ブランカの講義
ブランカ様の机に書類を置く。
ほとんどをうちたちの部屋で過ごしていたのだ、ブランカ様の執務室に入るのも数回目でしかなかった。
「しかし、今日の賢者は凄味があったな」
ブランカ様が椅子に座り込む。
そう、怖かった。今日の先師は、本当に怖かった。フレア女王様も怒ったように出ていったのだ。
「マーデよ。賢者は何を伝えたかったのか分かるか」
「はい。官吏の杜撰な予算管理を伝えました。その内容の酷さに怒ったのだと思います」
即答するうちに、ブランカ様が笑う。
「なるほど、賢者がわしの元に預けたのも分かる」
言うと、椅子に座り直した。
「マーデよ。椅子を持ってきてそこに座りなさい。わしからの講義をしよう」
講義。
ブランカ様はラルク上級学院の先師だった方。その賢者の講義を受けられる。
椅子を持ってくると、ブランカ様の前に座った。
「わしが見た限りでも、賢者の今日の会議には幾つもの意図があった。まずは会議の進め方。あれは女王を責めているのではない。本来、女王がしなければならない会議の進め方を見せたのだ」
会議の進め方。確かに会議は先師が仕切っていた。
「議題に沿った問題点を上げ、それに呼応する印綬の継承者に説明させる。そして、提起された問題点については必ず答えを導く」
そうだ。侍従の人が後で確認をすると言ったのを、先師は拒絶した。
あれは、その場で答えを出そうとしていたのだ。それをフレア女王様に見せていた。
「それでは、フレア女王様に中央に座るように言ったのは、その為なのですね」
「もちろんだ。今日の女王は官吏の立場になって話をしていた。それは根本的に違う。本来は女王が官吏を問い詰めなければいけない」
「どうして、問い詰めるのですか」
「無駄を省くためだ。内容は税の問題、これだけの重税を掛けておいて、仕方がないと女王が言うことが問題なのだ」
その言葉に、思わず頷いた。
税は重すぎる。先師から習った三公七民が逆転している。
「それをはっきりとさせるために、担当の官吏を控えさておくのですか」
「今回、賢者は言わなかったが、本来はわしらの正面には各部署の大司長が並ぶ。細かなこと突かれ時に、それを知る官吏たちが控えているものだ」
「先師は、どうして言わなかったのでしょうか」
「それは、女王が気付き、自ら言わせるためだ。賢者はそれが出来る女王だと信じている」
「それで、最後の講義なのですか」
うちの言葉に、ブランカ様は目を閉じる。
「わしはフレア女王という人となりを良く知らない。しかし、賢者は女王という称号に固執せず、自分らしくと言った。今は女王らしく振舞おうとして、自らを殺していると見ているのだろうな」
「そうなんです」
咄嗟に口に出た。
「フレア様は、気さくで、明るくて、しっかりしていて、すぐに誰とでも仲良くなれるんです。うちの欲しいものをすべて持っているんです。でも、今日見た女王様は……変でした」
「今までと違ったのか」
ブランカ様に言われ、頷く。
「何か、殻を作ったような感じね」
不意に入り口から声を掛けたのは、アメリア様だ。
慌てて立ち上がるうちに、アメリア様は笑いながら必要ないと手を振った。
「どうしたのだ。アメリア殿」
「同じよ。賢者殿の様子が気になったの。ブランカ殿が、賢者殿の考えに一番近いと言っていたでしょう」
アメリアが部屋に入り、その後ろからセリが続く。
ここにセリがいるということは――。
「ここは、わっしの部屋と同じ広さだな」
ジュラ様が部屋に入り、当然のように奥の椅子に腰を下ろした。
「ジュラ殿も来たのか」
「ガイアス殿ももうすぐ来ますわ」
「なんだ。ここに集まるのか。サキ、お茶の用意を」
「かしこまりました」
優雅に一礼するサキさんに、
「葡萄酒を頼むぞ。お茶はもういい」
ジュラ様が大きく手を振る。
だめだ。ここでもあの悪夢が始まるのだ。
先師の部屋で葡萄酒が並び、最初は穏やかに話をしていた。
さすがに印綬の継承者様方は、町の飲み方とは違うと思った。
そう、最初は。
葡萄酒が空きだすと、ブランカ様は寡黙になり、ジュラ様ははしゃぎ出し、ガイアス様は如何に仕事が大変かを語りだし、そしてアメリア様はうちを愛玩動物のように頭を撫で続けたのだ。
先師は、ただそれをどこか楽しそうに見ているだけだった。
うちたちが片づけるのにどれほどの苦労をしたか。
空いた葡萄酒の樽を運び出すのに、官吏たちからどれだけの冷たい視線を浴びたか。
本当に、悪夢でしかなかった。
どうにかして、止めないとだめだ。
意を決して口を開けようとした時、
「遅れたな。食堂で葡萄酒を取ってくるのに時間が掛かった」
ガイアス様が入ってくる。
その後ろからはケイズさんたちが樽を抱えていた。ペルナさんはバスケットを重そうに持っている。
彼らの顔が曇って見えるのは、気のせいにしておこう。
「でも、先師は今はお一人なのですか」
うちの問いかけに、ケイズさんが頷いた。
「後は資料をまとめて、指示書を書くだけだから仕事は構わないと言われました」
「食堂に向かっていたら、皆がただ突っ立っていたから呼んだのだ。それに、俺たちに渡す手紙を賢者殿から預かっているらしいからな」
ガイアス様の言葉に、ペルナさんがバスケットを置くと手紙をブランカ様の机に置く。
「手紙ね。アメリア殿、読んでくれないか」
「いいの、賢者殿が私たちに伝える手紙ではないの」
「それならば、彼らには渡さないだろう」
ジュラ様の言葉に、アメリア様が手紙を広げた。
「僕には定例会の出仕停止と開明司として各守護領地への調査命令が、一月もすれば女王の名で下ります。王宮での執務室は閉鎖されるでしょうから、僕の政務官たちをそれぞれ預けます。彼らは今回の定例会の出席で、必要資料の流れが理解できていますのでお役に立つはずです」
アメリアはもう一枚の紙を広げる。
「その時には、セリくんとマデリさんも住まいから退居させられます。ブランカ様とジュラ様には二人の部屋を用意して下さい。個人従者として扱って下されることを重ねてお願いします」
最後の一枚を取り、目を落とすとため息を漏らした。
「本当に、賢者殿は先が見えているのですね」
「そのように動かしたのだろ。定例会で侍従を詰めた。あれは妖の危うさを女王に見せると共に、侍従を、官吏を、公貴を怒らすためだ。最後の一枚は何と書いているのだ」
ジュラ様が興味深さそうに、身体を乗り出す。
「僕の罷免と王宮退去の要求に、司長クラスが動きます。強硬に動いた者は嘆願書に名前が記載されます。その名前と軍の統帥系統と照らし合わせて下さい」
アメリア様が三枚の手紙を机に置く。
「では、賢者殿はそろそろ動く気だな。さて、どう動くのか」
ブランカ様の呟きに、セリが前へ足を進めた。
「先師は、中北守護領地のバルクス公領主様と手紙のやり取りをされています。先ほど届いた手紙で七通目になります」
「中北か、ガイアス殿とアメリア殿が賢者に会った場所だな」
「そうよ。そして、セルトゲ公が襲った場所」
「そういえば、賢者は中北守護領地の資料を集めていたな。動くのならば、そこか。賢者はいつからバルクス公と手紙のやり取りをしていたのだ」
「王都についてからです」
セリが即答する。
「ブランカ殿、どういうことなの」
「わしはな、アメリア殿。周りを愚者と見下ろすほどに、己を賢いと思っていた。そのわしが見えぬ先を、賢者は見ているのだ。わしらは、賢者の手の上で踊るしか無かろう」
ブランカ様が笑った。
「よいか、マーデ。ゆえに、わしが講義できるのは、賢者の意図の一部かもしれん。しかし、女王に言った、皆の意見を聞き、深く考え、悩み、即断する。これは間違いなく王の心得を伝えたものだ。わしらのすべきこと、マーデのすべきことは一つ。女王が選択肢を持てるように情報を精査してお伝えすることにある」
「王は、すぐに決断しなければいけないのか」
うちの思いを代弁するように、ガイアス様が言う。
「王は道を示し、人を配置する。そのすべてが決断だ。迷い、悩んでもすぐに決断し、その責を負わなければいけない」
ブランカ様の声は重く響いた。
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