別離
「どうされました」
お茶に手を付けないぼくに、フレデリカが優しく聞いてくる。
「少し前に、階段でセリが暴れたと聞いた」
「セリさんは、お茶を運んできたようでした。階段には濃緑のお茶が散っていました」
濃緑のお茶、そのお茶はぼくは一つだけしか知らない。アムルが出会った頃に飲ませてくれた、甘くていい香りのするお茶だ。
「どうして、お茶を持ってくるのが騒ぎになるの」
「中央階段から先は、陛下の占有場所になります。ここに入るのは事前の申請が必要なのです」
答えたのは、フレデリカの後ろにひかえる侍女。名前は確かマリーだ。
ぼくは、この侍女が苦手だ。声は冷たく、部屋の奥からじっとぼくの様子を窺うように見るこのマリーが。
「でも、セリは知り合いだ」
「陛下は特別な方なのですから、知り合いであっても申請がなければ会えません。それに、陛下のお飲み物は、王宮厨師が用意したもの以外は、お渡しできません」
否を許さない、冷たい言葉だ。
セリが暴れたのも理解できる。お茶が散っていたというなら、衛士にお茶を払われたのだろう。
セリはそんなことをされて黙っているような者ではない。
そして、衛士の立場になれば、そうした理由も分かる。
頭の痛いことばかりだ。
だいたい、アムルもアムルだ。
「陛下、陛下はあのような下賤な者とは、お付き合いを考えるべきです」
侍女の冷たい声が響く。
大きなお世話だ。それに応える気力もない。
他に考えることは一杯なのだ
今日の定例会、二回目の定例会。
この国にはこの国のやり方があると、官吏たちは会議の側で控えることを拒んだ。
前回の定例会で侍従長が罵倒され、書類の不備を突かれたことに怒っているのだ。
定例会とは国の方向性を決め、その為に印綬の継承者とぼくが国の行く末をどう進めるかを話し合う会議だと聞いた。
事業の問題点は、担当部署の会議で話をすることらしい。それを、アムルが台無しにしたのだ。
官吏たちが怒るのも無理はないと思う。
罷免にしろと押しかけて来た官吏たちを宥め、追い返したのはシムザだ。
シムザがいなければ、官吏たちは納得しなかっただろう。
とりあえず官吏たちの怒りを鎮め、アムルにこの国のやり方を見てもらう為に、一度王都から出て各地を見て回るのは、ぼくもいいことだと思う。
そう、アムルは賢者だから理想が高く、共通儀典を尊重しすぎるのだ。
どんなに素晴らしいものでも、実情に合った運用をしなければいけない。
シムザの言う通りだ。
それに、国の指針だ。
国中の賢者たちが検討して王旗の意味を教えてくれた。
武力を内に秘めて、国を導く。必要なら武を用いることも辞さないという強固な意志を表していると。
ぼくは大きく息を付いた。
それには、みんなの連携が必要だ。
それなのに、アメリアたちは先ほどの会議でも呆れたように鼻で笑うだけだった。
ぼくにも分かる。あれはアムルのやり方が正しいと思い込んでいるのだ。
シムザも言っていた。一つに囚われ過ぎて正しいと思い込めば、広い視野が持てなくなる。
アムルが王都から離れれば、アメリアたちも気が付くはずだ。
そして、各地を見て回ったアムルが帰ってくれば、以前のようにみんなで国をよくすることが出来る。
「女王陛下」
フレデリカの柔らかな声が、再び耳を吹き抜ける。
「大丈夫、少し疲れただけ」
「そうですか。少しお休みになられますか」
「いや、いいよ。それより、フレデリカは前の王の時も侍女頭をしていたの」
「はい。先々王の時より、お仕えしております」
先々王の時か。ぼくで三人目の王ということだ。
「今までの王は、どういう人だったの」
「お優しい方でした」
フレデリカが少し困ったように答える。
「だったら、どうして廃位になったの」
「色々ありましたので」
ぼくの問いに、さらに困った顔をした。
「それを教えてほしい。フレデリカが一番近くにいたのでしょ」
もう一度言うと、やっとその顔が上がる。
「先々王は、真直ぐな方でした」
考えながら話し出すフレデリカに、より添うように侍女が進んだ。
「国の未来を見据えられていましたが、少し強硬な所がございました」
言葉の止まるフレデリカに、
「先々王は、賢者でした。ブランカ様と同い年の、本当に賢い賢者でした。ですが、その賢さゆえに周りを見られませんでした」
口を開いたのは、横に控えるマリーだ。
「政務官をないがしろにし、法を次々と変え、王宮は混乱しました。各地の公領主様の中には勅命を聞き入れない方さえおられたのです」
官吏をないがしろにして法を変える。
アムルが今していることだ。やはり、この国には実情に合った改革が必要なのだ。
「それで、混乱というのは、どうなったの」
ぼくは、フレデリカに尋ねる。
「シムザ様が政務官たちの調整に走ったのですが、多くの改変に仕事が追い付かず王宮が機能しなくなりました」
やはり、そこまでも頑張ってくれたのはシムザだ。
皆は、どうしてそれが分からないのだろうか。
「その時に、他の印綬の継承所たちは、止めなかったの」
「王の決められたことと頑なに言われ、王を擁護しておりました」
侍女が答える。
なによ、それ。王だって間違えることはある。
「それでは、その前の王はどうだったの」
「先王様は本当にお優しい方でした」
優しい王様か。
「皆に気を使われ、この私にも――」
続ける言葉は、廊下から響く音に止まった。
何の騒ぎだ。
席を立つぼくの前にフレデリカが立つ。
「ご無事ですか」
わずかに遅れて扉が開かれ、ダクトが四人の衛士を引き連れ入ってきた。
「女王陛下をお守りしろ」
ダクトは言いながら、部屋の奥に下がる。
それを追いかけるように入ってきたのはアムルだ。
どうして、アムルがここに。
それに、この荒々しい騒ぎは何だ。
背後から飛び掛かる衛士をアムルの杖が撃ち、衛士はそのまま床に崩れ落ちる。
ルクスを身体に打ち込んだのだ。これはしばらく動けない。
「女王陛下の御前で、この騒ぎは何だ」
奥からダクトが叫び、アムルは一瞥する。
あの昏く、怖い瞳だ。
「侍従頭よ。あなたが立つ場所は、そこではありません。女王の前です。盾が後ろに控えてどうします」
口を開くアムルの横から衛士が撃ちこみ、迎え撃つ杖がその身体を弾いた。
何、何を暴れているの。
リウザスの町での橋の防御戦が思い返される。
近衛衛士では、アムルに歯が立たない。
ぼくが、アムルと戦わないといけないの。
戸惑うぼくの側までアムルが足を進めると、その場で片膝を付いた。
噴き上がるルクスの威圧感に、周囲の衛士も取り押さえることが出来ない。
「女王陛下、御前で失礼いたしました。このアムル、約束を果たしにまいりました」
約束、何のことよ。
「ただ今より、王宮を出立いたします。そのご挨拶です」
わざわざ、王宮を出る挨拶に来たの。横たわる衛士たちを見た。その為だけに、ここまで騒ぎを起こしたというの。
呆然と見守るぼくの前で、アムルは立ち上がると背を向ける。
どうして、そう勝手なのだ。
朝議でも、定例会でも場を乱す話で荒らし、その挙句がこの騒ぎなのか。
ぼくが、ぼくたちがアムルを守るために、どれほどの苦労をしているのか分かっているのだろうか。
本当にぼくは、幻滅した。
アムルは凄い賢者なのだが、人を、国を導くことは出来ない。
それをする、重要な要素がないのだ。人を思いやる心がないのだ。
ぼくはその背から目を離し、深く椅子に身体を預けた。
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