ルクスの変容
部屋の奥に八人の男女が腰を下ろし、僕よりもフレアが緊張していた。
長老の開く開学の修士の一部というが、老人から子供まで歳の関係なく教えているようだ。
僕はフレアに顔を戻した。
九エルクの通りに何軒の家が建つか、あの問題の解き方を説明しながら四則計算を教える。
足し算、引き算はすぐに理解したようだが、掛け算と割り算には苦労をしている。
それは後ろに座った彼らも同じだ。唯一頷いているのは、長老くらいだ。
この部屋にいる十人にパン二個を渡すには、いくつのパンが必要か。
十八個ならば何人に二個渡せるか。初級学院を思い出しながら、教える。
そろそろ陽も傾いてきた。
今日はここまでにしようか。そう考えた時、
「長老」
ドアを大きく開けて入ってきたのは、セリだ。
「セラの様子がおかしいんだ」
慌てた声が響く。
動いたのは、僕とフレア同時だった。
広間を抜けてセリの寝ている部屋に入る。部屋の中央に置かれたベッドの上で、青い顔をしたセリが身体を震わせていた。
ルクスは小さく、代わりに赤い光が瞬いている。その光に合わせて、身体が痙攣をしているのだ。
どうして、容態が急変したのか。どうして、ここまでルクスが削られているのか。
微かになったルクスを追いかける。
腹だ。内臓をやられている。失血による機能障害か。
このルクスでは生命維持も難しい。代わりに妖気が走って彼を生かせている。
それでも、このままでは夜までも持たない。
待て、妖気がルクスの変容ならば、この妖気をもっと効率的に使えないか。真獣のように、妖気を力に変えられないか。
力、いや、妖気を再度変容させてルクスとして利用しているのが真獣だ。
では、妖気をルクスに変えるには。
妖獣はその妖気をルクスで押さえつけることで真獣になる。ルクスで押さえつけるのは、ルクスで妖を屈伏させて、妖気を変容させることなのだろうか。
セラの妖気もルクスに変容させれば、ルクスは回復して効率的に使えるはずだ。
エルグの民は、第一門に妖がいるとザインが言っていた。その妖を変容させられれば、助けられるかもしれない。
しかし、それはあくまでも仮定の話だ。クルスたちの論文が間違っていないとの前提の上だ。
大きく息を付く僕の横に、レビが腰を落とした。
この状況を理解しているようだ。何も言わずにセラの手を取り、俯く。
「何とか、ならない」
フレアが横から囁いた。
「考えさせてください」
意識を潜らせるには、三つの方法があると教えられた。
一つは意識の置き方をしっかりと指導して貰い、強いルクスを持つ者がルクス送り込んで補助をする方法。
もう一つは、僕のやった自分の意志で意識を潜らせる方法。
最後の一つは、純粋なルクスを強制的に流し、意識を抑え込んで沈める方法。
昨日の夜に浄化をしたから、僕のルクスは純粋に近い。
そのルクスを流し込んで、セラの意識ごと沈め、妖を抑え込む。
だけど、本当にそんなことが出来るのか。
ルクスをただ流し込めばいいのだろうか。
一歩間違えればセラを殺してしまうのではないのか。危険すぎる。他に方法はないのだろうか。
「薬は効かなかったようです」
僕の後ろに長老が腰を落とした。
「内臓を痛めています。そのために、ルクスはほとんど削られています」
「まだ、十五だからルクスも安定していない。賢者様、どのくらい持ちそうですか」
覚悟を決めているようだ。
「このままでしたら、数時間と持ちません」
僕の言葉に、奥で鈍い音が響いた。
セリが壁を殴りつけたようだ。
「何とかしてよ」
その肩にフレアがしがみつく。レビと長老は俯いたまま。セラは痙攣する力も弱くなっている。
仕方ありません。
「僕に全てを任せてもらえますか」
レビに向き直った。
「は、はい。でも、どういうことですか」
「これから、セラのルクスを補強します。出来るかどうかは分かりません、失敗すれば殺してしまいます。それでも、僕に任せて貰えますか」
さすがに、妖気のことを説明するには時間もない。
この曖昧さでは、任せられないと言われればそれまでだ。
「お願いします」
しかし、レビは何も聞かずに頭を下げた。
「わしからも、お願いします。内容は分かりませんが、賢者様にも危険な様子。申し訳ないが、出来ることをお願いします」
即答か。僕も、覚悟を決めよう。
「分かりました」
立ち上がると、
「フレイド、セラの身体を起こして、その身体を抑えておいてください」
ベッドに上がった。
セラを座らせる形に身体を起こさせ、痙攣する身体を抑えてもらう。その首元に僕は両手を当てた。
ルクスを開放する。
途端に、驚いたようにフレアたちが身体を動かした。
しかし、そんなことを気にとめる余裕もない。
意識を中心にルクスを回らせる。その意識を下ではなく、手へと動かした。セラへと意識を入れる。そのイメージを強く持つ。
ルクスを身体に打ち込むように、引き寄せた。ルクスを衝撃として打ち込むのではなく、ゆっくりと静かに流し込む。
どのくらいか、時間の感覚は消えた。
突然、周囲を赤い光が走る。
これは、妖気か。流すルクスを辿って、僕の中に入り込んできているのか。
稲妻のように走る光から意識を守るように、ルクスを強く保つ。
その赤い稲妻は、触手のようにルクスに絡みついてきた。僕を侵食する気なのか。
いや、違う。
不意にそれが理解できた。
これは、助けを求めているのだ。この妖気では、セラの命を維持できない。セラの命を守るために、僕のルクスを求めているのだ。
妖気が絡みついたままルクスを強く流し込む。強く、もっと強く。
引きずられるように、僕の意識も動いた。
手の先から、セラの中へ入って行く。他人の意識の中に入って行く。
引きずられるように、導かれるように、沈んでいった。
暗い闇の中、幾条もの赤い光が瞬いている。その先に小さな青い光が見えた。あれが、セラの意識の核、中心だ。
意識を守るはずの彼自身のルクスも、わずかしか見えない。
沈む意識を寄せていく。
僕のルクスがセラの意識を捉える。
セラのルクスからの反発はない。セラ自身のルクスが弱く、僕のルクスも浄化しているゆえに、反発もされないようだ。
僕のルクスにセラの意識も包み、そのまま沈んでいく。
意識の輝きも弱くなっているように感じるのは、気のせいではない。浮かんでは消える雑念が、ここでは一切が見えないのだ。
朦朧とすらしていないということだろう。
闇の中をゆっくりと沈んでいくと、赤く燃えるような光が見えてきた。考えるまでもなく、あれが妖だ。
こちらが向かうより早く、赤い光が迫ってきた。
意識を呑み込むように、光は僕のルクスを掴む。同時に、僕のルクスもその妖を掴んだ。
たちまち周囲は青と赤の光に包まれる。
妖を抑え込み、屈服させ、変容させる。
違う、そうではない。
妖を包み込み、ルクスを浸透させ、変容を促す。そう、妖気は元はルクスだ。襲っているのではなく、縋りついているのだ。
その妖気に、ルクスを重ねていく。
結果は思ったよりも早く現れた。
赤い光は紫に変わり、周囲を満たしていく。ルクスに変容したのだ。絡みつくような赤い光も消えている。
セラが初めから持っていたルクスではないが、これは間違いなくルクスだ。これで、この子は助かる。
僕はセラの意識を離すと、上へと意識を向けた。
セラの身体から、僕の意識を抜け出さないといけない。
一つの身体に二つの意識があり続ければ、セラの自我が崩壊してしまう。
そして、僕の意識がここに囚われてしまえば、僕の身体は死を迎えるしかない。これは、あまりにも危険すぎた。
昏い中を、上へと思いを強くする。
上下左右も時間の感覚もない中、不意に周囲が紫色に染まりだす。朝焼けのような美しさだが、これはセラのルクスの拡散だ。
急げと思う瞬間、周囲は明るく輝いた。
自分の身体に意識が戻ったのだ。
すぐに手を離し、大きく息を付く。危なかった、妖の本質に思いが及ばなかったら、あのまま囚われていたかもしれない。
あれも、誰かの経験なのだろうか。
僕はもう一度大きく息を付くと、天井を見上げた。
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