2 焦る
月明かりがあるおかげで、暗い道も何とか走ることができた。ニックスは苦しそうに息を切らして、何とか隣村まで走って行った。僕はその後ろを、バレないように気をつけながらついていった。
隣村も、こんな時間なのにいくつか煙が上がっている。遺体を燃やしているんだろう。啜り泣く声があちこちから聞こえてくる。
ゆっくり別れを告げる間もない。この流行病で亡くなった人は、まるで何か大変な罪でも犯した人のように、ひっそりと、荼毘に付されていく。
ニックスは緊張した様子で通りを歩いて行く。
僕も心臓をバクバクさせながら、彼の後に続いた。そう言えば隣村に来るのは初めてだった。
やがて彼が辿りついたのは、大きなテントのいくつも張られた広場だった。
ここに、薬があるんだろうか? テントを張っているってことは、行商人? もしかしたら薬を売り歩いて、村から村へ移動しているのだろうか? そんなことができるってことは、その薬は本当に凄いものなのかもしれない。
辺りは静まりかえっている。見張りの人も何人かいるようだった。
ニックスは足音を立てないように、器用に見張りの目をかいくぐって、ゆっくりテントに近づいていく。僕は離れたところから、その様子を見守った。彼の緊張が僕にも伝わってきた。
同時に、不安になった。ニックスは、あのテントに薬があるって確信しているようだけど、本当に大丈夫だろうか? 確認したとは言っていたけれど、昼間見たのと夜見るのとでは、また違っているかもしれない。テントの数もあんなに多い訳だし、間違えてしまわないだろうか?
彼の手がテントにかかる。ゆっくり開けてから、ニックスの体がビクッと震えた。僕も同時に体が震えた。
間違っていたのだろうかとか、誰かいたのだろうかと思ったが、ニックスは小さく深呼吸した後、ゆっくりその中に入っていった。ここからじゃ、あまりにも暗くてテントの中がどうなっているかはわからない。入っていったということは、大丈夫なのかな? 見張りは気づいていない。どうか、どうか早くテントから出てきてほしい。
心臓がバクバクと煩くて、口から飛んでいってしまいそうだった。これは見守っているこっちの方が辛いかもしれない。いっそ、僕もニックスの隣で彼と一緒にテントに潜り込んでしまいたかった。
ニックスはなかなか出てこない。ガサゴソと、何か探す音が僕のところにまで僅かに聞こえてくる。静かな夜だから、ちょっとした音が耳につく。見張りはまだ気づいていない。でも、いつバレるかわからない。肌寒い夜なのに、じっとりと汗が滲んだ。
ものの数分だったと思うけれど、永遠のように長く感じた。
その時、静寂は突然破られた。
「――――おい、何コソコソしてんだクソガキ!!」
怒号が響き渡る。テントの中からだった。
荒々しくテントが開けられて、大柄な男がニックスの手を捻り上げながら現れる。
「うわああっ!? 離せっ!! 離せよ!!」
「うるせえなあ!! このコソ泥が!!」
ニックスはいとも簡単に体を持ち上げられ、荒っぽく地面に放り投げられた。グシャ、と嫌な音がする。僕は息を飲んで固まった。
「おいどうした!」
「ガキがテントの中に入り込んでやがったんだよ!!」
「はあ? お前ちゃんと見張ってなかったのかよ」
「ちょ、ちょっと目を離しただけだ!!」
「どうせテントの中で寝てたんだろ。まあいいけどな。……おいおい、こいつ昼間のガキじゃねえか?」
わらわらと人が集まる。まずい。どうしよう。
僕はポケットの中を漁った。
「まさか盗みに入るとはな。ったく、性根の腐ったガキだな」
「なあ、こいつ感染してねえよな?」
「大丈夫だろ。どうするこれ? 突き出すのも面倒臭え」
ニックスは恐怖で震えている。あんな大勢の大人に囲まれたんだから当然だ。しかも皆顔が怖い。恐ろしく怖くて、熊みたいに大きい。
「ちょっと痛めつけたら、もう二度とこんな真似しねえだろ」
誰かがそう言った途端、僕はポケットの中で探り当てたものを、思いきり彼らの足下に投げつけた。
軽く爆発するような音の後、真っ白な煙が、もくもくと立ち上る。
「っ!? 何だこりゃあ!?」
「げほッ、ごほッ、おいクソ、どうなってる!? 爆弾か!?」
僕は、分厚いゴーグルをつけて、首に巻き付けたスカーフで口元隠しながら、ニックスの元へひた走った。痩せ細った彼の手を掴み、引っ張る。ニックスは僕だと気づいて、脚をもつれさせながらついてきた。
僕らはこのテントの人たちに比べて、小さくて痩せっぽっちだけど、その分小回りが利く。辺りは煙だらけで視界も悪いし、たくさん騒いでくれるおかげで、僕らの足音が聞こえることもない。
僕らはあっという間に広場から脱出して、遠く遠く、元来た道へ走って行った。
背後に聞こえていた彼らの騒ぎ声も、やがて小さくなって、完全になくなった。
「ユーリ! ッ……ユーリ!!」
山道まで頑張って走ったところで、ニックスが僕を止めた。
「もう、いいだろ。ちょっと休憩しようぜ……死ぬ」
「ごめん」
ニックスは息を切らして、その場にへなへなと小さくなった。脚が震えている。たくさん走ったし、あんなことがあった後だから、精神的にも限界なんだと思う。
傍に寄ってぽんぽん肩を撫でると、彼は「七歳に心配されるとか……」困ったような顔で噴き出した。
「知らなかったわ、お前がこんな体力お化けだったとか」
「お化け?」
「ほんとすげえってことだよ。ありがとな。もう、絶対死ぬって思った。あの煙とか……おい、そのゴーグルなんだ? そんなもん持ってたのか?」
「うん、ちょっとね。家にあったんだ」
僕はゴーグルを外した。重いからずっとつけておくのは少し大変だ。
ニックスは、懐から小さな瓶を取りだした。中には、真っ白な粉末がぎっしり詰まっている。
「それ……!」
「ああ、薬だ。そんなに多くはねえけど……これを父ちゃんたちに飲ませれば……!」
明るい希望が、一つ灯った。盗みは良くないことだけど…………僕も一緒に罪を背負おう。彼が牢屋に入れられた時は、僕も一緒に牢屋に入る。
僕は頷き、「早く帰ろう」と手を差し出した。
その時、突然けたたましい音が闇夜に響いた。
僕は頭上へ視線を向けた。バキバキと、木々をなぎ倒しながら、巨大な獣が転がり込んできた。
「うわあああ!?」
「ッ!! ニックス!!」
僕は思わずニックスを突き飛ばした。僕らの間に落ちてきたのは、真っ黒な巨大な――――熊。
ガチャン、と何かが割れる音がした。嫌な予感がしたけれど、今はそちらに注意を向けていられない。
熊の血走った目が、僕に向けられる。立ち上がると、さっきの男たちよりずっとずっと大きかった。足下が濡れている。どうやら、この熊は怪我をしているらしかった。
どうしよう、どうするべきだろうって、躊躇った。その時、熊は僕に向けて巨大な腕を上げた。
殺される――――――そう思って、ポケットに手を伸ばした時だった。
「…………?」
何か嫌な音がして、熊は腕を振り上げた状態のまま、固まった。
固まって、前のめりに倒れる。僕は慌てて避けようとしたけれど、遅かった。眼前に熊の巨体が迫る。
その時、誰かが僕の首根っこを掴んで引っ張った。
ズシャ、と音を立てて、熊は僕の目の前で地面に沈む。
ギリギリ、潰されずに済んだ。僕はバクバクする心臓を押さえながら、呆然と熊を見つめた。
前方から、ニックスの声がする。
「ユーリ!! 無事か!? ユーリ!!」
ニックスが助けてくれたのかと思った。でも、違う。
僕は、恐る恐る背後を振り返った。
「君、は――――――……」
彼は、冷たい目で僕を見下ろしていた。
金の髪が、月明かりに照らされてキラキラ輝いている。




