世界の歪み
石畳の通りを流れる湯煙は、外灯に橙色に輝くように見えた。
「先師、待ってよ」
浴場を出た僕に声が掛けられる。
「フレア」
セリの口調がどこか硬い。
振り向いた僕にも、その理由は分かった。
深紅の髪に火照った肌、頬の痣は艶やかな花を思わせるようだ。
「一人ですか」
「アメリアさんとマデリちゃんももうすぐ来る」
「そうですか。湯冷めしてもいけませんので、先に食堂に行きましょうか」
「うん」
フレアが僕にぶつかるように並んできた。
僕は、僕は心を落ち着けるので精一杯だ。
「公設浴場って広いのね、池かと思った」
「そう、そうなんだ。お風呂があんなにも大きいなんて思わなかった」
「あら、セリ。あんたはぼくに泳げるお風呂もあるって言っていたじゃない」
「ガイアス兄ちゃんに聞いたんだ。でも、本当にあるとは思わなかった」
「公設浴場があるのは、一部の街道駅だけです。街道駅に入るのは、商業ギルドか公貴、官吏だけですから一般の人は知りません」
「やはり、村を出られないからなの」
「はい。飢饉が起きて、その土地では死ぬしかなったとしても、民の移動は認められません」
僕がそう言った時、湯気が割れて男に引き連れられた四人の子供が見えた。
子供の首には、それぞれ赤い札が下げられている。
刺繍の入った服を着た男たちとは対照的に、子供たちの服はボロボロだ。
すれ違っていく彼らを足を止めたフレアが呆然と眺める。
見送るその目に浴場から出て来たアメリアとマデリが映った。
代わりに、男は子供を引き連れて浴場に入って行く。
「先師、あれは」
「人買いね」
答えたのアメリアだ。
「人買い。ぼくの村でも見たことがある。親に売られた子供でしょ」
「そうですね」
フレアを見た。
引きずられるように進む子供たちに、フレアの目が燃えるようだ。
彼女はそのまま何も言わずに進んでいく。代わりに、怒りが顔に浮かぶのは、セリとマデリだ。
黙ったままに歩いていくと、すぐに宿は見えてくる。
「お腹が減ったな」
ガイアスが空気を読むように明るく言い、
「そうね。今日はゆっくりしましょう」
アメリアが後を追う。
それだけで、二人の立ち位置は分かった。
僕は何も言わずに宿屋に入ると、食堂の受付に足を進める。
食堂の受付に六人だと伝えると、すぐに案内された。席に付く前にそれぞれ注文をし、僕たちはテーブルを囲む。
さて、先に口を開くのは誰だろうか。
待つほどもなく、葡萄酒が運ばれてくる。
「取り敢えず、乾杯しましょうか。印綬の継承者が揃ったのですから」
最初に口を開いたのは、アメリアだ。なるほど、彼女には調整の能力がある。
「そうですね。慶事ですから、乾杯しましょうか」
僕は葡萄酒の注がれたカップを持ち上げた。
「乾杯」
それぞれが言いながら、カップを持ち上げた。
カップに口を付けると、待つほどもなく料理が運ばれてくる。大きな皿に肉が積み重ねられた料理だ。
「美味しそうですね」
沈黙の中、マデリが口を開く。
マデリは周囲のことを考え、自らを押し殺す子だ。
「先師」
最初に怒ったような眼を向けたのは、セリだった。
「どうしました」
「人買いは、おいらも見たことがある。どうして人を売り買いするのですか」
最初に斬り込むのはセリか。やはりこの子は真っ直ぐな者だ。
「言ったように、国の力は人です。民です。民を増やすには、二つの方法しかありません」
「その一つが、人の売り買いですか。他の国に売られるのですか」
「他の国ばかりとは限りませんよ。民は十七になれば王国籍に名前を刻まれ、土地を与えられます。しかし、それまでは籍に名はなく、存在しないのも同じです」
「でも、うちはいます」
マデリの声が震えた。自分を押し殺すことが出来なかった、当然だ。まだ十六なのだ。人として認められておらず、物と同じように売買されるのだから。
でも、それでいい。小さくまとまる必要はない。
「だけど、買われた人は奴隷になるのだろう。おかしくないですか、先師」
「そうですね。人は売り買いされるものではありません。人は全てが平等だと創聖皇も言われています」
「だったら、どうしてです」
「与えられる畑は、人ひとりが耕せる広さを基準にしています。問題の根幹はここにもあります。人が増えていくと、新たな畑を作らなければなりません。その畑は誰が開墾するのでしょうか、開墾をして作物が実るまでの間、どうやって生活するのでしょうか。それまでの税は誰が払うのでしょうか」
「統制の、税は土地に掛かるという部分ね」
初めてフレアが呟くように言った。
「困窮する者は、ますます困窮していくだけです。不作になれば、それは広がっていくばかりです。我が子を餓死させるよりも、まだ奴隷でも生きさせたい親の思いもあります」
「国が、それをすれば売られずに済むの」
フレアが再び呟く。
「問題の一つでしかありません。他にも、彼らがいなければ成り立たないものもありますし、社会の中にも組み込まれています」
「でも、それを何とかするのが印綬の人たちだよね」
セリがガイアスに目を向けた。
ガイアスが目を逸らし、アメリアが顔を上げる。
「いい、これはこの国の問題だけでもないの。人の売買は商業としても成立しているし、公貴も彼らがいないと家の維持が出来ないわ。いくら私たちが言っても公貴が納得しないし、反乱もあるくらいに微妙な問題なの」
諭すような言葉に、セリたちの顔が曇る。しかし、アメリアのその諭すような柔らかい口調も、緊張の裏返しだ。
「公貴の納得というのが分からない」
沈黙を置いて、フレアが口を開いた。その声に怒りが滲み出ている。
「ぼくがフレイド名乗ったのは、公貴を刺したからだ。その為にぼくは追われて先師に助けて貰った。でも、ぼくが刺したのはアリスアが、友人が、身体を売らないという理由だけで殺されたからだ。ぼくには、納得できない。公貴よりもぼくの方が納得できない」
ガイアスたちも、セリたちも初めて聞いたのだろう。皆が言葉をなくしてフレアを見る。
なんと声を掛けていいのかも分からないのだ。
フレアは燃えるような目をテーブルに向けたまま。
これ以上は、いくら話しても答えは出ない。
しかし、問題提起が出来たのはいいことだ。セリやマデリもより深く学び、考えていけるはずだ。
「これは、全員の宿題にしましょう。アメリア様たちに任せるのだけでなく、セリくんやマデリさんも自分なりに考えるのです」
「はい」
返事の声は小さい。
「それよりも、明後日には王都に入ります。王都に入れば、アメリア様にもガイアス様にも、そしてフレア様にも会えなくなります。今日は一緒に居られる時間を大切にしませんか」
「そうだな。俺もこれについては納得がいかないこともある。俺も俺なりに考える、セリ、セリも考えろ」
「分かった。兄ちゃん。おいらも考える」
セリの言葉を合図に、再び皆がカップを持った。
いつの間にか食堂には客が入っており、周囲の席を空けたまま遠巻きに座っている。
印綬の継承者に興味はあるが、さすがにこの威圧感では近寄ってこられないのだろう。
「ところで、先師。明日は領境のマルダム関まで行くのですよね。そこから先はどうなるのですか」
アメリアの口調から緊張感が消える。
「王都側には、王宮の迎えが来ているはずです。そこから皆さんは王宮へと急ぐことになります。僕たちは領境で馬車を返し、駅馬車で王都に入ります」
「あの馬車を使わないのですか」
「馬車はあなた方、印綬の継承者が乗るために用意されたもので、僕たちが使うものではありません」
「ですが、先師は私たちの賓客です。バルクス公領主もそれはご存じのはずですわ」
「ありがたいことです。しかし、あの馬車に乗って行けば、僕たちはいらぬ誤解を受けてしまいます。僕たちは大丈夫ですので、ご心配には及びません」
「俺たちに取り入って、王都に乗り込む傲慢な他国の者。そう見られるのですね」
納得したようにガイアスがカップを口に運ぶ。
「おかしな話ですよね」
セリが頷き、マデリは空いたカップに葡萄酒を注ぐ。
張り詰めていた空気が和らいだ頃、
「先師、話がある」
小声で言ってきたのは、フレアだ。
「どうかしましたか」
「大事な話だ。ここでは出来ない」
そう言うフレアの目の動きから、アメリアたちには聞かれたくない話だというのが分かった。
それにしても、いつもに増して思いつめた目だ。どうしたのだろうか。
「分かりました。では、食事の後で僕たちの部屋へ来なさい。そこで話をお聞きしましょう」
小さな声で答えると、僕は何事もなかったようにカップに手を伸ばした。
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