92 震える
「フレア様、とても綺麗です。私の見立てに間違いはありませんね」
そう言われても自分じゃ全然わからないのがちょっと残念。
紫を基調とした布地に金色の刺繍とレースが施されて、すごくゴージャスな大人っぽいドレスらしい。いつもはストレートの金髪はふわふわと巻いてもらって、さらに金粉をはたき、濃紫の髪飾りをつけてもらってる。化粧はドレスとは対照的に、少女らしい柔らかな雰囲気が出るよう抑え気味に、淡い色合いで施してもらった。
王宮でのダンスパーティーは実は初めてだ。私はデビュタントもまだだから。本当なら今回が私にとってのデビュタントってことになるのかもしれないけれど、こんなゴタゴタのついでにデビューしても嬉しくないのでこれはカウントしないことにする。
正直、社交界の初舞台であるデビュタントに興味がないわけじゃない。せっかく貴族の令嬢になったのだから一度くらいダンスパーティーを体感してみたいとは思ってた。可愛いドレスで着飾るのは好きだし。まあ、社交界自体は多分どろっどろしてるだろうからずっといたいとは全然思わないんだけど。
ステラに可愛い可愛いと絶賛されて良い気分に浸っていると――
「――これは」
ヴェントゥス公爵が迎えに来てくれた。
一旦イグニス邸の方に瞬間移動してもらって、ルカたちと馬車で移動するらしい。面倒だけど、まあこれも私の今後の安全のためだとか。いっそ王宮に直接送り届けてもらってもよかったけれど、私が王宮で暮らしていると思われるのは女王としてはあまり好ましくないらしい。多分、少しでも危険が王宮に向くことを避けたいのだろう。
「お美しいですね」
「ありがとうございます」
私はフフン、と胸を張ってから、ステラの方へ顔を向けた。
「じゃあ行ってくるわね」
「ご武運をお祈りいたしますわ」
残念だけど、ステラはこのままお留守番だ。
ダンスパーティーに行く令嬢に対して「ご武運」て……とは思ったけれど、あながち間違ってはいないか。
公爵の手を取り、移動させてもらったら次の瞬間にはイグニス邸の一室に切り替わっていた。
「フレア……!!!」
あ、ルカの声だわ。
嬉しくて思わず顔が緩んだ。そしたらルカの気配がちょっと戸惑ったような感じになって、不思議に思って首を傾げる。
「ルカ……?」
「あ、ううん、久しぶり、フレア。あれからずっと会えなかったから……会えて嬉しい。すぐに会いに行けなくて……本当にごめん」
「いいのよ。仕方がないでしょう。それより怪我は良くなった?」
「うん。もうすっかり治ったよ」
早く褒めてくれないかなあとそわそわしてると、公爵夫人と幼いルチアが私の名前を呼びながら駆け寄ってきてくれた。
「フレア!! ああ、なんて綺麗な……」
「お姉ちゃん! キラキラ! 綺麗!」
ルチアの頭をよしよしと撫でる。ちょっと見ない間にまた背が伸びたみたい。公爵夫人が心底私のことを心配してくれていたのが伝わって、公爵家と縁を切ると発言したことにチクりと罪悪感を覚えてしまう。……彼女たちの後ろの方ではイグニス公爵が控えていた。視線は感じるけれど、取りあえず気づかないふりをした。向こうも私に声を掛けてこない辺り、どう接して良いのか計りかねているところかしら。
ルカにエスコートされて、馬車へひらりと乗り込む。
本当は目が見えなくても段差との距離感やサイズ感なんかは把握できるんだけど、ルカは私が間違っても躓かないように丁寧に付き添ってくれた。こういうところが良いのよね。ジークとは全然違う。あいつ、私を二度も蹴り落としたからね。ほんとどうかと思うわ。
ルカは珍しく口数が少なかった。いつもならもう少しお喋りしてくれるのに。彼もまだそんなにダンスパーティーには行ったことがないでしょうから、緊張しているのかもしれない。ルカは顔面も性格も家柄も良いから、いろんな令嬢からアタックされてるらしい。そもそも彼にはまだ婚約者がいない。ルカなら選び放題だろうなと思う反面、地位と財産目当てのとんでもない女性に引っかかるのだけは阻止しなきゃなと思う。
そのうち馬車が王宮に到着した。
賑やかな人の声が聞こえてくる。煌びやかなダンスホールや麗しい貴婦人たちのドレスが見られなかったのは少しだけ残念ね。まあ、大体を想像することはできるんだけど。立ち上がろうとした時
「待って」
「え?」
ルカに呼び止められて、そっと顔を近づけられる。動揺して動けないでいると――
「……綺麗だよ」
そっと耳元で囁かれた。
咄嗟に耳を押さえて、徐々に顔が熱くなるのを感じた。
……ずるい。会った時に言ってくれなかったらもう言ってもらえないと思って油断してた。まさかルカにこんな不意打ちを食らうとは思わなくて、もしかしたら将来的には彼は悪い男になってしまうのではないかと変な心配をしてしまう。
だって囁かれた声が、妙に大人っぽくて……なんて言うか、色気まで感じてしまったから。
「ま、まあね!」
擦れた声で返すしかない自分がちょっと情けない。
ルカがふっと微笑んだ気配があって、思わず睨み付けてしまった。
「ごめん。からかったんじゃなくて」
「わ、わかってるわよ。私が可愛いのは事実だもの」
「うん。フレアは可愛い」
……目が見えなくて良かったのかもしれない。
今目の前にルカの綺麗な顔があったら、私は本当に平静じゃいられなかったかも……
「フレア」
一気に現実に引き戻される。
「迎えに来た。さあ、ここからは僕がエスコートしようか」
妙に迫力のあるジークの声に、なぜか自分が悪いことでもしていたような後ろめたい気持ちになる。いえ、ルカにどぎまぎしたのは自然の摂理であって、これは浮気でもなんでもないのだけど。
「殿下、フレアは今……目が」
「それがどうしたって言うんだ? 僕の婚約者はその程度のことで馬車から降りられないような可憐な女性ではなかったと記憶しているが」
……こいつ。
いちいち苛つく言い方するんだから。
つーか普通可憐とか関係なく盲目の人間はそう簡単に馬車から降りられないからね!? 屈強な野郎だって降りられんわ!!
いろいろ思うところはあるけれどここで無様に騒ぎ立てても仕方ないので、私はルカに笑みを向けた。
「ルカ、私は大丈夫よ」
「でも……」
「大丈夫。じゃあまた後でね」
差し出されたジークの手を取って思い切り力を込めた。一瞬ジークの気配が怯んだような気配があったけれど、声には出なかった。
「そ、それでこそ僕の婚約者だ。さあ行くぞ」
「あんたねえ、もうちょっと女性に優しくしないとモテないわよ? 私と破棄した後誰からも好かれなかったらどうするの?」
「そんな未来は想定していない」
「想定しときなさいよ。そりゃ王妃になりたい女性なんていっぱいいるでしょうけど、その後の結婚生活とか――」
ルカはすっごく丁寧だったのに、ジークは階段を前にしても一言もないし歩く速さも緩めない。むしろ速くなっている気さえする。
「……ルカとは全然違うんだから」
「君の義兄は過保護が過ぎるんじゃないか。普通の令嬢相手ならわかるが君相手に配慮など不要だろう。そんなことより、どうしてさっきは顔を赤らめていたんだ?」
「えっ」
「義兄相手に恋情など抱いているなら諦めることをお勧めする」
「そんなんじゃないわよ!! バカっ!!」
思わず声を荒げそうになって慌てて抑える。二人きりの自室ならまだしも誰かに聞かれたらやばい。王太子がエスコートしているだけあってあっちこっちから視線が突き刺さってきてるし。
「いい? ルカは理想の男性ってだけ。義兄に恋なんてするわけないでしょ。あんたも少しはルカを見習いなさいよ」
「はっ、あんな気弱な坊やのどこがいいんだか」
「坊やって……同い年じゃない」
「精神年齢は僕の方がずっと上だ」
……うーん。そうは思えないんだけど何を根拠に……。さっきからどうもイライラしてて機嫌が悪い。私とルカが親しそうにしているのを見て嫉妬だとしたら可愛いもんだけどそれはあり得ないし……だってあのジークだもの。玩具を取られそうで癇癪を起こしてる、だったらなんとなくしっくりくる。
ダンスホールはすでに大勢の貴族が来ていた。王太子の登場に周囲が俄にざわついて、次々に挨拶に向かってくる。私はジークの隣で大人しく挨拶を交わしながら、贈られる賛辞を聞き流していた。心からのものはほとんどないと言っていい。中には言葉の裏に「あんな野蛮な教育をどこで?」「公爵邸から追い出された後はさぞ底辺の人間と関わってきたのでしょうね」というわかりやすい皮肉を込めてくる連中もいて、正直うんざりした。
しばらく経ってから、楽団の演奏が静かに止まった。
それを合図に女王が奥の扉から姿を現す。なんだかすごく豪華な衣装を纏っていることだけはなんとなくわかる。
「この度、タソガレ王国との貿易を開始するとともに、防衛面や文化交流の面においてもこれまで以上に親密な関係を築いていくこととなりました」
実際に条約を締結したのはジークだったはずだけど、女王はまるで自分が進めていったように条約の素晴らしさについてかいつまんで語り、それから背後へと顔を向けた。
「こちらはタソガレ王国の第二王子リアン・マギーア殿です。今回の条約締結を祝して参列してくださいました」
一人の青年が前に進み出て挨拶をする。雰囲気しかわからないけれど、堂々とした立ち居振る舞いは王族の威厳に溢れていた。
「……では、皆様もご存じの通り、今回の功労者とも言えるご令嬢を紹介いたしましょう。――フレア・ローズ・イグニス。前へ」
ああ、遂に来たわね。
視線がビシバシ突き刺さる。私はジークの手を放して女王の前までゆっくりと進んだ。目を閉じたまま、ちょうどよく離れた場所で止まる。
「この度はご苦労でした。まさかあなたがあのような大立ち回りをするとは、私とて想像したこともありませんでした」
「……恐れ入ります」
「あなたの払った代償はあまりに大きいものです。王太子の婚約者であるのに目が見えないなんて。もし今後王妃になるにあたって不自由なことがあれば、その時は優秀な側近があなたを支えてくれますから、どうか心配しないで。……ああ、ですが」
女王はきっと今、ものすごく綺麗な笑みを浮かべている。
「王妃になるというのはそれだけで大きな重圧ですもの。辛く険しい道に怯えることもあるでしょう。肩の荷が重い時はいつでも私に相談してくださいね。私はあなたの未来の母なのですから」
どうも素直に受け取れないのは私の性格が悪いせいかしら?
暗に王妃を辞退しろと言われているような感じがするんだけど。まあこれは私の未来も明るいってことで良いわよね? にっこり笑って感謝の意を返そうと――
「ご心配には及びませんよ、女王陛下」
私の代わりに返事をしたのはジークだった。
スタスタと私の隣に立って、私の手をそっと取る。
「彼女は未来の王妃であり、僕の妻になる女性です。目が見えないくらいなんだと言うのでしょう。……ですが、そんなに目が不自由なことが心配だと言うのなら、僕も考えがあります」
何をするつもりなのかと思っていたら、ジークは私に向き直って、私の薬指に指輪をはめた。女王が息を呑む気配がした。
「それは……」
「婚約の証です。イグニス家の薔薇と王家の紫の花をあしらいました。……フレア、実際に見てみたいかい?」
「え……?」
何が起きているかもわからないままそっと顎を掴まれる。
まさか衆人環視の中でこんなことをされるなんて思わなかった。だから動けなかった、反応できなかった。まさかまさかまさか…………こんなところでキスされるなんて。
「…………ッ!!!」
ふざけるな。
いきなり何するのよ。
この変態王子。金玉を切り刻むわよ。
……暴言が濁流のようになって体を駆け巡った。だけど、次の異常事態に私は固まったまま動けずにいた。
光を失ったはずの右目が、光を取り戻したのだ。
鮮やかな煌びやかなダンスホールが目に飛び込む。急に鮮やかになった視界に目眩がする。チカチカと輝く世界の中で、ジークの視線が私に突き刺さる。
「えッ…………」
視界に映ったジークの右目は……
光を失っていた。
「ど……なん……で……」
理解できなくて言葉にならなかった。
ジークは別人みたいに柔らかな笑みを浮かべて、私の耳元にそっと囁いた。
「これで君は僕から逃れられない」
ルカに囁かれた時とは正反対の震えが体を走った。




