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馬車での講義

 

「何、あれ。こんなに深い講義、上級学院でもなかったわよ」


 お茶を口に運ぶ。

 口に広がる甘さが、頭の疲れを流してくれるようだ。


「アメリアはまだいい。これまで積み上げたものがあるからな。俺は教えられる知識に溺れそうだ」


 ガイアスも背もたれに身体を深く預けている。


「美味しい、こんな甘いお茶は初めて」


 その横で、マデリが嬉しそうに言い、セリとフレイドが頷いている。

 何で、そんなに元気なの。


「あなたたちは、ずっとあの講義を受けていたの」


 そういえば、フレイドはふらふらになってベッドに戻って来たことがあった。


「だけど、今日の法律の話は今まで一番難しかった」


 フレイドがカップを置いて息を付いた。

 冗談でしょ。まだ、文字の勉強をしている最中の平民が、あんなことを習っていたの。


「それで、あなたたちは学んでどうするの。フレイドさんは人を助けたいと言っていたわね」

「おいらは、それを知るために学んでいます。先師には、ガイアス様を規範にしなさいと言われました」

「俺も言われたよ。セリは俺と同じ真っ直ぐな心を持っているから、迷えばセリを見なさいと。だけど、セリ。歳は確かに俺が少し上だが、同じ修士だ。様はいらないよ」


 ガイアスが笑う。


「いえ、印綬の継承様だから」

「関係ないだろ。俺のことはガイアスでいいさ」


 本当に驚くことばかり。私はガイアがここまで度量が広いとは思わなかった。同じ印綬の継承者として出会った時は、気の短い乱暴な男だと思った。

 それが、先師に出会ってから急に変わったのだ。

 いえ、これが本当の彼の姿だったのだろう。そうでなければ、印綬が選ぶわけがない。


「そうね。私のこともアメリアでいいわ」


 その視線をマデリに移す。

 まだ十六の子供だ。しかし、先師はこの子に才を見出している。そして、その意味は私にも分かった。

 この子は頭がいい。それも私の知っている賢いレベルではない。聞いたことを理解し、応用する。知識の吸収が早いのだ。

 この歳で、そして、習い始めて三月でこれならば、この子も底が計り知れない。


「あなたは、どうしたいの」

「うちも、分かりません。ただ、みんなの力になれて嬉しかったです。そして、賢者様の、先師の凄さを間近で見て、こんな人になりたいと思いました」

「マデリさんも敬語はいいわよ。だけど、先師は凄い人ね」

「はい。賢者様というのは、あんな方なのですね」

「違うわ。他の賢者は、傲慢で人を小馬鹿にするような人が多いわ。税の話だって、あんなに分かりやすくはしないと思うわよ」


 上級学院の賢者を思い出しても、あんな方はいなかった。

 十歳から賢者の元で五年間も学べば、あれだけの知識が得られるのだろうか。いや、すぐ側にある死が、集中させていたのだろう。先師の瞳の奥、吸い込まれそうな闇。あれがその世界を教えていた。


「そういえば、私が言おうとしていたことを、先師は止められたわ。それは、創聖皇との約束になるからと。私が何を言おうとしていたのか、分かっていたのかしら」

「分かっていた」


 思い出し、何気なく口にした言葉に即答したのは、フレイドだ。


「どういうこと」

「先師は、分かっていた。だから、言わせなかった」


 何、何を言っているの、フレイドは。この子も私の言わんとしたことが分ったっていうの。


「口にすれば、創聖皇との約束になるかもしれないから言えないけど、それは間違いだと先師は言っていたの」

「ちょっと、フレイドさん。あなたは何かを知っているの」

「ぼくも先師との約束があるから言えない。最初、ぼくもあなたたちに腹が立った。だけど、今は少し分かる気がする」


 腹が立ったって、分かる気がするって、どういうことなの。

 そういえば、私たちを修士にする前、先師は少し苦しそうな表情を見せた。


「まだ、二人には道筋が見えていないと言っていた。辿り着けていないと言っていた。それが、本当の答え」

「先師は、答えが見えているの。そこに行く道が見えているの」

「見えている。だけど、それは言えない。ぼくにだけ伝えると先師が言ったから、教えられない。だけど、先師は二人に約束をしたと言っていたのだから後は任せればいい」


 先師は、あの時の話だけで答えを見出し、そこに至る道も見付けたというの。その道は私の考えた道ではなかったの。

 分からない。私にはそこまでの考えが及ばない。

 フレイドさんの口振りならば、先師に聞いても教えてはくれないだろう。

 何、なんて賢者なの。


「任せるか。印綬の継承だと胸を張っても、先師の前ではただの修士だな。俺はあんな凄い人は見たことねぇよ。それが同い年くらいときたもんだ」

「王都にもいないのですか」

「いねぇな。マデリも王都に来れば分るさ」


 ガイアは大きく息を付いて続ける。


「でも、先師は本を出したけどそれを開くことはなかったな。まだ、本を開くまで俺たちが辿り着いていないのかな」

「そうなのでしょうね。それで、先師はどこに行かれたの」

「先師は、水晶インクを買いに行きました。手持ちが少なったからと言っていました」


 そう、聖符まで描けるのだ。新たな聖符を作れるくらいに精通しているのだ。考えるのもバカらしくなってくるほどの方だ。


「午後からまた教えてくれると言っていたわね。それまでどうするの」


 口にした時、食堂に入ってきた先師が見えた。

 黒いローブを広げているが、ルクスの威圧感はない。知らない者が見れば、若い賢者だなで終わるほどだ。

 この食堂にいる誰もこの賢者様の凄さに気が付かないのだ。


「ゆっくり休めましたか」


 歩み寄った先師は、穏やかな声で言う。


「先師、どうして講義は午後からなのですか」


 マデリが尋ねる。


「皆さんの集中が途切れましたからね。ただ、統制の法は全ての根幹に関わってきます。午後からは概略だけはしておきましょう」

「概略というのは」

「税と国体に関わるところだけです。その後に国体を学べば、大まかなこの国の現況が理解出来るはずです」

「国体を学ぶのに、どのくらい掛かるのですか」


 七日後には王都に入るのだ。王都に入ればある程度の知識が必要になる。それまでにどこまで進めるのか。


「明日の午前まで法の概論を学び、午後から国体を学びます。明後日には一通りの知識が付くようにします。その後は応用をしていきましょう」

「明後日まで、そんなに早く分かるものなのですか」

「深く学べば無理ですね。ですが、僕の見る限りこの国の国体の在り方は複雑ではありません。一通りの学びで対応出来ます。後は必要に応じて学びましょう。皆さんもすぐに学びの思考になるので、安心して下さい」

「学びの思考とは、何ですか」

「学びの思考とは、通常は雑多に入る知識が結びつき、整理され、形作って思考されることです。理解が早まり、無制限に知識が繋がります。これは学びの深さと時間に応じて勝手に身に付きます」

「それで国体が分るのですか」


 私の問いに、先師が困った顔をする。


「これはあくまでも現状の国体の学びです。本当に学ぶのは、向かうべき国体の姿です。それは簡単なものではありません。統制、農林業に経済、治水に街道全てが関わってきます。本当に理解するのに、僕は一年掛かりました」


 先師の言葉に、力が抜ける。

 先師が一年で学べる方がおかしいのだ。今のものを学ぶならば何年掛かるか分からない。


「大丈夫です。皆さんにはこれも概略だけ教えます。もちろん概略と言っても各大司長に指示できる知識は与えますから、細かなことは王宮官吏に任せておけばいいのです」


 簡単に言っている。しかし、それでも納得できるのはなぜだろう。

 先師が言うと、そうなると思える。いえ、先師は口に出して創聖皇とも約束されたのだ。確信があるのだろう。

 しかし、その午後からの講義は一変した。


 その馬車での講義については語りたくはない。言えるのは、頭をフルに回転させることがこんなにも身体を疲労をさせるのかと、初めて知ったことだった。

 あの時のフレイドさんの気持ちが分かった。


 講義終了と同時に思考力はなくなり、馬車の座席から動くことも出来ない。休憩の時間は眠ってしまい、うなされるように講義の内容が駆け巡る。

 先師の言った学びの思考がわずかに分かったのは、二日目の昼休憩だった。


 疲労困憊したが、それでも街道駅の食堂に辿り着いた。

 フレイドやマデリたちは、さすがに講義を続けていただけあってすでに順応している。

 印綬の継承者が、情けないがふらついているのだ。

 給仕に食事を頼むと、不意に入口が騒がしくなった。


「守護領地近衛騎士団である。印綬の継承者様へ所要あって参上した」


 甲高い声が響く。

 この疲れている時に、面倒くさい来客だ。

 その私の元に駆け寄って来たのは、近北守護領主の紋章の入った気障なケープを身に付けた騎士だ。


「信の印綬、ガイアス様。仁の印綬、アメリア様とお見受けいたします」


 騎士が優雅に片膝を付く。

 あぁ、この勿体を付けた所作をする騎士は、経験上ろくな騎士じゃない。


「どうかしたのか」


 ガイアスの言葉も素っ気ない。


「近北守護領地、エム・マクシス公領主様のお言葉をお伝えに参りました。歓迎の宴の準備が出来ておりますので、ぜひお立ち寄りをとのことでございます」

「立ち寄れか。俺の仲間もいるが」

「ぜひ、ご一緒にどうぞ。公領主共々、歓迎致します」


 今度は大きな所作で一礼すると背を向ける。

 その背にガイアスが舌打ちした。


「ガイアスさん、あれは行けないといけないのですか」


 セリが小声で訊く。


「仕方がないのよ。公領主と言えば、有力公貴。今後の付き合いもあるから顔を出さないわけにはいかないの」

「それでは、うちたちは宿で待っています」

「それも、そういうわけにはいかないの。一緒にいて参加できないのは従者だけだわ。同行する他の者が行かないのは、欠礼になってしまうのよ」

「そう。お前とは付き合う気がないという意味になっちまう」

「仕方がありませんね」


 意味を知っている先師が言う。初めて聞く憂鬱そうな声だ。


「それでは、午後からの講義は早めに切り上げましょう」


 その言葉に、招待されるのもいいなと思える自分がいた。

 とにかく、眠りたい。

 これだけ集中したのは、上級学院でもなかった。


 印綬の継承者だから絶対に口には出来ないけれど、叫びたいくらいだ。

 本当は食事なんていいから、寝させてよ。


読んで頂きありがとうございます。

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