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 あれから数週間後……


 私はアクア領内の屋敷で静かな暮らしを送っていた。

 私に割り振られたアクア家の使用人たちは口数少なく、いつも淡々として、仕事は完璧だけど人間味に欠けていた。最初は私のことが嫌いなのかしらとか思っていたけれど、多分性格だと思う。私のことは嫌いでも好きでもないのでしょう。

 たまにレオンが来て様子を見に来るけれど、相変わらず私のことが嫌いな彼は「父上に命じられているだけだ。クソ、なんで我々がお前の世話なんて……」とイライラ文句を言いながら帰って行く。案外これくらい感情を見せてくれた方が少しほっとするかもしれない。


 

 アクア家が選ばれたのは、一言で言えば彼らが人を隠すことに長けていたからだった。複雑な地形といくつもの川、罠の張り巡らされた領地に屋敷。隠れるにも逃げるにしても、アクア家はぴったりらしい。さすが謀略家が多いアクア家というか、疑り深いというか、ネチネチしているというか……。

 どうやらイグニス公爵が相当根回ししてくれたらしい。贖罪のつもりなのか気まぐれなのかいまいちわからない。大嫌いなアクア家に頭を下げたんだとしたら、ちょっと同情はするけれど。




「つくづくあなたがいてくれて良かったわ」

「光栄です。私ももし自分一人でここに放り込まれたら不安ですわ」

「多分ステラは何とかなると思うわよ……」

「ふふ。ところでフレア様、明日のパーティーの髪型もアクセサリーも、本当に私の一存で決めてしまってよろしかったのですか? 何かご希望は……」

「特にないわ。宝石の類いは見てもわからないし。ステラのセンスは信頼してるから任せるわよ」


 

 あの変態兵器がどうなったのかは何の知らせもないまま、久しぶりに人前に出ることになった。ドレスはジークとお揃いで、それ以外は全部ステラに任せてある。

 変態兵器について何の知らせもないってことは、消息は多分つかめないままなんだと思う。でも孤児院の子供たちも元気にしているそうだし、王宮でも何か目立ったことがあるわけでもない。あの兵器があの後ひっそり壊れていたならいいなと思うけど……そううまくいっているようにはどうも思えなかった。杏の描いた世界ではどうなっているのかしら。原作とはもうだいぶ違う展開になっているし、ふわっと作ったところは杏自身もよくわからないと言ってたけれど……。



 明日は祭りだ。タソガレとの新しい条約締結を祝福して、王都一帯で食べて歌って飲んでのどんちゃん騒ぎをするらしい。

 貴族たちは王宮に招かれてダンスパーティー。そこで一応私の功績を称えるらしい。功績……とは言っても、ほとんどの貴族が私のことを珍獣扱いすることは目に見えてる。ジークが“大人気”と言ったのはあくまで平民とか騎士とか、そういう層からの話。公爵令嬢があんな言葉遣いであんな立ち回りをしたことを貴族がよく思うわけがない。嘲笑されて馬鹿にされるのは目に見えてる。イグニス家はそもそも武勇を重んじる家柄だし、ヴェントゥス公爵家は助けられた側だからまあ感謝するのはわかるけれど、他の貴族はそうはいかない。

 嘲笑われるために出席するなんて本当に最悪だけど、まあこれも婚約破棄のための第一歩と思えばいいか。きっと彼らは表向きは私の功績を口々に称え、裏で「あれが未来の王妃はあり得ない」と私を引きずり下ろすためにいろいろ裏工作をしているはず。まあ今までもあったんでしょうけど、それが更に活発になるでしょうね。



 せいぜい頑張ってちょうだい。

 私の幸せな婚約破棄後の生活のために。



「ねえステラ、婚約破棄されて公爵家とも縁を切った後なんだけど、どこか住んでみたい場所はある?」

「そうですねえ。アカツキ王国のことはよくわからないのですが、もし国外でしたらアケボノはごめんです」

「そうね、私もそこは嫌だわ。あ、私シノノメ帝国は嫌」

「私もあそこは変わった人が多そうなのでお断りですね」

 その変わった人ってもしかして私も含まれてる?

 あ、ちょっと今私から視線逸らしたでしょ。目が見えなくてもわかるんだからね、そういうの。

「後は……南の方に、気候が温暖で野菜や果物のとっても美味しいレイメイ王国というところがあるそうです。一度そこに逃げるのも良いなと思ったことがあります」

「ふうん。レイメイ……あ、確かその国の人は動物と喋れるのだっけ?」

「そうです。面白いですよねえ。穏やかで優しい人たちばかりだそうですよ。あ、ただ菜食主義なのでお肉は禁止されています」

「……そこはちょっと考えものね」

「私も鶏肉が食べられなくなるのはちょっと困ります」


 ステラとシリウスがいればきっと退屈はしないでしょう。

 もし孤児院の子供たちで一緒に来たいと言う子がいれば、その子たちを連れていくのも良いかもしれない。リクはあんなに懐いてくれたし……うん、特別な誰かだって、移住した先できっと見つかる。何も一人で生活を始めなきゃいけないわけじゃないもの。皆と暮らしながらゆっくり見つけていけばいい。


 あの夜のことを思い出すと、今でも不思議な心地になる。ステラは、シリウスと同じくらい私のこと大切だって言ってくれた……のよね。彼女にとっての特別な存在はシリウスだけだったはずなのに。考えれば考えるほど、胸がむずむずして変な感じになる。



「? どうかされましたか? 何か良い案が?」

「いえ……」



 ずっと欲しかった特別な誰か。

 ずっと……

 私だけを見て欲しい。私だけを大切にして欲しい。他の誰を差し置いても私を一番に選んでほしい。ずっとずっと、そうして自分を特別に愛してくれる存在に憧れていた。そうすれば私は幸せになれると信じていた。


 でも……それが本当に、私にとっての幸せなのかしら。

 幸せになることばかり考えていたけれど、ずっと欲しかった言葉なら、気持ちなら、もうあの時もらったのかもしれない。孤児院の皆が、ステラやカノンたちがすごく心配してくれた。あれからだいぶ時間が経つのに、今でもこんなに心が温かい。だとしたら……これが幸せだって言うことなのかしら。



「……ばかね」

「フレア様?」



 幸せ……そう、本当はずっと知っていた。

 前世で感じていた幸せ。先生がいて、友人がいて、妹みたいに大切な子がいて……幸せだった。本当は幸せがどういうものか、私はよく知っていた。確かに誰かにとっての特別にはなれなかったかもしれない。私は誰にとってもその他大勢だったかもしれない。けれど、それでもあれはあれで幸せだった。身分や家族のことで悩むことはあったけれど、大切な人がたくさんいて、ご飯が美味しくて、毎日が満ち足りていた。本当は、邪魔な記憶なんて一つもなかった。幸せだったから。だから……



 “今度こそ幸せになりたい”んじゃなくて、本当は“今度こそ幸せを手放したくない”

 今度こそ全部守り抜きたい。何一つ失いたくない。皆で仲良く年を取っていつまでも幸せに暮らしたい。もし、もしもう一度あの頃のような幸せを手に入れられたら……



 それが、私の本当の願いだった。



「……なんでもないわ」

「フレア様が穏やかに微笑んでいらっしゃる。すごく珍しいですね」

「わ、私は公爵令嬢よ! 優雅に微笑むのは当然でしょう!」

「ふふっ、フレア様の笑顔は可愛らしくて好きですよ。殿方がメロメロになる理由もわかります。いつもプンプンしているのに、不意にこんな可愛い顔をされるんですから」

「あんたねえ……」

 具体的に誰がメロメロになっているのか気になるんだけど。シリウスならいつもツンツンしてるし、メロメロとはほど遠いじゃないの。

「眉間に皺を寄せてはせっかくのお顔が台無しですよ? これはこれで可愛らしいですけど」

「うるさいわね!!」

「フレア様は今誰のことが一番気になっておいでですか? シリウスちゃんですか? シリウスちゃんですよね?」

「ちょっと! 圧が凄いんだけど!!」

 ステラが私とシリウスをくっつけようとしているのはわかるけど、本人の気持ちをまるっと無視しているのはどうにかしてほしい。

「どうなんですか? ちょっと気になるとかないんですか? 好きな男性のタイプとか」

「あんた、めちゃくちゃぐいぐい来るようになったわね……」

「だって気になるんですもの~。あんまりこういう話はしてこなかったですものね。ほらほら、お聞かせくださいませ」

「…………気になる、ていうのはないわ。まだ一応婚約者がいる身だし」

「好きなタイプは?」

「顔面はルカね」

 自分でも驚くほど即答していた。

「あら、ルカ様ですか」

 ステラも少し驚いている。

「ああいう優しそうな綺麗な顔って安心するじゃない。ふわふわしててお人形さんみたいで。見てて飽きないし。照れるとすぐ顔が赤くなるのも可愛いわよね、女の子みたいで」

「では中身は?」

「それもルカかしら」

「えっ」

「好きになるならとにかく優しい人がいいわ。何でも許して包み込んでくれそうな人がいいの。ルカなら私のことちゃんと大切にしてくれそうだし、私の知りうる男性の中で一番優しいわよね。たまに怖くなるときがあるけど、あれはルベルの影響かしら」


 あの戦いからルカにはまだ会えていない。きっともう怪我も治っているでしょうけど、この生活に入る前に一度くらい会いたかった。顔はもうしばらく見ることはできないけれど、声くらい聞きたかった。私、ルカの落ち着いた柔らかな声もけっこう好きなのよね。


「………………それはもうルカ様が好きなのでは」

 ステラの声が珍しく暗い。

「何言ってるの? 血が繋がっていないとは言えルカは兄よ? それに公爵の跡を継ぐの。だから彼に恋愛感情を抱くことはないわ。そこはちゃんとわきまえてるから」

「なるほど! それはそうですね! 

 ステラはぱんっと手を叩いて急に元気になった。

 私は話のついでに、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「それより、ステラの方はどうなのよ」

「え? 私?」

「カノンのこと好きなんじゃないの?」

 一気に体感温度が下がった。

 思わずぶるりと体が震える。

「え、えっと……違う、の? なんとなく、そんな気がしたんだけど……え、違った?」

「…………そんな、違うに決まってるじゃないですか、フレア様。私、好きになるならまず第一にお金持ちと決めていますから。ええ、ヴェントゥス公爵なんて素敵ですよね。まだ奥方はいらっしゃらないみたいですし」

「えっ、公爵目当てなの?」

「いえ、例えばの話ですよ。それくらいお金を持っている方がいいなあと言うことですわ」

「ふーん、てっきりカノンが好きなんだと思ったけど」

「…………それはなぜ?」

「何て言うか、カノンに話しかけられた時は顔が違うって言うか……嬉しそうって言うか。それにチラチラ見てる時もあったわよね、カノンは気づいてないみたいだったけど。なのに何か用事があっても必ずルベルに話しかけに言ってるのも逆に変って言うか、絶対自分から話しかけにいかないし。あ、あと赤い小物が増え――」

「もうその辺りでおやめくださいませ!!」

「…………ねえステラ、やっぱりあなた――」

「何のお話かわかりかねます!!!!」


 扉の外にまで響きそうな大声だった。


 正直、その反応で十分。思わず口元がにやけて、変な声が出そうになる。もし目が見えたらステラの真っ赤な顔が見れていたのにと思うと本当に惜しいことをしたなと思う。


「ふふっ、素直じゃないのね。ふふふっ」

「わ、私は資産のない平民には興味がありません!!!」

「騎士になったらきっと稼ぐわよ?」

「そんな危険な仕事で身一つでやっていく人を夫になんてしたらあっという間に未亡人ですよ。私は安定した仕事で成功を収めて財産を築いている方がいいのです。そのためなら何十歳年上でも太っていてもハゲていても構いません!!」

「そんなムキにならなくても……ふふっ」

 好きと言っているようなものじゃないの。

「もう!! にやにやしないでくださいませ!!」

「良い話が聞けてよかったわ。ねえ、じゃあカノンも何とかして連れて行く? 裏で手を回して試験を落とし続ければなんとかなるかもしれないわよ」

「結構です!! フレア様だってそんなことしたくないくせに」

「可愛いステラのためなら頑張るわよ?」

「からかわないでくださいませ! そうだフレア様、明日のドレスの試着をもう一度しておきましょう。アクセサリーももっといろいろ試してみません?」

「えっ、いいわよ、面倒くさい。あれコルセットが苦しいし――」

「さあほら、立ってくださいませ!」


 ステラをあまり怒らせてはいけない。

 その後、コルセットをぎゅっぎゅっと絞られながら強くそう思った。


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