越境
空が白み始めた頃、僕はローブを羽織り窓の外を見た。
ゲートには衛士がいるだけ、警吏の姿は見えない。
昨日は一晩中、宿の改めをしていたはずだから、今いるとすれば関門になる。
「どうしたの」
反対側のベッドからフレアが身体を起こした。
「もうすぐ関門が開きます。準備をしてください」
「ここを出るのね。分かったわ」
すぐにフレアも用意を始めた。
僕は窓の外に視線を戻し、空を見る。
天を裂くような三本の赤い雲、この警鐘雲が不気味すぎる。急がないとと、心がざわつく。
フレアの準備ができると、僕たちは部屋を出た。
まだ朝早く、廊下や階段にも人影は見えない。
僕たちは宿を出ると通りに立った。
通りの奥には関門が見え、多くの衛士が動いている。開門するようだ。
石畳の通りを進んでいくと、同じように数人の商人たちが足早に向かいだす。この流れに乗ればいいだろう。
僕は関を見上げた。
この国の関は小さな砦で、それが互いの守護領地に隣接するように建ってる。
他の国のような大きなものではない。門の先にはゲートが三か所あり、衛士が二人づつ立っている。
その中に、警吏の男たちもいた。ゲートの近くに立っている。
しかし、僕たちを見咎めることはないだろう。
フレアのものも合わせて、二つの旅札を出した。
僕の前には二組の商人。後ろでフレアが緊張をしているのが伝わってくる。
出領の管理をする衛士は、商人のバックを開けさせている。
出ていく者を入念に調べているようだ。しかし、いったい何のためにそこまで調べるのか。
かなりの時間をかけてやっと一組目がゲートを超えた。
中北守護領地の入領検査は旅札を見るだけで終わっている。
フレアを探しているだけではない。やはり、ここで何かあったようだ。
荷物の中に不味いものはない。
息を付いた瞬間、空から鈍く沈み込むような音が響きだした。これは――。
周囲の人々が慌てて空を見上げる中、僕はフレアの手を握ると走った。
前の商人を押しのけ、衛士を突き飛ばして中北守護領地の関門に飛び込む。
「待て」
遅れて背後から叫ぶ声がした。
「王の廃位により、この関門は閉じられた。お前たちはその後で逃げ出したのだから、その出領は無効になる。直ちに戻ってこい」
衛士が槍を手に前に出る。
「中北守護もその者を引き渡すように」
高圧的な口調だ。
僕は向き直ると、
「そちらこそよく聞くといい。エルミの先達であり、三帝の一人サリウス帝の共通儀典書を知らないのか。廃位は三本の警鐘雲の消失を持って始まり、天鐘の終了を持って決定とするとある。すなわち、廃位が決定となるのは天鐘が収まってのことになる」
叫ぶように言うその言葉と同時に、天からの音が消えた。
「それとも、この国はサリウス帝の定めに従わぬと、お前の名を持って内外に喧伝するのか」
衛士の槍が力なく下りる。
僕は再び背を向け、中北守護地の衛士に二枚の旅札を見せた。
彼らはそれを一瞥しただけで脇による。
そこからは、真直ぐに伸びる通りと隣接する街道駅が見えた。
いや、旅札を見せた衛士が膝を付く。
「賢者様、少しお待ちを」
言葉と同時に、もう一人の衛士が奥に駆けた。
足止めではない。膝を付いた衛士が縋るような眼を向けている。
その僕たちに衛士たちが駆け寄ってきた。一人は先ほど奥に向かった衛士だ。
後ろから来るのは、簡易な鎧の上からマントを羽織った衛士。姿からしてここの衛士長のようだ。
男はすぐ目の前で片膝を付いた。
「学を収めし、賢者様とお見受けいたします。自分はここの衛士長をしておりますレビと申します」
その言葉に、僕は胸に手を当てて礼を返す。
「昨日、この付近のベルノという集落が襲われました。我らで撃退をしましたが、数人の負傷者が出ています。なにとぞ、診ては頂けませんか」
「負傷者ですか。専門ではありませんが、僕に力になることがあるのでしたら協力します」
医術は必要に駆られて、少し学んだことがある。
「ありがとうございます。この付近には何分、医術者がおりませんので助かります」
男が頭を下げると、すぐに後ろから馬車が引き出されてきた。
「ご足労をお掛けします」
馬車を護るように、四騎の騎兵も出て来る。
どうやら怪我人の中には重要な人もいるようだ。
「分かりました」
案内されるまま馬車に乗る。
衛士の馬車になるためか、フレアは警戒するように周囲を見ていた。
彼女が乗り込むとドアが閉められ、動き出す。
「大丈夫です。彼らのルクスに怪しいところはありませんでした」
しかし、僕の言葉にフレアは首を傾げるだけだ。
ルクスが見えると言っても、逆に信じないだろうしなぁ。
だが、それよりも僕が驚くのは馬車の豪華さだ。公貴用の街道馬車の比ではない。これは、関が持つ貴賓客用の馬車のようだ。
馬車は街道駅を抜けて南に進んでいく。
しばらく進むと集落が見えてきた。石造りの家が二十軒ほど並ぶ、小さな集落だ。
馬車はそこに止まる。ここからならば街道駅も見えるほどの距離になる。こんなところが襲われたのだろうか。
僕はドアを開けて外に出た。足元を乾いた砂が、埃のように舞う。日照りが続いているのか、土の状態は良くない。
家々の周囲にある畑も見るからに発育が悪い。これが、この国の現状なのだろう。
衛士に続いて、僕も集落の中に足を踏み入れた。
フレアは連れてこられた先が集落だったためか、だいぶ落ち着いたようだ。
「こちらになります」
街道に一番近い一軒に衛士が入る。
僕も続いた。入った先の広い部屋には薄いマットが敷かれ、五人の大人と子供が一人、横になっている。
巻かれた包帯は赤く染められていた。止血がしっかりと出来ていないのだ。
「どうしてここに。関には運ばないのですか」
「運べないのです。出血が酷かったのと、イスバルの関では騒ぎにもなりますから」
「騒ぎというのは」
「この周辺では最近誘拐が多発しています。皆かなり気が立っていますから」
誘拐の多発か。それをきっかけに、暴動が起こることを懸念しているのだろうか。
子供の横に座る。
「あの、向こうの方からお願いできませんか」
男が申し訳なさそうに言う。
「いえ。ルクスも弱くなり、危ないのはこの子です。あちらの方は、まだ傷も浅く安定していますから最後になります」
奥に横になっているのが、衛士長レビの上司、軍司の偉い人なのだろう。しかし、そんなことは関係ない。
「その子は、自分の子供になります。治療は最後で結構です」
その言葉に、男に向き直る。
「治療を僕に頼むなら、全てを僕に任せてください。それが出来ないのなら、医術者を待って下さい」
「ですが――」
「賢者殿」
レビの言葉は、奥から響く声に消された。
「全てをお任せするので、宜しくお願いする。先に、子供から診てやってください」
続ける声に、男が深く頭を下げる。
なるほど。上司はしっかりした人のようだ。
僕はバッグから必要なものを出しながら、
「フレイドさん、お湯を沸かしてください」
声を掛ける。
フレアも弾かれるように動き出した。
僕は子供に掛けられた布を取り、包帯を外す。
聖符が張られているが、稚拙なものだ。これでは役には立たない。それも外し、怪我の状態を診る。
切られた傷が三か所、足の骨も折れている。
意識を集中してルクスを見た。傷のある場所はルクスに歪みがでる。歪みの大きなところが、より重い怪我になる。
しかし、時折走る赤い閃光のような光が、弱まるルクスを補正しているように見えた。
今までエルミ、エルナ、エルス、エルムと色々な人種の怪我人を見たことはあるが、この現象は初めて見る。
しかし、補正しているならば悪いことではない。
子供は蒼白な顔で、それでも歯を食いしばっていた。痛みは相当なものなのだろう。特に左肩の傷が深い。剣で貫かれたようだ。
辛うじて自身のルクスで雑菌を抑え込んでいるが、このままならば感染症にもなる。
子供の額に手を当てた。ゆっくりとルクスを流し込む。静かな流れに、子供自身のルクスの反発は返ってこない。
確認すると同時に一気にルクスを送り込み、子供の意識ごと沈めた。
これで、この子は意識を失った。第一門の手前になるから、エルグ種の妖に襲われるという心配もない。
手を離すと、寝息を立てだした子供の枕元にフレアが座る。
「今、お湯を沸かしている」
「そうですか。では、沸騰したらこれをその中に入れてください」
湾曲した針と糸を渡す。
「これをお湯の中に入れるの」
「はい。これで傷口を縫い合わせます。その為に消毒しなければいけません。それと、これに水を」
茶色の粉が入った瓶を渡す。
その瓶を驚いたようにフレアが見る。そうか、髪を染めたものと同じと思っているのか。
「これは、傷口を洗浄する薬です」
それだけを伝え、僕は真新しい布とペンを取った。
傷を治療する聖符はまだストックがある。だが、この傷は冷やすことも必要だ。
布に聖符を描く。水を得る時に作る、触れたものを冷却させる聖符だ。
あと必要な聖符は、正位置接合陣。折れた骨の位置を正位置に戻すための聖符になる。より緻密な文様だ。
手早くそれを描くとフレアが瓶と針を持ってきた。
まだ血の流れる傷口を洗浄し、傷口を縫合していく。
これがなかなか難しい。横で見ていたフレアが、
「代ろうか」
声を掛けて来た。
そうか、縫製師をしていたと言っていた。針の形状が違うだけで縫い方は変わらない。
「お願いします」
僕は針を渡し、傍らに立つ衛士長に顔を向ける。
「骨折した場所を固定します」
僕は別のペンを取ると、紙に板の形状を書いた。
「こういうのを用意して下さい」
三枚の板からなる、踵部分が地に付かないように曲げの入ったものだ。
「分かりました」
それを受け取り、衛士長が急いで出て行く。それを見送り、僕は骨折した少年の足を持った。
父親であるレビには見せたくなかった。
折れた足を一気に引っ張り、正しい向きに直すのだ。
鈍い音が響き、フレアが驚いた顔を向ける。
その足にすぐに正位置接合陣の聖符を張り、その上から冷却の聖符を重ねる。
その聖符を固定するように軽く包帯を巻いた。
その時なってフレアが、
「縫い終わったわ」
息を付く。
「では、その上に薬を塗り、聖符を貼ってください」
骨折部分の固定は後だ。僕はすぐにもう一人の怪我人に向き直った。
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