印綬の継承
二日後には、突き抜けるような鋭い痛みは引いていた。
鈍く重い痛みが残っているだけだ。
先師がぼくの膝を見ると、膝を固定していた木を外す。圧迫感が消え、僅かに痛みも和らいだように感じる。
「さすが、ルクスが強いですね。治りが早いです。ゆっくりですが、曲げられられますから。馬車に乗る準備をしましょうか」
強くなんかないさ。
ぼくのルクスは簡単にガイアスのルクスに破られたんだ。印綬の継承者だから当然だというけれど、そんなことは慰めにもならない。
それでも先師の言葉に、ぼくはベッドから足を下ろした。
立ち上がると鈍い痛みと痺れる感覚がある。
セリが自然と支えてくれた。いい所もあるじゃない。
「今日の向かう街道駅には、お風呂があるんだって」
マデリが耳打ちしてきた。
お風呂か。濡らした布で身体を拭いていたばかりだった。マデリの嬉しそうな声も分かる。今晩はゆっくりできるんだ。
「大陸には泳げるくらいのお風呂もあるらしいな」
セリの声も嬉しそうだ。でも、そんなものはあるはずがない。セリが騙そうとしているんだ。
「そんなお風呂に入りたいな」
話に乗ってあげるように言うと、足を踏み出す。
痛みと痺れに思うように進めず、苛立ちと情けなさが渦巻くようだ。
支えられながら苦労をして階段を降りると、入り口に付けられた馬車が見える。
食堂を抜けるだけだが、それが遠い。
「フレイドさん。これを使いなさい」
先師がローブをはぐり、腰に止めた杖を出した。
村で賊を撃退した時に使っていた杖だ。
「大事なものでしょ」
「大事ではありません、必要だったからです。今、この杖が必要なのはフレイドさんのようです」
「ありがと」
差し出さられた杖を持つ。
その瞬間だった。
杖から迸る熱さが身体中を駆け抜けていく。
何、何この感覚。
全身の細胞が焼かれるような痛み、同時に溢れるような力が噴出してくる。
不意に理解が出来た。
杖が印綬に変わり、ぼくはその印綬に選ばれたのだ。
突然に傷みが消え、抑えきれないほどの力が溢れ出すようだ。
この力がぼくのルクス。
今までとは比べ物にならないほどのルクスが全身を包んでいるのが分る。
この解放感は初めての感覚だ。
膝の痛みもいつの間にか消えている。
周囲を見た。初めて見るような景色と錯覚をするかのようだ。
マデリとセリが驚いた顔で離れている。奥にいた宿の者も怯えたように隠れる。
先師は。先師は後ろで片膝を付き、胸に手を当てて礼を示していた。
この杖が。
杖は大振りの剣に変わっている。重さも杖の倍以上だ。
この剣が、ぼくの印綬。智の印綬。
「智の印綬の継承、お慶び申し上げます」
先師の言葉に、慌ててマデリとセリもその場に膝を付く。
そうか。ぼくは印綬の継承者に選ばれたのだ。ぼくは偉い人になったのだ。
「フレイドさん、印綬に選ばれたのか」
表からガイアスとアメリアが走り寄ってくる。
膨れ上がったぼくのこのルクスならば、もうガイアスにルクスを削られることもない。ぼくとガイアスたちは同等なのだ。
ぼくは剣となった印綬を見せた。
「おめでとう、フレイドさん。これで、全ての印綬が揃ったのね」
「だけど、フレイド。髪の色が赤くなっているぞ。染めていたのか」
ガイアスの言葉が終わらないうちに、
「この時を持って、あなたの籍は王国から消え天に移りました。今後、あなたを裁けるのは創聖皇のみとなられます」
先師が声が重なる。
「もう、フレイドの名を語る必要は御座いません。フレア様の名前が天籍に記されましたのですから」
ぼくの名前が天籍に移った。
ぼくは、誰からも追われることもなく、この瞬間から歳も取らなくなったのだ。
ぼくは、この国に必要とされる人間になったのだ。
「フレア様、それでは王都に急ぎましょう。皆さんがお待ちです」
先師が立ち上がり、ぼくを馬車へと導く。
座る席は先師の隣ではなく、アメリアの隣だ。印綬の継承者が三人並ぶことになる。
「なぜか、ここに三人も印綬の方々が並ぶことになりましたね。皆さんはこの後のことを知っておられますか」
馬車が動き出すと、先師が顔を上げた。
「王の選出ですか」
答えたのは、アメリアだ。
「早馬が、王都に最後の継承者の現出を伝えるはずだから、領境には他の二人も迎えに来ているはずだ。俺たちはそこで互いの印綬を合わせて、王を選ぶ」
「そうですね。合わされた印綬は互いの素養とルクスを知り、一つを残して弾かれます。残った一つを持つ者が王となり、国中に知らせるために空に彩雲が走ります」
「天を走る彩雲。俺も昔に見た。心が沸き立ったのを覚えている」
「そうね。あの時は嬉しかったわ」
「今度は、皆さんがそれを与えます。では、その後には行うことは知っていますか」
「王宮の解放ですね」
アメリアが言うの聞きながら、分かった。先師はぼくにこれからの流れを教えているのだ。
「はい。王が閉鎖された王宮の門に触れれば、王宮は全ての封印が解除されます。皆さんはそのまま王宮に入り、謁見の間に進みます」
「謁見の間、そのまま創聖皇から王権の移譲を受けるのではないのですか」
ガイアスが尋ねる。
「いえ、王権の移譲は中つ国で行われます。中つ国に向かうには、王宮の一番奥にある大聖門から入らなければなりません」
「中つ国に飛ぶ、転移門と言う門ですね」
「そうです。皆さんが揃って向かう門ですが、そこに入るには中つ国からエルフの迎えがなければなりません。普通はそれまでに一日、二日の余裕があります」
「その間に、謁見ですか。誰を謁見するのです」
「まずは、王不在の間に国の運営をしてきた臨時王宮の官吏たちです。その後に、王宮を離れていた官吏たちも戻ってきますので、その代表者と謁見し、近衛騎士団の謁見と続きます」
「なんか、大変そうだな」
ガイアスが面倒臭そうに言う。
「その後は各守護地の公領主、地方公貴、そして商業ギルドの使者と謁見していきます」
「そんなにあるのですか」
「はい。謁見の後は夜会も催されます。通常はこの謁見だけで、一月は掛かるものです」
「では、王権の移譲を受けた後も、謁見が続くのですか」
「はい。その間にも皆さんは国の方針を定め、即位式に合わせて発布しなければなりません」
「ですが、王権の移譲が即位式になるのではないのですか」。
そのことは知らないのか、アメリアたちが身を乗り出す。
「王権移譲は、創聖皇が王を認めることになります。即位式はそれを他国に知らせる式典になります。即位式には全ての国の王宮に招待状が送られるのです」
「全ての国か。では、全国の王が集まるのですね」
嬉しそうに言うガイアスに、先師が首を振った。
何、違うの。
「中には、王が不在の国もあります。その国は臨時王宮から代表団が出ます。また、国によっては種の格を重んじる所もあります」
「種の格。でも、創聖皇は上下がないと言っていたのでしょ」
思わず声に出た。
王様とは立派な人だ。そんな偉い人が人種の上下なんて言うはずがない。
ぼくの言葉に、先師が困ったように笑う。
「それでも、種の格を重んじる国は多いです。例えば僕の生まれたウラノス王国は、エルミの民が一番上だと思い込んでいます。その為に王は動かず、人種によって派遣する政務官の役職も定めがあります」
「それを聞いてもいいですか」
アメリアも驚いているようだ。
「彼らの信じる格は、エルミ、エルナ、エルス、エルム、そしてエルグです。人種巌のエルナには印綬の継承者、人種獣のエルスには外務大司長、人種人のエルナには外務司長が赴き、エルグには外務司が派遣されます」
「何が国の格だよ」
ガイアスが吐き捨てるように言う。
「では、王は来ないのですか」
「エルグの国に、他国の王が来たとの記録はありません」
「じゃあ、他の国から俺たちに招待状が来た時はどうなのだ」
「行かなければなりません。王が動かなくても印綬の継承者が行かなければ、交易は止められます」
「あの、先師」
声を上げたのマデリだ。
「交易は商業ギルドが行うのであって、国が行うのではないのではないですか」
そうだ。先師の講義で、商業ギルドは不足する物を均等に分配するために、作られたギルド言っていた。
交易の主体は、ギルドのはずだ。
「国は、商業ギルドに対して特定の国との交易を拒む権利も持っています。商業ギルドはそれに従う義務があります」
「では、俺たちも」
ガイアスの言葉が止まった。
「交易に出すものがないのよね」
後を引き継いだのはアメリアだ。
「それは違う。服を作って他国に売っていた」
ぼくは叫ぶように言う。
あれだけ苦労して作った服は、交易品だったはずだ。
「服は他国でも作れます。止められても困ることはありません」
困ることがない。では、ぼくたちは何のために服を作っていたのだ。
「残念ながら、この国に価値を見出す王国はありません」
「では、先師。この国が見くびられないようにするには、どうすればいいのですか」
セリが初めて口を開いた。
「簡単です。強国になることです。強国とは、治世が長いことです。では、ガイアスさん。治世を長くするには、どうすればいいでしょうか」
不意にガイアスが尋ねられた。
「廃位されないようにする」
「そうですね。ではアメリアさん、廃位されないようにするにはどうすればいいですか」
「警鐘雲を出させない。民のことをしっかりと守り、住み易くすることです」
「そうです、民は国の源です。では、フレアさん」
身構えるぼくに先師の目が向けられた。
「民を安心して住めるようにはするには、どうすればいいですか」
待て、その問いは難しくないか。ガイアスとアメリアに聞いたのは違い過ぎる。
民を安心させる。税を軽くする。いや、税だけか。
ぼくが安心して生活できなかったのは何だろう。
横暴な公貴の存在に踏みつけられる平民。
「法。公平で厳格な法」
呟いた。習っていたことが思い浮かんだのだ。
「よく理解出来ていましたね」
先師が微笑んだ。
「国を網羅する法です。それによって民を護り、領地の格差をなくします」
やはり、誉められるのは気持ちがいい。
「それでは、その法を作り、施行するための国体について学んでいきましょうか」
先師の微笑は変わらないが、ぼくの疲れだけが増したように感じるのは、なぜだろうか。
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