読みの深さ
高台からは、真直ぐに伸びた街道とメルナス城塞都市が朝日に照らされて見えた。
周囲では木の柵が組まれ、眼下では土塁が築かれている。穏やかな周囲の光景とは対照的な作業だ。
前に立つ賢者を見る。
彼は土塁を築く警吏たちを見ているようだ。
世の中には、世界にはこういう男がいる。些細な事象だけで、その行く末を読み、対処する。
これだけ大掛かりな軍司、警司の動員だ。読み違えたでは済まない。それでも、この賢者は一切の躊躇なく断言した。そして、バルクス公領主様も頷かれた。
これでその通りには進まなければ、誰も賢者の言葉には耳を貸さなくなるだろう。それでも彼は、断言した。
「ジウル様」
トルムの声に、賢者から目を逸らした。
「どうした」
「この高台は良いのですが、こんな所で賊を迎え撃つのですか。それに迎え撃つにしても隊を三つに分けては、打撃も弱まりましょう」
「お前の目には、そう見えるか」
トルムの顔に不安が浮かんでいる。そう、これが正常な反応だ。しかし、トルムにはもう一歩先に進んでほしい。
「はい。賢者様は素晴らしい方ですが、指揮は不慣れなようです。ここはジウル様が指揮を執られてはいかがでしょうか」
「トルムよ。もし、そう見えるならば、おまえの瞳は曇っている。我はこの陣取りに感嘆しか出てこないぞ」
「どういうことでしょうか」
「まず、この位置取り。この街道の先、北西にいる公貴は誰だ」
「バルミス公、ダイムズ公です」
その言葉に、トルムの顔が上がる。
やっと気が付いたようだ。ここは公領主館に向かう唯一の街道になり、東西へとも向かえる交通要衝になる。
そして、トルムも賢者から賊を唆したバルミス公の名を聞いたのだ。
「彼らが公領主館を襲うならば、この街道を進んでくる。迎え撃つのにここほど適した地はない」
「しかし、それならば城塞都市を利用する方が有利ではないですか」
「相手が城塞都市を攻めることなく進めばどうする。追いかけるか。それでは相手がここに陣を築くぞ」
「それでは、城塞都市を攻めるようならば、ここから打って出て城塞都市の自警団と挟撃するということですか」
「城塞都市とは話は既にできているはずだ」
「確かに、そうですね。では、相手は賊ではないのですね」
「賊ということにしなければ、警吏を動員できまい。この高台の麓、今、警務司が土塁を築いている。そこに控えるのは警吏たちは千だ」
「警吏は信用できません」
「そのために、あの場所での土塁の構築だ。街道を挟むように築かれた土塁は、相手の侵入を防ぐ壁であり、彼らを逃がさぬ壁にもなる」
「それでは、警吏の反乱も計算されてのことなのですか」
「そうだろうな。呼応して裏切るようならば、左右に控えた隊が一気に駆け下りて討つ。残る我らは控えて、次の手に備える。その為の三隊だろう」
トルムは言葉をなくして構築されていく陣を見ている。
我とてそれが本当に賢者が意図したかどうかは分からない。だが、そう考えるのが一番しっくりとする。
トルムは平民だが、優秀な男だ。
それが、賢者が指揮を執るということだけで、目を曇らせた。トルムが知っている賢者の固定観念が、その目を曇らせたのだ。
もっと広い視野を持たなければならない。もっと深く物事を見なければならない。
「賢者の示した檄文を見たか」
再びトルムに尋ねた。
「子供に、孫に、子孫に渡したい国の姿はこれなのか。で、始まる檄文ですね」
「どう思う」
「過激です。この誘拐事案に関与した者は、ルクスを見ることで言い逃れは許さず。地位、役職に関係なく処罰する。これでは、賢者様が独断で裁くように思われ、公貴の方々の反発を招きます」
「その通りだ。公貴に迎合する者には委ねないという意思表示だ。加担した公貴の逃げ道を塞ぎ、進むしかなくさせたのだ。しかし、あれにはもっと重要なことがある」
「人を思い、国を憂い、天意に従う者は立ち上がれ。バルクス公領主に従え」
トルムが呟く。
「離反、ですか」
「そうだ。公領主様に剣を向ける公貴の衛士たちに示したものだ。天意に従う者は立ち上がれ、裏を返せば、天意に従わぬ者は天逆だということだ」
「では、あの檄文には民に対するものと公貴に対するもの、そして公貴に付き従う者の三つに向けたられたものなのですね」
その言葉に頷く。
しかし、それは正解ではない。
これは他の守護領地の民にも公貴にも向けられ、そして王宮にも向けられている。だが、そこまで見抜けというのは酷なことだ。
見る者が見れば、分かる内容なのだ。
「これが出されたのは一昨日だ。昨日には各地の公貴の元に届き、明日中には領内の全てに届く」
「それでは、早ければ明後日にも公貴たちが動きますか」
「いや、何の準備もしていなければそうであろうが、もし、すでに公領主館に進むことを考えていたならばすぐに行動に移すはずだ」
そう、もし賢者の読み通りならば、バルミス公はすぐに動かなければならない。
それならば、それだからこそ、納得のいかないことがある。
足を進めた。
一日も経たぬうちに、賢者の読みの正誤ははっきりする。
「賢者、土塁の工事の遅れを見ているのか」
「これは、軍司長」
振り返る賢者の顔に疲れは見えるが、迷いは見えない。
「遅れなどはありません。予定通りです」
「しかし、この柵も今日明日ではこの周囲に張ることは出来ないぞ」
賢者は麓の土塁に目を戻す。
「軍司長は、この柵と麓の土塁をどう見ますか」
「公貴に対する防備は勿論だが、警吏への対策だろ」
「やはり、軍司の思考は鋭いものがあります。ですが、もう一つ踏みこんで考えればどうでしょうか。警吏はどう動くのか」
警吏はどう動く。公貴に呼応して動くのではないのか。
麓で土塁を築く警吏たちを見る。動きは鈍く、やる気は見えない。
いや、それ以前に浮足立っている。
ここを去りたいのだ。
「役に立たん。瓦解するな」
「はい。ですが、彼らには何があろうと持ち場を離れることは厳禁しています。離れた時点で職務放棄とみなしますと」
「それで、踏み止まるか」
「いえ、大半は逃げてしまうでしょう。職務放棄は退官ですから、不必要な警吏を除外できます」
警吏を切り捨てるための動員。逆に言えば、持ち場を離れずにいた者の選別。
選別された者を危険に晒すわけがない。中途に途切れた土塁と正面側にしかない柵。
「討って出るか」
呟いた。
「辿り着きましたか」
すぐに声が吹き抜ける。
深く考えたはずだが、それでも我の考えは賢者の考えに及ばないのか。トルムに言える立場ではなかったな。
「両翼の軍司長には指示をしましたが、ジウル軍司長には話しませんでした。僕の側で共に進みたかったからです」
上げた視線は、賢者の目と合う。
「それでは――」
「もうしばらくすれば、現れます。敵は二千、これを討ち取ります」
二千。こちらは警務司を入れて二千だ。警務司を除外すれば、千に満たない。半分の数で討ち取るというのか。
「戦いは、衛士の勢いです、士気です。その士気は大義によります。すでに、彼らの大義は摘み取りました」
檄文だ。
「賢者よ。我の副官にもその話を聞かせてくれないか。我は地方公貴の末席にいる。我に後継ぎはなく、家も潰えよう。副官のトルムは平民の従者に過ぎぬが、その才は我の意志を継ぐはずなのでな」
「信頼されているのですね」
「我は、ただバルクス公領主様を支えたいだけだ」
バルクス公領主様を強く言う我の含みに、賢者は笑って頷いた。
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