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8 生まれる


 ソフィア・ローズ・イグニス。


 この人の苦しみを私は知らない。

 あの父親が愛した唯一の人。それだけで、私が憎むには十分過ぎた人。父親の愛情なんて諦めた今となっては、この人個人に特に何の感情も抱いてない。成り行きで助けはしたけれど、別に彼女だろうとそうでなかろうと私は助けただろう。




 …でも今は、彼女の姿に、記憶にすらほとんど残っていないはずの前世の母親の姿が被る。

 私を気味悪がっていた母親。自分のことを汚れていると責め続けた母親。


 『こんな気持ち悪い鬼子を産んでしまってもう生きていけない』





 ……怒りがふつふつと湧いてくる。

 なんなの? それ。気持ち悪いとか、汚れてるとか。せっかく生まれてきた私に対して失礼とは思わないの? 私は汚れた人から生まれたの? 汚れた血なの? だから生まれてきた時から汚れてるって?

 生まれてきたのが間違いだったってこと?


 はああ?



「……なんなの、あんた」



 訳わかんないんですけど、その理論。


 

「なんでそんな弱気なの? なんでそんなに自分を責めるの? 汚れてるとか、私なんかが云々とか意味わかんないんだけど。自分を責めてる暇があったら産むのに集中しなさいよ。せっかく私があんたを助けたんだから、それを無駄にされたら困るんだけど」



 夫人は泣きはらした目を私に向け、ルカは壊れた人形のように顔を固まらせてやはり私を見ている。よく似た弱気な顔を二つ見ていると、イライラどころか舌打ちまで出てきた。




「だから、何を弱気になってるって言ってんのよ!! あんたの懺悔なんて誰も聞きたくないし心底どうでもいいんだけど!! 出産終わったら神殿にでもなんでも行って懺悔すればいいでしょ。今は子供を無事に産むことだけ考えなさいよ!」



 私が怒鳴れば怒鳴るほど、夫人もルカもますます怯えるけど気遣ってなんてやらない。そんなお優しい心遣いなんて私には無理だから。ただ思ったことを、苛ついたことをぶつけるだけ。子供の癇癪のようなもの。




「ルカだってあんたの謝罪なんて聞きたくないわよ。産んでごめんなさいって? じゃルカは生まれてきてごめんなさいってこと? はあああ? 意味わかんない。あんたもルカも謝る必要なんてどこにもないでしょ! 産んでごめんなさいなんて二度と言わないで! そんな言葉誰も望んでないから」

「で、も…赤ちゃんは…私なん、て…」

「生まれてくる子は母親に会いたがってんのよ! この世に生まれたがってんの! あんたはその子をただ愛してあげればいい! 自信もって愛してあげたらいいだけ! あんたがどんだけ汚れているかなんて知らないけど、生まれてくる赤ん坊は間違いなく汚れてなんかいないんだから。いい? 母親ならもっとしゃんとして! 自分を責めるんじゃなくて、もっと胸を張って生きなさいよ!!」


 あーもう、最悪、怒鳴りすぎて喉が痛い。

 奥様とルカを見れば、ただただ呆然としてるし。奥様に至っては一瞬陣痛の苦しみさえ吹き飛んだの?


「いいん、でしょう、かっ…」

「は?」

「私なんかが……この子を……産んでも……母親に、なっても……」

「だからそういうのいいってば! そもそもなんでそれを私に聞くわけ!? 私がゴーサイン出さなくてもあんたはその子を産めばいいし……大体、なるもなにも、あんたはもう母親でしょ!?」

 私は思わずルカを指さした。

「ルカだってこんなにでっかくなってるのよ! お父様に認められるくらい性格も良いし優秀なの! それってつまりあんたが十分立派な母親だってことじゃないの!?」

「……は、い」


 奥様の目が、ルカに向けられる。

 さっきとは違う、慈愛に満ちた眼差し。また涙が盛り上がって、彼女の頬を濡らした。でもその目に宿るのは、絶望じゃなくて希望の光だ。それを確認できて、私はようやくほっとした。


「……あんたはね、自分が思ってるよりも周りから愛されてるし恵まれてるの。お父様はあんたにぞっこんだしルカだって母親大好きでしょ!? 自分を卑下するくだらない真似は今日でやめることね。それって周りが悲しむだけよ。どう? ちょっとは自信ついた!?」

「は、い……」



「奥様! 遅くなってしまい申し訳ありません!!」


 ちょうどその時、産婆たちが駆けつけた。

 やれやれ、もう大丈夫でしょ。


 私はお役御免ね。手を離そうとしたけれど、奥様は逆に私の手を力強く握り返した。


「え……?」


 もう片方の手はルカの手を握っている。

 一瞬、私をお父様と勘違いしているのかとあり得ない思考に陥ったけれど……やっぱりそれはあり得ない。その目は確かに私を見ていた。



「どうかっ……傍に……」





 ……私が?

 いない方がいいと思うけど。

 けど……あなたが望むっていうならまあ……











 ……いてあげることくらいはできるわ。





 仕方ないから彼女の手を握り返すと、僅かに微笑んだような気がした。……あくまで気がしただけ。その後もまだまだ彼女の苦しみは続いたわけだから。






 ――どれくらい経ったかしら。

 皆へとへとに疲れ切った頃




「ア、オギャア、オギャ……」



 新たな命が産声を上げた。


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