フレアとの約束
セラの馬車を見送り、僕は大きく息を付いた。
ガイアスとアメリアは、バルクスと一緒にケルミに向かった。馬車と食事を買いに行くそうだ。
この後、マデリは最後に家族と過ごし、セリは荷造りをするという。
僕は広場にその足を向けた。
「ねぇ、見た。先師、あれが真獣だったの」
フレアが駆け寄って来た。
「馬よりも大きくて、角があったわよ。色も青いのと赤いの、綺麗だったわ」
「そうですね。色と角が真獣の特徴になります。妖がルクスに変容する時に現れ、真化と呼ばれています」
「真化。でも、セラにはそんな変化はなかったわね」
「痣がわずかに青みがかったくらいですか」
「そうなの、気が付かなかった。でも、どうして真獣は町に入らなかったのかしらね。町に居ればもっとゆっくり見られたのに」
「真獣は家畜ではありません。パートナーになります。小さな町には家畜小屋はあっても真獣の厩はありません。それならば、町の外にいさせた方がいいでしょう」
「逃げたりはしないのね。先師は真獣は持っていないの」
「真獣が持てるのは、一頭だけになります。僕はまだ背に乗りたいそれに会っていません」
「ぼくも真獣を持てるかな」
「フレアさんのルクスは強い。ルクスを清浄に保てば、いいパートナーに出会えます」
「分かったわ。心に向き合うのね」
フレアの声を側に聞きながら、僕は広場に入った。
「それで、セラは王都には来ないの」
「呼びますよ。でも、その前に傷を治さなければならないですし、ルクスの安定も待ちたいので、十七になる来年以降ですね」
「十七か。でも、マデリちゃんもまだ十六でしょ」
「マデリさんは、ここに居れば生活に追われ、その才を潰してしまいます。環境を与えなければいけません」
「マデリちゃんを随分と買っているのね」
フレアが楽しそうに顔を押せてくる。
「あの子には賢さと探求心があります。ですが、ルクスはそこまで強くはありません。ルクスの強弱で仕事が決められてしまうのならば、その賢さを生かすことなく埋もれてしまいます」
「それだけなの」
「当たり前です。それよりも、フレアさんは楽しそうですね」
僕は広場の隅にある倒木に腰を下ろした。
「それは楽しいわよ。だって、世界がこんなにも変わったのよ。ぼくはこの前まで縫製工場の泥沼にいたのよ」
「そうですね。僕自身このラルク国に来て十日も経っていません。ですが、激動というのがふさわしいほどの日々でした」
「だから、ぼくは先師に感謝をしている。ぼくを助けてくれた先師に。ぼくの先師は、本当にすごい先師なんだ」
フレアが隣に腰を下ろし、再びその顔を近づける。
「なにせ、印綬の継承者が二人も、修士になりたいと願ってくるほどの先師なんだ」
「そのことです。フレアさん、あなたにだけは伝えておきます」
僕もフレアの目を見る。
「僕があのお二方の先師になる以上、補佐をする以上、僕はこの国を救わなければなりません。救うということは――」
「それは、この前に話した水の流れのこと。水を汚す流れなら、一度壊して新しくする。そのことなの」
言葉を遮って、フレアが言う。
顔を離すその目に、戸惑ったような色が浮かんだ。
やはり、彼女は本質を理解している。
「そうです。壊さなければ、新しいものは出来ません。そして、それを壊しても最小の争いで治めることが出来るのは、僕だけです」
「先師、それは印綬の人たちの仕事よ。先師はそのやり方を教えるだけよ」
「いえ、彼らが行えば大きな内乱になります。この国は沈んでしまいます。これが出来るのは、エルグではない僕だけです」
「そんな。それでは、印綬の人はそれをさせるためにアムルを先師にしたの」
フレアの目が燃えるような輝きを見せた。
「いえ、彼らはその道筋がまだ見えていません。まだ、そこに辿り着けてはいません」
「だったら何で。どうして受けたの。それはぼくたちの為なの」
「違います。アメリア様とガイアス様が覚悟を示されたからです。この国を良くしたいと覚悟を決め、頼みに来られたからです」
「そんな、それは断るべきよ」
「いえ、僕も同じ気持ちになりました。僕はこの国が好きになりました。フレアさんを初め、マデリさんやセリくん、他の皆さんにルクスだけでなく、能力も評価される国にしたいと思います」
「じゃあ、ぼくたちはどうすればいいのよ」
その瞳の炎は、挑むように激しさを増した。
「皆さんは、上級学院に行きなさい。僕はフレアさん、マデリさん、セリくんを上級学院に進めたいと考えています」
「どうして、先師が最後まで教えてくれないの」
フレアの手が僕の肩を掴んだ。
「上級学院は権威でもあります。その権威も身に纏いなさい。フレアさんたちはその才があります」
違う、才だけではない。このフレアは、別格だ。
僕は肩を掴んだフレアの手に、僕の手を重ねる。
「言葉を改めましょう。フレアさんは違います。あなたには強いルクスがあります。あなたには学ぶ力があります。あなたには人を思いやる心があります。フレアさんは表に立つべき人です」
「何、急に」
「あなたの戸籍は印綬の継承者に頼みましょう。そして、上級学院に進みなさい。日の下を堂々と歩いていきなさい」
「最後みたいなことを言うのは駄目だ」
フレアの声も燃えるような激しさがあった。
「あの時もそうだった。イスバル街道駅での時、吾を助けてくれた時。吾の髪はその時のままだ。吾はアムルを信じると約束した。上級学院とかに行くことが吾の為になるというのならば、それを信じる。だけど、もう一つ約束が欲しい」
「何でしょうか」
「一人で勝手に消えるのは駄目。必ず、吾に声を掛けてからでないと駄目」
そう言うなり、僕の首元に抱き付いてきた。
「アムルは吾の翼竜で、命の恩人だ。勝手に消えるな」
以前に自分のことを吾と呼んでいたが、あえて今それを使うのは、その頃と変わらないと言いたいのだろう。
そう、僕はフレアに信じられていたのだ。
人に全幅の信頼を置かれることが、こんなにも心を奮い立たせ、心地いいものだとは知らなかった。
「分かりました。約束します」
「じゃあ、いいわ。ぼくはまだ、先師に何のお返しも出来ていない」
「いえ、僕に返す必要はありません」
立ち上がると、深く呼吸する。
「僕は、フレアさんという畑に一粒の小麦を蒔きました。その小麦はやがて多くの小麦を実らせます。フレアさんはそれ蒔いて下さい。いずれこの大地は、小麦の実りに金色に輝くはずです」
その足を進めた。
「この町ももう出ます。最後に工房を見に行きませんか。これも僕たちが残した小麦になります」
広場を西に出て、通りの奥にその工房はあった。入り口を多くの人が工事をしているのですぐに分かる。
「賢者様」
駆け寄って来たのはボルドスだ。
「こちらがお伺いしようとしていたところでした。遠隔書式でイゼル商会に連絡を入れたのです」
「そうですか、遠隔書式をお持ちだったのですね」
正直驚いた。
街道駅の商人でもない町の商人が、遠隔書式を持つのを聞いたことがない。ギルドからの絶対的な信頼と冨がなければ手には出来ない品だ。
「はい。それで、返信がありました。全て了承したと、それも送って来たのは統括マスターのマルス様からです」
「マルス・ハンクさんですか」
「ご存じなのですか」
「大陸を放浪した時に、一度お会いしました。僕のことを覚えていてくれたのですね」
「それで、商業ギルドの規約もご存じだったのですか。凄い方とお知り合いだったのですね。返信には預り金の送付先が分ったら連絡をするようにとの、一文もありました」
「分かりました。それで、工房はどうなのですか」
「だいぶ進みました。どうそ、見て下さい」
ボルドスに案内されながら、僕はフレアに目を向けた。
「遠隔書式というのは、分かりますか」
フレアが首を振る。
「遠隔書式は、使用者のルクスを込めた水晶が嵌め込まれたペンになります。二本以上を用意し、使用者がそのペンで書くと、遠くに置かれたもう一つのペンも動いて、同じものを書きます」
「ペンが勝手に動くの」
「はい。水晶に込められたルクスが反応をして同じ動きをするのです。各王都にも連絡所があり、一般の人でもその連絡所に行けば他の国に送ることが出来ます」
「その送った文はどうなるの。例えば他の国からぼくにも送ることが出来るの」
「出来ます。どの守護領地のどの町のフレイドさんと記せば、その場所の商業ギルドが送り届けます」
「そうなの、でも高いのでしょう」
「そうですね、文字一つが一ルピアは掛かります」
「そんなにするの」
「はい。いいですかフレイドさん。話の中で分からないことがあれば聞きなさい。聞くことで、あなたの知識は一つ重なります。そして、知っていることは伝えなさい。それが知識と経験を活かすことになります」
「でも、ぼくには活かせるものがない」
「いえ、ありますよ」
僕は工房の中で足を止めた。
「工房で働いたことのあるあなたなら、働きやすい工房、働くことが楽しくなる場所作りが教えられます。この工房はマデリさんの家族も働くのです。そういう場所にしてあげて下さい」
僕の言葉に、フレアが顔を輝かせて頷いた。
膝を抱えていた工房ではなく、拳を固めた工房でもない。フレアならばそれを考えられるはずだ。
「物を作るには、縫製と同じように集中力も必要です。働く時間、休憩、休みも考えてボルドスさんと話してください。お任せしますよ」
僕はボルドスに目を戻すと、
「フレイドさんの意向を出来る限り取り入れて下さい」
一礼する。
「承知しました。賢者様に信頼される工房に致します」
慌てたように、ボルドスが深く頭を下げた。
今までとは違う丁寧さだ。
これも、マスターであるマルスの名が出たからなのだろう。その丁寧さは僕との距離も表しているようだった。
読んで頂きありがとうございます。
面白ければ、☆☆☆☆☆。つまらなければ☆。付けて下さるようお願い致します。
これからの励みにもしますので、ブックマーク、感想なども下さればと願います。