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4 呆然とする




「ユーリ!! ユーリ大変だ!!!!」

「何!?」


 飛び起きると、ニックスが僕の家の扉を荒々しく開けた。ぜえぜえ息を切らしながら。

 とても嫌な予感がして、思わず耳を塞ごうかと思った程だった。


「ど、どうしたの? 何をそんなに慌てて……」

「とにかく来てくれ!! 早く!!!」


 ニックスは何をそんなに焦っているんだ? まさかニックスの家族全員、それとも村の病人全員、流行病で……?

 嫌な想像ばかりどっと溢れて、冷や汗がだらだら流れる。

 ニックスに手を引かれて、外に出る。まず目に映ったのは、久しぶりの雲一つない青空と、それからあちこちで泣いている村人たちだった。中には抱き合い、声を上げて泣いている人もいる。


 やっぱり大勢が亡くなったんだ。あの夜のうちに。

 そう思って僕まで泣きそうになった。ただ不思議なことに、火葬の煙はどこからも上がっていない。


 ニックスの家に入った。どんな光景を見てもできるだけ動揺すまい――――そう思っていたのに、そこに広がっていたのは、僕の想像を遥かに超えるものだった。



「あ……ユーリ!」

「ユーリぃ!」

「ユーリお兄ちゃん!」

「お兄ちゃん、どこいたの?」

「ユーリ君……ああ、久しぶり」

「まだあまり近寄らない方が……」


 ニックスの弟妹たちが、僕を見て声を上げた。ニックスのご両親も、薄く目を開けて僕を見ている。


 ……そうだ、声を出して、見ている。僕を。

 昨日まで、腫れ物のせいで目も満足に開かず、全身の痛みのせいでろくに声を出すこともできなかった、彼らが。

 信じられない。僕は頬を抓ってみたけれど、しっかり痛い。これは夢じゃないらしい。


 腫れも熱も完全に収まった訳じゃなさそうだけれど、昨日までに比べると別人だ。信じられない回復だった。


「こんな……」

「あの薬のおかげだ!! あれのおかげで皆良くなったんだ!!」


 ニックスは興奮した様子で、昨日の夜、僕と別れた後に村の人たちにもほんの少しずつ、薬をわけたことを早口で捲し立てた。


「薬? でも、薬はもうニックスの家族の分でなくなったんじゃ……」

「それがさ、俺もう一本持ってたんだよ!」

「え!?」

「テントん中で無我夢中で掴んでたみたいでさ、寝ようとした時にポケットから出てきたんだ! ほんとにビックリして……これ、もしかして祖父ちゃんからのプレゼントなんじゃねえかって。そんで、家族に使おうと思ったけど、こりゃあきっと他の皆にも使った方がいいと思って、それで村の人たちに、ちょっとずつ……」


 ごく少量を分け合って、ぎりぎり全員に行き渡らせることができたらしい。


「薬はなくなっちまったけど、このままなら全員治るよな!? ここまで回復したんだから! 村の人たちも皆良くなってた! あんなに悪かったのに外に出て歩き回ってる奴もいた!」

「あ、それで皆あんなに泣いて……!」

「なあ、熊の肉があったよな? 俺も捌くの手伝うからさ、皆で分け合おうぜ!!」

「うん!」


 違ったんだ。誰も亡くなってなかった。良くなってたんだ!

 こんな奇跡みたいなことが一夜で起きるなんて、信じられない。早くご飯を用意しようと、ニックスと一緒に家を出て、ふと立ち止まった。


「おじいさんのことは……」


 ニックスの祖父は、昨晩亡くなってしまった。

 あともう少し、ほんの少し早かったら、おじいさんは生きていた。そう思うと、胸がぎゅっと苦しくなった。

 ニックスは泣き出しそうな顔で、小さく首を横に振った。


「じいちゃんの事は、皆がもっと良くなってから伝える。そのせいで体調が悪化したら嫌だし……。じいちゃんは、治って元気になって、よその村に助けを求めに行ってるってことにした」

「……うん、わかった」

「じいちゃんが俺たちを守ってくれたんだ。絶対そうだ! そうに決まってる!」


 昨日は気づかなかった薬の瓶に、後で気づいたこと。たった一夜で、劇的に回復したこと。

 確かに、それは何か僕たちの理解の及ばない、説明できない大いなる力が、僕たちを救ってくれたようだと思った。





「…………おい」


 自分の家の前に来て、さあ熊を解体するぞと勇んでいると、玄関が中から開けられた。

 ムスッとした顔のシドが、僕たちを睨んでいる。金髪がぴょんぴょん跳ねて、ちょっと酷い寝癖だった。癖っ毛で寝相も悪くてしょっちゅうすごい寝癖の僕に比べれば、全然普通だけれど。


「飯は」

「シド! どこで寝てたの?」

「その辺り」


 シドが指差したのは玄関だった。いくら何でもどうしてそんなところに。


「寒かったでしょ!? 風邪引いてない!?」

「別に。そんなことより、飯は。熊鍋はまだか」


 シドのお腹がきゅるきゅる可哀想な音を立てる。ニックスが小さく噴き出し、シドはますますムッとした。


「さっさと用意してやるから待ってろ」

「約束だぞ。早くしろ」


 お腹が減って苛々してるのかもしれない。シドはぷんぷんしながら家の中に入って、今度は隅っこの方で丸くなった。二度寝に入ったらしい。風邪を引いちゃいけないから、毛布を掛けてあげた。ニックスは「仕方ねえ奴だな」と小さく笑いながら肩を竦めた。


 と言っても、巨大な熊を解体するのは、僕とニックスだけでは難しかった。

 それで村の大人たちも作業を手伝ってくれて、皆で協力しながら解体した。

 お肉を小さく切り分けて、それぞれの家に届ける。ニックスと別れ、僕はシドと二人で熊鍋をすることにした。

 お肉と、家に残っていた食べられそうな山菜をぐつぐつ煮込んで、残り少ない調味料で味をつける。シドにはできるだけ美味しいものを食べて貰いたいけれど、全部使ってもどうしても味が薄い。

 シドはいつの間にか二度寝から起きて、僕の料理の様子をじっと見守っていた。ぽりぽりと音がして顔を向けると、シドはすでに何か食べているようだった。


「? それ何?」

「……クッキー」


 クッキー! 最後に食べたのはいつだっけ? 甘い物なんて随分長い間食べていない気がする。

 僕はよっぽど物欲しそうな顔になっていたんだろうか? 彼の手元を凝視していると、シドはサッとクッキーを後ろ手に隠した。


「あ、ごめん! クッキーいいなあと思ったけど奪い取ろうとは思ってないよ! 君のだから」

「…………」


 シドはむう、と視線を下げた。

 僕は鍋の方へ顔を戻した。しばらくして、ツンツンと袖を引っ張られて振り返ると、彼が僕におずおずとクッキーを差し出している。


「…………え?」

「一枚くらいなら、やる。それ以上はやらない」


 僕は信じられない気持ちでクッキーを受け取った。

 熊鍋を食べ終えた後にしようかと思ったけど、我慢できなくて先に食べた。驚いた。幸せの味がした。こんな美味しい物を食べたのは、生まれて初めてだった。


 何でも、そのクッキーは一緒に旅している子が作ってくれたものらしい。

 熊鍋を囲んで食べながら、僕はその子の事についていろいろ尋ねた。


「こんな美味しいものを作れるなんて天才だよ! その子って本当にシドより年下?」

「……(こくり)」

「シドがその子の面倒を見てあげてるんだよね? 旅をしながら」

「(こくり)」

「シドとその子って、兄弟みたいな?」

「違う!!」


 シドはぶんぶん首を横に振って、「そういうんじゃない」ともう一回否定した。


「そうなんだ。じゃあ、どういう経緯で?」

「……よくわからない。俺は好きじゃない。我が儘だし、ムカつくし、偉そうだし、…………いつもへらへらしてんのも、気に入らない」

「へらへら? それがどうして気に入らないの?」

「…………。わからない。俺の、尊敬してる人に、へらへらして、取り入ろうとしたり……」

「シドより年下の子が、取り入ろうとか考えるかなあ……?」

「とにかく、ムカつく。他の奴にばっかり、へらへらへらへら……」




 …………うーん。

 他の人にばっかり、にこにこしてムカつく、かあ……。

 何だか、それってまるで、その子の事がものすごく特別ってことじゃないのかな?

 ぷりぷり怒っているシドが、何だかとても可愛く見えた。


「ねえシド、もしかしてシドは、その子の事が――――」

「この熊肉、まあまあだ」


 シドはそう言って、すっかり空になったお椀を流しに持っていった。


「食べるの、はっやいなあ……」


 僕も急いで熊肉を頬張って、シドについていった。

 シドは外に出て、しばらく村の様子を見ていた。その時ふと、玄関の前に貼られた例のお札が目についた。


「ねえ、ところでこのお札って、どういうものなの? 家内安全?」

「それは……」


 シドは口を開き、それから言いづらそうに視線を逸らした。


「それは……そんな、ところだ」

「そっか。すごく御利益のあるものなんだね。そんな大切なものをよかったの? 皆の家に貼って回ったんでしょ?」

「…………お前、ほんと変な奴だな」

「え?」

「気味が悪くないのか。お前は俺のこと何も知らないのに」


 不思議なことを言う。僕は首を傾げた。


「何言ってるの? 僕は君の名前を知ってるよ。君が優しい人だってことも。だから気味が悪いなんて思わない。このお札は、僕らのためを思って貼ってくれたんでしょう? だから、本当にありがとう。大切にするね」


 僕の言葉に、シドは目を丸くし、きゅっと唇を結んで、ぷいっと顔を逸らした。耳が真っ赤になってる。「……変な奴」と、呟いた言葉は、やっぱり嫌な感じはしない。





「――――――――――あ! いた!! あのガキだ!!!」

「?」


 騒がしい声に顔を向けると、村の大人達が大慌てで僕らの方へ走ってくる。何だか嫌な感じがした。

 皆、手に鎌とか鍬を持っている。今から農作業をするつもりなのかとも思ったけど、そういう雰囲気とも思えない。


「えっと、どうしたの? 何かあった?」

「ユーリ!! そんなガキどこで拾ってきた!?」

「え? えっと……」

「旅をしてるガキなんだろ!? また変なもん持って来られたら迷惑なんだよ!! 大体こいつ、俺の家の前に変なもん貼っていきやがって!!」

「俺の家にもだ!!」

「あたしの家にも!!」


 急にどうしたんだ。さっき熊を解体していた時はこんな感じじゃなかった。

 口々に怒鳴り散らして、鬼みたいな形相でシドを睨み付ける。引っ剥がしてきたお札をビリビリに裂いて、シドの前に投げ捨てた。

 信じられない。あんなに優しかった人たちが、旅人にも寛容だった彼らが、まるで別人だった。


「おい! 皆落ち着けよ!! なあ!!」


 ニックスが焦った様子で割り込む。


「ニックス……!」

「すまん、俺がシドの事話して、そしたらこんな事に……」


 ニックスは申し訳なさそうに僕らに謝った後、「こいつまだガキなんだから!」と落ち着かせようとしたけれど、彼らの耳には届かなかった。


「出て行け!! 今すぐ出て行け!!!」

「出て行かないならぶっ殺すぞ!!」

「ユーリ、あんた騙されてるのよ!! 早く離れて!!」


 皆血走った目で僕らににじり寄る。

 本当にシドを殺してしまいそうな勢いだった。彼は僕の命の恩人なのに。


「待って、落ち着いて! シドは僕を助けてくれたんだ。悪い子じゃ――――」

「だから騙されてるんだよ!! 旅人なんてろくなもんじゃねえ!!」

「誰のせいで村がこんなことになったと思ってんのよ!!」

「旅人なんて、あんなもんのせいで、俺の娘は――――!!」


 どうしようもない怒りが、全部シドに向けられているようだった。シドは何も悪くないのに。

 困り果ててシドの方を見ると、うんざりしたような顔でため息をついている。


「ごめん、シド。こんな……」

「別に。長居するつもりなんて最初から――――」



「まあまあ皆さん落ち着いて~! 大人が寄ってたかって子どもを虐めるなんて世も末じゃねえか!」



 カラッと明るい声が、大人たちの背後から掛けられた。誰だ誰だと皆が振り返る。僕は呆然とし、シドはむううっと顔を顰めて唇を結んだ。



 シドとよく似た明るい金髪が、陽光に照らされ輝いている。



「どうも初めまして~。その子の保護者です。文句があんなら俺に言ってくれる?」



 軽い口調に反し、青い瞳には静かな怒りが滲んでいた。



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