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88 再会する


――――


 深夜。


 僅かな気配を感じて咄嗟に手を伸ばした。殺されるかと思ったけれど、首元を擽ったのは冷たい刃先じゃなくて聞き慣れた声だった。



「惜しい。もう少しで君にキスができたのに」

「……はあ?」



 そんな甘ったるいことを言う奴ではなかったはずだけど。腕がぞわっとする。



「乙女の部屋に無断で入るとかどうなってんのその神経。しかも深夜に」

「君も前に似たようなことをしただろう」

「あれはいろいろ事情があって……」

「僕もいろいろ事情があってね。しかも主に君関連で」



 ジークはベッドに腰を下ろしたまま肩をすくめるような動作をした。なんとなく疲れているような感じがある。ジーク以外にもう一人……



「夜分遅くにすみません。あなたには何も知らせるなという殿下からの命令で……」

「ヴェントゥス公爵……」

「今からあなたを孤児院にお送りします」

「どうして? 何が起こってるの? そもそもジーク、あんたはいつ……」

「タソガレから帰ってきたばかりでヘトヘトの僕をもう少しくらい労ってはくれないのか? なかなか大変だったんだぞ。伯爵たちの身柄を引き渡して条約を結んで……しかし今回のことで貴族派が力を削がれたとは言え、そう簡単に国はまとまらない。タソガレ王国がこれから崩壊するか存続するかは国王にかかっているな。やれやれ、王宮というのは大変な世界だな。あちらは陰謀渦巻く危険な……まあここも似たようなものか」


 なんとなく手を伸ばして無断でジークの顔に触れた。

 ペタペタ触っていると、彼が眉間に皺を寄せたまま固まっているのはわかった。


「…………何をする」

「本当にジークなのね。……あの変態兵器じゃないでしょうね」

「違うに決まってるだろう。触るな、ぞわぞわする」

「私今目が見えないんだけど」

「今は顔を確認している暇はない。公爵」

「え、私このままで移動するの? これで? 寝間着よ?」

「公爵」

「……よろしいのですか、殿下」

 全然よろしくないわよ。

「どうせ向こうにドレスはあるし躊躇っている暇はない。そもそも彼女自身に恥じらいがあるならまだしも、人前ですぐ着替え始めるような痴女だぞ」

「ちょっと」

「毛布でも被っていたらいい」

「あんた婚約者への扱いが酷すぎない!?」


 結局ろくな説明もないし。

 そのままふわっと体が浮き上がるような不思議な感覚があって、一瞬で本当の自分の部屋に戻ったことを悟った。



「!! お姉ちゃん!!!」

「フレア様!!」

「…………ッ!!」


 声と気配で、子供たちが息を詰めて待ってくれていたことを知った。一番に腕に飛び込んできたのはリク。ぎゅっと抱きついてきた体をよしよしとさすると、声を押し殺して泣き出しちゃったけど、その後は次々に子供たちが飛び込んでよしよしするどころではなかった。いくら私でも押し潰される……と思っていると、誰かが「フレア様を殺す気ですか」と子供たちを剥がしていく。


「フレア様、目は……」


 ステラの優しい声だ。


「目は見えないわ。今も、何もね。私の場合はそんなに不自由ではないから大丈夫。あ、シリウス。シリウスは無事?」

「俺は……無事だ」


 シリウスの声もする。


「よかった。たくさん働いてもらったわね。特別ボーナスあげるわ。ジークが」

「僕はそんなこと言ってないぞ」


 ジークは深いため息を吐いた。


「これは僕の温情だ。これからしばらく会えないだろうから、ついでに別れを済ませておけと」

「え……」

「王宮は決して安全な場所じゃない。本当なら最初から君の場所は秘匿しておきたかったんだ。君はこれから僕の用意した屋敷で暮らすことになる。理由はわかるだろう」


 ジークの言っていることが、例の義勝……変態兵器のことだろうと推測する。あれはきっと私を追い続ける。私が今までのようにここにいるということは、子供たちに危害が及ぶということだった。


「彼らはそこに連れて行けない」

「……私、この子たちの就職先とか事業を始める場合のお金の工面先とかいろいろ……」

「それは僕が引き受ける。この孤児院にも優秀な人材を送ろう。君ほどうまく運営できるかはわからないが」

「私がここに戻ることは――」


 答えがわかっていたのに、聞かずにはいられなかった。


「ないと思った方がいい。落ち着けば様子を見に来るくらいならばできるだろうが、今の君がここに暮らすのは危険すぎる。……いろんな意味で」

「え?」

「今や君は国内外問わず大人気者だ。それは自覚した方がいい」


 大人気……ねえ。

 取りあえず有名になったことで危険は多くなってしまった。

 今回のことがもう少し経って風化されるまではあまり目立った行動はしない方がいいかもしれない。好戦的な輩とかに勝負を挑まれるなんてこともあるかもしれないし。



 でもまさか、こんな別れなんてね。

 いつかは……それこそ3年以内にここから出て行くだろうとは思ってた。でもそれは今じゃなくて、もう少し先のいつかだった。ルカを助けに行ったことを後悔はしていないけれど、こんな突然の別れがあるとは思っていなかった。



「フレア様……」

 少し擦れた、低い少年の声。久しぶりすぎて、誰なのか一瞬わからなかった。

「ああ、カノンね。私がいない間いろいろ大変だったでしょ。ありがとう。ルベルは?」

「ルベルは、その……」

「…………ッ」

「言葉に……ならないみたいです」

「え」


 リクや他の小さな子供たちがぐすぐす泣く声で気づかなかったけれど、よくよく耳を澄ませると、ルベルが声を押し殺しているのが雰囲気でわかってしまった。



「ル、ルベル……」

「…………」

「そんなに、大変だったの? その……仕事」


 ……我ながらバカなことを言ってしまったと思う。






「あなたが!! あなた、が……ご無事か、と……ただ、それだけを……」






 ……どうして


 どうしてあなたがそんなに泣くのよ。

 あなたの本当の主人はカノンなのに。

 あなたは私のことを、最初はあんなに嫌っていたはずなのに。

 でもそれも、もう3年近く前のことだったと思い至る。

 

 いろんな思い出が巡って、頭が真っ白になって、ただ口から零れるように落ちたのは……



「ご、ごめんなさい……」



 心配かけて、ごめんなさい。



「あなたがその、そんなに心配してくれてるとは……思わなくて」

「…………ッ」

「もっと謝れ。あんたは無茶しすぎだ、いっつも」


 いつもなら「なんですって」と返しそうなものなのに、乱蔵相手にもそんな言葉が出ない。


「……フレア様。フレア様はいつか、婚約破棄して公爵令嬢でもなくなって静かな田舎に引っ越すおつもりですか?」


 ステラの言葉にぎくっとする。その人生計画まで聞かれていたのだと思うと、また一気に恥ずかしさが込み上げてしまう。


「え、ええ……」

「王太子殿下という優良物件を放棄するのですか?」


 ステラ、あんたジークがいるのによくそんなこと口に出来るわね。わかっているでしょうけど、一国の王子を物件扱いするなんてここが王宮なら首が飛ぶわよ。……まあ、普通王宮じゃなくても首が飛んでもおかしくない気がする。


「私は本当に好きな人と――」

「それはあの変態兵器のことか」


 凍り付きそうなジークの冷たい声にぞくっとする。


「な、何ばかなこと言ってるの?」

「キスされて本当は嬉しいんじゃないのか? 君のようなじゃじゃ馬を好いてくれるものなどあの機械程度かもしれないぞ」

「はあ!?」

「フレア様、口づけされたのですか? 殿下以外に?」


 ステラがずいずい切り込んでくる。顔が自然と熱くなって、目が見えないから視線が合うこともないのに顔をうつむけてしまう。


「不意打ちよ!! 本当、本当最悪だわ!! 初めてだったのに、あんな、あんな……」

「あら、お嬢様は純情なのですね」

「貴族の令嬢であればこれが普通よ!! それにステラだって、初めてのキスは特別なものでしょ!?」

「お金さえ出していただければいくらでもキスして差し上げますわ」

 た、逞しい……。

「……あんたに聞いた私がバカだった」

「ふふ、でもそれなら、そんな純情なフレア様のいつかの旅のお供に最良の子がおりますわ」

「え?」


 ステラがシリウスの肩を持ってずいっと私に迫ったのがわかった。


「シリウスちゃんは顔よし、性格よし、これから身長も伸びる予定なのでスタイルも良し。それに純情でとっても一途な子です」

「ちょッ……あ、あね――!?」

「フレア様、シリウスちゃんも私も、その時はあなたについていきますからね。だって私には借金がありますし、そう簡単にあなたから離れられないんですから」

「そのことだけど、それはもう――」

「離れたくもありませんからね」


 そっと囁かれた言葉は、意外なものだった。




「私、今シリウスちゃんと同じくらいフレア様のことも大切なんですよ」




 あんなにシリウスだけを守ろうと必死だったステラが――

 私のことを、“特別”みたいに話す。

 以前の彼女なら、どんなに私に恩義があろうと私についてくることはなかったはず。危険だから。それに見合うだけの得がないから。シリウスのことを第一に優先にしたはず。なのに……



「だから、一人でいなくならないでくださいね」




 いつか乱蔵に言われたことだった。

 いつの間にか、本当にいつの間にか……これじゃまるで…………



 ぎゅっと抱きついてきた子供たちも、ステラも、シリウスも、カノンも、ルベルも……乱蔵も





「…………ありがとう」






 家族みたいじゃない。






 王宮で聞かされた中身のない賛辞よりも、ただこの場所にいることの方がずっと心地良い。



 本当は、彼らに会うのが少し怖かった。

 刀を振るったところなんて初めて見せるし、化け物と罵られるかもしれないと思った。いよいよ嫌われるかもしれないと思った。それなら二度と会いたくないと思った。


 

 ぽろりと涙が零れた。



 王宮で随分気を張っていたことを、ようやくここで自覚した。

 本当は早く会いたかったし、急にいなくなったことを謝罪したかった。「よくやった」じゃなくてこんな風に「心配した」と言ってもらいたかった。



 最初は利用するためにここに引っ越した。

 今ならば、きっと私がどんなに無能な人間に成り下がったとしても、彼らは一緒にいてくれようとするのではないかと、思える。




「ありがとう」




 少しだけ零れた涙を指先で拭う。

 自分でも驚くほど肩の力が抜けた。










「――――弱ってるねえ、フレア様」

 声を投げかけたのは、この場にはいないと思っていた人物だった。


「……レイン?」

「診察に来たよ。失明したんでしょ?」


 そう言って、レインは私の目の前を陣取った。


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