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「この大馬鹿者!!」


 殴られて尻餅をつく。慌てて土下座して許しを請うた。


「も、申し訳ありません!!」

「斬りかかってくる相手に手加減してどうする!! お前の役目を忘れたか!!」

「すみませ……」

「もう良い!! 今度加減などしたらお前を斬るぞ!!」

「は、はい……」


 膝をついて落ち込んでいると浅田さんが近寄ってきた。

 他の連中は皆屋敷の中へ入って行く。義勝の薄情者。……だけど悪いのは俺だ。ちゃんといつものように剣を振れなかった、俺が悪い。でもどうしてもできなかった。だってあのまま斬ってたら……あいつを殺してたんだ。いや結局死んだけどな。浅田さんの剣で。

 これじゃ俺はただ自分の手を汚したくなかった卑怯者だ。


「なぜ手加減する。今度は本当に斬られるぞ」

「……加減、したというか、殺しちゃだめだと思ったら、ああなったと言うか」

「死ぬぞ。相手は本気で殺しにかかってくる。手加減などしたらお前が死ぬ。斬られる前に斬れ」

「わ、わかってます、けど……」


 手が震えた。

 都への旅を始めて数日後、山道を歩いていたら突然浪人たちに襲われた。最初から俺たちを殺しにかかってきた。今まで見た目を嘲笑われ突然殴られたことは何度もあったけれど、あんな強烈な殺意を向けられたことはなかった。


 全然違う。あいつらは自分たちの命が消えることも厭わず、ただ俺たちを……多分殿様を殺すために向かってきた。むちゃくちゃに刀を振り回し、自分が傷つくことも構わず暴れてきた。実際一緒に警備をしていた者の一人は刀ごと頭を叩き割られて死んだ。

 無理だ。あんなの……あんなのを殺さず止めるなんて絶対無理だ。怖かった。人を殺すことというよりも、先生との約束を破ってしまうことが。先生の想いを裏切ってしまうことが。



「むう。おかしな娘だ。神野藤殿の一番弟子でありながらなぜ殺すことを躊躇う」

「え? それってどういう……」

「あの人の剣術は一撃必殺を極めその点において至高の領域に達していたのだ。太平の世にあってあの剣技は実戦に即した素晴らしいものだった、うむ」

「実戦……」

「神野藤殿はよく警備も任されていた。殿様も厚く信頼していたと聞く。だからお前のことも異例ではあったが護衛を任せることにしたのだろう」

「それって、その……先生も、人を殺し……?」

「そういうこともあっただろう。瞬きの間に人を殺すと言われていたのだから」


 瞬きの間に。

 そんなこと俺は知らなかった。


「でも……嘘だ……だって先生は……守るための剣だって……」

「なんだそれは。よくわからぬがおかしな理想を抱えて死ぬつもりならば今すぐ帰れ。あんなボロボロの剣技を見るために私はここまでついてきたわけではない」




『きっと僕にできなかったことも成し遂げられると思うんだ』




 確か昔、先生はそんなことを言ってはいなかっただろうか。

 成し遂げられなかったってことは……つまり、先生は……



「なんで何も……教えてくれなかったんだ」

「ん?」

「先生は……何も言わずに俺に斬られて……なんで……なんでもっといろいろ教えてくれなかったんだよ! 自分のこととか、何を考えてるかとか、それに他にもいろいろ……もっと教えてくれてたら、俺だって……」

「くだらないことを喋っている暇があったら明日からの身の振り方を考えることだな」


 浅田さんはため息を吐いて立ち去ってしまった。


 わかってる。全部全部俺の八つ当たりだ。本当は先生が生きている時に、あの平和だった時に俺がもっと自分から聞くべきだった。学ぼうとするべきだった。俺はあの生活に満足してて、毎日が楽しくて、心桜の体調さえどうにかなればそれで良くて、自分の将来のことを考えるのとか嫌で、欲深くて……怠惰だった。



 その後、都に着くまでの間誰かに襲われることはなかった。運が良かったんだと思う。正直いつ誰が襲ってくるかって気が気じゃなかった。

 都は殺伐としていた。しょっちゅう斬り合いがあるというのは本当なのだろう。町民は怯えているし刀を持っている連中はどいつもこいつも目がぎらついているし、あちこちの橋や家の柱なんかに刀傷や血痕がついていた。

 都に着いたら刀士郎たちを捜すと言っておきながら、この様子じゃ捜すなんて難しそうだった。下手なことを喋って仲間と思われたら俺まで斬られてしまいそうな雰囲気があった。


 到着して数日が経った。義勝も殿様も何してるんだろう。末端の俺は知らなくて良い話だけど……そもそもなんで都に来ることになったんだ? おかしいことに俺はこんなことさえ知らないまま彼らについてきている。



「昨夜あの旅籠で斬り合いがあったらしい」

「大勢殺されたらしいぞ。怖い怖い」


 何か事件があるたびにひやりとした。浅田さんや他の警備の人に聞いて亡くなった人間の名前を調べて、そこに知り合いが誰もいないことにほっと胸を撫で下ろした。だが次の日には死体に縋り付いて泣き叫んでいる女性を見かけて自分の愚かさに気づいてしまった。

 俺はいつも自分勝手だった。自分の知らない人間がどうなろうとどうでもよくて、ただ自分にとって大切な人のことしか頭になかった。


「人間とはそういうものだ。いちいち他人にまで気を揉んでいては身が持たぬぞ。そういうことは仏様にでも任せておけ。くだらぬ」


 浅田さんに鼻で笑われて少しだけ気が楽になった。

 そうだ、これでいい。これが普通だ。だけどどうしても……胸がざわつく。早くここから離れたい。この重苦しい空気から逃れたい。ずっとここにいたら心がぐちゃぐちゃになりそうだった。





 それはいつもと同じような物騒な夜のことだった。

 俺は妙な気配を感じた。殿様が宿泊される屋敷の周辺で、俺はちょうど見張りを交代したところだった。このまま自分の部屋に戻って休もうと思ったが……どうしてもその気配のことが気になって少し当たりを探ることにした。何と形容したら良いのかわからない、禍々しい気配だ。この町ではあまり珍しくはないものだけれど、今夜感じたそれを、俺はずっと前から知っているような気がした。


 冷や汗が流れた。

 もしかしたら斬り合いかもしれない。斬り合いの話を噂で聞くことはあっても、まだ俺はこの目で見たことはなかった。もし本当に斬り合いなら誰か呼ばなければならないし、逃げねばならないし……ええと、あとどうすればいいんだ? 屋敷からはさして離れていないから、もし見回りの人間に見つかってもその時は殿様の警備に当たっている者だと説明すれば大丈夫だろう。……大丈夫、だよな?



 地面を照らすと血痕が見えた。


「……ッ!!」


 真新しい。やっぱり斬り合いが……




「――――――――誰だ」




 ぞくりと背筋の凍えるような暗い声だった。

 明かりをかざそうとしたらそいつは斬りかかってきた。咄嗟に避けたが頬を擦った。多分避けなければ首を持って行かれてた。



 その声と剣技で明らかだった。



「…………刀士郎」



 お前、何してるんだよ。



 顔にも服にもべったりと血がこびりついてる。こいつが出てきた家の戸は少しだけ開いて、中から血だらけの腕が覗いていた。



「これが……お前のやりたかったことなのか」



 こんなのただの人殺しじゃないか。



「先生から教えて貰った剣術でやりたかったことが……これなのか!?」

「なんで……君がここにいるんだ」


 刀士郎の声は疲れ切っていた。

 今にも泣き出しそうな子供のように。


「君にだけはこんなところを……見られたくなかったのに」


 手が震えている。目に生気がない。暗くてもわかった。刀士郎がどれだけ追い詰められているのか。彼の剣は昔と変わらず……いや昔より冴えている。それが怖い。一体どれだけのことがあればこんな悲しみと絶望に満ちた剣になるのだろう。

 俺は刀士郎たちの掲げる思想をよく知らない。攘夷というのもよくわからない。なぜこんなことをしなければならないのか。こんなことをしなければ成就しない理想にどれだけの意味があるのか。知らないことだらけだ。わからないことだらけだ。ただ……お前が辛そうにしているのは嫌だ。



 なんであの時止めなかったんだろう。

 刀士郎が出て行ったあの夜、何が何でも止めればよかった。もし止められていたら刀士郎はこんな血に塗れたことせずにすんだかもしれない。――ああ、止めればよかった。行動していればよかった。俺には所詮無理だと思っていたけれどそんなのわからないじゃないか。俺はいつもいつも行動が遅すぎる。こんなことになってからじゃ遅いのに。遅すぎるのに。でも……でもまだ間に合うなら……









「…………帰ろう」


 震える手を差し出した。


「帰ろう。心桜が待ってる。皆の帰りを待ってる。もうこんなことやめよう。また皆で一緒に茶でも飲もう。元気になったら鍛錬をしよう。それから先生の墓参りに――」


 ぽろぽろ涙が零れて最後の方は言葉にならなかった。

 だけど刀士郎は俺の手を取らなかった。


「無理だ」

「な、なんで――」

「そんなのわかってるだろ。もう戻れない。戻れないところまで来てしまった」


 刀士郎は俺に刀を向けた。


「どいてくれ」

「刀士郎……」

「俺のことも口外しないでくれ。……頼む。君は斬りたくない。俺は早くここを離れないと――」

「だめだ」



 こんなに辛そうなのに見逃すことなんてできなかった。一人にさせたくなかった。こんなこともうやめさせたかった。どうすればいいかわからない。何が正しいのかもわからない。わからないけどただ傍にいたい。じゃなきゃ刀士郎が壊れてしまう。刀士郎が……もっとたくさんの人を殺してしまう。



「……ほむら」

「そんなボロボロで……放っとけるわけないだろ!? 頼む刀士郎、このまま帰ろう。お前が何やってたかは誰にも言わない。忘れよう? 辛いことは忘れよう。このまま心桜のいる場所に帰ろう。道場に帰ろう。それでまた一緒に……」

「ごめん」


 刀士郎は躊躇いなく俺に斬りかかってきた。

 やっぱり以前より速くなってる。しかも……俺を本気で殺そうとしてる。先生の剣術は最初の一撃を外せば残りは大したことがないはず……浅田さんはそんなことを言っていたけれど、刀士郎は違った。ずっと速いし剣筋も読めない。躱したと思ったら急に予期していなかったところから刃が飛んでくる。こんな戦い方を俺は知らない。刀を持ちながらとは思えない人間離れした動きを見せるし、砂や石まで使って攻撃してくるし、もうむちゃくちゃだ。むちゃくちゃで……つまり全部殺すためなんだ。


 刀士郎にとって刀は、何が何でも人を殺すためだけにあるんだ。



「…………ッ!!」

「見逃してくれ。追いかけてこないでくれ。君はもう俺に関わらないでくれ」



 早口で捲し立てられてもどうしていいかわからない。刀を抜いて応戦すれば……俺はきっと刀士郎を殺してしまう。



 そんなの、絶対嫌だ。



 俺は刀を抜いて投げ捨てた。刀士郎が怯んだところを鞘で殴りつける。


「ぐッ……!」


 手首を狙って刀を落とさせ、そのまま懐に潜り込んで体当たりし、勢いのまま地面に押しつけた。


「ほむ、ら……」

「ご、ごめん。でももう刀は持たないって約束してくれ。こんなことやめよう? 今ならまだお前が何をやったかなんて……」

「……だめなんだ、もう」


 刀士郎の弱々しい声に耐えられなくなって、俺はそっと彼から体を離した。刀士郎は少し落ち着いたようだった。


「もう……後戻りはできない」

「そんなこと――」

「俺は人を殺しすぎた。……ほむらは俺が怖くないのか」

「ちょっと怖いけど大したことないよ。刀士郎は俺の大切な友達だから」

「…………うん」



 刀士郎は泣いていた。

 それからハッと彼の顔が引き攣って……




「くせ者だ!!!! 捕らえろ!!!!!」




 耳をつんざくような大声が闇夜に響いた。






――――――――――



 …………あれ?

 俺、どうしてこんなところにいるんだっけ?

 今っていつだっけ? 俺何してたんだっけ?

 あ、そうだ。刀士郎……刀士郎は……



「ああああああああああッ!!!」



 強烈な痛みに澱んでいた思考が引き戻される。



「……取りあえず拷問を続けろ。女の悲鳴を聞けばあの男も口を割るだろう」



 誰かの声がする。

 誰だ? わからない。



 片方だけになった視界に義勝が見えた気がした。でもわからない。違うかもしれない。だってすごく平気そうな顔をしていたんだ。多分義勝じゃない。頭が働かない。


 知らない奴の声がする。


「こいつ……本当は裏切り者じゃないんだろ?」

「さあな」

「ここまでやるなんてやり過ぎじゃねえのか。女なのに」

「そんなことはどうでもいい。どうせ使い物にならなかった奴だし……悪いのは天馬家の連中だろ。縁を切ったと聞いていたが、息子がよほど可愛かったみたいだな」

「そりゃあれだけ神童だと可愛がっていればな」

「おかしなもんだ。全然口を割らねえがあれは罪人で間違いないだろ。いくら可愛い身内とは言え、普通罪人との縁なんて切りたい家の方が多いもんじゃないかね」


 痛い。


「天馬家が完全に縁を切ってくれていればあの男を直接拷問できたんだ」

「この娘は何なんだ? 惚れていたのか?」

「さあな。本人に聞いてみろよ。おい、お前もなんか喋れよ」


 痛い。怖い。辛い。

 右腕が千切れそうだ。足も動かない。ここはどこだ? 刀士郎は……心桜は……



「まあいい。俺たちはただ言われたことをするだけだ」



 …………痛い。

 死にそうなのに死ねない日々が続いた。ここがどこかもなんでこうなっているのかもわからない。この地獄が早く終わって欲しいとただただ願っていた。声も枯れて悲鳴すら出なくなった頃――








 唐突に地獄が終わった。


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