王権移譲
周囲を包んでいた藍色のルクスの光が消え、不意に現れたのは広場だった。
鬱蒼とした樹々に覆われた森の中の広場。吹き付ける風は柔らかく、少し冷たい。
しかし、同時に僕は身構えた。
樹々の奥を流れるような黒い影を見たのだ。凄まじいまでのルクス。何だ、あれは。
「心配するな」
エルフの声が流れてくる。
「あれは、ラミエルだ」
ラミエル。伝説の天外の者。そんなものが、本当にいるのか。
「中ツ国の守護者だ。心配はいらん」
その言葉に、肩の力を抜いた。
ラミエル。伝説上の架空の存在ではないのだ。
森の奥に消えていく黒い影を見送り、僕は広場に顔を戻す。
高く上がった日に、円形広場の石畳が明るく浮き上がって見えた。いや、ここはルクスが溢れるように湧き上がり、ルクスの光にも照らされているのだ。
ここまで、ルクスに溢れた地を見たことがない。
ここまで輝きに満ちた世界を僕は知らない。
「フレアは中心に進め」
皆が荘厳な景色に言葉をなくす中、エルフが広場の外に浮かんだまま言った。
フレアは広場に入り、その中央に立つとどこか緊張した目で振り返る。
久しぶりに見るフレアだが、儀礼服に身を包んだ姿は別人のように凛々しく見えた。
大丈夫です。立派ですよ。
頷く僕に、フレアが笑みを見せる。しかし、その笑みの中にどこか違和感があった。
「印綬の者はフレアの四方に立て。アムルは広場の端に立て」
再び聞こえてきた声に、僕は石畳に足をかけて広場に入る。案内をしてきたエルフは、広場の中には入れないようだ。
「それでは、まず三帝をお呼びする。フレア以外は礼を示せ」
その言葉に、僕は片膝を付いた。
次の瞬間、広場に巨大なルクスが立ち上がる。
そこに現れたのは二つの人影と小さな人影。
三帝の現出。
しかし、とんでもないルクスだ。先ほど見たラミエルの比ではない。天を支える光の柱のようなルクスは、威圧を通り越して畏敬の念さえ抱かせる。
その眩しさに、目を細めながらも彼らを見た。
同じ緑の髪をした男。あの方が、サリウス帝。共通儀典を記して国の在り方を示し、その賢さと人望から最初に二国を治めて王から帝になった伝説の英雄。
金色の髪をなびかせるのは、ラキアス帝。王の在位が数年単位で変わった後、数十年にも及び王が出ず混乱し切った国をまとめ、立て直した王。その後、同じように疲弊し切った隣国を併せて治め、史上、二番目の帝となった英雄。
最後の一人、エルフのカルマス帝。唯一、国を持たぬ帝。創聖皇の代弁者たるエルフの始祖。
本当にこの目で見るとは思いもしなかった。
大きく息を付いた時、空から降り落ちるように声が聞こえてくる。
いや、これは頭の中に響いてくる言葉だ。創聖皇の声というのではない、自分の声が頭の中を反響している。
同時に、広場全体が噴き上がるルクスに呑み込まれた。ルクスの奔流、これはまるでルクスの河のようだが、純粋なルクスは意識の中に入ってきても心を壊すことはなく、ただ温かさに包み込まれる。
響いてきた言葉は、「わが心を与えし命、自らの意思でその命を断つな」から始まる人として生き方を示した聖法十条。
そして、民の安寧を第一にせよという聖統五条。
頭の中の声が終わると、噴き上がるルクスが消えていく。それでも、身体の中にルクスが残ったように感じた。
僕はこれと同じものを知っている。それは、フレアたちも同じはずだ。
この感覚は、ルクスの増強。
ルクスの容量は意識の広さ、器量だと言われるが、流れ込んできたルクスに僕たちの意識は拡張されたのだ。
ルクスの河と結ばれ、これ以上は大きくならないと思っていた僕のルクスも大きく膨らんでいる。
これが、王権の移譲。
「最後に、創聖皇の御言葉を伝える」
カルマス帝が前に出た。
「義を持って立ち、信を持って動き、礼を持って対し、智を持って用い、仁を持って収めよ。内を整え、外を正し、聖法、聖統をあまねく広げよ。これを持って、王権の移譲とする」
声は幾重にも木霊するように響く。
この時を持って、王国は創聖皇からフレア女王に移された。
全ての国にいるエルフが、ラルク王国の新王誕生をそれぞれの王に伝えるはずだ。
しかし、王権の移譲とは表面的には簡易だが、その実はとてつもなく濃いものだ。これほどのルクスの強化など、考えもしなかった。
溢れ出るルクスを抑え込みながら、僕は立ち上がった。
「待て、アムルはここへ」
僕を呼んだのは、サリウス帝だ。
「はい」
広場を横切るように足を進め、僕はその前で片膝を付いて礼を示す。
間近でサリウス帝を見た。
二十代半ばに見える精悍な顔立ちをした人だ。
数百年前にウラノス王国を統治し、アリウス王国を治めてウラノス・アリウス帝国の帝となった伝説の方。
実際にその姿を見ることなど、夢にも思わなかったことだ。
「アムルよ、覚えているか。おまえが世界を動かす駒になれば会うと言ったことを」
降り落ちる声に顔を上げた。
ルクスの河で会ったのは、サリウス帝だったのか。僕をルクスの河から引き上げ、助けてくれたあの光が。
「もちろん覚えております。ありがとうございます」
「よくここまで来た。日々の浄化が必要だったおまえのルクスも、創聖皇から新たに与えられたルクスによって自浄が出来るようになった。そのルクスは、借りものではなくなったな」
自浄が出来る。それは日課だった魂を焼くような苦痛から解放されるということだ。
これが、僕自身のルクス。
「ほう、この者がイレギュラーか」
いつの間に来たのか、ラキアス帝とカルマス帝までもが横に立つ。
「創聖皇もお認めになり、印綬と同格の扱いとは信じられんな」
「一体どれほどの者か、どれ」
言葉と同時にカルマス帝の手が伸びた。
僕の額に手を当てる。
途端に頭の中がかき回された。記憶や思いの断片が浮き上がり消えていく。
「ほう、これは珍しい。このような者は初めて見たな」
手を離したカルマス帝が笑った。
あの手を当てたのは僕の中にルクスを送り、泡沫となって湧き上がる雑念のように、記憶を巻き上げたのだ。
ルクスを相手に送り、身体に衝撃を与える技は知っている。しかし、これはルクスを身体でなく、意識に送り衝撃を与えた。
意識の底には幾つも記憶が積み重なっている。純粋なルクスで与えられた衝撃に記憶が巻き上がったのだ。
ルクスのこんな使い方は初めてだ。
相手の意識に入らないので、見る側にとっては相手の感情による影響がなく、記憶の断片を見ることでその生い立ちと影響を受けた内容が即座に理解できる。
僕の全ては、それだけで露わにされたのだ。
さすがに、エルフの始祖としか言いようがない。
「いいか、アムル」
その僕に、サリウス帝が目を向ける。
「ここに呼ばれた意味が分かるか。観察をしていたが、おまえは世界を変える駒になり得るということだ。それを、創聖皇がお認めになられた」
世界を動かす駒。僕にそんな力はない。歪な世界を正したいと思うが、世界を変えようなどとは思ってもいない。
「畏れ多いことです。僕には荷が重すぎます」
「それを判断するのは、おまえではない」
サリウス帝は諭すような声で続けた。
「これをもって、おまえの籍は天に移った。印綬の継承者と同格だが、それは廃位の時も同じだ。王の廃位はおまえの籍も奪う」
「承知しました」
「ならば、おまえは道を違わずに進め。紅玉宮におまえ達の住まいを用意する」
「住まいを、ですか」
「責任を与えるとはそういう事だ。そして一つ言っておく」
サリウス帝は小さく息を付く。
「余にこだわるな」
「どういう事でしょう」
「この瞬間にも、周囲の状況は変わっている。今が過去になり、未来が今になっている。余にこだわるな。余の記しし共通儀典にこだわるな。そこに斜線を引き、新たに書き記すは後世の者の務めだ」
そこに追記をする。何を言われるのだろうか。共通儀典は世界に示した国の根幹になる。個人でどうにか出来るものではない。
「おまえを印綬と同格する意味を考えよ。世界を変えて見せよ」
その言葉を引き継ぐように、
「これを持って、王権移譲は終わる。皆には正式な王とその臣下の証として、王権の証を送る。それに恥じぬ働きを見せよ」
カルマス帝の声が響いた。
サリウス帝にはもっと聞きたいことがあったが、話は切られたようだ。
次の瞬間、三帝の姿が掻き消える。
今のが幻であったかのように何の痕跡もなく消え、広場には再び、森からの柔らかい風が吹き抜けた。
ただ、身体から噴き上がってくるルクスが、幻でないことを教えている。
「賢者殿、サリウス帝とは何を話されていたのです」
アメリアたちが駆け寄って来た。
すぐ側で話していたはずだが、彼らには聞こえなかったのか。
「話していたのは見えたけど、声は聞こえなかった」
ガイアスが不思議そうに言う。
「それは、サリウス帝が賢者にのみ伝えたかったからだろうな」
ブランカの呟く声を聴きながら、僕はその後ろに立つフレアを見た。
最初に駆け寄ってきてくれると思っていたけど、広場の中央から見ているだけだ。
同時に違和感の正体が分かった。
影だ。出会った頃のような影が感じられる。
破滅的な影のように思える。
どうしたのだろうか。
僕の方からフレアの元に進もうとした時、
「それでは、戻るぞ。大聖門を閉める」
エルフの声に押されるように、フレアが背中を見せた。
その背を追うように、僕たちは広場を出た。
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