休養
目を開けると太い梁と天井が見えた。
「フレイドさん起きましたか」
マデリの声。ここが宿だと理解するのに、しばらく時間が掛かった。
そうだ。さっきまで夜会というものに参加していたのだ。
「どうしてここに、帰っているの」
起こそうとした身体が止められた。
「駄目よ、フレイドさん。あなた、足を怪我したのよ」
アメリアが身体を抑えるようにのぞき込む。
足を怪我。そうだ、隣で踊っていたガイアスにぶつかったのだ。
その時のことが、ゆっくりと思い返されていく。
アメリアだ。あの時、アメリアと先師の姿を見たのだ。重なる二人の姿を見たのだ。
頭に血が上ったのは覚えている、ガイアスにぶつかったのも覚えている。
けれど、その後の記憶はない。
「フレイドさん、起きましたか」
遠く、先師の声が聞こえた。
反射的に、ぼくは毛布を頭から被った。
「どうしたの、フレイドさん。先師が来て下さったわよ」
「足が痛いのですよ。きっと」
アメリアの声にマデリが応える。違う、なんか変なんだ。ぼくは先師に何かをしたのではないのだろうか。
「起きていますか、フレイドさん」
先師の声が落ちてきた。
「起きてる」
思い出せ、思い出せ。昨日はあれから何があった。
「フレイドさん、気が付いたって」
響いて来たのはガイアスの声だ。
とにかく起き上がろう。普段通りにすればいいのだ。
身体を起こそうとした時、左膝に激痛が走った。足を怪我した、このことだ。
「動いてはいけません。膝を痛めていますから、少し休んでください」
「悪い。俺が怪我させてしまった」
毛布から顔を出すぼくに、ガイアスが頭を下げる。
「以前におれが足を蹴っただろう。同じ場所を倒れた時に踏んでしまったんだ」
あぁ、確かに最初に出会った時に蹴られた場所だ。あの後も痛かったけれど、それもだいぶ収まっていたのに。
「フレイドさん。最初に怪我をした時になぜ言わなかったのですか」
先師の声は少し怒っている。
「大丈夫だと思った」
「その時に治していれば、ここまでの怪我にはなりませんでしたよ」
「大丈夫だと思った」
横を向く。
そう言うしかなかった。ぼくのルクスが破られたのだ。このぼくのルクスが。
言えるわけがないじゃないか。ぼくはマデリのように頭がよくはない。ぼくはセリのように真面目で真直ぐでもない。
ぼくにはルクスしかないんだ。
言えるわけないじゃないか。
「いいですか、フレイドさん。我慢強いのはいいことですが、自分の身体を大事にしなさい。あなたも、これから人の為に役立つ唯一無二の人になるのですから」
優しい声が落ちてくる。
何だよ、そんなことを言われたら、頷くしかないじゃないか。
「怪我をした膝は固定して、聖符を張っています。明日には痛みも退いてきますから、今日はゆっくりと休んでください」
今日はゆっくりと休む、それはだめだ。ぼくのせいで、みんなに迷惑を掛けられない。
「でも、王都に急がないといけないでしょ」
「あの馬車でも、フレイドさんの足を伸ばして休むことは出来ません。それよりも今日は一日休んだ方がいいです」
「でも――」
「ガイアス様とアメリア様が市井の様子を見たいと言うので、この機会に見せることにしますから、気に掛けることはありません」
「そうよ、フレイドさん。私たちは民の暮らしが分かっていないわ。見て回って先師に説明をして貰うのよ」
アメリアが横で言う。
何だろう。この胸の波立つ感覚は。
「とにかく、今日はゆっくりと休みなさい。マデリさん、セリくん、フレイドさんが無理をしないように見てて上げて下さい」
先師が優しい声で言うと、背を向けた。
追いかけるように無意識に伸びる手の前に、セリが立つ。
「フレイドは昨日、飲みすぎだよ。だからダンスの途中で足がもつれるんだ」
何よ、偉そうに。
「あんたのリードが下手だったんじゃないの」
再び横を向いた視線の先に、壁に掛けられた紅いドレスが見えた。
肩に掛けられた純白のショールが映え、自分で作ったとは思えないほどの華やかな衣装だ。
そう、ぼくはこれを着て踊ったんだ。
「でも、あの葡萄のお酒。おいしかったね」
「うん。町で飲んだのとは全然違った」
あの葡萄のお酒の味も蘇ってきた。
「だから、フレイドは飲み過ぎだって。アメリアさんもそんなには飲んでいなかっただろう」
なによ、アメリア、アメリアって。
「ぼくは、あの人は嫌いだ」
「そんなのは知っているよ。先師も嫌いなんだろ」
セリの言葉に、マデリが慌てたようにその袖を引っ張る。
先師も嫌い。どういうこと。
不意に思い出す。
ガイアスに踏まれ、動けなかったぼくを背負ってくれたのは先師だった。
そうだ、ぼくはその首を絞めるようにしがみついて何かを言った。
「小さな声だったから、他には聞こえていないから」
取り繕うようなマデリの言葉に、はっきりと思い出す。
先師が最初に踊るのはぼくだろ。アメリアとは駄目だ。そう言った。
顔が熱くなり、反射的に毛布に潜る。
それをきっかけに次々と思い出してきた。
あの時は先師にくっつくアメリアを引き離そうと、ぼくは駆け寄ろうとしたんだ。しかし、足がもつれて。
あぁ、恥ずかしさに考えるのも嫌になる。
「でも、うちもアメリアさんのあの様子は嫌だったです」
聞こえて来たのは、マデリの呟く声だ。
「楽隊の音が大きかったから、アメリアさんが先師に顔を近づけただけなのは分かるけれど、それでも何か嫌だった」
「そうだな。やっぱり公貴様とは何か感覚が違うんだよな」
セリも相槌を打つように言う。
そう、そうなんだ。ぼくが言いたいのは、そういう事なんだ。先師がどうとかじゃないんだ。
「だから、フレイドさんの気持ちも分かるのよ」
マデリのその言葉に、ぼくは身体を起こした。
「そう、先師はぼくたち平民の先師だったんだ」
「そうだな。おいらたち平民を教示してくれるなんて、先師は凄い賢者様だよ」
セリが大きく頷く。
「あんた、最初から先師のことばかり聞いて来たものね」
「おいらは、あんな人は初めてだった」
セリの声が深いものに変わった。
「最初に会った時、頭に血の昇ったおいらを触れただけで動けなくしたんだ。あの村ではルクスが自慢のおいらを触れただけでだぞ。地面に膝を付いた時に、同じように倒れたフレイドも見えたんだ」
セリが大きく息を付いて続ける。
「先師は、自分の修士と初めて会ったばかりのおいらを同じ罰にされたんだ。それは、公平に物事を見、同じ人として中身を見てくれている証なのだろ。動けなくても、おいらの心は震えたよ」
「そうね。先師は公平で、それでもけじめはしっかりと付けてくれている方よね」
マデリも息を付く。
「最初に質問をした時に、修士はフレイドさんだから質問は後にするように言われたわ。修士とそれ以外を区分されていると思ったんだけど、後で気が付いたの。先師は修士でないうちの質問にも答えてくれるのだと」
「そうなんだ。賢者様が平民のおいらの問いにも答えてくれたんだ。それに長老から聞いたけど、おいらの考えは真っ直ぐで間違えていないと言われたんだ。変に型にはめて歪にしたら駄目だと言われたんだ」
セリが目を輝かしている。
何だよ。元はぼくの先師だったのに。
「でも一番驚いたのは、王都に行けることよね。うちは村を出られるとも思っていなかったわ」
「そうだよな。今のここも領境を越えているんだからな」
「村を出るのは、凄いことなの」
思わず尋ねた。確かにぼくもあの港町を出ることは考えたこともなかった。でも、出るのはそんなに凄いことなの。
「何を言っているの。住民は公領主の持ち物で、住む所は決められるのよ。勝手に動けるわけがないわ」
驚いたような声だ。
そういえば、ぼくの靴も工場から離れると締め付けられるようになっていた。居場所が分かる服を着せられていた。
ぼくが工場から逃げ出さないように。ぼくが工場の所有物だから。
そのぼくを導いて自由にしてくれたのは、アムル。ぼくの先師だ。
二人の話を聞くたびに、アムルの凄さが分かり、自らの幸運が身に染みた。
そうだ、ぼくは。
後に続く言葉を呑み込んだ。
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