67 特訓しない
ろくな説明もないまま、「親戚の子供なんだけどちょっと面倒見てやって」くらいのテンションでゼファを預かってしまった。いやほんと意味わからないんだけど? ジークの考えていることがほんと1割くらいでいいから理解できるようになりたい。じゃないとほんといろいろ面倒くさい。
この子、年はいくつだっけ。私の1つ上くらい? ぽけ~っとしてて何考えてるかわからなくて、今まで顔を合わすことはあってもちゃんと話したことさえない。なのに、この状況は何。
髪は黒みがかった深緑色で、目は明るい若草色。いつも眠そうな顔をしてるなとは思っていたけど、間近で見るとさらに眠そうな顔だった。
周囲にヴェントゥス公爵の姿はない。いや、ヴェントゥス家の人間の姿がない。私は馬車に乗ることもできずに彼に尋ねた。
「えーと……こうしてジークの無茶振りを受けてしまったわけだけどどういうことですか? そもそもヴェントゥス家で厄介になるようにみたいに言われたけれど、そのことを公爵はご存じですの?」
「……殿下のことを呼び捨てにしているんだね」
「え?」
「それは婚約者だから? もっと別の関係だから? ジーク殿下は君に心を許しているように見える。今日の彼は少し違った」
「……それはないわよ。大きな間違い。あの人は誰にも心なんて――」
「心というのは目に見えないよね。自分でさえも。誰にでも見えるようになれば言葉は要らないのかな。それとも何もかもが隠されない世界って、むしろ孤独で恐怖と欺瞞に満ちているのかな」
「はい?」
ゼファはにこりとも笑わず、じっと私を見ていた。
……何だろう、この、仙人を前にしたような奇妙な感じは。ていうか会話できてなくない? こいつ私と会話する気なくない?
「あんたはジークになんて言われたの?」
「ジーク殿下は面白い人だよね。まるでたくさんの人生があの人に凝縮されているようで」
会話がすれ違うんだけど。私が悪いの? 私の聞き方が悪いの?
「まあいいや。ヴェントゥス公爵に聞けばいいでしょ。今どこにいるの?」
「彼の行動は時計みたいにいつも同じ。決められたように、決めた通りに動いている」
「……それで?」
「でもその彼が、最近はそうでもない。僕の知らない人間と話していることがある。時計のように正確な彼らしくはない。公爵という役職は、彼から正確さを奪うのかな」
「つまりわからないってことね。これからどうするの。すぐにヴェントゥス邸に帰るの?」
「母が世話している庭園は綺麗だよ。いろんな花が咲き乱れていてとても美しい。造られた美しさではあるけれど、僕はあそこで楽器を奏でていると、とても心地よい気分に浸れる」
「屋敷に戻るの? どっか別邸にでも泊まるの? それとも王宮で泊まるの? どれ?」
「泊まるのも面白い。普段と違う生活で僕はいつも新たな発見をすることができるから」
「………………」
……何か、考えるのが面倒になってきた。
そうだ、むりやり会話しようと思うからダメなんじゃない? うん、やめよう。特殊能力の特訓だかなんだか知らないけど、ジークも言葉数少なすぎるのよ。人に何か頼む時はちゃんと6W3Hくらい説明してから頼めっての。
「もういいや。取りあえずどこでもいいからあんたが今から戻るところに連れて行って。そしたらそのうち公爵が帰ってくるでしょ。公爵に事情を説明して、帰っていい許可を貰ったら孤児院に帰るわ」
さすがに公爵が「帰れ」って言ったらジークだって何も……言わないで欲しい。頼むから。
ゼファは馬車に乗りたがらなかったから、歩き始めた彼についていくことにした。王宮の一室でももらっているのかと思いきや、いろんな回り道をして花を愛でチョウチョを追いかけ川で足下を浸し……ゆっくり時間をかけて気づいたら王宮の外に出ていた。結局出るなら馬車に乗せて欲しかった。
「…………」
「王宮の外は空気が少し澱んでいるよね。だけどここの空気の方が自由だ」
「ええ、ほんと。自由だわ」
あんたがね。
どこに行くのかと思ったらただぶらぶらと市場をうろついているだけだし、一向に別邸に辿り着く感じもない。この達観した雰囲気といい、何か高所恐怖症って感じもないんだけど。そうだ、もうこのまま孤児院に戻ろうかしら。相変わらず職員だって少ないから仕事がけっこう大変なのよ。これじゃいつまで経っても話が進まないし、仕事しながら話してくれるのを待った方が効率がいいもの。
こういう人間ばかりのヴェントゥス家を仕切るって大変すぎるわ。公爵の頭がストレスで禿げなきゃいいけど。
――――――
「花が綺麗な季節だね。花はどうして綺麗なんだろう。人はなぜ1つ1つの花に意味を込めたがるんだろう」
「花と言えばここにも綺麗な花が咲いていて。あ、足下気をつけてね~」
「セダムの花言葉は、静寂、星の輝き、枯れることのない愛……私を想ってください」
「はいはい、階段あるから足上げてね~」
「アカツキの人々は不思議だよね。目にしたことのない神を信じ、この国の永遠の繁栄を疑わない」
「皆、この人はゼファよ。一応偉い人だから礼儀正しくね」
「国によって信条がこうも変わるのはなぜなんだろう。アカツキの神とは、今一体どこにいらっしゃるのだろう」
「じゃ、そこのソファにでもかけて。私書類仕事してるから」
この人誘拐とかされなきゃいいけど……。
聖騎士が誘拐なんてされたら洒落にならない。でもこんなんじゃさっくり誘拐されそうで怖い。本当に一切話が進まないまま孤児院に到着してしまった。ここが孤児院だってちゃんと把握してるかも怪しい状況。こんなんでよく従者の一人もつけずに自由にさせてるわね、ヴェントゥス公爵。飛翔の特殊能力があるから大丈夫なの? ああでも、高所恐怖症があるからその力は使えないはずよね。
「あ……」
ゼファの目が、窓の外に向けられる。
「木が、あんな高さに…………」
「それがどうか――」
「ここはだめだ!早く下へ降ろして!」
「!?」
急な大声に思わず後ずさった。
高所恐怖症。
まさか二階の高さがダメだったなんて、私は思いもしなかった。
――――――――――
「自分が高い場所にいると認識したら急に怖くなった」
「階段を上ってる時は平気だったのに……」
「認識しなかったから。ぼんやりと自分の世界に入っていた。窓からの景色を見て認識したんだ。僕は今あの木と同じ高さにいる。想像すると自分がどんどん落ちていく恐怖に囚われた。無限の恐怖だ。やがて僕は地面に叩きつけられて潰れてしまって、後に残るのは無残な血まみれの肉片のみ……」
「あんた、やろうと思えばちゃんと受け答えできるんじゃない……」
「?」
私たちは一階に移動していた。大声を出しながら固まったゼファを抱えて階段を下りて一階の部屋に放り込めば、彼はやがて静かになった。
「ゼファ様、どうぞ」
ステラがにっこりと聖女の笑みを浮かべてゼファにお茶を差し出す。
ゼファはじっとお茶を見つめてから、「ありがとう」とカップを手に取った。
「そもそも高所恐怖症なんて知らなかったけど。飛翔の能力があるのにそれって大変ね」
「誰も知らない。空を飛ぶことがどれだけ恐ろしいことか」
「ヴェントゥス公爵も? あなたの兄君なんでしょう?」
「兄は優秀なんだ。自分だけじゃなくて、同時にたくさんの人間を瞬間移動させることができる。女王からも信頼され、あの堅苦しいことで知られるナギの民からも、とても信用されている」
「……知らないってことでいいのよね?」
「翼がなくとも、人はどこにでもいける。馬があれば大陸を横断することもできるし、遥か南の王国には巨大な鳥がいるともいう。その鳥にまたがって眺める世界は、一体どんなものだろうね」
噛み合ってないわよね、やっぱり。
助けてほしいと思ってステラを見ると、ニコニコ笑顔のまま首を傾げた。お手上げと言いたいらしい。
コンコンコンッ!
「失礼しまーす! フレア様! 今日俺が団子作ったんで食べてみてくださいよ! 今回は自信作ですから!」
「バカノン! 今は来客中だと――」
「絶対食わない方がいいぞ! 俺は死にかけた!!」
カノン、ルベル、シリウスが雪崩のように部屋に入ってきた。
「あっ、やっべ! て、ゼファ様?」
「……カノン」
ゼファの目が僅かに丸くなる。
「カノン、ゼファと知り合いなの?」
「昔何回かパーティーで会ったことがあって! でもほんと久しぶりだな~元気してましたか?」
「…………うん」
ゼファは素直に頷いた。……私の時と全然違うわね。やっぱりやろうと思えばちゃんと受け答えできるんじゃないの……。
まさか知り合いとは思わなかった。まあカノンの父親はイグニス公爵の従兄弟だし、カノンは正真正銘良いとこのお坊ちゃまだったわけだから、それくらいの繋がりがあってもおかしくないか。パーティーに招待されるのも嫌われる私と違ってカノンは皆から好かれていたし、アクア家と違ってヴェントゥス家とうちはそんなに仲が悪いわけでもない。
「ご両親のことがあって心配していたけれど……カノンも、元気にやっているようだね。彼女のところで使用人をしているとは聞いていたから、会いたいと思ってたんだ」
「ああ、すっげえ楽しくやってますよ! 全部フレア様のおかげです」
「へえ……」
ゼファは意外そうに私の方を見た。何よ、私がカノンを虐めているとでも想像してたの? まあ、貴族連中の間ではそう噂されてるの知ってるけど。
「今まで顔を見せにも行かなくて、ごめんね」
「ゼファ様が謝ることなんて何もないでしょう! それにゼファ様だけじゃなかなかここまでたどり着けませんって。方向音痴に加え注意力散漫でいつもふら~っとどこかに行っちゃうでしょう。いつの間にかいなくなるから従者もついていけないって聞いたことありますよ。あ、そうだ。これ食べてってください! 俺が作ったお菓子です! 団子って言う、もち~っとしてうまい菓子ですよ。ゼファ様甘い物好きですよね?」
「好きだけど……」
「悪いことは言わない、止めた方がいい! 俺は歯茎ごと持って行かれそうになった!」とシリウス。歯茎ごと持って行く団子って何それ? どうやったらそんなものが作れるの?
「カノンが……料理?」
「はい! 自信作です! 今度こそうまいのが作れました!」
「だから止めた方がいいって! ああっ!」
シリウスの制止も聞かず、ゼファは小さな白い団子をひょいと口に運んだ。皆がじっと注視する中、もごもごと顎を動かす。
「どうですか!?」
「………………ふっ」
ゼファは小さく噴き出した。
「これは酷いね」
屈託なく笑ったその顔は、間違いなく普通の少年のそれだった。




