襲撃
暗くなった空に幾つもの光球が浮き上がり、町を照らし出した。
マデリは柵から身を乗り出すように丘に目を向ける。
闇の中、人影が波のように動いているが、数も何も判別が出来ない。相手は光を出していないのだ。
「どうですか」
すぐ傍らに、賢者様の声が聞こえた。
「分かりません」
ここから光球を出しても、とても丘までは見通せない。
「先師、これじゃあ、何も見えないわよ」
フレイドさんの呆れたような声が聞こえた。
「見えなければ、見えるようにすればいいだけです」
賢者様の声と同時に周囲が真昼のように照らされる。光球、それもこんなに明るい。
思うと同時にその光球が走った。真直ぐにそれは丘の上に飛ぶと、明るく浮かび上がらせる。
「凄い」
思わず声に出た。
丘の上に並ぶ賊の数にではない。その光を生み出し、あまつさえ丘まで飛ばしたそのルクスへの感嘆だった。
こんな強い光を生み出すルクスは、公領主様でも出来ないのではないだろうか。そして、それをあんなにも遠くに飛ばすなんて。
でも、賢者様には、そこまでのルクスがあるようには見えなかった。
賢者様はルクスを抑えることが出来るのかもしれない。長老の言われた言葉を思い出す。
世の中には、本当に凄い人がいる。想像もしなかった凄い人がいる。
そこまで考えた時、
「こ、これ、五十や六十じゃきかないわよ」
フレイドさんの言葉に現実に戻った。
丘を埋め尽くした賊が、動き出す。
「百は、いそうだ」
セリの声も呟くように小さい。
「確かに、ここまでの数とは思わなかったですね」
言葉とは裏腹に、賢者様の声に動揺は見られない。いつもと同じ、柔らかな口調だ。
光に照らし出された中を圧倒的な数を誇るように、丘の上から整然と賊が下りだした。
「イズサさん、皆を配置に付けて下さい。フレイドさん、セリくんも所定の位置へ」
同時に皆が動き出す。
うちの持ち場はここだ。
堀を挟んだ対岸に、盾を持った衛士が並んでいく。確かに、これは賊とかいうものではない。妖獣を討伐に行く軍司直隷の衛士のようだ。
こんな整然とした衛士たちを撃退できるのだろうか。
「マデリさん。僕は突き当りの柵を下ろす準備をします。賊を迎え撃って、ここに逃げ込む人がいれば笛を一度吹いて下さい。門を開け放つようでしたら、僕からも見えますので構いません。賊の本隊は丘にいます。丘に動きがあれば、笛を二度鳴らしてください」
いつもの柔らかな賢者様の口調に、心が落ち着いてくる。
「分かりました」
言いながら、並ぶ賊からは目を離さないようにした。
彼らが二列になって、ゆっくりと橋を渡ってくる。橋の中央の守備隊が槍を構えた。
この状態では、長く持ちそうにもない。少しでも足止めをして、ここに逃げ帰ってくれればいい。同じこの小さな町に住んでいるのだから、皆の顔を見知っている。
正直嫌いな大人たちだけど、賊と一緒になって私たちを売り飛ばすような人たちではないはずだ。
そう、奴隷にされるという話は幼い時から聞いたとことはある。怖いと思ったけど、長老様の体験された話を聞いて、それはより強くなった。そんなことは嫌だ。
笛を持つ手が震える。
早く笛を吹かせて。
思うと同時に、守備隊が二手に分かれた。一組は防御柵を堀へ捨て、もう一組がゲートへと駆けよる。
笛を握り締めた。
彼らがゲートを大きく開いたのだ。
すぐに、橋へ押し出してきた盾を前にした重装の賊たちは、そのゲートを潜る。全身の力が抜けるようだ。
すぐ眼下のゲートを鎧に身を固めた賊たちが、家族を殺しに、自分や妹たちを攫いに来ている。
しかし、その恐怖も町を震わすような喊声と瞬く青い光に押し流される。
ルクスを削る青い光。柵の上段に並ぶ住民たちが叫びながら振り下ろす槍に、賊のルクスが削られていた。
狭い柵の中で身動きが出来ない彼らは、頭を護るように盾を差し上げるが、下段の建物の窓から繰り出される槍に撃たれ続けるしかない。
たちまちルクスを散らされ、賊が血を噴き上げだす。
この柵を図面というものを見て自分なりに考えたけれど、こんなに凄まじいものだとは思わなかった。
現に、眼下のゲートには賊たちが足を止めるしかない。侵入できる場所は限られているのだ。
一方的な展開に恐ろしくなる。町の皆を守るためとはいえ、同じエルグの人が撃ち付けられる槍に苦鳴を上げながら崩れていくのだ。
早く逃げて。
その思いに呼応するように、丘の上から光が走った。
それは、賢者様のような大きく輝くものではなく、小さな光だ。それが三つ、こちらに向かって走り、消えていく。
わずかに遅れて重装の賊が後ろに退き始めた。
声も立てず、統制された動きに見える。
うちも同時に笛を吹いた。甲高く鋭い音が周囲を斬り裂くようだ。二度それを吹くと、合わせるようにゲートの中に入っていた重装の賊も退きだす。
彼らは倒れた仲間を引きずりながらも、整然と動いていた。
柵の中の石畳には、血の跡が残るだけだ。
一瞬の間を置いて、鋭い奇声が上がった。柵の上段にいる住民が大きく手を振り上げる。それに触発されたように、皆が拳を、槍を振り上げて声を張り上げた。
その気勢は、人のものではない。まるで妖獣の咆哮のように周囲を震わせる。耳を負いたくなる、恐ろしさだ。
そして、それは同時にうちの心に奥を熱くたぎらせる。奥に潜む何かが頭をもたげるの感じる。
その何かに呑み込まれる。思った瞬間、周囲を震わせていた咆哮を笛の音が斬り裂いた。
同時に我に返る。皆同じだ、瞬時に咆哮は消えた。
慌ててゲートの外に目を移すと、賊は何事もなかったように堀の対岸に並んでいた。
今のは、何だったのだろう。まるで、怒った時に心が焼かれ、記憶をなくす時のようだった。
その場に膝が落ちる。
どのくらいしたか、
「見事なものだ」
ゲートの上に登ってきたのは、バルクス公領主様だ。
慌てて立ち上がるその耳に聞こえたのは、
「はい、この引き際の良さ。統制の取れた退却。よく訓練されています」
賢者様の声。
「公領主様が見事と言ったのは、賢者様に対してです」
さらには、イズサ自警団長も上がって来た。
「あの笛、妖に呑み込まれかけた皆を正気に戻してくれた。それにこの陣構えです」
「そうだ。あの笛のタイミングは見事だった。このバルクスも正気を失いかけていた」
公領主様までも。
「あれは何なのですか。うちも意識が呑み込まれそうでした」
思わず問いかける。
「何を言っている。あれが妖気だろ」
「イズサさん、マデリさんは理性と自制心が強く、妖を抑え込んでいたのです」
賢者様が足を進められる。
「第一門にいると言われていた、妖ですか」
「そうです。それは本能に直結しています。流血に刺激され、生存本能に火が付いたのでしょう」
母親の胎内に入った妖気が、赤子のルクスを蝕み結合した妖。エルグ種のエルグ種たる所以。うちらの背負った重荷。
いや、賢者様は可能性だと言っていた。
「それにしても、強固な陣だ。賊はすぐに退いていった。これならば大丈夫だな」
「いえ、バルクス公領主様。今のは、先駆けといいます。こちらの強さを図るに過ぎません。本気で戦う気ではありませんでした」
「本気でなくて、何人も倒れたのですか」
「正規の王軍が、匪賊の拠点を討伐する時によくするやり方です。下級衛士を先行させて相手の強さを探るのです」
「それで、倒れた者も全員ここから出したということか」
重い声で公領主様が呟いた
どういうことなのだろう。仲間だから助け出したのではないの。
「なぜなのですか」
イズサ団長も意味が分からないようだ。
「はい。怪我をした賊が王宮の衛士だと口を滑らせれば、その責を追及され、収拾がつかなくなります。王の廃位の真相まで及ぶのですから」
「だったら、先に捕まえればいいじゃない」
後ろで腕を組むのは、フレイドさんだ。
「そうなれば、彼らも引っ込みがつかなくなります。争いは小さく収めなければなりません」
「襲われていて、気を遣うの」
「今の目的は、賊の撃退です。王宮官吏の腐敗の追求ではありません」
「でも、このままだったらセラみたいに怪我をする子も出るわ」
「それは、次の王が考えることです。ここで賊の正体を暴けば、彼らは口封じをするしかありません。そうなれば反乱と周囲に喧伝されて、内乱になります」
「内乱でもいいじゃない。間違っているのならば正さないといけないはずよ」
賢者様に喧嘩をするような強い口調で言う。
うちは、それを聞きながら夜空を見上げた。
フレイドさんは苦手だ。意思が強くて、自分の考えをしっかりと持っている。ルクスも強いし、明るい。
そして、賢者様の修士だ。
うちは、そんなフレイドさんに嫉妬もしている。自分にない全てを持っているフレイドさんが羨ましい。
そして、
「そうです。これ以上、うちたちが犠牲になるのはおかしいです」
彼女は正しい。
うちの言葉にフレイドさんの顔が輝き、イズサ団長さんが困った顔をする。
賢者様は––小さく笑われた。
「お二人共、頼もしいものです。ですが、公領主様の苦悩も考えて下さい」
その言葉の意味には、すぐに気が付いた。
今まで、バルクス公領主様と呼ばれていた賢者様が、公領主様と言われたのだ。他の公領主様ならば、苦悩しそれを選ばないだろうと。そう、これはバルクス公領主様に対する問いかけなのだ。
それには、バルクス公領主様も気が付かれた。
「正直、反乱の汚名は被りたくはないが、賢者殿が言われたように降りかかる火の粉は払わないとな」
「分かりました。では、まずは予定通り撃退をしてから対策しましょう」
賢者様は返事を知っていたかのように即答する。
公領主様も覚悟を決められたのだ。
いや、これも賢者様だ。賢者様が公領主様の覚悟を決めさせた。
なんて凄い人なのだろう。うちよりも三つ年上なだけだけど、知識だけではない人としての大きさに、圧倒される。
この方に学びたい。この方の背に手は届かなくても、その道を進んでいきたい。
叶わない事は分かっている。でも、それが初めてできた夢だった。
夢だ。
心が締め付けられそうな夢。それは同時に、フレイドさんへの嫉みだったのかもしれない。
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