食事会
「ブランカ殿、謁見に出ていないと工務司長のサルモスが探していたぞ。それに、毎日の工務の説明にも出てこないと」
ガイアスの言葉に、ブランカが首を振る。
「下らん講義だ。代わりにわしがしたいくらいだよ。ガイアス殿たちにもわしが説明した方が、分かりやすいくらいだ」
言いながら、椅子に腰を落とした。
「その心配はいらない。統制も国体も先師に教えて貰った。外務の説明も間違いを俺が訂正出来るくらいだ」
「ほう。会って日もないと聞いたが、そこまで学んだのか」
「みっちりと講義をされたのよ。それで、賢者殿は何か言っていましたか」
私の言葉に、ブランカが笑う。
「家については、自分の身には余る広さだそうだ。それに、アメリア殿にも風当たりが強くなるだろうから、わしの方から家を探すと伝えておいた」
「そんなことはありません。私が風当たりを気にすると思って」
「思ってはいない。しかし、そうでも言わなければ、賢者はそのまま宿にでも行きそうだったのでな」
ブランカの言葉に、私は何も言えなくなる。
確かに、賢者殿ならばやりかねない。
「分かったわ。それで、王権移譲の件はどうでした」
「賢者は来るそうだ。二人の修士も連れてな。通行証を渡しておいた」
「そう、良かった」
「それより、アメリア殿。この晩餐会は何の茶番だ」
「私が知りたいくらいよ。王宮官吏が戻ってくるのに、晩餐会など必要ないわ」
「確かに、そうだよな。官吏の代表者と言っているが、代表者は大司長だろ」
ガイアスがため息を付き、ジュラは夕食のようにただ食事をしている。
「大司長たちの威光を見せたいだけだな。まあ、いい。ジュラ殿のようにわしらの食事会にしようか。ところで、皆に話がある」
ブランカが声を落とした。
「その賢者に会い話をしてきた。賢者はわしのことをお見通しのようだから、皆にも伝えておきたい」
晩さん会の席で、何を話すというの。
「わしの年齢は今年で三十七になった。それまで、三回王の廃位があったが、わしは印綬に選ばれなかった。今になれば分かるが、その頃のわしはルクスの強さと学問の進みに慢心し、他人を見下していた。世の中のもの皆が愚物に思え、バカにしていた。そのような者を印綬が選ぶわけがないことを知らなかった」
「どうしたのよ、急に」
「まぁ、聞け。ここから話さないと、上手く説明が出来ない。印綬に選ばれなかったわしは、印綬を恨み、創聖皇を憎みもした。居場所がないと思い込んだわしは、怪しげな酒場にも出入りするようになり、そこで出会ったのがバナンというルクス師だった」
何かを思い出すようにブランカが語りだし、私たちはただ聞くしか出来なかった。
「わしは、そのバナンに心の向き合い方を教えて貰った。人に会うのも嫌だったので、意識を内に向けて一日中でもそれをやっていたさ」
「それで、第一門に行ったのか」
ガイアスが納得したように言う。
「それでも、五年は掛かった。わしのルクスは汚れていたからな、妖を抑えるにも命を削った」
ブランカの言葉に驚くしかない。
五年。そんなにも時間が掛かったのか。賢者殿がガイアスたちを覚醒させるのに、一時間くらいだったはず。これならば、民の覚醒も簡単に出来るのではと思ったのだ。
でも、一人でそれを行えばそんなにも時間が掛かるものなのだ。
それに命を削るほどに危険なものなのだ。
「それでも、わしのルクスは跳ね上がってな、次こそはと思った。そして、より強いルクスを求めて意識を潜らせていた。その時は、ルクスの強さだけが絶対的なものだと信じていたからな。しかし、先代の王の時もわしは選ばれなかった」
その頃のブランカの噂は、私も聞いたことがある。上級学院に偉く尊大な先師がいると。学問は優れ、ルクスも強いが修士を見下し、貶すことしかしない先師だと。
その噂を聞いた私は、親に頼んでブランカの講義から外して貰ったのだ。
そのブランカは大きく息を付いて、続ける。
「それからしばらくして、わしは第二門を開けてしまった。言葉通り開けてしまったのだ。あれはわしら常人が触れてはいけないものだ。己の今までにした行為を俯瞰で見るのだ。そこには相手の心も流れ込んでくる。自らの醜さと愚かさを目を閉じることも、耳を塞ぐことも出来ずに観察するしかない。そこに救いはなく、ただ醜悪な己自身がいるだけだ」
ブランカは言葉を切ると、葡萄酒を煽った。
苦しそうな表情。その時のことが脳裏から離れないのだろう。
「いくらルクスが強大でも、穢れた心では印綬は選ばない。心を正しく保ち、欲を捨てた時、印綬は初めてわしの所へやってきた。正直、わしは今もこの重い印綬を持て余している。国の重さを持て余している」
あのブランカが、弱音を吐く。
真っ直ぐな心にしか印綬は現れない、か。今のブランカならば、その資格があると私も思う。それは、ガイアスたちも同じ思いのはずだ。
そして、第二門というのはそこまで人を変えてしまうほどに、過酷なものなのか。
「そして、わしはお前たちに導かれ、あの賢者に会った。賢者は、第二門を乗り越えてさらに先の第三門まで一気に行きついたという。その言葉に嘘はないだろうだろう。学問をしながら、心に向き合う。それがどれほどの苦しみかは、わしには理解できる。この印綬の継承をした者の中で、あの者にわずかにでも近いのが、わしだろう」
そう言うと、私たちを見渡した。
「わしは、欲を取捨選択してこの印綬を手にした。しかし、あの賢者に欲はない。会って数日のわしらの為に身を捨てられるほどに、欲がない。危うい、危うすぎる賢者だ」
「どういう意味だ」
応えたガイアの声が重い。
「賢者殿を、排除という意味か」
「逆だ、逆。賢者は創聖皇の求める世界の為に、自らの命を贄にすると言った。わしはその覚悟があるということだと思った。しかし、今日少し話した中で、それは決意を持った覚悟だと知った。このわしでも、読めない先にあの賢者はいる」
「賢者殿は、その道筋が見えている」
思わず呟いた。
「そう、そうだ。あの賢者はそこに至る道を見ている。しかし、アメリア殿。どうしてそれを知っている」
「私が賢者殿に師事をお願いした時、苦しそうなお顔を見せました。その後で、フレア女王に聞いたのです。賢者殿は私たちの向かべき先までの道筋が見えていると。その時の女王の言い方から、賢者殿にとって危ない道のようでした」
「やはり、王宮官吏を罷免する道が見えているのだな。それでは、自らを贄にと言ったのは、その道には必要なことか。どうしようもないな、あの賢者は。それで、その道は何と言っていた」
「フレア女王は、先師から言うなと言われたから言えないと言っていたわ。でも、贄っていうのはどういうことなの」
言いながら、奥の一段高い席に座るフレアに目を向ける。
「睨んでないか」
ジュラの呟きが聞こえた。
本当だ。燃えるような瞳でこちらを見ている。
「女王は直情型だからなぁ。さすがにあの威圧感で睨まれると、恐いな」
ガイアよ。あなたが直情型と人を言うな。しかし、それにしても確かに怖い。何を怒っているのだ。
「放っておけばいい。それよりも、贄とはその通りの意味、自らの命を捧げて道を示す気だ。それも三月以内にだ」
「三月以内、どういうことなのよ」
なぜ話がそうなるのだ。
「アメリア殿」
私の裾が惹かれる。何だ、今はブランカに不意に訳の分からないこと言われたのだ。はっきりさせないと。
裾――思わず、立ち上がってしまっていた。
一人立ち上がった私に、広間中の視線が集まってくる。
まずいな。
私は手を上げ、これ以上には出来ないにこやかな笑顔を見せて席に着いた。
ざわめきは広がったまま消えない。
「何してんだよ」
ガイアの声が冷たい。
「仕方がないでしょ、ブランカ殿があんなことを言うのだから」
「あれは、そこまで差し迫っているという意味だろ」
「違うぞ、ガイアス殿」
ブランカが声をさらに潜めた。
「王宮官吏が、賢者の名前、アムル・カイラムを知ったと言っただろう。罪人の名を知ったと」
「でも、他国の罪人はここでは裁けない」
「アメリア殿の言う通りだ。しかし、それをウラノス王国が知ればどうなる。捕縛引き渡しの請求が来るかもしれない」
「王宮官吏が、ウラノス王国に知らせると」
ガイアスの潜めた声が硬い。
「わしも危惧したが、賢者は確信していた。早くて三月だと言った。それも想定していたとな」
「ちょっと待ってよ。それで、三月以内に道を示すというの。それは考え過ぎよ、三月でこの状況が動くはずがないわ」
「わしが、捕縛引き渡しがの請求が来ても何とかすると言ったが、返って来たのは心配ないという言葉だ。意味するのは一つ、それまでに動くということだ」
「そんな、何がどう動くというのよ」
「それが、賢者の見ている道なのだろう。しかし、あの賢者を早々に失うわけにはいかん。賢者には欲を持ってもらう必要がある」
「国を導く、それが賢者の欲ではないのか」
ジュラが言う。
食事をしているだけかと思ったが、しっかりと話は聞いていたのね。
「それは欲ではなく、目的だ。今の賢者は、人を越えるほどに達観をしている。しかし、共に進む以上、人としての賢者と共にいたい」
あのブランカそこまで言うのか。そこまで言わすほどに、賢者殿を認めているのか。
「凄いわね、会って四日目のブランカ殿にそこまで言わせるのは」
「わしは、会った翌日に自らのローブを脱いださ。賢者のローブを着るのはアムルだけでいい」
その言葉に、皆が口を閉ざした。
本当に賢者殿の本質を見たのは、ブランカかもしれない。
その為に、自らの歩みをここで語ったのだ。
ブランカのローブを脱がすほどの賢者殿。
「確かに、それほどの人を失うわけにはいかないな」
同じことを思ったのだろう。ガイアが息を付きながら言う。
「それで、どうするの」
「賢者の見ている道筋をわしらも探すしかない」
「それは無理。直接聞けばいい。わっしも賢者の話をもっと聞きたい」
ジュラがフォークを置く。
「大聖門から出た後、賢者を交えて話をするのならその時に聞く」
「言うと思うか」
「言わなかったのは、時が来ていないから。わっしたちとの連携も必要になるから、時が来れば伝えるはず。準備のためにも聞く必要がある」
これは、驚いた。
ただ明るくはしゃぐジュラと思っていたが、そこまで深く洞察しているのだ。
ブランカも驚いたように見ている。
彼らには驚かされてばかりだ。
「そうね。明日、賢者殿とは話をしましょう。場所は広間を使う」
「いや、止めておこう。アセットの目があるかも知れん」
「面倒ね。早くに王宮の主導権を掴まないと」
「賢者がいるのだ。打ち合わせは誰かの執務室でいいだろう」
「大丈夫なの」
「賢者は、アメリア殿の別邸でアセットの撃退をしておる。大丈夫だろう」
当然のように言う。
「そう、分かったわ」
撃退って。もう、賢者殿が何をしようと驚かなくなったわ。
私はフォークを置くと、お茶に手を伸ばした。
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