76 【ゲイル】 身代わりになる
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私がヴェントゥス家の爵位を継いだのは5年前、18歳の時だった。
両親がいるのに成人してすぐに爵位を継ぐなんて神子でもない限りそうそうあることではなかった。私の両親は聖騎士ではなかったが、別に聖騎士であることが必須条件ではない。聖騎士と公爵位を兼任するパターンが多いというだけで、テラ公爵家のように公爵が聖騎士でないことは驚くべきことではない。
なのに、なぜ私がすぐに公爵位を継承することになったのか。
それは……
「じゃ、俺とハニーは旅行に行くから。後のことは任せたぞ、ゲイル」
「お土産いっぱい買ってくるからね~。良い子にしててね!」
両親が、自由すぎるから。
遊び人だった父はあちこちで女性と関係を持った。アクア家の分家のご令嬢と一夜限りの過ちで私が生まれ、母はその後別の男性と駆け落ちすることになって私を父に押しつけた。多くの女性と関係を持った割に、父には他に子がおらず、おまけに私は聖騎士の力を持っていたため、跡取りとして育てられることになった。
その後、本人曰く運命の出会いというやつで父は母に出会い、ゼファが生まれた。腹違いの弟だ。あの父が、母に出会ってからは別人のようにただ一心に母を愛した。母はおっとりとした優しい人で、私を差別するということはなく、むしろ本当の母のように甘やかしてはくれたのだが……私はそれを心から喜べる年齢を過ぎていた。
両親はしょっちゅう旅に出ていった。幼いゼファを置いて。
二人は決して悪人ではない。父に関しては遊び人ではあったが手を上げることも誰かを虐めることもなく、博愛主義というのか、誰にでも優しかった。母ももちろん、私を大切にしてくれた程だから聖女のように優しい。
だが……とにかく自由すぎる。
やりたいことを我慢しない。それ自体を責めるわけではないが、ゼファはおかげでほったらかしだった。乳母も使用人もいるし、貴族の親が子供の面倒を見る必要など確かにない。ないのだが……
ヴェントゥス家の人間は本当に自由がすぎる。
公爵位を継いでわかったことは、父は全然真面目に仕事をしていなかったということだ。私はろくな引き継ぎを受けず、仕事の仕方もさっぱりわからないまま公爵となる羽目になったのだが、先代の仕事のやり方が適当だと本当に苦労の連続だった。雑な業務をなんとか整えていっても次から次へと問題が発生する。しかも父がうっかり忘れていたミスなんかも全て私のせいにされて、その後処理に追われる。
当然、適当なのは父だけじゃない。
親戚連中も、よく今までやってこられたなといういい加減さで領地を治めている。それを私が指摘し、改めさせ、円滑に回るよう調整してもまた何かしら問題が発生する。
……その繰り返しだ。
だから、あの時も声を荒げはしたものの、正直“またか”という感じだった。
「武器の密売なんて下手をすれば極刑ものですよ!?」
「え? そ、そうなのですか……? 私はただ、面白そうだと思っただけで……」
本当にそれだけで購入したのだろう。
悪気なんて欠片もないのだろう。
だがそれは立派な犯罪だ。知らなかった、ではすまされない。貿易関連を営むヴェントゥス家にとって、そんなことも知らないまま取引をしたなどと言語道断。公爵家以外がやればお家お取り潰しだってあり得る最悪な事案だ。
すぐに処罰して女王に報告したが、待っていたのはスパイの真似事のような慣れない任務だった。普段の業務に加えてのこのストレスの溜まる任務を前に、正直何度公爵位を放棄したいと思ったことか。瞬間移動で誰もいない浜辺に行って、「クソ親父どもの馬鹿野郎」と叫んだことは一度や二度じゃない。
「…………はあ」
「兄上」
ゼファが心配そうな顔をしている。
いけない、私としたことが。
「どうかしたか?」
「いえ……お疲れのようだったので」
この弟にも任務のことは隠し通さねばならない。……いや、多分バレている。頼むから任務が無事に終わるまでは気づかないふりをしていてくれと願う。私の不手際が招いた失態だが、妙に鋭いところがある上に神出鬼没のこの子にバレないように取引をするなど、私でなくてもできなかったのではないかと思ってしまう。
「明日は、聖騎士会議ですね」
「ああ、そうだな」
「またイグニス家とアクア家が喧嘩するのでしょうか。あれは見ていて気分が悪いです」
「そろそろ両家とも大人になってほしいものだ。イグニス家の公女もアクア家の公子も、もう少し品位を持ってほしいものだがな」
「兄上は……イグニス家のご令嬢のことをどう思われますか?」
「どう?」
ゼファはこくんと頷いた。
この子がこんなことを聞くのも珍しい。家族以外には興味を示さない子だと思っていたのに。
しかし、イグニス家のご令嬢か……。フレア・ローズ・イグニスと聞けば庶民でも知っているほどの有名人。単に王太子の婚約者だから、ということが理由ではない。その行為が問題だった。幼い頃から使用人を虐めて我が儘放題、発火能力を使って怪我を負わせることも日常茶飯事。噂ではあまりに手がつけられないため屋敷を追い出され、あろうことか孤児院で暮らしているのだとか。仮にも公爵令嬢が孤児院で暮らすなど前代未聞だ。本当にそれを強要したのか勝手に出て行ったのか知らないが、イグニス公爵も何を考えているのか。親の目を離れたことで好き放題に拍車がかかり、良くない連中と関わっているらしいとか、金を必死でかき集めて豪遊しているらしいとか、いろんな噂が飛び交った。当初は孤児院の子供たちを心配する声もあちこちで聞こえていたものだが、そう言えば最近は聞かなくなったな。
巷では庶民たちが、いつ王太子から婚約破棄されるか、賭けのネタにしているらしい。そんな人間を未来の王妃にすえるなど、今から不安しかない。
イグニス家の面汚し、不良令嬢、アカツキの嫌われ者……
彼女を現す言葉はどれも汚らわしい。だが……
問題があるのは、むしろ親であるイグニス公爵の方だろう、と思う。
まだ子供であるからこそ、やはり責任は親にある。
公爵は令嬢が生まれた時から彼女を毛嫌いしていたらしい。愛する女性と引き離されてむりやり結婚させられたとは言え、子供に罪はない。政略結婚など珍しいことではないし、どれだけ相手が嫌いであろうと人前では仲睦まじいフリをするものだ。彼はそれすらできていない。人望厚く、個人的にも好感が持てる人物ではあるだけにそれだけが残念だ。そう、それ以外では完璧と言える人間であるだけにとても残念だ。
まあ、結局私は彼らのことをよく知らない。公爵も最初は愛そうとしたのかもしれないし、公爵令嬢が私の想像以上に我が儘なのかもしれない。
ただ、望まれて生まれてきたわけではない者同士、彼女に同情するところがないわけではない。
「……あまり関わらない方がいいだろう。真偽は知らないが良い噂は聞かない」
「兄上は、信用されていないということですか」
「そうだな。王妃になる可能性も低いし、彼女と親しくしていると知られたら何かと不利になるほどだ。刺激せず、関わらないのが一番だろう。ルカ公子は優秀で人当たりもいい。付き合うなら彼のような人と付き合った方がいい」
「……そう、ですか」
「彼女がどうかしたのか?」
見目だけは私の目から見ても美しい少女だ。まさか恋慕かと……いや、この子に限ってそれはないだろう。あの父親であればそう言っても驚きはしないが。
「最近、ジ…………」
「ジ?」
「…………いえ、なんでもありません。お仕事中失礼しました。では」
ゼファはとぼとぼと部屋を出て行った。結局、何だったのであろう。昔から気づいたらどこかに飛んでいって、連想ゲームのような会話ばかりしていて、よくわからない子だった。恐らく母に似たのだろう。あの両親は気づいたらどこかへ旅に出てしまう。感情の起伏の乏しい子だからわかりづらいが、ゼファも寂しい思いをしたこともあっただろう。
私は……
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私は、兄として正しく振る舞えていただろうか。
「待ちなさい。目を抉るなら彼ではなく私を」
「おやおや、ヴェントゥス公爵。折角の申し出ですがそういうの要らないんですよ。裏切り者のくせに余計な情を見せないでもらえますか?」
「なんとでも言ってください。とにかくその人には手を出さないでいただきたい」
「あなたはもう目が見えないじゃないですか。こういうのは、目の見える者にやってこそ面白いのに」
「では他の拷問でもどうぞ私に」
バカなことをやっている。だが、公子をこれ以上巻き込むわけにはいかない。元は我がヴェントゥス家の落ち度。イグニス家は女王の計らいによって巻き込まれたに過ぎない。彼らだけも、なんとかして逃がさねば。
「はあ……いい加減にしてくださいよ、公爵。私はあなたの醜い本性をさらけ出したいのに……」
白い鎧の頭はぶつぶつと不機嫌そうに呟いた。数名の気配が私に近づいてくる。私は支えてくれている騎士に引くよう指示を出した。納得できないと言われたが、無理やり後ろに下がらせた。
「あなたみたいな裏切り者が、一番ムカつくんですよ」
ガツンと頭を殴られる。地面に叩きつけられて、頭を、腹を、足を、鈍器で次々に殴られる。助けようとしてくれたらしい騎士が銃声とともに呻き声を上げて倒れる音がした。ルカ公子や、騎士たちの叫び声が聞こえる。痛みがだんだん麻痺してきて、意識が遠のく。
私が死ねば、ゼファが爵位を継ぐだろう。
安心しろ、ゼファ。私にいつ何が起きても大丈夫なように、マニュアルはしっかり作ってある。部下もしっかり育成しておいた。彼らがお前の手足となって助けてくれることだろう。お前に私のような苦労はかけさせない。お前は、お前だけは……
私が、守ってやらねば。
その時、何かが壊れる音がした。
「立ちなさい、ヴェントゥス公爵。寝てる暇はないわよ」
聞き覚えのある、幼い少女の声。
だが、ここにあるはずのない声。
それが不躾に私に投げられる。
「……さて、どう落とし前つけてもらおうかしらね」
その声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。




