侍女頭の苦悩
「何も変わらずだな」
ガイアの呟きに、皆の口からため息が漏れた。
最初の定例会から一月。出てきたのは女王と侍従だけで、官吏はいない。
「賢者の言ったことをフレア女王は理解できていないのだ」
ブランカが怒ったように言い、
「わっしも、女王があそこまでとは思ってなかったぞ」
ジュラが鼻で笑う。
そうだろうか。
フレア女王は賢者の言葉を理解できないほど愚かではない。むしろ――、
「でも、私には女王が意地を張っているように見えましたわ」
女王の頑な表情を思い出した。
「意地を、何でだ」
「まるで、賢者殿に逆らっているような」
「そう言われれば、あの頑なさは納得できるな」
ガイアが頷く。
「二人には何かあるのか」
「いろいろあるんじゃないか。セリやマデリちゃんに聞きたいが、今日は来ていないからな」
ブランカの問いにガイアは素っ気ない。
「そういえば、賢者の用事があると言っていた」
ジュラが思い出したように足を止めると、階段に向かう。
わざわざセリたちに会いに行くのではない。直接、賢者殿に聞く気のようだ。
こういう無遠慮な所、空気を読まない所はジュラの心強い所だ。ジュラだからこそ許される特技みたいなものだ。
当然のように私たちもその後ろについていく。
階段を降り、執務室を抜けると扉の横の呼び鈴をジュラが押した。
待ち構えていたように扉が開かれ、立っているのはセリだ。
「どうしたのですか。皆様、揃われて」
どこか緊張していたセリの顔に、安堵が広がる。
「客人のようだな」
背後の執務室には聞こえないように声を落とし、ジュラが足を進めた。
セリが止める暇もない。
間合いの図り方と詰め方は、ジュラが空気を読めないのではなく,読まないことを教えていた。
部屋に入ると、座っていたのは侍女頭のフレデリカ。
私たちの足も止まる。状況が理解できない。
侍女頭は、王宮官吏の者だ。それに――。
「なぜ、あなたがここにいるのですか」
足を進めた。
「アメリア様、フレデリカさんをお招きしたのは、僕です」
「ですが、賢者殿。この者が賢者殿の名を女王から聞き、上へ伝えたのです。もし、賢者殿が天籍に移らなければ、ウラノス王国からの捕縛依頼が来ていたかもしれません」
「それは構いません。僕が皆さんに出自を明かしたのは、それも含めてなのですから。隠し通せるなどと思ってもおりません」
当然のように言う。
それでも、私は納得が出来ない。
「それで、何の話をしたのだ」
怒りに震える私に、ブランカが割って入るように足を進めた。
「フレデリカさんは、国を傾けるつもりではないということの確認です。それよりも、皆様が戻ってきたということは、定例会が終わったのですね」
「今、終わった」
「それでは、すぐに女王の元に帰らなければらなければなりませんね。セリくん、中央階段に衛士を引き付けて下さい。マデリさん、フレデリカさんを朝議の間の階段で控室までお願いします」
賢者の言葉に、セリがお茶を手に走り出す。
「どうやって、セリは衛士を引き付けるのだ」
ジュラがその背を目で追った。
「女王に届けるお茶だと衛士の控える階段で声を張り、止められれば派手にお茶をひっくり返します。その後は、状況に応じてセリくんが対応します」
「セリを信頼しているのだな」
「もちろんです」
衛士を中央階段に引きつけ、その隙に控えの間に続く階段を使って侍女頭を戻すようだ。
マデリが侍女頭を案内するのを見送り、賢者に足を進めた。
「それで、侍女頭の国を傾けるつもりはないというのは」
「最初に朝議で女王を案内する侍女頭を見ました」
観察していたのか。そうだ、賢者殿はルクスが見える。その人の本質が見えるのだった。
「フレデリカさんのルクスは輝いています。しかし、ルクスの周囲に曇りがあり、乱れが見えました。これは、良心の呵責と不安の現れです」
「良心の呵責、それは黒い靄にならないのか。良心は創聖皇の心の欠片、そこに負い目を感じるのだろう」
聞いたのはブランカだ。ブランカもルクスの知識がある。
「黒い靄は、創聖皇の心を裏切った時に現れます。例えば、僕の名を誰かに伝えても、それは創聖皇を裏切ったわけではありません」
「どうしてだ。あの侍女頭は、女王が王都へと急ぐ馬車の中で話したことを逐一報告していたはずだ」
「そうです。報告です。僕はセリくんに軍の指揮系統を精査し、報告をお願いしました。それは、創聖皇の心を裏切ったわけではありません」
「確かに、そうだな」
ブランカは渋い顔で座った。
「それに、ここにお呼びしたのは僕ですが、面会を申し出てきたのはフレデリカさんからです。フレア女王が定例会に出られれば、監視もなくなるとのことでしたので、ここにお呼びしました」
「監視、どういうことなのだ。監視をされているのか」
「フレデリカさんの息子さんが妖獣に襲われ、重い怪我をされたそうです。治療費、聖符、薬代、様々に費用がかさみ王宮で借り入れたそうなのですが、その条件が女王の話す内容の報告と行動の報告だそうです」
「侍女頭も公貴だろ。そんなに逼迫するほど、お金が掛かるのか」
ガイアスもソファーに腰を下ろした。
「王宮医術師は一度の診察に五リプルが必要です。販売される聖符は外傷用で一枚三リプルから四リプル、薬は二リプルから六リプル。重い怪我ではでは二日に一度の治療が必要です」
「一回で十リプルから十五リプルも掛かるの」
その金額には私も驚いた。
私たち印綬の継承者たちは、ルクスが強い。それは幼い頃からになり、ルクスに守られた身体は怪我をすることはないのだから。
「もちろん、これは王宮医術師の費用です。町や村での医術費用は下がりますが、それでも一回の治療で一リプルは必要です。平民にはとても払えぬほどの大金です」
それも、知らなかった。
賢者殿に町を案内してもらい人々の暮らしを見たが、私は知らないことが多すぎる。
「しかし、それは近づくための嘘ではないのか」
ブランカの言葉に、賢者が首を振った。
「僕に、嘘は通りません」
「それもルクスを見てか」
「いえ、ルクスに震えは現れますが、嘘か動揺かは分かりません。それは、身体に現れるものです。目の動き、手の動き、呼吸に発汗、気付きにくいですが明確なサインが出ます」
「面白いなそれは、わっしも知りたい」
「知るには、訓練が必要です」
訓練。そんなことまで訓練をしたというの。
「どのくらいの訓練だ」
「僕は鈍かったので、四年掛かりました」
四年もの訓練。呆れるのも通り越してしまう。
「それで、侍女頭は何だと」
ブランカの声にもこれ以上聞くのを諦めた響きがある。
「フレア女王は悩み、苦しんでいるそうです。衛士が邪魔をして訪ねられないのは分かるが、それでもなぜ、印綬の継承者たちは女王を放っておくのか、なぜ、悩みを分かち合わないのかと言われました」
「わしたちが面談を拒まれても、そこを押し通せというのか」
無理だ。力ずくでそれをすることが出来るが、それは王宮官吏たちとの完全な対立を意味する。
王権移譲をしたばかりでそうなれば、国は傾くしかない。
「では、明日の朝議でそこを聞くしかないな」
ジュラが頷きながら言う。
「様々な理由を付け、言い逃れるだろうがな。女王に状況を聞かせることは出来る」
王宮官吏の壁は厚く、思ったよりも厄介だ。
「それで、今日の定例会にも官吏は参加しなかった。女王はどこか頑なな様子だったらしいが、女王と賢者には何か確執があるのか」
「そうですね。前回の時に強く言いました。フレア女王は僕の修士になって、初めてあれだけ強く言われたのです。怒られたと感じてしこりはあるでしょう」
ジュラの問いに、賢者殿はあっさりと答え、続ける。
「フレア女王は悩み、苦しんでいると言われました。フレア様はまだ、女王というドレスを着させられているに過ぎません。まだ、ドレスの着付けを気にし、自分の思いとの差に困惑しているのです」
賢者の言葉に、ガイアスが笑う。
「確かに、儀礼服姿の女王は、ぎこちないな」
「ドレスという比喩が、しっくりとくるか。それで、賢者。フレア殿はそのドレスは着こなせるのか」
「以前に、王は道を決め、人を配置するのが仕事だと言いました。それには命令が必要です。自分自身の確固たる決断のもとで、逆らうことを許さない命令が必要です。それが出来て初めて女王というドレスは着こなせます」
やはり、決断だ。
フレア女王は、今まで命令なんかしたことがない平民だった。
命令とは、確かに自信がないと出来ないものだ。そして、自信とは揺るぎない決断だ。
そして、これだけは教えることなど出来るものではない。
「大丈夫です。フレア女王は決断できます。僕が決断させます」
賢者の重い声が、心に響いた。
この重い言葉は、思いの重さだ。これこそが、決断をした言葉なのだろう。
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