失意の朝議
「陛下、そろそろよろしいですか」
その言葉に、ぼくは壁から目を離した。
「分かった」
この壁を昨日、アムルが殴りつけたという。印綬たち全員で押しかけ、ぼくに会わせろと暴れたのだ。
ぼくの何に不満があるのだろう。
シムザに詳細を聞きたいが、外北守護領地の後始末とかで不在だ。
侍従長は職務を罵倒されたと塞ぎこみ、フレデリカも表情は冴えない。
まあ、いい。直接アムルに聞こう。ぼくの何が気に入らないのか、聞いておこう。
立ち上がりながら、儀礼服の上衣に隠した杖を触る。
昨日、王宮出入りの商人から買ったものだ。アムルの杖はぼくの印綬になった。
そのお返しに、ぼくは杖を買ったのだ。
女王はお金のことは考えなくてもいいと言われたが、この杖はぼくのお金で買ったものだ。
治療の報酬の一リプルで買ったものだ。
商人には怪訝な顔をされ、ぼくが見ても貧弱な小さな杖だが、これはぼくのお金で買ったぼくの気持ちだ。アムルに対するお礼の気持ち。
アムルは喜んでくれるはずだ。
階段を降り、フレデリカに案内されて玉座に向かう。
大広間に並ぶ王宮政務官たちが一斉に席を立ち、礼を示した。
その前を横切って進んでいくと彼らに対面する席が並ぶ。
一段高い所にアメリアたち、その上の一際大きな席がぼくの玉座だ。そして、少し下がった席に座っているのはアムルだった。
昨日の王権移譲の広場で再会したが、その時には話せなかった。
ぼくのアムルに皆が駆け寄って話をしだしたのだ。ぼくだけが疎外されたように感じ、外から眺めることしか出来なかった。
でも、アムルは元気そうだ。昨日、暴れたと聞いたが、そんな様子は見られない。
横の階段を進み、ぼくは玉座に付いた。
政務官たちが再び礼をし、ぼくは椅子に腰を下ろした。
彼らも一斉に席に座る。
玉座からは広間の奥まで見通せ、政務官の並ぶその光景は壮観だった。全てがぼくの意向通りに動くのだ。
最初に立ち上がった警務大司長が、処罰された公貴の名前を発表していく。
シムザが処分した外北守護領主たちの名だ。
どう、ぼくの言葉にシムザが動いた結果だ。ぼくの仕事をした結果だ。
前に並ぶアムルたちを見る。
次の瞬間、聞こえたのはブランカの舌打ちの音。静かな広間にその音が響いたように感じた。
警務大司長も一瞬言葉を詰まらせる。
どうしたのだ。何が気に入らないというのだ。
公貴が処分されたのだ。公領主が処分されたのだ。国を立て直すために、害のある公貴を罰して何の不満だ。
警務大司長の報告が終わり。財務大司長の報告が始まる。
街道整備にかかった費用、河川整備にかかった費用、様々にかかった費用を読み上げていく中、ガイアスの鼻で笑う音が響く。
なぜ笑う。
彼らはシムザの下で、予算を計算し配分しているのだ。
確かに税は重いかもしれない。しかし、傾いた国を立て直すためにはそれも仕方がないことだ。
アムルの言っていた適正な税率。それは大切なことだけど、それでは国が運営できない。このこともアムルに話さなければいけない。
アムルならば、ぼくの言うことも分かるはずだ。
貧民救済の事業経費、妖獣討伐の軍務経費、次々と報告がなされ、ぼくの手元に資料が積み上がっていく。
全ての報告が終わると質疑応答が始まると言っていた。資料を見て、不明な点を個別に問うのだ。
しかし、シムザはそれは型通りのことだと言っていた。
必要なことは個別に聞いていくそうだ。
それもそうだろう。報告だけで一時間以上も掛かるのだ。質問などしていれば二時間以上になる。
毎朝そんなことをすれば、彼らの仕事にも影響してしまうのだから。
習慣として十分程度の資料を見る時間になる。
この後、質疑なければ「以上」の言葉で閉会だ。
やっと終わると息を付いた時、下に座るアメリアが布に包まれたものを出すとアムルに近寄った。
なんだ、まだ朝議の最中だぞ。
「賢者殿、これは私たち印綬の継承者よりお礼の品になります」
声は広間に響く。
「杖がないと聞いたのでな、わしらで買い求めた」
アムルが受け取り、布を開く。
出てきたのは杖だ。それも玉と彫金で飾られた、見るからに高価な杖。
「礼はいいぞ。わっしらと同格で、国を導く賢者だ。皆で出し合って用意した」
ジュラの弾ける声を聴きながら、ぼくは上衣を抑えた。
なぜ、そんなことをする。
アムルに杖を用意するのは、ぼくでなければならない。なぜ、一言の相談もなしにそんなことをする。
アムル、受け取ったら駄目だ。
「これは、ありがとうございます。大切に使わさせて頂きます」
アムルが受け取った。
この貧相な杖は、もうアムルに渡せない。ぼくの中で、何かが崩れたようだ。
「それでは、質疑を始めます」
遠くに声が聞こえる。
さぁ、部屋に戻って少し休もう。
「警務大司長、一つ聞きたい」
声を上げたのはアムルだ。
アムルはこれが形だけだということを知らないのか。
「先ほど、公貴の処分は聞きました。しかし、回ってきた資料は名前の記載されたリストだけです。罪状、経緯、内容の諮問書が付いていないのですが、それは後から回ってくるのですか」
「いえ、不当なことは明らかなので、即刻の処分です」
「では、罪状の確認と諮問はしていないのですか」
「はい。女王陛下が即位前に受けた不当な扱い。それは諮問するまでもない明白な事実ですので」
それは当然ではないか。ぼくがどんな扱いを受けたかは、アムルだって知っているはずだ。なぜ、それを問うのだ。
「財務大司長」
次に声を上げたのはブランカ。
「掛かった経費は聞いたが、工事の進捗内容は資料にない。また、費用の総額だけで明細がない。これは改めて回ってくるのか」
「い、いえ。進捗の確認は出来ておりません。なにぶん工事個所が広いものですから」
「分からない進捗に対して、経費のみが分かっているのか。計画書と昨日までの進捗を持ってこい」
「貧民救済についても教務大司長に聞きたい」
アメリアまでも問いかける。
なんだ、これは。国の為、民の為に私やシムザは精一杯している。それを何もせずに遊んでいるアメリアたちが、その内容に口を出してくる。
文句を言うのが彼らの仕事ではないはずだ。少しは民のために働くべきだ。
印綬の継承者よりも政務官の方が頑張っているではないか
怒りに身体が震えたその瞬間、
「警鐘雲が走りました」
広間の奥から声が響いた。
警鐘雲。
言葉の意味が分からない。わずかに遅れて、
「女王に署名をさせたか。天逆を働いたのは誰か」
アムルの鋭い声が響いた。
いつも聞いていた優しい声ではない。
落雷のように、怒りに満ちた鋭い声。初めて聞く声だ。
しかし、ぼくにサインをさせた。ぼくがサインをしたことで、警鐘雲が走ったの。
「警務大司長。直ちに勅命を確認、発行者を明確にしなさい」
続けたアムルの言葉に、警務大司長のメイダが立ち上がった。
「印綬の継承者様と同格とお聞きしたが、他国の方。小職は承服いたしかねます」
「賢者はこの国で天籍に移った。この国の導き手になったのだ。その言葉は、創聖皇には従えぬと言っているのと同じぞ」
ブランカが立ち上がり、
「俺たちにも報告書を回せ。これは印綬の継承者全体の総意だ」
ガイアスが続ける。
ぼくはそれを何かの芝居のように見ていた。現実感がまるでない。
警鐘雲が出た。これだけ民の為に精一杯働いているのに。
ぼくは心が崩れていくのを感じるしかなかった。
仕舞った小さな杖が心に突き刺さっているようだ。
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