9 遭遇する
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「ほんと、すごい道を行くねえ、シド」
薬を盗みに村を発ったニックスたちを追いかけて、しばらく経つ。
僕とシドは森の中に入り、夜だって言うのに道と思えない道をひたすら歩いていた。獣道って言うのかな。ランプのおかげで少しは明るいけれど、まだ足りない。足場が悪すぎて本当に危険だったし、それに、何より…………
「嫌なら家に帰れ」
「いや、皆に早く追いつきたいからこれでいいけど……」
「じゃあ頑張れ。お前が足を滑らせたら俺が掴んでやる」
「ありがとう。でも、その、それ以外でえっと、心配なことが……」
「何だ」
「あのその……出ない、よね? えっと、お化け、とか…………」
「………………」
ずんずん前を進んでいたシドは、突然ぴたりと足を止めて振り返り、僕をまじまじと見つめた。
「…………お前、お化けとか信じてるのか」
「え? 信じてるって言うか、お化けっているよね? だってほら、人が亡くなったら魂がふよふよ~って、ね? 僕らだって死んじゃったら魂になるでしょ? そうだよね?」
「知らん。魂なんて目に見えないもの、俺は信じない。死んだらそれで終わりだろ」
「あるよきっと。目に見えないだけで。ほら、ここら辺暗いし寒いし、悪霊とかもいるかもしれないでしょ? この辺りに入り込んで呪われたりしないかな? 大丈夫かな?」
「お前普段一人で暮らしてるんだろ。何が怖いんだ」
「あの家とか村とかは守られてる感じがあるから。ここは無法地帯って言うか曰く付きって言うか見るからにヤバそうって言うか――――――」
ガサッ
「うわわわわわわあああああああああ!!!
近くで何か音がした。僕は咄嗟にシドの体に抱きついてそのままずるずる尻餅をついた。ぎゅっと目を瞑って震えていると、しばらくして低い声が掛けられた。
「…………おい」
「何!? 何がいた!?」
「おい、落ち着け」
「お化け悪霊鬼に山姥一体どれ!?」
「たぬきだ、ばか」
「たッ……!?」
恐る恐る顔を上げると、小さな狸が尻尾を向けて逃げていくところだった。僕が大きな声を出したからビックリしたのかもしれない。
ほお~っと、体から力が抜けていく。よかった。ただの狸だった。お化けでも悪霊でも山姥でも猪でも熊でもなく、ただの狸で本当によかった。
「お前、よくそんなので一人で森に入ろうと思ったな」
シドの体が僅かに震えている。どうしたのかと思ったら、口元を隠してぷるぷる笑いを堪えていた。
僕は思わず「だって」と情けない声を上げた。
「あの時は必死だったから、取りあえず何とかなると思って……。それに不気味さが桁違いだよこの獣道。絶対出てくるよ悪霊。呪われたらどうするほんとに!?」
「く、ふふ……」
「ねえ、掴まってていい? そしたら呪われた時も足を滑らせた時もすぐ助けて貰えそうだし」
「好きにしろ」
「よかった」
僕はほっとして、シドの上着を握り締めながらついていった。心強い。
シドが優しくてよかった。ここで呆れられて置いていかれたら本当に困るところだった。
もしかして、僕って結構怖がりなんだろうか? 普段あんまり考えたことはないけれど、幽霊系の話はそう言えばあまり得意じゃない。ニックスがふざけて話そうものならそそくさと逃げていたような気がする。
不気味な暗がり。そういうところから、何かがぬっと現れるんじゃないかって。考え出すと怖くなる。考えなければそれまでだけど、一度考え出したら止まらない。
暗がり……微かに軋む縄の音……それから…………
『…………母上?』
記憶の底から、あの光景が蘇った丁度その時、シドがぴたっと立ち止まって、僕も慌てて足を止めた。
「ど、どうしたの?」
「……子ども」
「え?」
シドがピッと指を差す。その先にいたのは、小さな人影だった。
そこだけ僅かに月明かりが差し込んでいて、輪郭は何となくわかるけれど、顔や服装ははっきりしない。男の子か女の子かもわからないけれど、こんな真夜中にたった一人で森を彷徨い歩いているなんて、どう考えても普通じゃなかった。
「迷子? 家族とはぐれたとか? すぐに声を――――」
「待て。様子を見る」
シドはじーっと人影を見つめて、微動だにしなかった。
彼のただならない雰囲気に、僕も黙って人影を見つめることにした。
やがて、人影が何かぶつぶつ言っているのが聞こえてきた。――――この喋り方に、声の感じ。多分、女の子、かな?
「はあ、もう少しうまくやると…………ほんと使えない…………ま、充分稼げ…………あと一日早く動いて…………自警…………運がなさ過ぎるのよ。ほんと――――……」
所々聞こえてくる独り言は、何かに苛立っているようだった。僕らには気づかない様子で近づいてくる。長い髪がふわりと揺れる。黒髪かと思ったけれど、辺りが暗いからはっきりしない。年は、僕らよりちょっと上、かな? でも、ほとんど変わらないと思う。
「シド、どうする? 大丈夫かなあの様子」
周りが見えていないような感じがした。放っておくと、どこかで足を滑らせるんじゃないかって心配になる。
こそっとシドに囁きかけると、彼は険しい顔のまま首を傾げた。
「……嫌な感じがする」
「そう? 普通の女の子みたいだけど……」
「……邪悪な感じだ」
「そうかなあ……」
「お前の言っていた山姥だか悪霊だか、そういう類いのものな気がする」
「それは言い過ぎじゃない?」
そんな感じはしないけどなぁ。至って普通の女の子なんじゃないかな。
まあ、普通の女の子がこんな時間にこんな森の中にいるってのは、あまり普通じゃないけれど。
「足下がふらついてるみたい。心配だから、やっぱり――――」
「きゃあッ!?」
その時、女の子の悲鳴が聞こえた。彼女の体が崖下に吸い込まれていくのが見えて、僕は咄嗟に駆け出した。身を乗り出して手を伸ばす。――――ああ、良かった。しっかりした感触があって、僕は彼女の幼い手を掴んでいた。
驚いたように見開かれた大きな目が、僕を見つめている。
一生懸命力を込めたけれど、引き上げるどころかこのまま滑り落ちてしまいそうだった。
「シド!! 力を――――」
僕が言い終わらないうちに、背後から伸びた手が僕と彼女を丸ごと引き上げた。冷たい地面の上に尻餅をつく。奈落の底に沈んでしまう、一歩手前だった。僕はほっと深く息を吐いた。
女の子の方は「ちょっと! もうちょっと丁寧にしなさいよ!」とシドを睨み付けた。怖い事があったから混乱しているのかなと思ったけれど、シドはやれやれと肩を竦めた。
「ほら見ろ、やっぱり邪悪だ」
「はあ!? 誰が邪悪ですって!?」
「こんなのほっといて行くぞ。おい、怪我はないか」
シドは女の子には見向きもせず、僕の手を取った。
それを受けてか女の子の逆上したような声が辺りに響く。
「私の怪我の心配はないわけ!? 何なのあんた!!」
「何で俺が名前も知らない奴の心配をしなければならない」
「私はリリーよ! ほぉらこれで名前を知ったわね!」
「知ったところで心配なんて無理だな。お前なんて興味ない」
「はあ!?」
とても相性の悪い二人だ。
初対面でこんな喧嘩が起きることってなかなかないような……。
「ま、まあまあ。シド、助けてくれてありがとう。危なかったよ」
「お前が礼を言う必要はない。こいつが勝手に怪我しそうになってただけだ。強いて言うなら助ける必要はなかった」
「何ですって!?」
「先に進むぞ」
「えーっと、リリー? 君は大丈夫? 一人で夜の森は危険だよ? 保護者は?」
僕も同じようなことをしようとした手前、あまり偉そうには言えないけれど。
リリーは「フンッ」と腹立たしそうに鼻を鳴らした。
「保護者なんて私には必要ないわ。大体、あんたみたいな子どもに心配されるいわれはないんだけど?」
「そう? でもさっきは心配してほしいって言っていたように思うけれど」
「は、はあ!? そんなこと言ってないってば!」
「やせ我慢は良くないよ。怖いなら……そうだな、一緒に行く? えーっと、すぐそこに村があるよ。僕らはちょっと用事があるんだけど、君はどこかに泊めてもらうとか――――」
「ここら辺は病原菌だらけよ? 汚らしい家に泊まるくらいなら、森にいる方がずっとマシ」
思えば皆、余所から来た人をとても警戒しているから、泊めてほしいと言っても誰も泊めてくれないかもしれない。言った後にそう思った。
シドはうんざりしたようにため息を吐き、「こんなのほっとくぞ」と歩き始める。その時「ああそうそう」とリリーが僕らに声を掛けた。
「あんたたち、金髪碧眼の王子様は見なかった?」
「は?」
「え?」
リリーはうっとりとした表情で、僕らが来た方向――――……つまり、ルークのいる村を見つめている。
「この辺りにいると思うのよねえ。うふふ、早く会えないかしら。私の運命の人なのよ。名前はルー……」
「来い」
先を進んでいたはずのシドが、くるっと戻って来てリリーの腕を掴む。
「ちょっ――――何するのよ!! 離しなさいこのッ……この馬鹿力!!」
「お前はこっちに来い」
「だから離せって言ってんでしょ!! ちょっと!! ねえ!!」
シドの様子がおかしい。「どうしたの?」とこそっと尋ねると、「こいつは絶対近づけさせちゃいけない悪霊だ」と返ってきた。どういうことかよくわからないけど……ルークの知り合い、じゃないのかな? ルー、まで言ってたけど。それにルークって金髪碧眼だし、王子様って言葉もぴったりだ。捜してるなら案内しなくていいのかな。
いろいろ思うところはあったけど、シドがあまりに必死そうだから、ここは黙っておくことにした。




