3 出会う
「あ、ありがとう。助けてくれて……」
「………………」
「えっと、君は…………? あ、僕はユーリ。この先の村で暮らしてる」
「………………」
彼は僕から視線を逸らし、熊に近づいていった。まだ危ないよ、と言おうとしたら、彼はとてつもなく重いはずのその巨体を、つま先で軽く持ち上げ、仰向けにした。派手な音が響く。
ぎょっとした。この子のつま先は一体何でできているんだ。
年は、多分僕と同じくらい。金の髪に、印象的な赤い瞳。
きりっとした顔立ちで、年の割に大人っぽい。
「えっと、君が、この熊さんを……? てことだよね……?」
「……腹を空かせていたんだろう。襲ってきたから反撃した。そしたらお前らのところに行った。だからトドメを刺した。それだけだ」
それだけ、かあ……。
僕は口をあんぐり開けて少年を凝視した。彼は小さなナイフを手にしていた。
一体何をどうやったらそんな小さな武器で熊を殺せるんだろう?
「大変だ……! 薬が……!!」
青ざめたニックスの声に、ハッとした。そうだ、熊が転がってきた時、ガラス瓶の割れるような音が聞こえた。
僕も彼と一緒に慌てて地面を探した。薬の瓶はあの時ニックスの手から離れ、熊によって無残に踏み潰されていた。中の薬はバラバラになって土に混ざり、いくら月明かりがあるとは言え、すべて回収出来る状態じゃなかった。
「どうしよう……そんな……そんな……!」
ニックスは必死で薬を掻き集めた。小さな小さな粉末は、彼の手から零れ落ちていく。
僕も頑張って薬を拾っていったけれど、集められたのはごく僅かで、僕はそれをハンカチに包んだ。
「何を必死に」
少年は理解できないというように、熊の死骸の傍で地面に這い蹲っている僕たちを見下ろしている。
ニックスは泣きそうな顔を少年に向けた。
「大切な薬なんだ!! 大切な……! 流行病にはもうこれしかないんだよ!!」
「流行病……それが薬?」
「そうだって言ってるだろ!!」
ニックスはパニックのあまり少年を怒鳴りつけた。幼い子どもを怒鳴りつけるなんて、普段の彼なら絶対やらない。彼は優しくて面倒見のいい兄貴分だから。
少年は目を細めて、呆れたように肩を竦めた。
「ばかばかしい」
「……は?」
「ばかばかしい。本当に効くかもわからないんだろ、どうせ」
少年は鼻を鳴らし、その場を立ち去ろうとした。僕は慌てて彼の手を取った。
「待って待って! 君、この辺りの人……じゃ、なさそうだね?」
「ない」
「この熊さんはどうするの?」
「…………そのうち他の動物が食い荒らすだろ」
それを聞いて、僕は思わず頬が緩んだ。
「じゃあ、僕らが食べてもいいってことだね!?」
「…………」
「いいんだね!? でも困ったな。こんな大きな熊を運ぶのは無理だ。ねえ、君、宿はあるの? 僕らの村もそう遠くないところなんだけど、君さえ良ければ――――」
「おいユーリ!」
ニックスが強い調子で僕の言葉を遮る。
でも、僕としてはこの熊はとても貴重な食材になるし、薬もこれ以上回収は難しそうだし、ここにずっといるのも危険だ。それなら、このもの凄く頼りになりそうな少年と行動を共にした方がいいんじゃないかな?
「そいつ、感染してるかもしれねえだろ!」とニックス。
「まさか。感染してる人はこんなに元気じゃないよ」
「わかんないだろ。あの旅人だって、最初は元気だったじゃねえか!」
「でもほら、熊だよ、熊。こんな大きな体なら、きっと食べられるところがいっぱいあるよ。貴重なご飯だよ。毛皮もあったかそうだ。これからもっと寒い季節が来るし、絶対役に立つよ」
「それはそうだけど……でも……」
ニックスは少年を警戒しているようだった。でも彼は僕らにとって命の恩人だし、これも何かの縁じゃないかな。流行病の事はもちろん僕だって怖いけれど、怖がってばかりじゃ何もできないし……そもそも、僕もニックスも、村で大勢の患者には近づいている訳だし……。
そうだ、むしろ警戒するのは、僕らより彼の方か。
僕は改めて少年へ顔を向けた。
「僕らの村は流行病が酷くて、君は近寄りたくもないかもしれない。だから無理にとは言わないよ。でも……熊鍋はきっと美味しいと思う」
「……お前らの村というのは、この道の先か」
「そう、うん。そっちの方角」
「…………」
少年はしばらくじっと道の先を見つめた後、熊の腕を掴んでひょいと背負った。
潰れてしまわないか不安になったけれど、彼は熊の巨体をずるずる引きずりながらしっかりした足取りで歩き始める。
その時、隣村の方から騒がしい声が聞こえてきた。あいつらかもしれない。僕とニックスは顔を見合わせ、少年についていった。
彼は熊を背負っているのに、歩くのがとても速かった。
手伝おうかと聞いてみたけれど、「邪魔だ」と一蹴されてしまった。
ニックスはずっと浮かない表情だ。「きっと大丈夫だよ、これだけ薬を拾えたんだから」と元気づけようとしたけれど、彼には届いていないようだった。
「……明日、また盗みに行く」
「本気かい!? それはやめた方がいいよ! 顔まで見られてるし、また入ってバレたら……」
「次はもっとうまくやる。もっと……」
本気だってのは、彼の横顔を見上げれば明らかだった。胸がざわついて、悲しくなった。
どうかこの拾い集めた薬だけで、ニックスの家族が良くなりますように。僕はそう願いながら、村までの道をとぼとぼ歩いた。
「…………ねえ、君」
しばらく歩いた頃、僕は少年に話しかけた。
何だか静寂に耐えられなかった。
「…………」
「君、じゃなくて、ええと、……そう言えば、名前は? 僕はユーリ」
「それは聞いた」
「君の名前は?」
「………………」
彼は、熊の影から胡乱げな眼差しを僕に向けた。
「俺の名前なんてどうして知りたい」
「? そりゃ、君は僕の命の恩人だから、名前くらいは知りたいよ」
「………………」
「本当にありがとう。感謝してる。ねえ、君って幾つ? 僕は七歳」
「……同じくらいだ」
「そっかぁ。熊を倒せる同年代って僕初めてだよ。本当にすごいね。力持ちだし、格好良いなあ」
「………………変な奴」
「え? それよく言われるよ」
思わず声を上げて笑ってしまった。嫌味みたいな、そういうものは不思議と感じない。むしろ何だか、ちょっと温かいような、言われて嬉しいような、そんな感じがする。……そう思う僕は、やっぱり変な奴なんだろうか。
彼は眉間の皺をますます険しくして、視線を前に戻した。
「……………………シド」
「え?」
聞き間違いかな? そう思ってしまうような、小さな声だった。
「お前が知りたがったんだろ。……二度は言わない」
「!! うん……! ありがとう!」
シドはぷいっと顔を逸らしたままだったけれど、僕はとても嬉しくなった。
ただ名前を教えて貰っただけなのに。心がほんわか温かくなった。
その後、シドは僕の質問にいろいろ答えてくれた。
ほとんど頷きだけだったけれど、それでも大体の事がわかった。
彼は旅人だ。世界中のあちこちを旅している。
最初はなかなかの大所帯だったけれど、今は訳あって二人きりで旅をしているらしい。そしてその旅の同行者というのが、なかなかのトラブルメーカーなんだとか。
『俺よりガキだ』
『君より子ども? そんなに幼い子と二人きりで?』
『…………(こくん)』
『それは大変だね。その子、今どこに? 一人で大丈夫なの?』
『……文句ばかり言うから置いてきた』
『えっ!? それ大丈夫!?』
『…………(こくん)』
シドは、どうやらとてもスパルタらしい。
僕はその置いてかれた子というのがとても気になったけれど、シドは大丈夫だとしか言わないし、何でも熊を殺してしまうシドよりもっと強いらしく、それって一体どんな七歳以下児なんだろうとか、さすがにそれはあり得ないんじゃないだろうかとか、話しているうちに村に着いた。
彼は僕の家の前に熊を置くと、白い長細い紙……お札かな?のようなものを荷物から取りだして、玄関先に貼った。
「シド、それは……?」
「お守りだ。少し回ってくる」
「え、大丈夫? 一人で……」
シドは答えず、さっさと村を回り始めた。僕の隣の家の玄関先にもお札を貼っていて、ニックスは「何してんだあいつ」とため息をついた。
「ヤベえ奴を引き入れたんじゃねえのか、ユーリ」
「そうかな。良い子だと思うけど……」
「……まあいい。なあ、ユーリはどれくらい薬拾えた?」
「これくらい」
僕とニックスは急いで彼の家族の元に向かった。玄関先に例のお札が貼られてあって、ニックスは「気味が悪ぃ」とぼやいていたけれど、剥ぎ取る時間も惜しいのか、両親や弟妹たちの様子を見て回った。
祖父を亡くし、この村を飛び出した直後に比べると、ニックスは少し元気になっているような気がした。時間が経って、ちょっと気持ちが落ち着いたのかもしれない。
「薬って、どれくらいにしたらいいかな……?」
「わかんねえけど、この量をわけるしかないよな。……ああクソ、熊さえこなけりゃ……」
一人当たりに飲ませてあげられるのは、ごく少量だった。
お湯に溶かして何とか飲ませて、僕らもようやくほっと息を吐いた。心なしか、皆の顔色がちょっと良くなっているような気がする。
「……ユーリ、ほんと、ありがとな」
「ううん。でも……もし明日も行くなら、僕も連れて行ってね? 一人であんなの危険過ぎるよ」
僕の言葉に、ニックスは小さく微笑みで返した。
僕らは疲れてヘトヘトだった。
僕は、村を一周したシドが帰ってくるかもしれないからと自分の家に戻った。
待っている間に熊を解体しようかと思ったけれど、暗くてそれは難しそうだった。まあ、どうせあと数時間後には陽が昇る。
シドが帰ってきたら、彼にはベッドで眠ってもらって、僕は床で寝ようかな。ああでも、人のベッドで眠るのは嫌かな。
そんなことを考えているうちに、強烈な眠気に襲われて――――……僕はそのまま、意識を失うように眠ってしまった。
翌朝、耳を劈くような大声で僕は目を覚ました。




