外伝4
「それで、先師。キャラバンはその後、襲われることはなかったのですか」
セリが思い出したように、聞いてきた。
「そうです。基本的に、野盗は商人は襲いますが、商業ギルドのキャラバンを襲うことはありません。商業ギルドは、襲われれば徹底的に報復します。盗賊には、そのリスクが大きすぎるのです」
「徹底的な報復をするのですか」
「調査団と傭兵団を送り、どれほどの期間が掛かろうと探し出して一族郎党にまで報復します」
「ですが、あのマルスという方は温和で、腰の低い方でした。そこまでするのですか」
マデリが不思議そうに聞いてくる。
「いいですか。温和で腰の低い方ほど怖い人はいません。特に、マルスさんのように商業ギルドのマスターにまで昇られた権力者には、注意をしなさい」
「どうしてですか」
「その権力の座に、温和で腰が低いだけでは昇れません。強い覚悟が必要です。その覚悟が他に向いた時、手加減はありません」
「先師と同じですね」
セリが呟くように言う。
それは、……反論できない。
「でも、約束したことは必ず守るし、相手のことも考える方のようでした。うちは信用できると思いました」
そう。信用は出来る。しかし、同時に信頼は出来ない。
向き合っての信義は通せるけれど、背中は任せられないと感じた。
実際、商業ギルドが良く分からない。ただ、交易だけのギルドとは思えないほどに、統率が取れているのだ。
大きく息を付き、
「それよりも、エルドニア牢獄が見えてきましたよ」
僕は道の伸びる先に目を移した。
光る海を背景に、黒く聳える建物が見える。
こちら側から見ることはなかったが、重く不気味な牢獄だ。
セリとマデリも息をのむように口を閉ざした。
疾駆する馬車から、後ろに続く馬車に目を移した。
同じ四頭立てのこちらより一回り大きな馬車は、しっかりと付いて来ている。掲げているのは同じラルクの王国旗。
エルグの国と蔑まれてはいるが、この馬車を止める関も官吏もいない。
座り直すと、もう一度息を付く。
僕自身気が付かなかったが、ダイム先師たちに会えることに緊張をしているようだ。
いや、緊張をして当然だろう。やっと会えるのだ。僕の未来を変えてくれた、恩師であり、恩人たちに。感謝してもしきれない彼らに会えるのだ。
馬車はゆっくりと減速していく。
自らの賢者のローブを直し、セリとマデリの修士のローブを見た。襟口も袖口にしわはなく、綺麗に着られている。
やがて静かに馬車は止まり、扉が外から開かれた。
牢獄の門の前に並んでいるのは、獄吏たちだ。扉の小さな扉から目だけを見せていた彼らには、見覚えもなく何の感情もわかない。
僕たちが下りると、門は大きく開かれる。
「サイノス王よりの恩赦の指示書は先ほど届きました。ガイムは二月前に亡くなりましたが、ダイムとザインには先ほど恩赦の知らせを伝えました。待合所まで案内します」
ガイムが死んだ。二月前と言えば、最近ではないか。
思い当たることはあるが、そうでないと信じたい。
「いや、ダイム先師の牢に行きます。ザインさんもそこに呼んで下さい」
一気にルクスを開放する。
叩きつける威圧感に彼らの足が下がり、道を開くように左右に分かれた。
牢の場所は分かっている。意識を広げた時に、何度見てきた光景を昨日のように覚えていた。
案内するはずの獄吏たちを後ろに引き連れ、僕たちは案内所と管理棟を抜けてエルドニア牢獄に入る。
陽の光は入らず湿った風がカビと腐敗した匂いを運んできた。セリとマデリが顔をしかめ、口元を覆う。
しかし、これも僕にとっては懐かしい匂いになる。
光球を出し、濡れた階段を上がった。
もうすぐボルグ先師に会える。それだけで、駆け出しそうになる思いを抑えた。
四階まで上がると、一際な大きな扉が見える。
鍵を持った獄吏が先に進もうとするのを制し、僕はルクスを抑え込みながら、扉に手を当ててその鍵を開いた。
この程度の鍵ならば、今の僕には開けるのは簡単だ。そして、これを見せることで、僕が勝手に獄中を歩いていたと彼らも思うはずだ。
それに、ルクスを抑えることで先師たちを威圧するようなこともない。
開けた扉の先には、やせ細った老人が見えた。懐かしい姿だ。
溢れる涙に、その姿が霞んでしまう。
「先師、ご無沙汰しておりました。修士のアムルが、お迎えに上がりました」
「アムル。本当に、アムルなのか」
「はい。遅くなり、申し訳ございません」
駆け寄り、礼を示す僕の頭に細い手が置かれた。
「立派になったのだな」
いえ、先師。立派になってなんかいません。道半ばで僕は迷っているばかりです。
顔を上げようとした時、
「アムルか。アムルが来たのですか」
懐かしい声が響いた。
ザインだ。
「ご無沙汰しております。お迎えに参りました」
「おう、生きていたのだな。本当に生きていたのだな」
「はい。すぐにお二人ともここを出ましょう。サイノス王と話し、自由を頂いたのです。詳しいことは馬車で話しましょう」
そう、こんな所に長居する必要はない。
「分かった。しかし、アムルの後ろにいる二人を紹介してくれぬか」
ダイ厶の声が降り落ち、慌てて僕は再び頭を下げた。
「紹介が遅れました。僕の修士になります。若輩の身ですが、僕にも導けることがあると信じ、二人を修士にしています」
「アムル、おまえは立派な賢者だ。謙遜は無用、その賢者のローブがそれを示している。クルスがわしの代わりにくれたのだろう」
「はい」
「良かった。クルスはわしの意図を理解したようだ。それに、さすがアムルの修士、しっかりとしている。獄吏たちよ、わしの書物はそこに用意をしておる。アムルへの手土産にもなるから、運んでくれぬか」
その言葉に、獄吏たちが足を進める。
この素直さは、僕が側にいるためではない。ボルグ先師への彼らなりの敬意の現れのようだ。彼らもこの賢者の偉大さが分かったのだろう。
「先師、クルス賢者と息子のクリエさんもラルク王国に招聘しております。先師には、ラルク王国でもう一度、上級学院の修士を導いてください」
「クルスも来るのか。この貧相な姿では会いたくないな」
「大丈夫です。クルス賢者たちは一月は遅れます。その間に、身体を回復させてください」
立ち上がった僕は、ザインに目を移した。
やせ細っているがその目の輝きは失われていない。あの時のままに鋭く、その奥には深い優しさのある目。
「ガイムさんは残念でした」
「ガイムも喜んでいる。ガイムは、アムルを海に投げ込む係だった。その為に、王宮からの審問官に徹底的に責められた。それでも、あいつは笑って言い放っていた。アムルは死んだはずで、現れたのは偽物だと。今のお前の姿を見て、喜んでいるはずだ」
やはり、そうか。
僕の生存を知らせるラルク王国の使者が来た時に、エルドニア牢獄にも王宮からの確認が来たのだ。
ガイムは、真偽追及のために責め殺された。
「分かりました。その話しもゆっくりと聞かせて下さい。ザインさんには、ラルク王国で剣技だけでなく、心のありようも含めて、教えて貰いたいのです」
「心のありようか、それは難しいな」
「そんなことはありません。僕に教えたようにして貰えば、伝わります」
「アムルに言われれば、その気にもなるな」
「それでは、お二人とも招聘に応じて下さいますか」
「否はなかろうて」
その言葉が合図かのように、セリとマデリが駆け寄ると二人を支える。
服の汚れも臭いも気にしていない。
ボルグ先師の言った通り、僕は本当に修士に恵まれた。
「フレア女王の認可は、遠隔書式で頂いております。お二人を国賓としてお招きいたします。この瞬間を持って、お二人の籍はウラノス王国からラルク王国に変わりました」
居並ぶ獄吏に聞かせるように言う。
そう、この瞬間からウラノス王国の民ではなくなったのだ。
二人を裁くには、ラルク王国の承認を得なければならなくなった。
「アムルは国の歪みを直したいと言っていたが、栄達を果たしたのだな」
「外務司長の一種政務官か」
ボルグの言葉に、肩を貸すセリが顔を上げた。
「先師は、印綬の継承者と同格として天籍に移られました。政務官ではありません。ラルク王国の導きの星、極星と呼ばれています」
「天籍に移ったのか」
ザインの言葉が詰まり。ボルグが笑い出した。
「これは、創聖皇も見る目があると褒めなければいけないな。しかし、そこまでの栄達とは、わしの目もまだまだ見えてはおらん」
遅れて、ザインもつられたように笑いだす。
「確かに、そのようなことは想像にも出来ませんでした。しかし、本当に創聖皇は良くお見付けになった」
「それでは、わしらも最後のその時まで、役に立たないといかんな」
「承知しました。おれもこの身体を奮い立たせます」
二人が笑いながら、足を進める。足取りはしっかりして見えた。
「紹介されたお方に、お預かりしたお金で差し入れを頼みました。無事に届いたようですね」
この話をした所で、すでにウラノス王国では裁くことは出来ない。
すぐに察したボルグが、
「あれには、助かった。水晶インクも貰えたので、回復の聖符も作れた。何よりも、食べ物に助けられた」
小さく頷く。
「それに、必要なものを聞いてもう一度来てくれた。おれも久しぶりにあの者の顔を見られた」
やはり、サイクロプス亭のギルムさんは信頼できる人だった。
「あの者も、アムルは信頼できると言っていた。わずかな路銀しか手を付けなかったらしいな」
「過ぎたるものを持てば、その荷物に押しつぶされてしまいます」
「確かに、おれにも過ぎたものだ。おれもこれ以上晩節を、魂を汚したくはない。あれは、貧民救済に使って貰うように頼んでおこう」
それがいいと僕も思う。
「それでは、僕も路銀にお借りしたものを返しておきます」
「それは構わないだろう」
「いえ、その中には父の私したものも入っていたのでしょう。それを僕が使ったままではいけません」
「まあ、天籍に移った者だからな。改めて手紙を出せばいい」
階段を降りると、遠く差し込む陽光が見えた。
ボルグが、その光に眩しそうに、目を細める。
そこから溢れる涙を僕は一生忘れることは出来ないだろう。
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