働きと報酬
肩を揺すられ僕は目を開けた。
揺すっていたのはフレアだ。その肩越しに見える石組みの壁と木組みの天井、見慣れない部屋に戸惑う。
そうだ。昨日は夜まで治療に掛かり、用意された集落の家に泊ったのだ。
「そろそろ起きたらどうなの」
窓から差し込む明かりが、朝を迎えていることを教えている。しかし、まだ明け始めたばかりのようだ。
「おはようございます」
身体を起こした
「昨日は大変だったわね」
フレアが笑顔を向ける。疲れている様子は見られない。一人で全員の傷の縫合をしたというのに、元気そうだ。
「大丈夫ですか」
「なにが」
「慣れない傷口の縫合だったでしょう」
「そうね、楽しかったわね」
楽しい。傷の縫合が、血を見るのが。
「だって、人の命を救うことでしょ。人の為にすることでしょ。吾は、あんなに人に感謝されたのは初めてだったわ」
嬉しそうだ。そういえば、昨日の夜は集落の人にも総出でお礼を言われたな。
「それより、早く行きましょうよ」
「どこにですか」
「あの子の状態を見によ。あれから傷の具合がどうか見てみないと」
そういうことか。彼女は初めて人に感謝をされてやりがいを感じたのだ。その喜びに早く動きたかったのだろう。
「分かりました」
ベッドから出ると、それを待っていたかのようにドアがノックされた。
まだ夜が明けたばかりのこの時間に、誰なのだろうか。そのままドアに進み無造作に開ける。
立っていたのは衛士長のレビだ。
「賢者様、おはようございます。昨日はお世話になりました」
レビが頭を下げる。
僕も胸に手を当て、礼を返した。
「ケルミの公領主館に向かう馬車が用意できました。賢者殿も南に行かれるのでしたらご一緒にと、軍司長の申し出です」
「それはありがとうございます。公領主館には医術師がいらっしゃるのですか」
「はい。王宮付きのハイド様が来られています」
その言い方にためらいが感じられる。王宮付きの医術師と言えば、公貴になるのだろう。
「その方は、あの子を見てくれるのですか」
僕の言葉に男の目が俯く。やはりそうだ。ハイドという男は、平民を相手にしていないのだろう。
「あの子の名前は」
尋ねたのはフレアだ。
「セラと言います」
「セラね。セラは吾が見るわ。もちろんボルグも一緒よ」
フレアが僕の肩を叩いた。
「そうですね、僕とフレイドが診ましょう」
僕はローブを羽織ると扉を出た。慌てたようにフレアも付いてくる。
治療所にあてられていた家はすぐ隣だ。
畑を抜けてその家に入ると、何人もの衛士が怪我人を運び出している。あの子は一番奥で横になったままだ。
その横で、三人が椅子に座り何かを話し込んでいた。軍司長の男と二人の衛士、軍司長の傷の具合はだいぶいいようだ。
しかし、話をしている二人の衛士。昨日はいなかったその二人のルクスに、黒い靄と赤い靄がまとわりついている。
ここまで濃いのはあまり見たことがないほどだ。この二人は危ない。
軍司長は僕を見ると、
「これは賢者、昨日は助かった。礼を言う。我は中北守護の北街道守備をしている軍司長のジウルという」
深く一礼する。
ジウルには、曇りはあるがルクスの穢れはない。
「いえ、回復も順調のようで何よりです。ボルグ・ロウザスと申します」
「朝には、痛みも引いて楽になった。さすがとしか言いようがない。どうぞ」
ジウルが椅子を引く。
「いえ、先に子供を診ておきます」
僕は礼を返すと、その足を奥に横たわる子供に向けた。
足の添え木はしっかりと固定されている。
包帯は橙色に染まり、傷はある程度塞がってきていた。しかし、その顔は青く呼吸も弱い。
ルクスは––傷の修復に削られ、弱くなっている。赤い閃光が幾つも走り、そのルクスを補強していた。
これがなければ命も危なかったろう。
フレアが心配そうにのぞき込み、レビもその奥で片膝を付く。
しかし、どうすべきか。
レビの様子では王宮付きの医術師は診てくれないのだろう。造血剤と炎症を抑える薬が必要だが、ここでは薬が用意できない。
それに、僕自身も薬にはそこまで詳しくはない。
「ここから一番近くの薬師のいる場所は、どこになりますか」
レビに顔を向けた。
「薬師ならば、リウゼスの町で叔父がしております」
「リウゼスの町というのは、どこになりますか」
「公領主館のあるケルミの先です」
「先ほど衛士長の案内した馬車に乗ればいい。リウゼスまで送っていこう。衛士長も心配だろう、護衛をしてやれ」
声を掛けてきたのはジウルだ。
「それはありがとうございます。では、すぐにこの子を馬車に運びましょう」
僕の言葉にレビが子供を抱え上げた。
「この子の母親はどちらにいますか。すぐに呼んであげて下さい」
「妻はイスバルの関にいます。この子はリウゼスの町からの帰りでした。今、街道は危険ですので、通行が制限されています」
街道の通行が制限。そこまでこの守護領地は危ないのだろうか。
後に続く僕に、
「賢者、少しよろしいか」
再びジウルの声が掛けられる。
「はい」
その足をテーブルへ向けた。
二人の衛士は僕に顔を向け、すぐに興味を失ったように立ち上がる。
そのままドアに進む横で、僕は引かれた椅子に腰を下ろした。フレアは少し迷ったようにレビを見、僕の横に立つ。
「昨日は世話になった。これは謝礼になる」
テーブルに置かれたのは布だ。布の盛り上がりからリプル金貨が包まれているのが分かる。
「ありがとうございます」
僕はそのまま布を開いた。包まれていたのは六枚の小金貨だ。そこから三枚を取り、
「これだけ頂きます」
残りを返す。
「どうしたのだ。治療費は一人一リプルが相場のはずだが」
「僕は医術師ではありません。分に余る報酬はルクスを曇らせてしまいます」
「医術師ではないと、あなたのおかげで痛みは治まり、動けるようになったが」
口を開く軍司長の横に、駆け寄った衛士が膝を付く。馬車が出るようだ。
「あくまで、真似事にしかすぎません」
僕は立ち上がった。
家の前には、箱型の馬車を先頭に三両の幌馬車と十騎の衛士が並んでいる。レビが立っているのは最後尾の幌馬車だ。
その馬車に進むとフレアが先になって乗り込む。荷台には薄いマットが敷かれ、セラが横になっていた。
その傍らに腰を下ろす。
この体力の弱り方、出血で内臓も弱っているのだ。まだ安定していない子供のルクスでは、内臓の治癒にまでルクスが回ることはできないようだ。
考えろ。この状態で使える聖符は何がある。
「薬を塗り替えます。包帯を外してください」
フレアに言うと、バッグから布を出した。
馬車が動き出すが、止まるのを待つわけにもいかない。揺れる荷台の上で、布にルクス分散の聖符を描く。
傷の回復は遅れるが、これでルクスは全身の治癒にも回せるはずだ。
聖符を胸に当て、包帯の外された肩口を見る。
まだ。わずかではあるが血が溢れていた。
フレアは僕のバックから消毒用の瓶を取ると、その傷口を洗う。昨日一日で、治療の手順を理解したのだ。
洗った傷に薬を塗り、新しい布と聖符で押さえてから奇麗な包帯を巻いていく。これならば、フレアに任せても大丈夫だ。
僕は背中を荷台に預けた。
その僕の横にレビが腰を下ろす。
「まさか、その場で聖符を描いて頂けるとは思いもしませんでした」
「まだ児戯に等しい稚拙なものです」
「とんでもありません。セラの息が穏やかになったのは、俺にも分かりました」
「そうよ、先師は凄いのよ」
フレアが得意そうに言いながら、レビの前に座った。血と薬で汚れた手を気にする様子も見せない。
「先師。失礼だが、フレイドさんは修士になるのですか」
「そうです。僕の修士です」
代わりに答えると、フレアに手を拭く布を渡す。
「彼女は、公貴の方には見えませんが」
「学ぶことに、公貴も平民もありません。学びたい者が学ぶ、それが自然です」
僕の言葉に、レビが膝を打った。
「これは、叔父上と同じことをお聞きしました。叔父上も町で開学を開いております」
「開学ですか」
「何、それ」
僕の感心した声に、フレアが手を拭きながら首を傾ける。
「開学というのは、集落や町で周辺の子供たちに、無償で学術を教えることです」
「そんなのがあるの。吾の集落にはなかったわよ」
「教える人が、多くはいませんから」
僕の言葉に、レビも大きく頷いた。
「はい。叔父も正式に学んだわけではありません。ウラノス王国の賢者様の家で雑用係をしていた時、部屋の外で講義を聞いていたとか」
ウラノス王国、ここでその名前を聞くとは思わなかった。
「そうですか。熱心な方だったのですね」
「はい。ですが賢者様、敬語はお止めください。エルミの、それも賢者様に敬語を使われれば、こちらが気を使います」
「気を使う必要はありません。人は誰も同じです。エルミもエルグも同じです。僕はこのほうが話しやすいですから」
「そうよ、先師は吾にもこの話し方なの」
「そ、そうなのですか」
レビが困ったように笑う。確かに、先師と修士の会話ではないよな。あの夜からフレアの殻はなくなったけれど、相も変わらず一切の敬意が見られないのだから。
「でも、どうしてお礼を全部受け取らなかったの」
フレアが座り直してして背中を荷台に預ける。やはり彼女も疲れているのだ。
「言ったように、過ぎた報酬は僕のルクスを曇らせます」
言いながら貰った金貨の一枚を出した。
「これは、フレイドさんの報酬です」
それをその前に置く。
「一枚は僕の、残り一枚は聖符のインク代になります」
「吾に、それをくれるのか」
驚いたように両手でその金貨を取った。
「こんな大金を貰ってもいいの」
「はい、その働きは十分にしました。それとも、足りませんか」
「いや、こんな大金は貰ったことがない」
「それが働きに応じた報酬です。それ以上は貰い過ぎになります。貰い過ぎる報酬は、フレイドさんの善意も思いも消してしまい。それが、ルクスを曇らせることになるのです」
「善意、思い」
「人の為に行いたいという善意、助けたいという思い。それらをもお金に換えることになるのです」
「それは少し厳しすぎるのではないですか。王宮医術師は、一人当たり五リプルの報酬と言います」
僕の言葉に、レビが身体を向けてくる。
「ですが、それゆえに王宮医術師は、セラを、平民を診ようとしないのではないですか」
「だけど先師。もしお金のない人が怪我をしていていたら、先師は診るの。正当な報酬は出ないけど」
「もちろん診ます。お金にならない分、善意と思いは蓄えられてルクスを輝かせます」
「でも、それでは先師が生活できない」
「ですから、ここで報酬を頂いたのです。一リプルあればインク瓶を買うことが出来ます。一リプルあれば一月以上生活できます。分にあった報酬の分というのは、そういうことです」
大きく息を付いたのはレビだった。
「それが種族の違いなのでしょうか。恥ずかしながら、エルグの中でそのように考えている者など知りません」
「いえ、これは先師の教えです。僕は先師に与えられるばかりでした」
思い浮かぶのは、ボルグ先師、ダイム、ザインの三人だ。
三人には、無償の愛を貰うしかなかった。
僕は、三人が誇れる人にならなければいけなかった。
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