73 約束する
「早かったじゃない」
「おい、一旦止まれ。こっちは大荷物なんだよ」
「もう少し待って」
「おいおい限界だぞ……」
イグニス邸からは見えないところまで来てから、馬車を止めた。私だけ外に出ると、馬車の上から乱蔵となぜかシリウスが降ってきた。
「準備とは言ったけどなんでシリウスがいるの?」
「どうしてもついてくるってうるさかったんだよ。俺が準備してるもん見たら顔色変えてな」
「うぷ……」
「ちょっと、今にも吐きそうなんだけど大丈夫?」
「どうしてもって言うから連れてきたら酔ったらしい」
「……何してんのよあんたは」
「ただ小脇に抱えて屋根の上をあっちへ行ったりこっちへ行ったり飛んでただけだ。そしたらシリウスが酔っちまって」
「だからそういう無茶をすんなって言ってんのよ。そもそもシリウスだったらそんなことしなくてもついてこれるでしょ。足速いんだし」
「屋根の上をぴょんぴょん移動するのは慣れてないだろ。非常事態だし、まさかこんなに酔っちまうとは思ってなかったんだよ」
「うう……」
シリウスはよろよろと乱蔵に寄りかかりながら私を見た。
「あ、あんなもん持ってって戦場にでも行くつもりかよ? お前、足、速いのは、知ってるけ、ど……うぷっ」
「一回吐いたら? スッキリするわよ」
「そんな、姿、……ぐう」
「おいシリウス、吐くか?」
「は、は、吐かない……」
本当に何しに来たんだろう、この子。
乱蔵が持ってきたものをその場で広げて一つ一つ確認する。どれも一級品。手入れも行き届いているし、手にもしっかり馴染んだ。
「絶対入り用になるって言っただろ。俺の勘は正しかったな」
「うるさいわね。ていうかこれどうやって仕入れたのよ」
「秘密のルートでな。お前がこれ振り回すところなんて俺も初めて見るな」
どれも無銘、か。
「なんだ? この武器は」
馬車からジークたちが降りてきてきた。物珍しい武器を見て首を傾げている。一番興奮しているのはやっぱりエイトだった。
「こ、これがもしかしてフレア様のお使いになられている剣ですか!? 見たことのない形状をしていますね!」
そんな目をキラキラされても……。もしカノンもいたら同じように目をキラキラさせてたんでしょうね……この2人似てるし、鍛錬バカなところも一緒だし。
「危ないから触らないでね。切れ味凄いから」
「はい!!」
「…………」
ジークはじっと微妙な顔をしていた。
「君は戦場にでも行くつもりか?」
「タソガレとの国境付近なんでしょう? 人里離れた山の中じゃ何があるかわからないもの」
「まるでそうなることがわかっていたかのような言い方だな?」
「……いえ、まさか」
「未来でも見えているかのようだ。本当に発火能力者か? 他の能力の持ち主じゃ?」
「ま、まさか」
冷や汗がダラダラ流れる。別に悪いことしてるわけでもなんでもないんだけどね。ジークにじわじわと絞め殺されかけているような錯覚すら覚えて気分が悪い。だって、相手は何を隠し持っているかわからないんだもの。私だって戦闘態勢でいないとルカを助けられないかもしれない。
……ていうか、ジークってやっぱり心を読めるわよね? 絶対読めるわよね? じゃあもう事情は全部わかってるんじゃ? あ~わからん。読める範囲とか人は限られてるとか? 聞いてもどうせはぐらかされるしね……。
「と、とにかく、今はまず彼らを捜すのが先決じゃない? 何か危ないことをしているかもしれないし?」
「ふむ、危ないこと、か」
「じゃあ私今から着替えるから向こう向いといて」
「は?」
ドレスをさっさと脱ぎ始めた私を見て、ジークの顔が固まった。目が点になっている。うわ、愉快な顔と思っていたら乱蔵もシリウスも固まってて、エイトは慌て始め、ゼファだけ心底どうでもいいって顔でため息を吐いていた。
「き、みは、何、を――」
「ドレスのままじゃ動きづらいじゃない。乱蔵に聖騎士の団服を持ってきてもらったからさっさと着替え――」
「何を、していると、言っているんだ!!!!!!」
耳がキーーンとなる。
思わず耳を塞ぐと手ががら空きになって脱いだドレスが地面に落ちた。野外で下着姿で突っ立っているというとんでもない状況だけどそれより耳が痛い。
「ちょ、何――ぶふっ」
言い返そうとしたら上着を顔面から被された。ジークの上着だってことはすぐにわかったけれど、いきなり顔面に投げつけるってどういう神経してるのよ!
「ぷはっ、何すんのよ!!」
「何してるのかはこっちが聞きたい!!! 君は仮にも僕の婚約者でありながら他の男の前で淫らに肌を見せるな!!!!!」
「何よめんどくさいわね! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ドレスのままじゃ走れないんだってば!!」
「君はここから国境沿いまで走るつもりか!!?」
「馬で行くよりは速く着くわ!!」
「そんなものよりもっと良い移動手段がある!!」
「それは結構なことだけどどうせ動き回る可能性はあるからドレスのままじゃだめなの!!」
「せめて馬車の中で着替えればいいだろ!!」
……確かに。言われてみれば。
正直こいつら相手に恥じらいを持っていなかった。でもここでそれを認めたら負けたみたいで何か嫌。
「で、でも別にいいじゃない! 時間ないんだし! 馬車まで行くのも面倒くさいし! ほら、ヴェントゥス公爵、今どういう状況かわかんないでしょ!? 早く動かなきゃ!!」
「人前で裸になるのが別にいい、だと……?」
「わ、私が昔いたところは混浴も普通だったし……」
「昔のことは聞いてない。しかし聞き捨てならないな。混浴だと? おいそこの乱蔵、お前まさか――」
「な、ななな、なんだよ! 俺はババアの裸なんて見たことはねえ!!!」
「誰がババアよ!!!」
「乱蔵、貴様は元から気に食わなかった。消えろ、ついでにその記憶からフレアに関するものを全て消しておくか」
「近寄んな!! つーかお前ら何のために俺を呼んだんだよ!! なんかやべーことが起こるんじゃねえのか!? 痴話げんかなら余所でやれ!!」
「「痴話げんかじゃない!!!」」
ムキになりすぎてジークと声が被ってしまった。
結局ジークの見えない力で馬車に放り込まれ、「着替え終わるまで出てくるなこの痴女」という素敵なお言葉をいただいた。
イライラしながら着替え終わって外に出ると、最高に機嫌の悪いジークと青い顔のエイト、かなり遠いところからこちらを睨む乱蔵に、その傍で小さくなっているシリウスというよくわからない状況になっていた。ゼファだけがうんざりした顔でどこか遠いところを見ている。
「おいお嬢!! こいつやべえぞ! もう少しで目ぇ潰されるところだった!!!」
「余計なものばかり見てきたその目を潰してやって何が悪い?」
「……何してんのよ」
「殿下、もう少し素直になってくださ――」
「エイト、お前も潰されたいのか? 優秀な剣士ならば目などなくても問題ないな?」
「で、殿下、それだけは――」
こんな上司嫌だわ……。
「ちょっと、本当に何やってんのよ。国境沿いに行くんじゃなかったの? 遊んでる場合?」
「団服、なかなか似合ってるじゃないか」
「で、どうやって移動するの? 走る以外の移動手段なんて……」
「いくら君でも一日では辿り着けない場所だ。だが、空からであれば可能だろう」
ゼファがぴくりと反応した。
「……僕は」
「高所恐怖症なんて嘘だろう?」
ジークはとんでもないことを言い出した。
「君が高所恐怖症と言った時から、ずっと嘘だとわかっていた」
「知っていて、なぜ――」
「フレアに君を任せたのは彼女が何かしらに気づくかと期待してのことだ。それは君ももうわかっているだろう。まさか本当に高所恐怖症を治すために彼女をつけたと思っていたわけじゃあるまい? ちなみに彼女はその場合かなり不適格だ。お優しい手など一切使わずに崖から何度も君を突き落とすやり方で恐怖症を治そうとして逆に新しい恐怖を植え付けるだろうな」
「…………僕、は」
ゼファはジークから一歩後ずさり、視線を逸らした。
「無理です。行きません。飛べません。タソガレ王国の国境沿いに向かったところで兄上がいるとも思えませんし、兄上は絶対に死んだりしません。……僕らが行くことに、何の意味もありません」
「では翼をくれ。お前はここに残ればいい。無理強いするつもりはない」
「翼?」
思わずジークの方を見ると、知らないのかと呆れられた。
「飛翔の特殊能力は当然自分以外にも使える」
「いや、でも翼を生やされたところで飛べる気がしないんだけど。邪魔そうだし」
「古い考えの人間だな。君は新しいものに拒絶を示すタイプの老害か? やったことのないことに挑戦してこそ新しい物の見方がつくというものだ。やはり中身が年寄りなんだな」
「誰がババアよ!!」
「そこまでは言ってない」
ゼファは「なぜ!」と声を荒げながら首を振った。
「なぜ殿下はそこまでするのですか……」
「なぜ?」
「あなたは変わった。なぜ? あなたはもっと他者に無関心で、こんなことに自分から首を突っ込むような御方ではなかったはず。なのに、わざわざ僕に声を掛けて――」
「変えられるところを何度か見るうち、面白そうだと思ってな。自分でもやってみたくなっただけだ」
「……どういうことですか」
「教えてやろう、ヴェントゥス公爵は体を蜂の巣にされた後、原型を留めぬほどぐちゃぐちゃに潰されて死ぬ」
「なっ……!!!」
うう……グロテスク。本当かどうかわからないけれど想像するだけでえげつない。ていうかそこまでヤバいことになりそうなところに行くのか。改めて考えると嫌になってきた。でも下手したらルカがそうなるってこと? だったらますますさっさと行かないと。
「もういいわ。翼でもなんでも生やしてくれていいからさっさと行きましょう。ゼファは来なくていいから、翼だけちょうだい」
「……君もおかしいよ。なぜそこまで信じられるんだ。何も起きないかもしれない、なのに――」
「何かあってからじゃ遅いのよ、こういうことは」
大体何かある時ってのは、突然やってくる。こっちの都合なんて考えてはくれない。あっという間に訪れてあっという間に奪い去っていく。もたもたしてたら全部失ってしまう。いるべき時に傍にいなければ、守れるものも守れない。
そういうことを、私は嫌というほど知っている。
「何もなければそれでいい。でも何も起きないという保証もない。だったら私は動くわ。後悔することになるのは嫌だからね」
何より今回は創造主様の言葉がある。小説通りの世界ではないとは言え、確実に何か起きるのは目に見えている。
「……理解できないよ」
「あんたの理解なんていらないからさっさと翼ちょうだいよ。ヴェントゥス公爵の様子見て何もなかったら帰るから」
「何か……あったら?」
「その時は私が何とかするわよ」
「君に何ができるって言うんだ」
「それはわからないけど、ここで指くわえて待ってるよりはましなことができると思ってるわ。なんでそんなに翼生やすの嫌がるの? もしかしてけっこう疲れるとか?」
「別に……」
「じゃあなんで出し惜しみするの? そもそもなんで高所恐怖症なんて嘘吐いたの?」
「…………兄上が、タソガレの人間と話しているのを見たことがある。それ自体は珍しいことじゃない。貿易の話だと思った。だけど、違った。あまり良くない話をしていた。僕は空から隠れて聞いていて、後で兄上に問い詰められた。何も聞いていないと、空なんて飛んでないと言った。……それでも、ずっと追求されるから咄嗟に高所恐怖症になったなんて嘘を吐いた。そしたら空を飛べないことの理由になると思って」
「下手な嘘ね」
「だませたとは思えないし……あまり、だますつもりもなかった。ただ追求から逃れるために言ったに過ぎない。兄上は呆れて、もう何も聞いてこなかった」
ゼファの声が震えていた。
「兄上は、頼りない両親に代わってずっとヴェントゥス家を支えてきた。絶対に国を裏切ることなんてしない。絶対に。……でも、もしかしたら。もしかしたら、もう僕らに愛想を尽かしてしまったのかもしれない。そう、思ったこともある」
「それはないわよ」
「え……?」
実際、あの人は国を裏切ったわけじゃない。ただ女王の命令に忠実に従っているだけ。身内の犯した間違いもちゃんと罰して正すことができる人。……私はあの人自身はあまり好きじゃないけどね。
「それを証明してあげる。だからあなたの力を貸して。ヴェントゥス公爵に思うところがあるなら、余計このままじっとしてるわけにはいかないでしょ」
「……約束、してくれる?」
「約束?」
「兄上を……必ず無事で連れて帰るって」
約束、したくないなあああ。
人の生き死になんて安易に約束できないもの。……でも
「わかった。私の力の及ぶ限り、必ず連れて帰ると約束するわ」
こんな必死な顔で頼まれて、断れるわけもなかった。
「じゃあ、翼だけど――」
「あのさ」
おずおずと前に出てきたのはシリウスだった。妙にすっきりした顔をしている。
「顔色良いけど……吐いたの?」
「は!? 吐いてないよ!!」
「おお、さっき思いっきりゲロったら元気になってよ。今はこの通り」
「ちょっとアランさん!!」
「元気になったのはいいことだわ。で、何?」
「いや……その、翼生やすって聞こえたんだけど。翼生やしてどっか飛んでいくんだろ? それなら俺だってできるぞ」
「え? いや、ちょっと待って」
私はシリウスを引っ張ってこそこそと声を潜めた。
「あんた、獣になれるのは知ってるけど翼なんて生やせるの? 前見た時なんかすごいいかついよくわかんない獣だったけど翼なんてなかったわよね?」
「基本的に俺の想像しうる獣なら大体形を変えられる。この数年いろいろ試して、実際、何回か飛んだことあるし」
「そうなの!? え、じゃあ普通に猫とか犬とかにもなれるの?」
「まあ……なれる。今なら前よりずっと楽に姿を変えられると思う」
「へええ~……」
「獣に翼生やしたようなのになればいいんだろ? そしたら楽に移動できるんじゃないか?」
「それなら嬉しいけど……いいの? ほら、見てみなさいよあの王子様。あんなのにあんたの能力がバレたら、そりゃ面白い玩具だって何されるかわからないわよ? いいの? ほんとにいいの?」
「別に……だって俺は孤児院の人間だ。お前が守ってくれるんだろ」
「………………………………まあ、できる限りは」
「めちゃくちゃ間があったけど何か弱みでも握られてるのか?」
がっつり握られてるわよ。最近忘れがちなこのチョーカーがある限り、私はジークには逆らえないんだから。
「いいよ、困ってんだろ? それくらい力は貸す。もし、何かあったらほんとヤバいし」
「シリウス……」
一緒に奴隷落ちしてくれるのね。ありがとう、シリウス。この恩はできるだけ忘れないようにするわ。できるだけね。ステラに怒られないといいけれど。うーん……まあいっか。
じっと見つめていると、突然シリウスの顔がぽっと赤くなった。
「いいか、お、お前のためじゃないぞ! 前に姉のことも助けてくれたから、だから、だから仕方なくだ!! 勘違いするなよ!!」
「わかってるわよ」
「ふ、服脱ぐから向こう向いてろ!! 絶対、絶対こっち見るなよ!!」
「はいはい」
何で顔があんなに赤いのかしら。裸見られると思うと恥ずかしいの? まだ成長しきってもないのにそんな恥ずかしがらなくても……。それともさっきの私の下着姿でも思い出してんのかしら。ふふ、いつまで経っても子供なんだから。甘い言葉を吐くようになって変わったと思ったけれど、実際はそうでもないわよね。中身は出会った頃の子供のままだわ。
「何をコソコソ話している。ゼファの気が変わらないうちにこっちに来い」
ジークに呼ばれて、振り返る。
「私はシリウスに跨がっていくことにしたわ」
「は?」
私の背後で、シリウスの気配が大きく変わった。
ジークもエイトもゼファも固まっていたけれど、何より乱蔵の間抜け顔が見られてそれだけでも十分面白かった。
現れたのは立派な体躯の真っ黒な狼。その背には漆黒の翼が生えていた。
「待ってなさいよ、ルカ……!」
今すぐ、助けに行くからね。




