります」
「確かに、今回は二倍の敵を破ったな。それが勢いなのだろう」
「以前にも言いましたが、勢いは士気です。逆に言えば、相手の士気をいかに落とし、味方の士気を上げるかです」
「士気の元になるのが大義なのだったな。だが、あの戦場での相手の動きを読み切ったのが分からん」
「そこまで理解が出来ていれば、簡単です。敵は進めと言われて襲い掛かってきます。前しか見えていない敵に、幾つもの状況の変化を与えれば混乱するしかありません。そして、その中で戦う、逃げるを選択するのが士気です」
「状況の変化。土塁と柵に左右、後方からの挟撃だな。確かにそれだけのことが重なれば、混乱するしかないか」
「その為に、戦場はこちらで決め、陣を築きます」
「ならば、次の戦場はどこなのだ」
「今、それを考えています。衝突するのはここになります」
僕はデリツの街道駅を示した。
「これより先に敵を引き込むとなれば、味方も街道に沿って二つに分けるしかありません。叩くならば、ここです」
「相手の数は」
「四千はいるでしょう。今度は正規の衛士で、檄文も付き従う衛士には効果がありません」
「周囲は平原、ここと同じようにはいかないな。それにこちらは数が少なすぎる。……いや、その為の反乱衛士の分類か」
ジウルはカップを口に運びながら、こちら見る。
やはり、この人は積み重ねた厚みがある。
「そうです。反乱の罪を問わない代わりに、ルクスの穢れの少ない百二十人を編入します」
「だが、強制徴用された農夫ばかりなのだろう。戦えるのか」
「それをジウル軍司長にお願いしたいのです。時間はありませんが、彼らを鍛えてほしいのです。特に盾と槍の扱いを」
「付け焼刃だな」
「それでも、被害は減ります」
「被害、戦果の間違いだろう」
「いえ、農夫の彼らは無傷で家に帰したいのです」
僕の言葉に、ジウルが弾けたように笑いだした。
「家に帰してやるか。なるほど、家族も待っているだろうからな。それでは、勝算もあるのか」
「それを考えています。この城塞都市には、あるだけの荷馬車と馬をお願いしました」
僕は注がれた葡萄酒を取った。
「馬と荷馬車、移動の速さか」
「外北の干渉を排除した後に南に陣を張ります。東と西は籠城戦で時間を稼いでもらいます」
「主力は南なのだな」
「はい。バルクス公には南のリルト城塞都市の正面に防壁の建設を頼みました」
「我らではそのような軍略は立てられぬが、そこは賢者に任せよう」
ジウルが僕のカップに葡萄酒を注ぐ。
「ありがとうございます。それと、今回の戦で参考になったことがあります。僕たちも旗を用意したいのです。旗が近くにあれば、敵の主力は僕を目指して来ますので、それをジウル軍司長にお願いしたのです」
「囮にもなるか。どんな旗だ」
「別に何も印はいりません。旗が立てば、勝手に相手が判断しますから」
「確かにそうだが、それも面白くない。よし、旗は我に任せよ」
「分かりました。お願いします」
「我のこと軍司長と呼んでいたのが、名前で呼ばれるようになったのだからな。それくらいは任せろ」
ジウルは嬉しそうな笑みを見せると、再びカップを煽った。
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