21 伝える
……赤い夕焼け。もうすぐ陽が落ちる。
夜になってしまったらどうしようと思ったけれど、存外ルークたちはすぐに見つかった。山を歩きながら狩りをしていたのか、再会した時ルークは「よっしゃ! 最高の猪肉ゲット!」と雄叫びを上げほくほく顔だった。その傍には、やれやれといった雰囲気のシドもいた。
「ルーク!! シド!!」
「あれ? ユーリ? 起きたのか! よく寝たか?」
「寝たけど、ルーク! 今すぐ家に戻ろう!」
「へ?」
ぽけん、と呆けた顔のルークに、僕は遠慮なく詰め寄った。
「昨日まであんなに熱を出してたでしょう? 山を越えるなんて無茶だよ。数日は休まなきゃ」
「え、えっと……」
「猪は僕が背負うよ。暗くなる前に早く家に戻ってぬくぬくしよう。温泉まで行くのは大変だから、僕がお湯沸かすよ。ゆっくり疲れを癒して、旅に出るのはもう少し先にしよう。ね? もう出るなんて、早すぎるよ」
僕の言葉に、ルークは視線を迷わせて動揺した。
「えーっと、いや、その、出発はやめにしたんだ」
「……………………え? やめた?」
「ほんとは出発したかったんだけど、今日動くのはもう諦めようかなって。ローガンたちにも言われたし。だからまあ、今は出発のためにいろいろ用意していたと言うか……」
出発、しない?
僕は思わず刀士郎を振り返った。嘘を吐かれたのかと思ったけど、刀士郎は険しい表情のまま首を横に振った。どういうことだろう。出発はしないんだよね? じゃあルークは、このまま猪肉を持って僕の家まで来てくれる予定だったってことじゃ…………
「今日はもう、ここら辺で野宿の予定だ」
「のじゅ――――――!?」
想定外の言葉に、僕は口をあんぐり開けて固まった。
「の、のじゅ、野宿って……」
「ユーリの家ではもう充分世話になったしさ、村の人たちは謝ってくれたけど、なんつーか、もうあんまりいない方がいいかなと思って。迷惑になるし。で、明日には元気よく出発だ! あ、シドはユーリの家かカイウスの……皇帝が泊まるとこと同じ家とかさ、そこで休めよって言ったんだけど、なかなかうんって言わなくて」
「お前みたいなうっかりを放置しとけるか」とシド。
「野宿って……ここで? 本気?」
ジメジメした暗い森の中。とても快適とは言い難いし、軽装で荷物も少ないルークとシドが、ここでちゃんと暖を取れるとも思えない。お腹を空かせた野生動物に襲われる危険もある。
そりゃルークもシドも野宿には慣れているのかもしれないけれど、村からそう離れていないところでわざわざ野宿なんてしなくても……
「僕の家を使ってくれたらいいよ。広いし、毛布もいっぱいあるし、湯船だって――――」
「大丈夫大丈夫。俺はここでゆっくりするからさ。なあシド、シドはユーリの家でゆっくりしたらどうだ? 湯船絶対気持ちいいぞ?」
「だ、か、ら、お前みたいなうっかりを放置しておけるかと言ってるんだ!」
「シドだってうっかり怪我してんじゃんか」
「してない!」
「えっ、まだ意地張るか!? ったく……そもそもな、まだ七歳なのにこんな危険な旅についてくること自体間違って――――」
「お前だってまだ十七だろ!!」
「お子ちゃまシドちゃんよりは大人だ」
「誰がお子ちゃまだ!! 訂正しろ!!」
二人がわいわい言い合っているのを聞きながら、義勝の言葉が頭を過った。
『ほむらはどんどん貴方に似ていった。喋り方も、笑い方も、行動の仕方も』
……例えば、例えばだけど、誰かに迷惑をかけてしまったと思えば……僕なら、今のルークのように距離を置こうとしただろうか?
僕は首を捻った。ほむらにはしょっちゅう迷惑をかけたけれど、そんな風に思ったことはない。僕はもの凄くあの子に甘えていた。
でもそう言えば、藩主や若君には、自分から距離を置いた。一体何の根拠が……と言われるようなことだけど、僕は本気で怖かったから。今も怖い。自分には、何か人を不幸にする力があるんじゃないかって。感染症が流行った時もルークが倒れた時も、本気で怖かった。
自分が死んでしまうって時に、義勝の言葉も頑なに聞こうとしなかった。彼がどれだけ救いの手を差し伸べても、僕はそれを拒み続けた。
それは……それはまるで、今のルークのようだろうか?
ルークは、甘えることができないでいるんだろうか? 何かを恐れているんだろうか?
例えば彼には、何か大いなる力があって……そのために、自分を犠牲にしようとしている? 生き急いでいるんだろうか?
人それぞれ、いろんな人生がある。どう生きるかはその人の勝手だ。ただ、僕は……
君がどんなに年を取っても、大人になっても、君には、ずっと子どものままでいてほしい。僕や、義勝や、刀士郎の前では。
肩の力を抜いて、楽に生きることを知ってほしい。僕が君に甘えていたように、君も、僕たちに甘えてほしい。あの頃のように。
もちろん……記憶がないのは、わかっているけれど。
「野宿は……だめだよ」
「え?」
僕は、真っ直ぐにルークを見つめた。
「野宿はだめ。シドもルークも、僕の家でゆっくり休んでって。頑張ってお湯ためるから。それと、明日には出発っていうのもだめ。数日、ちゃんと休んでから出発」
「いや、でも……」
「君が何を焦っているのか、僕は知らない。でも、一番大切なのは、君自身だよ。ルークはすごく優しいけれど、自分のことは蔑ろにしてる。自分を本当に大切にできるのは、自分だけなんだよ、ルーク。誰よりも大切にしてあげなきゃいけない。……それだけは、絶対忘れちゃだめだ」
彼に伝えた言葉は、僕の心にもグサグサ突き刺さった。――――大切には、できていなかったと思う。まだ、自分の過去をちゃんと整理できている訳でも、自分の気持ちをちゃんと理解している訳でもないけれど…………いずれにせよ、僕は自分が一番嫌いで、自分をずっと虐めていた。それだけは、多分確かなことだった。
ルークは僕の目をじっと見つめ返し、やがて困ったように頬を搔いた。
「ユーリって、何か……」
「?」
「何かなあ……うーん……」
しばらく悩んだ後、彼は小さく頷いた。
「…………わかった。ユーリがそこまで言うなら、もう一回世話になろうかな」
「! ほんとだね?」
「うん。でも大丈夫か? ほんとさ、その……俺が昨日熱出したこととかさ、もしそのー、村の人が知ったりしたら、また迷惑掛けるかもしれないぞ? 皇帝がフォローしてくれたから大丈夫かとは思うけど、でも、ここの人たちはずっと病気で苦しんできたわけだろ? まだピリピリしてる人もいるだろうからさ」
「ルークは何も悪くないし、迷惑なんて思ったことないよ」
「……そうか?」
「そうだよ」
ルークは泣きそうな顔で微笑んだ。僕は、胸がぎゅっと苦しくなった。
やっぱり、迷惑を掛けまいって、そういうことばっかり考えていたのかな。ずっと……旅をしながら、ずっと、そういうことばっかり。
僕はルークの手を取った。……昔、よく手を繋いだ。一緒に散歩したり、小さなほむらを、僕がおんぶしたり。僕にとって、大切で温かな君との思い出。
ルークは少し驚いた様子で、僕の手を握り返してくれた。
「何か……ユーリには逆らえないんだよな」
「え?」
「うーん……お父さんみたいだよな。こんな可愛いのに」
「そう?」
「だから、ちょっとどうしようかなって思ったんだ。逆らえないからさ、ユーリには。引き止められたら絶対抗えない気がしてたから、寝てる間に移動しようかとも思った。……焦りはあるんだ。生き急いでるつもりはないんだけど。けっこう楽しいんだぜ、この旅自体は。ただ、俺には、あんまり時間がないなって思うから……」
“時間がない”――――その言葉の意味を聞くのは、酷く恐ろしいことだった。
寂しそうな笑顔を見て、また胸がぎゅっと痛くなる。僕は、彼の事情を知らない。全然何も知らないから、どういうことかわからない。ただ、君にそういう顔をされるのは、もの凄く辛い。
これからも、彼はこんな風に旅を続けていくんだろうか。こういう顔をして、人と距離を取りながら、甘えることも、なかなかできないまま? きっと怪我をすることもあるだろう。熱を出すことも。
僕の知らないところで、何度も何度も傷ついていくんだろうか。
寂しそうな笑みは、いつかのほむらというよりも、娘を……心桜を、思い出させるものだった。
いつも周りに気を遣って、本当は誰より辛いのに、それを出すまいと必死だった。しっかりした子だった。痛々しい程に。
『父上……大丈夫です。今日は、とても……調子が、良いですから』
無理ばかり、させてしまった。甘えさせてあげられなかった。
僕は怖がってばかりで、あの子の本当の気持ちを、ちっとも聞いてあげられなかった。あの子が僕より先に死んでしまうことを、何より恐れていた。僕は逃げていた。――――……最低の、父親だった。
伝えられることが、もっとあったはずだ。大好きだよ、心から愛しているよって。ちゃんと、もっと言葉にできたはずだ。甘えさせてあげることも、話しを聞いてあげることも、大丈夫だよって、傍にいてあげることも。もっと……もっとたくさん、できたはずなのに。
僕は、手に力を込めた。
「……逆らえないなら、僕のお願いを、一つ聞いて貰える?」
浮かんだ願いは、呆れる程に図々しいものだ。でも、それを伝えることに躊躇いはなかった。どんなに図々しくてもおかしくても…………何もできずに終わる後悔よりは、苦しくない。だから今度は、ちゃんと伝えよう。
僕は、今、生きているのだから。
「僕に…………あなたの、剣を、教えてほしい」
君の生き方を、教えてほしい。
扱い方一つにその人の人生が映される。それが剣だと思うから。
ルークの剣。ルークの生き方。ほむらのそれを、僕は見届けることはできなかった。
だから今、生まれ変わった君の生き方を、知りたい。君の近くで、見ていたい。願わくば、支えさせてほしい。君に頼られたい。甘えられたい。それが、今の僕の願いで、……きっと、そうやって君の生き方を知っていく中で、僕は、僕自身の――――……神野藤勇心という人間と、向き合えるんじゃないかと、そんな気がしている。
僕の剣は、君のそれと違って、迷ってばかりの愚かな人生だったかもしれないけれど。それでも、ちゃんと向き合わなきゃならない。それが、僕がこの記憶を抱えて生まれてきた、理由なんじゃないだろうか。
「それはつまり……弟子にしてくれ……てこと?」
ルークは目を丸くした。僕は大きく頷いた。
「君と師弟関係になりたい」
「おお……何か、すげえビックリ。そんなの急に言われたことないからな……」
「少し、不安だけど……」
「不安?」
「僕の傍にいて、そのせいで体調を崩したりしたらどうしよう、って…………変なこと、言ってると思うけど、その……それだけは、心配なんだ。本当に」
声が震えた。ただの思い込みだと笑われても、いつまで経っても不安は拭えない。
僕の魂に塗りつけられた、呪いのようなものだった。
「……それは大丈夫だ」
ぽんぽん、と頭を撫でられた。
昔、僕が彼女にそうやっていたように。
見上げると、ルークは優しい顔で私を見下ろしていた。
「俺には、人の怪我や病気を癒す力がある。ユーリがいくら呪われていようと、俺の力があれば誰も傷つかない」
そう、はっきり断言した。その言葉は、僕らの村に起きた奇跡の理由、そのものだと思った。
彼は悪戯っぽくニヤッと笑い、「あーあ」と声を上げた。
「言っちまったバレちまったな!! どうしよっかなー、もう弟子として連れて行くしかないかな!? なあシド、どう思う? 旅の仲間として攫っちゃう?」
「……自分からバラしたんだろ」
「弟子が一人増えちゃうけど大丈夫? 嫉妬しない?」
「なっ……するか!! それに俺はお前の弟子じゃ――――」
「シドもそろそろ友達欲しいところだし、連れて行くか!」
「ッ…………別に。好きにしろ! 他の奴らは連れて行かなかったのに、こいつを連れて行くって言って嫉妬されても知らないからな」
シドはぷいっと顔を逸らしたけれど、その口元は僅かに微笑んでいるように見えた。多分、僕が加わることを、許して貰えた、ってことでいいかな?
……言ってみるものだなあ。じわじわと喜びが込み上げる。だって、受け入れて貰えるとは思わなかった。断られるか嫌がられると思っていたから、本当に旅に同行してもいいなんて、こんな嬉しいことはない。
刀士郎を見ると、あの子も昔のように優しい顔でほっとしている。
ルークは上機嫌で、可愛い鼻歌を歌いながら、茜色に染まった空を見上げた。
「ああ何でかな、今無性にサクラに会いたい! ユーリに会わせたいんだよなあ。あとレインにも。何でだろうな、何か、三人は絶対気が合うと思うんだよな」
そう言って、彼は朗らかに笑った。
僕のよく知る、昔のような無邪気な笑顔で。
未来なんて、僕にはわからない。でも、きっと素晴らしい奇跡が待っている。
優しい予感を抱きながら、僕も笑った。昔のように、ただ心から。
外伝・完




