公貴の限界
「ところで、賢者の修士たちとも話をしてみたいな」
ブランカがソファーに背中を深く預けた。
「賢者がそこまで思う人材だ。興味はある」
「分かりました。それではお茶でも入れて貰いましょう」
僕は立ち上がると、二人が消えた扉を開ける。
扉の先は廊下になり、右側に幾つもの扉が並んでいた。
その扉の二つが開かれ、小さな荷物は廊下に置かれたままだ。
「セリくん、マデリさん。ブランカ様にお茶を差し上げてくれませんか」
僕の言葉に、すぐに二人が顔を出した。
「お茶は僕のバッグにあります。二人はカップと水を持ってきてください。カップは四ついりますよ」
「分かりました」
二人の返事を聞きながら、扉を開いたまま部屋に戻る。
「勝手が分からぬ屋敷だからな。これならば、給仕も用意させてよさそうなものだ」
ブランカが心配するように振り返った。
「長居はしませんので大丈夫です」
僕はソファーに戻ると、バッグからエルドラの樹脂と短い足の付いた板を取った。
ブランカはエルドラの樹脂を知らないのだろう。僕が切り分けるそれを珍しそうに見ている。
「先師、これでよろしいですか」
すぐにセリとマデリがカップとケトルを手に戻ってきた。
僕は水の入ったケトルを受け取ると、板の上に置く。
「ありがとうございます。では、カップにこの樹脂を一つ入れ、お湯が沸けば注いでください」
セリも不思議そうにそれをカップに入れた。
そうだ、このお茶を飲んだのはフレアだけだった。皆に振舞うのは初めてだ。
「ところで、賢者」
ブランカが僕に目を戻す。
「先ほど言った、本題は残っているとはどういう意味なのだ」
「はい。ブランカ様は確かに話が早く、明確です。そして、それ故にこの時間にここに来た理由が、不足します。この屋敷の場所の説明ならば、ブランカ様が動くまでもありません。僕が屋敷を辞退するにしても明日のことですし、他の話も切迫したものではありません」
「王権移譲への参加は、明日のことだ。急ぐ必要がある」
「いえ、明日でこと足ります。日によって答えが変わることはありません」
「やはり、楽しいな。賢者との会話は」
声はどう聞いても楽しそうではない。
その前に、湯気を上げるカップが置かれた。濃い緑のお茶が、甘い香りを周囲に広げる。
「ほう、これは」
「ウラノス王国に昔から伝わるお茶です。セリくんとマデリさんもどうぞ」
わずかに遅れて、マデリが声を上げた。
「甘い。すごくおいしい」
「うん、うまいな。ウラノス王国の茶か、初めて飲んだ」
ブランカも驚いたようだ。
僕もお茶に手を伸ばそうとした時、遠くで何かが弾ける音がする。
「何ですか」
立ち上がるセリを手で座るように促す。
「招かざる客です。大方、王宮のアセットでしょう」
「アセット。何ですか、それは」
「あらゆる方法と手段で、情報を集めていく組織のことです」
「わしがつけられたのか」
ブランカが窓に目を移した。
「分かりませんが、どちらにしても王宮のアセットでしょう。ですが、彼らも退いたはずです」
「どういうことなんだ。賢者はこの屋敷に何かしたのか」
「入った時に簡易結界を張りました。侵入した者のルクスに反応して結界がルクスを弾くだけですが、隠密が鉄則の彼らは退くしかありません」
「なるほど、アメリア殿とガイアス殿が心服するわけだ」
ブランカは大きく息を付くと、再びソファーに背を預ける。
「賢者の言う通り、動いているのは王宮の公安警吏のアセットだろうな。それだけ、王宮も賢者を警戒しているのだろう」
「ただ、女王の周辺を探っているだけでけはないですか」
「周辺を探るか。だが、何のためにそこまでする。王の廃位は、王宮官吏にとっても不幸なことだろう」
「求めているのは、廃位ではないのでしょう。方向を示さない、軽い冠が欲しいのです」
「官吏が操作をしやすい女王。それで、そのフレア殿を女王に導いたのは、賢者ではないのか」
言いながら、射貫くような眼を向ける。
責めているのではない。ただ、ブランカは事実を知りたいのだ。
「そうですね。僕に王を選出させる力はありませんが、仰る通り、その可能性は作りました」
「覚醒だろ」
「はい。僕は平民のフレア様が王になれば、国を変えられると信じました」
「わしらでは、駄目なのか」
「公貴であるがゆえに、公貴の考えからは抜けきれないかと危惧しました。以前に、フレア女王陛下が足を怪我をした折に、アメリア様とガイアス差に市井の暮しを案内しました。お二方は作物の成長と収穫についてはご存じですが、農作業についてはご存じではありません。荷物の運搬についてはご存じですが、荷役の作業はご存じではありません」
「なるほど、公貴ゆえの限界か。しかし、他国の王は公貴のでのはずだが」
「はい。それは先王からの王政を踏襲、発展させるのには問題はないでしょう」
僕の言葉に、ブランカの口元から笑みが消え、目の鋭さが増す。
「この国に先王たちの積み上げたものは無い。賢者は創聖皇の望む世界。そこを目指すと言っていたが、それは、フレア女王を傀儡に専横を振るうことではないのか」
「違います。積み上げたものがないゆえに、新たに積み上げることが出来るのです。作り直すことが出来るのです。それに、僕は道を示すだけです。進む、進まないを決めるのはフレア女王陛下です」
「作り直すのか。しかし、その道を示すのは賢者自身の自己満足ではないのか。フレア女王が選べば、その自己満足の為に国は沈むやもしれんぞ」
「それはありません。その為の道を示すのですから」
「それが」
ブランカはそこで言葉をを切ると、ただじっと聞いているセリとマデリに目を向けた。
「よい先師に、巡り合えたな」
「はい」
二人が同時に返事をする。
「賢者は、この二人の修士をどう導く考えだ」
「そのことです。ブランカ様にお話をしようと考えておりました。セリくんは十分に基礎が出来ています。マデリさんは後一年学べば、基礎は仕上がります。二人を上級学院へ進めたいのです」
「推薦状か。賢者の修士ならば、喜んで書くべきだがな。わしは今の上級学院を認めておらん。先師は怠惰で、修士は中級学院の学も身についておらん。わしは横やりの入らない、何のしがらみもない新たな上級学院を考えている」
今の上級学院の改革ではなく、新たな上級学院。ブランカは世界に誇れる最高学府を作る気なのだろう。
「それまでは、賢者の考え通りでいいのではないのか」
穏やかな声で言う。
僕の考えている二人の進む道を理解してくれているのだ。
「そうですね」
僕はセリとマデリに目を移した。
「マデリさんをブランカ様の元でしばらく使って頂けませんか。マデリさんは、一月後には十七になります」
「分かった。その機会が来るまで、明日からでも預かろう。セリについては別の考えがあるだな」
「本当に、ブランカ様は怖い方です」
マデリをゆくゆくはフレアの元に付けようという僕の考えまでも、読み切っている。
「言っただろう。怖いのは互いだ。それに、わしはそこまで先の手を深く考える者を知らない」
「あの、うちは何をすればいいのですか」
マデリが不安そうに身体を乗り出す。
「わしの補助をしてくれ。礼の印綬は昔から民の啓蒙を担っている。そのわしを手伝ってくれ」
「そんな、うちに出来ますか」
「出来ますよ。マデリさんは、平民からの視点でブランカ様を補助してあげて下さい」
その横で、セリは黙って僕を見ている。
聞きたいこともあるだろうが、控えているのだろう。
「そうだな。では、明日は迎えを寄越す。最後に一つだけいいか、賢者よ」
ブランカは何かを考え込むように目を閉じながらも、立ち上がった。
「なんでしょうか」
「少しは自分のことも考えればどうだ。その歳で、欲をなくすことはない」
声を残して、ブランカは背を見せる。
言わんとしていることは理解が出来た。しかし、僕は一度ルクスの河で死んでいる。死んだ者に、欲などあろうはずもなかった。
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