学びの時
大きな広間の奥に白髪の男が座り、その傍らにレビが立っている。
この人が、長老のようだ。その背にした壁に広げられた地図が、この町の豊かさを表している。
僕はテーブルを挟んでその前に腰を下ろした。フレアと少年は、傍らで床に腰を落としたままだ。
二人を運んできた店の男に老人が頭を下げ、その顔を僕に向けた。
「賢者様、このセリを迎えに送ったのがわしの落ち度でした。申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ怪我をさせてしまいました。お詫びいたします」
先に長老に頭を下げられれば、僕も慌てて言うしかない。謝らなければいけないのは、怪我をさせたこちらの方だ。
「服はすぐに洗います。染み抜きもさせましょう」
「お気遣い感謝します」
「いや、セラを助けてくれたことにも、お礼を言わなければなりません。見事な治療に感謝しています」
「傷の縫合は、このフレイドさんが行いました」
「そうですか。見事な処置です、ありがとうございます。フレイドさん」
その言葉に、床にへたり込んだままのフレアが手を挙げる。精一杯の返事のようだ。
「それで、セラくんの容態はどうですか」
「隣の部屋に寝かしています。薬は飲ませましたが、心臓が弱っているようで脈は弱く、意識も朦朧としています」
「出血が酷かったようです。造血剤の効果はどうでした」
「まだ効果は出ていません」
まだ効果はないか。造血剤は血を生成する成分に過ぎない。体内に吸収され、血液が出来るまでにも時間がかかる。
「もう少し、様子を見ましょう」
「そうですな。それで賢者様、この奥の部屋をお使い下さい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
セラの近くならば、何かあればすぐに診ることが出来る。
僕は立ち上がった。フレアも重い身体を起こしている。セリは、まだ動けないようだ。
フレアに肩を貸すと、レビに案内され奥へと向かった。
広間のすぐ奥にある部屋が、用意された部屋だった。
広い部屋には中央に大きな机が、左右の壁際にはベッドが置かれている。
壁一面の広い窓から差し込む光に、部屋は明るく輝いて見えた。貴賓室のような立派な部屋だ。
「この部屋を使わせていただいても、よろしいのですか」
「もちろんです。賢者様には自由にして貰うようにと言われております」
「それは、ありがとうございます」
「何かあれば、声を掛けてください」
レビが部屋を出ていくのを見送り、僕はフレアをベッドに寝かせると、机の前に腰を下ろした。
ここなら静かに僕自身の勉強も出来そうだ。
バッグに詰め込んだ何冊もの厚い本を出した。
数学理論をはじめ、国体、法律、ボルグ先師から習ったことを改めて書き写したものだ。
最後に出したのは、クルスたちの論文だ。
この論文は興味深かった。妖獣と真獣の考察、よくあるテーマなのだが、切り口が斬新なのだ。
「ねぇ」
どのくらいしたか、不意にベッドから声が掛けられた。
「どうしました。気分は楽になりましたか」
「ぼくは、ひどく暴れたのね」
掛けられたフレアの声が震えていた。
「そうですね。セリという子は肋骨が折れてしまいました」
「そう、服を汚されてアタマにきた。でも、そこからはあまり覚えていない」
「服は綺麗にしてくれるそうです。ですが、確かにやり過ぎましたね」
「いつも、アタマに来たらいつの間にか相手が倒れていた。その間の記憶は途切れ途切れしかない」
「フレアさんとセリ君は、感情に支配されてしまったのでしょう」
身体を起こし、壁に背を預けるフレアを見る。
だが、自分のことをぼくと呼びだしたのは、どうしてなのだろうか。
「ぼくは、アムルみたいになりたい」
「僕ですか」
「人の役に立って、敬われる人になりたい」
それで、自分のことをぼくと呼びだしたのか。
「そのためには、約束した通り勉強をしなければいけませんね」
「そういう難しい本を読むためになの」
難しい本、この論文のことのようだ。
「フレアさんは、妖獣を知っていますか」
僕は論文を閉じた。
「当たり前だ。集落を襲いに来たこともあった」
「では、なぜ妖獣は生まれるのです」
「殺された人の辛い気持ちが妖気になるのだろ。その妖気が獣に入れば妖獣になる」
「生き物には、全てルクスが与えられています。獣にもルクスがあり、妖気を阻むのではないのですか」
「人は創聖皇に近いからルクスが強いけど、獣のルクスは弱い。だから妖気が入ってしまう。入り込んだ妖気はルクスを蝕んで、狂暴化する」
フレアの言葉が沈む。エルグ種の自分のことを思っているのだろう。妖気が入った自身のことを。
「では、真獣をご存じですか」
「見たことはないけど、妖獣の妖気を抑え付けてルクスに取り込ませるのだろ」
「そう言われています。ですが、この論文は妖気をルクスの変容ではないかと記しています。人の負の想いがルクスを変えてしまい、そのために本来循環するはずの流れから外れて、人や獣に入ってしまうのではないかと」
「妖気は、ルクスなのか。それで、ルクスの守りも弱くなるのか」
それだけで伝えたいことを理解したようだ。フレアは頭がいい。
「そうです。本来は同じルクスの為に、防御するルクスを潜り抜けてしまう。それがこの論文になります。学ぶということは、あらゆる視点で可能性を考えていくことになります」
「でも、難しいな」
「最初は簡単なことから学んでいきます」
僕はバッグから紙を出すと、ベッドに進む。
顔に赤みが差し、体調は良くなってきているようだ。僕もルクスを打ち込まれた時は、しばらく動けなかった。
紙をフレアを渡した。
「文字の練習はこの紙を見て、空いた時間にしてください。まずは口頭で講義をしていきます」
僕の言葉に、フレアがベッドから出ようとする。彼女なりに聞く姿勢を取ろうとしているようだ。
「まだ身体がきついようでしたら、そのままで聞いてください」
僕は机に戻ると、椅子を動かして身体を向けた。
「フレアさんが、一人で生きていくために必要なことから学んでいきましょう。まずは、お金の手に入れ方です」
フレアが大きく頷く。
「何らかの物を売ってお金を得ることは、商業ギルドに入らない限り行ってはいけません。これを破れば多額の賠償はおろか、戸籍のはく奪にもなりかねません。ですが、商業ギルドに加盟するにも高い障壁があります」
身を乗り出して聴いている。これからの生き方なのだから真剣なのだろう。
「まずは、その人のルクスと計算能力の試験があり、合格しても加盟金として最低一シリングを預けなければなりません」
「港にいた露店の商人も、そうしていたの」
「いえ、簡易的に商業権を買ったのでしょう。フレアさんの工場がそうしたように商業ギルドにお金を払えば、一日限定で商売が出来ます」
「お金が掛かるの」
「はい。もう一つは、働いて賃金を得る方法です。以前にされていた針子の仕事がこれです」
フレアが俯いた。
「ですが、これはしたくはないのでしょう」
「ぼくは、人を助ける仕事がしたい」
俯いたままに言う。
「助ける仕事ですか。分かりました。しかし、それには高度な知識が必要です。基礎をしっかりしていきましょう」
「それを、するの」
机に積まれた本を見る。
「いえ、これは難しすぎます。まずは共通儀典書から始めましょう。十条三十項からなるそれは、全ての国の法律の根幹になります」
「イスバルの関で、言っていたやつね」
「そうです。第一条一項は、六種十国の理を不変の根幹とならしめ、万国は正王の統治とする、です。原本がウラノス王国にあり、その原本には宝玉というものが付いています」
「宝玉、飾りなの」
「いえ、その玉は全ての人種と国名が書かれたものです」
「それが、宝玉なの」
「これには、意味があります。人種、国名をどのように記してもそこに上下が出てしまいます。横並びに書いても右側が上になり、円に書いても上が上位に見られます。そこで、玉に書いたのです」
「人種と国に上下はないの」
「そうです。全ての人種と国は対等です」
僕の言葉に、フレアは顔を輝かせた。
そう、エルグは劣等民族ではないのだ。
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