第82話 戦争支援のお礼
予定していた全ての準備が整った。そして、いよいよ辺境伯様が来訪される日がやってきた。
やれることはやった。だが不安だ。この街が地図から消えるようなことにならなければ良いが。
辺境伯様はスピーダーで来訪される。俺が基地滞在中に量産していたスピーダーのほとんどは、辺境伯様が買い取っているからだ。
少し前に先触れの兵士がやって来ており、街の中の雰囲気がいつもと違う。高位貴族がこんな田舎を訪れるなど初めてのことだ。住人たちは気になりつつも鬼将軍の噂は有名なので、メインストリートには人影はない。みんな隠れて様子を伺っているようだ。
領主軍の兵士が街の入口で出迎えて、領主様宅まで案内する手筈になっている。初日は領主様が挨拶するだけで、その後はホテルで休まれる予定だ。ホテルで何か問題があった場合は、すぐに商会に連絡をするように指示してある。俺も酒場の霊獣用個室でこの日は待機していたが、特に何も問題は起きなかったようだ。辺境伯様は満足していらっしゃる様子だという報告だけだった。
辺境伯様来訪二日目。この日は街の視察とローレンス商会本社を訪ねられる予定だ。そもそも今回の訪問目的はローレンス商会への戦争支援のお礼だ。俺も当事者として同席することになっている。
何だか緊張してすごく早い時間に応接室に来てしまった。シルビアさんも俺と同じ理由で同席するのだが、彼女は至って平常運転だ。彼女が淹れてくれた紅茶を飲むと少し落ち着いた。よく考えたら俺が緊張する必要は何もなかったわ。会話はほとんどフィデルさんが行うことになるだろうからな。フィデルさんは隣で精神統一していらっしゃる。緊張している様子はないが、何か考え事をしているようだ。
もうすぐ辺境伯様が到着されるという先触れが来たので、俺とシルビアさんが出迎えることにした。顔見知りが出迎えた方が良かろうという判断だ。
「お待ちしておりました。エストラーダ辺境伯様。この度はお越し頂き、誠に有難うございます。」
「うむ。久しいな、二人共。相変わらず仲が良いようで何よりだ。昨日、泊まった宿は素晴らしい宿だったぞ。わざわざ準備してくれたらしいな。二人も泊まったのか?ん?」
この人、妙にシルビアさんに絡んでくるな。まあ、楽しんでくれているみたいだから良しとするか。シルビアさんは機嫌が悪そうだが。
ホテルの感想を聞きながら応接室に案内した。しかし、従者が二人しかいない。護衛と思われる女性の兵士と執事っぽい老紳士だけだ。ああ、護衛は必要ないのか。ということは、この女性兵は身の回りの世話役かな。
応接室に入ってフィデルさんと辺境伯様が挨拶を交わす。戦争支援の礼を述べられ、しばらく今回の戦争の流れの話になった。破壊した街道が補給を断つだけでなく、敵軍の動きを鈍らせる結果になったらしい。大変称賛された。
「破壊跡の一つを私も見たが、想像していた以上だった。未だに完全には修復されていないのだからな。今回の支援がなければ、我が国の勝利はなかったかもしれない。何か礼をしたいと思うのだが、望むものはあるか?」
フィデルさんは何を要望するのか。注目が集まる。
「私としては戦争が終わったという結果だけでも十分なのですがね。強いて望むとすれば、辺境伯様の領地への出店は可能でしょうか?大規模な工場が欲しいのです。」
「うちの領地か?それはこちらとしても願ってもない話だな。昨日飲んだ酒もここの商会で作っていると聞いている。あれだけの商品が作れる商会なら是非とも欲しいな。商業ギルドマスターに良い場所を用意させよう。しかし、それだけでいいのか?出店するにしても王都とかではないのか?自分で言うのも何だが、うちの領地は大して何もないぞ?」
「王都への出店も目標にはしていますね。ただ、勝算がないんですよね。」
おや?フィデルさんにしては珍しく弱気な発言が出たな。
「この商会なら王都でも十分通用すると思うがな。望むなら王都の商業ギルドマスターにも一筆書いておこうか。ただ、私も王都のギルドマスターとは面識がないからな。どこまで力になれるか分からんがな。推薦状という形になるな。」
「では、それもお願いいたします。駄目元で挑戦はしてみようと思います。」
こうして対談は終わった。終わったのだが、辺境伯様は裏の訓練場から聞こえてくる音が気になったらしい。窓際に移動して訓練場の様子を見ている。新人たちや仕入れ部の者が、トレーニングしたり試合をしている。丁度、ソフィーちゃんとチャールズさんが模擬戦をしていた。チャールズさんは馬の世話をする必要がなくなったので、時間に余裕ができたのだ。俺も偶に稽古をつけてもらっている。
「ふーむ。実力者の気配はちらほら感じてはいたが、ここまでとはな。特にあの男は異常だぞ。本当に民間人なのか?対峙しているあの若者も将来有望だな。」
「引き抜きはご容赦ください。うちの幹部と期待の新人なのです。」
「勿論そのようなことはせぬ。だが折角なので私も参加させてもらおう。」
そういって辺境伯様は応接室から出て行った。窓から飛び降りて。
従者の二人が慌てて退出して裏の訓練場に追いかけて行った。自由過ぎる上司に、あの二人は苦労してそうだな。
辺境伯様の登場に新人たちはトレーニングどころではなくなった。
辺境伯様は仕入れ部の者から訓練用の木剣を借りている。どうやらチャールズさんと試合するようだ。チャールズさんが困った顔でこちらを見上げている。フィデルさんも困った顔で首を振っている。
辺境伯様が持っているのは両手持ち用の大き目の木剣だ。対するチャールズさんは片手用の木剣を構える。辺境伯様の先手で試合は始まった。一瞬で間合いに踏み込んで、木剣が振り下ろされる。チャールズさんは流れるような綺麗な剣さばきで受け流して反撃をしている。ブースト系スキルなしでも凄まじい剣戟だ。あの剣戟で折れない木剣もすごいな。きっと謎のファンタジー木剣なのだろう。
試合は終始、辺境伯様のペースで進み、最後はチャールズさんの木剣が弾き飛ばされて終わった。辺境伯様は何か考えているような素振りで首を傾げていたが、チャールズさんに何か言ってその場を立ち去った。
この後はネクタルの酒場の個室で夕食の約束だ。ハンバーガーショップで接待するわけにはいかないからな。料理長は先に行って準備をしてもらっている。俺も参加する予定なので向かわねば。
夕食を食べながら辺境伯様とフィデルさんが会話している。
「先程の試合は実に見事でした。噂に違わぬ素晴らしい剣の腕前でした。」
「いや、あのチャールズという男は、さっきのが本来の戦闘スタイルではあるまい。片手剣一本だけで戦うなど不自然だ。あれでよく私と打ち合えたものだ。」
「うちの自慢の従業員ですから。」
そういえばチャールズさんはいつも剣を2本帯剣しているな。普段は剣1本で戦ってる姿しか見ないんだよな。海ダンジョンの4階層の草原で2本抜いてたような気はする。あの時の俺は自分の身を守るのと肉を焼くのに必死だったからよく見てなかったな。まあ、動きが速すぎて見えなかったというのもあるけど。
「さっきの酒場のマスターもかなりの実力者だな。この商会は傭兵稼業でもやっているのか?」
「そんなことはしておりませんよ。うちは雑貨屋ですよ。この領都に来てから飲食・酒造・製菓・宿泊と手を広げておりますが。」
「それにしては個の戦闘能力が高いな。」
「成り上がり者は敵も多いのですよ。自衛手段は持っておくべきでしょう。」
「ああ、そういうことか。確かに成り上がり者は妬まれるからな。私も通って来た道だ。よく分かるぞ。他領に行っても今回のように歓迎されないこともあるからな。」
「今回の訪問は存分に羽根を伸ばして頂ければ。明日は最近この街で流行っているボートレース場を案内する予定になっております。楽しみにしていてください。」
この日も辺境伯様の機嫌を損ねることなく乗り切れた。そういえば、この人はいつまで滞在するつもりなのだろうか。明日のボートレース場を案内したら、もう案内するような場所が無いんだが。もう用は済んだわけだし、早く帰ってくれないかな。




