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先師の出立

 

 頬をさすりながら扉を開けた。頬だけでなく、身体中が痛む。


「どうしたの、セリくん。大丈夫」


 広間に先に戻ってきていたマデリが駆け寄って来、

「いいぞセリ、男の顔になったじゃないか」

ジュラ様が嬉しそうに言う。


 そんな格好の良いものではない。

 中央階段でお茶をまき散らしたのはいいが、その後で衛士たちに叩きのめされたのだ。

  階段の上から侍女頭のフレデリカさんが止めなければ、おいらもっと怪我したはずだ。


「セリくん、ありがとう。大変でしたね。怪我の治療しましょう」


 先師の言葉は、痛みを消してくれるようだ。おいらは先師の机に足を進めた。

 机の横に立つと、ふとその目が留まる。先師の手元から目が離せない。

 大きく開けられた鞄には、詰められた荷物が見えた。


「先師、どこかに行かれるのですか」

「女王の勅命が下りました。各守護領地を回るようにとの勅命です」


 フレア女王が、先師を王宮から追い出すのか。

 先師が印綬の継承者様に渡された手紙には、王宮から出ないといけなくなると確かに書いてあった。

 でも、それは先師の推測で、マデリとはフレア様がそんな命を下すはずがないと話していたのだ。


 フレア様を女王にしたのは、先師だ。

 フレア様が王になりたいと言った時、覚醒の道を示してそれを成したのは、先師だ。

 そのフレア様が、そんな不義理をするわけがないと話していたのだ。どんなことがあっても先師を護ると思っていたのだ。


 おいらはフレア様を信じていた。

 すぐに殴り掛かる危ない奴だが、正しい奴だと思っていた。真直ぐに、揺るぎなく立つ奴だと思っていた。


「それで、行かれるのですか」


 喘ぐように聞く。


「もちろんです。女王の命に逆らうことなど出来ません」

「そんなもの、放っておけばいいのではないですか」

「セリくん」


 先師が顔を上げると、おいらに座るように示す。


「女王の命は絶対です。深慮の元に決断なされたことを拒否することは、出来ません。セリくんもそのことを忘れてはいけません」

「ですけど、間違った王様の命令は、それを正すのも臣下の役割ではないのですか」


 横からマデリが身を乗り出す。


「王の命は全てが正しいのです」

「だけど、善悪はあります。それで、王は廃位されてしまいます」

「その判断は、創聖皇がされます。臣民は王の命に従うだけです」


 先師は穏やかな声で続ける。


「例え、それがセリくんの良心が反対しても、従わなければいけません」

「それでは、おいらのルクスは汚れます」

「王の命を受ける以上、ルクスは汚れません。王もまた、ルクスが汚れることはありません」


 それはおかしい。創聖皇の心の欠片がルクスならば、その心を汚すのではないのか。


「命を受けた者のルクスの汚れも、その責は王に行きます。そして、王はルクスが汚れない代わりに、警鐘雲が走ります」

「それは、フレア様の警鐘雲のことでもあるのですね」

「そうです。サインをして勅命を出した以上、先王を弑いた者の責任も全てフレア女王の責任です」

「でしたら、間違っていても意見をすることはいけないのですか」

「決断前に、選択肢を出しなさいとブランカ様が言われたそうですが、そのことです。より多くの選択肢から女王が選べるようにしなければなりません。決断を下された後は、従うだけです」


 あのフレアに、そこまでの責任を抱え込ませるのか。

 おいらは、フレアが女王になりたいと言った時、それがいいと思った。平民の視線で国を治めるのがいいと思ったからだ。


 そこまで重い立場とは考えもしなかった。

 その責任に押しつぶされているのだろうか。判断力を失って先師を王宮から追い出すというのなら、それは逆効果になる。


「おいらは、何が出来ますか」

「セリくんは、軍の指揮系統はどう見ていますか」

「毎日のように軍務司の政務室と軍司詰め所に通っています。どうも、紙に書かれた指揮系統とは別のラインがある気がしています」

「セリくんに見てほしいのはそこです。セリくんは正しい目を持っています。セリくんだから見極められると思いお願いしました。それが、セリくんに出来ることです」

「おいらに、出来ること、ですか」

「そうです。今の状況を変えるには、セリくんが必要なのです」


 先師にそんなことを言われると、身体が震えそうになってくる。


「それでは、状況を変えるのだな」


 ジュラ様が楽しそうに笑った。


「はい、このままでは数年と持たずに女王は廃位になります」

「それで、どうするのだ。わっしらとも協調も必要だろう。そろそろ道筋を明かせばいいのでは」


 笑いは消え、一変した重い口調だ。


「協調は必要ありません。皆様はあくまでも何も知らない方がいいと考えます」

「わしらが関与していないようにか」


 ブランカ様も探るように聞く。


「はい。これが出来るのは、異種族の僕だからです。皆様が関与すれば、国は大いに乱れます」

「その口振りでは、創聖皇の下賜された物もまんざら間違いではなさそうだな」


 創聖皇の下賜された物って、あの鎧のことだろうか。

 先師は、鎧に身を固めてどうするのか。


「もう知らないわよ。で、私たちはどうすればいいの」


 アメリア様が息を付く。


「同じです。フレア女王の命を実行して下さい」

「実行ね。それで、賢者殿はいつ王宮を出られるのです」

「この一月ほどで、準備は整いました。今すぐにでも出ようと思っています」

「今から、そんな急に」


 思わず声に出た。


「これでも、遅れたくらいなのです」


 先師は言いながら、本を机に置く。

 木の表紙に紐を通した分厚い本だ。


「マデリさん。あなたが見たいと言っていていた本です。これを学びたいと思うのでしたら、書き写してください。セリくんも同じです」

「ほう、数学理論か。これは賢者が書き写したのか」


 ブランカ様はその本を知っているようだ。手を伸ばして本を開く。


「はい。ボルグ先師からお借りして学んだものです」

「ちょっと待て、これは牢を出てから書き写したのか。繊細な数式もあるが、間違って覚えると大変だぞ」

「大丈夫です。一言一句、間違いはありません」


 いつもの柔らかな声に、ジュラ様までもが息を付いた。


「わっしも上級学院で読んだことはあるが、理解するにも苦労したぞ。それを暗記とは、呆れてものも言えんわ」


 そうだ。ジュラ様もこう見えて賢者の称号を持っている。

 おいらもジュラ様の手伝いをして、見た目と違う思考の鋭さと知識の深さは身に染みて分かっていた。

 そのジュラ様も先師の知識に呆れてしまうのだ。


 おいらは、そんなすごい賢者様を先師に持っている。たくさんのことを学んでいる。


「それでも、またここに帰ってくるんですよね」


 おいらの問いかけに、先師は柔らかな笑みで答えた。

 なぜ、何も言わないのだろうか。


「ジュラ様、軍の掌握は進みましたか」


 先師は、おいらから目を逸らす。


「おう。しかしな、わっしの為に、国の為に命を掛けようなんて者は、近衛の第三軍だけだな」


 ジュラ様が椅子に胡坐をかいたまま、天井を見上げた。


「第三軍と言えば、二千もの騎士団ではないですか。たいしたものです」

「何を言っている。第一、第二の騎士団はこちらを見ず、遠征軍に至ってはわっしを客人扱いだ」


 ジュラ様と先師が話している。

 なぜ、おいらの問いに答えないのだ。

 なぜ、一言帰ってくると言わないのだ。


「うちも、一緒に行っていいですか」


 奥に立っていたマデリが、先師に駆け寄った。

 おいらだって同じだ。

 おいらだって、先師と居たい。

 でも、先師にすべきことを言われたおいらは、それが出来ない。


「マデリさん。あなたは学ばなければいけなことがたくさんあります。以前に伝えたように、僕はセリくんとあなたを上級学院に進めたいと思っています。ブランカ様が新たに創設する上級学院に進んでほしいと思っています。今は、学ぶ時です」

「でも」

「でも、ではありません。先師の言うことは絶対です。修士の返事は、ハイしかありません」


 言うと、先師が立ち上がった。


「どちらに」


 アメリア様が問いかける。


「僕は、フレア女王と約束していたことがあります。それを果たしてきます」


 答える口調は、いつもの優しい先師の声だった。


読んで頂きありがとうございます。

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