94 【ルベル】 決意する
街に現れた謎の映像。
あれにフレア様が現れた時は、心臓が止まるかと思った。
ゼファ様の高所恐怖症を治しに行くはずが、なぜかヴェントゥス公爵の安否がどうのという話になって、カノンはアランに伝言をするために孤児院に戻った。アランは伝言を聞くと一目散にどこかへ去って行った。シリウスだけがそんなアランの後を追ったが……あの時俺たちも一緒に向かっていればよかったと、どれだけ後悔したことか。
どれだけ……心配したことか。
「明日のダンスパーティー、カノンたちもこそっと見ていく?」
「えっ……」
「参加できるのは招待された貴族だけでしょう。従者は原則参加などできないはずですが?」
ゼファ様の提案を受けて一瞬期待に輝いたカノンの顔があっという間に陰っていく。
「大丈夫。僕宛ての招待状あげるから見に行っておいでよ。これを持っていれば止められることはないから」
「もし別人の招待状を持っていることが知られたら捕まると思いますが? 譲渡したあなたもまとめて」
「大丈夫大丈夫。そうなったとしてもヴェントゥス家の人間なら“あ~またこんなことして~”で終わるから。衛兵も慣れてるよ」
いや、慣れないでくれ。
いいのかそれで。絶対よくないだろう。
自由というかおおらかというか、よく言えば柔軟とも取れるが……ヴェントゥス家はよくもまあ没落することなく今の今までやってこられたものだ。聖騎士の力がなければ存続できなかったのではないかと思う。
「いや、でもさ~、俺らが代わりに参加はやっぱまずいですって。ルベルはまだしも、俺なんて罪人の息子だし……そう言えばルベルの両親は参加するのか?」
「さあ? 知らせはないが……もし参加するのだとしたらまずいな。即バレる。まあ、隣にお前がいれば見逃してくれるかもしれないが」
「やっぱまずいな。やめとこう。ゼファ様、ありがたいんですけど――」
「フレアに全然会えてないんでしょ?」
「…………」
「…………」
フレア様の名前を出されて、俺もカノンも思わず口をつぐんだ。
「公に出るって言うからすごく話題だよね。綺麗な衣装を着て踊るのかな。多分フレアって目が見えなくても踊れるよね。踊れないフリはしそうだけど。僕もあれから全然会えてないんだけど、お礼くらいは直接言いたいな。まあ僕はいつでもいいんだけど」
カノンが頭を抱えている。フレア様に会いたい欲と規則は破っちゃだめだという理性の間で揺れている。
「フレアってさ、どうしてあんなに自分を犠牲にして戦えるのかな? 昔から?」
「フレア様は昔っからかっこよかったですよ!」
「昔から……じゃないだろう」
思わず否定すると、カノンが「そうか?」と首を傾げた。
「フレア様は昔から誰に対しても物怖じしない人だろ?」
「それはそうだが……あそこまで自分を犠牲にする人だっただろうか」
俺の知っているフレア様は、確かに昔から気が強くてはっきりした人だったが、他者に厳しく、ジーク殿下にだけはぞっこんで、その他はどうなろうと気にもとめないようなところがあったように思う。
変わったのは……
「フレア様はお母上がシノノメ帝国のご出身でした。フレア様自身には前世の記憶などというものはない。幼い頃にそう診断されていたはずですが、恐らく、フレア様は何らかのきっかけで思い出したのでしょう。……あの映像でも、まるで人格が変わったようになっていらっしゃった。まるでフレア様ではない、別の人間のような」
口調も表情も、フレア様ではなかった。フレア様以外の何かが、フレア様の体を操って動いているように見えた。その兆候は今までも確かにあったが……あれは例えば裏組織の人間を脅すため、わざと演じてやっているだけだと思っていた。……もしかしたら、演じていたのではなく、戻っていた、のではないか。
恐らく、“ほむら”という人物に。
「少なからずその記憶によって、フレア様の行動に変化が見られるようになったのではないか、と僕は思っています」
「どんな人生を送ったらあんなことができるようになるんだろうね。イグニス邸襲撃事件のこととか、元孤児院職員の児童虐待と汚職事件のことも詳しく聞いたけれど……僕の想像以上に、彼女はよく動く人だ。恐ろしいほどに」
確かに、恐ろしい。
人を救えれば自分のことなんてどうでもいいと思っているのではないかと心配になる。
「いつか、自分の首を絞めなければいいんだけどね」
ゼファ様の言葉にぎくりとした。
今だって十分自分のことを蔑ろにして自分の首を絞めているような気はするが……その時の彼の言葉は比喩でもなんでもなく、いつか自分の命さえ誰かのために差し出すのではないかと――そんな意味が込められているように感じてしまったから。
「…………ッ」
……胸が苦しい。
あの人はどうしてああなのか。
確かに、昔のままのフレア様ならば俺はこんな苦しい思いを抱くことはなかったかもしれない。あの人がどうなろうと自業自得だと思ったかもしれない。だけど今は、どうか少しくらい昔の自分勝手でわがままなフレア様になって欲しいと願ってしまう。少しくらい自分を優先してほしいし、少しくらい甘えてほしい。そう願ってしまう。
だからこそ、ステラがいてくれてよかった。
あの晩、ステラが俺たちの言えないことを言ってくれてよかったと、女々しいことを考えてしまう。あなたが大切だと、傍にいたいと……。
彼女は本当にここから離れていってしまうつもりだろうか。王妃にはならないつもりだろうか。聖騎士である彼女がそう簡単に身分を捨てられるとは思えないが、もし彼女が本気を出せば行方を眩ませるなど容易にできるのではないかとも思ってしまう。
「泣いてたな、フレア様」
「え……」
「ルベルも泣いてたからわからなかったかもしれないけどさ、フレア様、ちょっと泣いてたんだ。ステラの言葉に、ありがとうって……」
耳が熱い。
泣いてたの? というゼファ様の視線が痛い。
「あの時は……感極まって……」
多分、よく眠れない日々が続いていたせいだ。フレア様が無事だということをこの目で確認できて、ただそれだけで胸がいっぱいになった。本当に失明されていたことでタソガレ王国への憎しみと自分の無力さに死にたくなったが、それでもその姿を、声を聞けたことで安堵した。
フレア様はなぜ泣かれてしまったのだろうか。
安心したから? 嬉しかったから? 悲しかったから? 怖かったから?
できることなら、俺は――
――――――――
結局、俺とカノンはゼファ様の提案を断った。
ゼファ様は平気だと言っていたが、バレて捕まれば重罪ものだし、何よりバレなかったとしても王宮に忍び込むような卑怯な真似はしたくない。それにフレア様に心配やら迷惑やらかけてしまうのも避けたい。……もしフレア様に何か危険が迫っているのならどんな重罪になろうと王宮にでもどこにでも忍び込むが、聖騎士たちも騎士団長たちもルカもジーク殿下も近衛騎士たちもいる。王宮はきっと今、どこよりも安全な場所であるはずだ。
庭のベンチに腰掛けて、カノンと二人夜空を眺めていた。こいつとこうして過ごすのもかなり久しぶりのことであるように思う。
今頃フレア様はどうされているだろうか。
心ない批判に晒されてはいないだろうか。あの人が貴族の世界を渡り合えるとは思えない。……いや、渡りたいと思ってはいないのだろう。どこか遠くへ行くために、貴族失格の烙印を押されたがっている。
あの人は、貴族というものを心底嫌っているのかもしれない。
「カノン、俺は……」
カノンが今どんな顔をしているのか、なぜか怖くて確認ができない。
お前と共に騎士になると決めている。
幼い頃から、ずっと。それが揺らぐことなどないと思っていた。だけど、今は……
「ルベル、俺は騎士になるよ。それは変わらない。ずっと」
「……ああ」
「お前は好きに決めろよ。俺に縛られる必要はないんだから」
「わかってる」
今までカノンとともに歩んできたのも、間違いなく俺の意志だった。
「頑張ろうぜ、お互いな」
カノンは屈託なく笑って、手にしたグラスを勢いよく煽った。
闇夜の中で、月が金色に輝いていた。




