10 信じる
「ああもう……さっきのせいで荷物落としちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」
「さっきのって、…………ああ、崖から落ちそうになったやつ?」
「そのままお前も落ちればよかったんだ」
「シド!」
「あんた覚えてなさいよ!? タダじゃおかないから!」
「安っぽい脅し文句だな」
「はあ!?」
道中が一気に賑やかになった。おかげで僕も暗闇の恐怖を感じる暇もない。
リリーは何度も逃亡しようとしたけれど、シドがその度強制的に捕まえて、とうとう逃げ出すことを諦めた。僕としてはシドの行為はとても複雑なところだけど、こんな女の子を夜の森に一人きりにするのはとても心配だから、そのままにしている。
「まあまあ二人とも。えっと……リリーはどうして一人で森に? 旅してるの?」
「煩いわね。なんでそれをあんたに話さなきゃならないのよ! あんたみたいな怪しい子どもに!!」
怪しい子ども。それはその通りだろうなと思う。
「あははっ、そうだね、確かに。じゃあ僕のことを話そうかな」
「は?」
「僕のことを知ったら、少しは安心できるかなと思って。えっとね、僕はユーリって言うんだ。そう言えば自己紹介もまだだったかな? 年は七つ。小さな村で生まれて、両親はいなくて、一人暮らし」
「あんたのことなんて興味ないわよ!」
「頑張って畑を耕したり、面白いものを作ったりするのが好きかな。村の人は優しい人ばっかりで、僕にすごく親切にしてくれるんだ」
「あいつらのどこが優しくて親切なんだ」とシド。
「本当は優しい人たちなんだよ。ごめんね、今は皆ピリピリしてて……」
僕は村の皆の心温まるエピソードについて、思いつくままに話すことにした。
ニックスが弟の誕生日に一生懸命玩具を作ったこと、彼の父親が、僕の誕生日に美味しいご馳走を作ってくれたこと、畑で困っていると、村の皆がたくさん声を掛けてくれること、僕が変な発明をしたら、皆笑って面白がってくれること。
そういうささやかで大切な思い出を、僕はゆっくり語っていた。シドとリリーは鬱陶しいと思っているかもしれないけれど、ちょこちょこ「お前発明で爆発起こすって何やってんだ」とか「危険人物ね」とか相づちを打ってくれて嬉しかった。
こういう時でも話を聞いてくれる人がいるのは、とても幸福な事だと思う。
話ができるということも。……だって、もしあの感染症に罹ったら、痛みのせいでまともに話すことはできない。例えば大切な人に大切なことを伝えられないまま、気づいたら最期の時を迎えてしまうかもしれない。それはとても……とても、不幸なことじゃないだろうか。
「それでね、えっと、村長はちょっと厳しいけど実はすっごくおっちょこちょいで、騒がしいのが大好き――――……」
「静かに」
「え?」
シドは突然立ち止まり、ランプを消して、僕らに屈むよう指示をした。少し面食らったけど、リリーは意外なことに何も言わずそれに従い、僕も一緒にその場にしゃがんだ。シドはじっと目の前の闇を睨んでいる。何かいるんだろうか? 灯りもないし、月明かりも差し込んでいないし、僕にはよく見えない。
ただ、何か嫌な予感のようなものは感じた。それは例えば、強烈な悪意のような、殺気のような、そういう類いのもの。
随分経った時のことだった。
どこか遠くから、ガサガサと茂みをかき分けて、誰かが走って来るのがわかった。
「チッ、どこ行きやがったあのガキ!!」
「絶対に見つけ出すぞ!! あいつを突き出してそれで終いだ!!」
男が数人……あれは多分、武装している。怒り狂った彼らは、誰かのことを口汚く罵りながら、どこかへ走り去っていった。
しばらくして、もう危険はないと判断したのか、身を屈めていたシドはゆっくりと立ち上がった。
それからリリーへ視線を落とす。
「お前一体何をした」
「は? 何? 何のこと?」
「明らかにお前を捜してただろ」
「はあ? 私、あんな低脳な奴らのことなんて知らないけど?」
「嘘を吐くな。誤魔化せると思ったのか?」
「だからぁ、知らないって言ってるでしょ~? 疑り深いのねえあんた。モテないわよ?」
「話を逸らすな。何をやらかしたか正直に話せ!」
「だから知らないって言ってるじゃない! ほんとしつこいんだから」
リリーは口の端を歪め、シドはますます硬い表情で彼女を睨み付けた。
困った。今こういう時に、喧嘩をしている場合じゃないんじゃないかなあ、と思うんだけど……。
「ま、まあまあ。シド、先に進もう。リリーも知らないって言ってるんだし」
「……お前、こいつの言うことを信じるのか」
「うん」
「…………こんなあからさまに怪しい奴の言うことを?」
「リリーは普通の女の子だよ。怪しいとは思わない。それに、もし追われているのだとしたらそれはそれで、一人にするのは危険だよ」
「…………」
「リリー、君がどんなことをしてきたのかは知らないし、むりやり聞き出そうとも思わない。君が知らないって言うなら、僕はそれを信じるよ。もしかしたら、君のあずかり知らないところで、君を狙っている連中がいるのかもしれない」
リリーはじっと僕を睨んでいた。信用されていないのがすごく伝わる。僕は、そんな彼女に手を差し出した。
「取りあえず、人里のあるところまで一緒に行こう。この森は危険だし、君は嫌かもしれないけれど、人のいるところの方がまだ安全だよ。ちょうど僕らが行こうとしている所は、さっきの連中が行った場所と反対方向だ」
「気持ち悪い」
ペシ、という音と共に、差し出した手は彼女に雑に叩かれた。「おい!!」すかさずシドが声を荒げ、リリーはそんな彼から「フン」と顔を逸らした。
「……私に手を差し出して良いのは、この世で一人だけなのよ」
「? ああ、もしかして金髪の王子様?」
「…………そうよ」
ルークについて僕らに尋ねてきた時の、彼女のうっとりした顔を思い出す。女の子らしい、可愛い表情だった。
そんなに誰かのことを、ただ一途に想っているって、なかなかすごいことだよな、と思う。
僕の両親はどうだったんだろう?
……互いに、想い合っていたのかな。それとも…………
「…………変な奴」
リリーはぽつりと呟き、僕らから顔を逸らしたまま、ずんずん歩き始めた。
てっきり、僕らと行動するのはもう御免だって嫌がられると思ったから、率先して歩き始めたのは意外だった。ちょっと驚いて固まっていると、彼女が振り返って怒鳴り声を上げた。
「ちょっと、さっさと先に行くんでしょ。何ぼーっとしてんのよ!」
「ごめんごめん」
「おい、お前が先に行くな。絶対道間違えるだろ」
「煩いわね!! あんたは黙ってて!!」
シドは小さく舌打ちした。「まあまあ」と肩を撫でると、彼は疲れた顔を僕に向けた。
「……お前、お人好しにも程がある」
「え、そう? どの辺が?」
「…………そういうの、俺はできない。知らない。でも、お前はそれでいいと思う」
どういうことかわからなくて首を傾げた。シドは眉を下げ、小さく笑みを浮かべた。
「何だか、お前はあいつに似てる」
「あいつ……?」
「ああ、今頃団子の夢でも見ているあいつだ」
団子の夢を見ている、あいつ……
ぱっと思い浮かんだのは、ルークだった。
僕は小さく噴き出した。団子の夢か……幸せそうだ。団子を好きなだけ頬張って、猫を撫でて、まったりと穏やかな時間を過ごしてほしい。せめて、そういう夢を見てくれていたらいいなと思う。
熱は……どうだろう。引いてるだろうか。途端に心配にもなったけれど、シドはそんな僕の考えを見透かしたのか「大丈夫だ」と力強く頷いた。
それからリリーの方へ顔を向ける。
さっきまで柔らかな表情だったのに、またキュッと顔を顰めてリリーに鋭い声を飛ばした。
「おい! そっちじゃない! お前また崖から落ちるつもりか!!」
「崖なんかないわよ! バカじゃない!?」
「何だと!? お前なんて本当は見殺しに――――――」
「まあまあ。二人とも落ち着い――――――」
僕は途中で言葉を切った。隣に立っていたシドが、突然パッと駆け出したから。
本当に……一瞬のことだった。
目の前で、彼がリリーの体を引っ張る。リリーが悲鳴を上げる間もなく背後に転がされて、それから、ガキン、と嫌な音が響いた。本当に、本当に嫌な、残酷な音だった。
シドが、呻き声を漏らして蹲っている。
「ぐっ……」
「ちょっと! あんた何すん――――――」
「シド!? シド!! 大丈――――」
「来るな!!!」
駆け寄ろうとして、大声で止められた。思わず固まって、それから僅かに月明かりが差し込んで……見てしまった。真っ赤な血が地面を濡らしている。何か大きなものが、地面から顔を出している。シドは苦痛に顔を歪め、足を押さえていた。僕は一気に血の気が引いた。
凶悪なトラバサミが、彼の足に食らいついていた。




