1 足掻く
この世界の、とある村での物語。――少年の名は、ユーリ。
国の名はシノノメ。その国境付近の、小さな村で僕は暮らしている。
辺鄙な場所だから人は少ないけど、決して悪いところじゃない。野菜は美味しいし、景色も綺麗だ。村の人も皆優しい。両親と死に別れて兄弟もいない僕に、困ったことはないかとしょっちゅう世話を焼いてくれる。おかげで何一つ不自由ない暮らしを送っている。
「よっ、ユーリ。今日も元気にやってるな! 美味いピクルスができたからわけてやるよ!」
「ニックス、ありがとう。でもピクルスならもう随分あるんだけど――――」
「遠慮すんなって! ほら! 弟たちもすげえ出来だって褒めてくれたんだ!」
「うん、でもそう言って昨日も貰ったから本当に――――」
「立派な畑だなぁ。お前ちっこいのにほんとすげえよな! よく頑張ってるよ。寂しくなったらいつでもうちに来いよ!」
「! ……うん、ありがとう」
ニックスは近所に暮らしている大家族の長男で、僕より六つ上の十三歳。とてもしっかりしている、頑張り屋さんの働き者だ。
毎日のように僕の様子を見に来ては、採れたての野菜を分けてくれたり、畑仕事を手伝ってくれたりする。たくさん弟妹がいるから、僕の事も本当の弟みたいに思ってくれているようだった。
漬物をたんと置いた後、彼の視線はふと僕の首元に向けられた。
「ユーリっていっつも首にスカーフ巻いてるよな~。母ちゃんの趣味?」
「うん、まあ……多分母のものだと思う」
「洒落てんな~」
「畑仕事してると虫が凄いからね。噛まれないようにつけてるだけだよ」
僕は薄紫色のスカーフにそっと触れた。
平穏で楽しい毎日。けれど、それは突然終わりを迎えた。
おかしな病が流行り始めた。
きっかけは、村に旅人が訪れたことだった。
滅多に来ることのない旅人に、皆興味津々で村は一時お祭り状態だった。吟遊詩人の彼は、子どもたちに楽しい歌を歌って聴かせた。歌は、僕たちにとって久しぶりの娯楽だった。
その調子で三日目を迎えた頃の事だった。
旅人は突然発熱し、寝床から起きてこれなくなった。それから真っ赤な腫れ物が全身にできてみるみる弱り、やがて亡くなった。
僕たちに旅人の死を悼む時間はなかった。
彼を看病した村人から、次々と同じ症状が現れていた。それからすぐ、彼と食事を共にしていた者、彼の歌を聴いていた者、彼の近くにいた者は、次々に発熱し、倒れていった。そのうち倒れた者を看病した者、近づいた者にもどんどん症状が広がり、村はあっという間に病人だらけになった。
悪いことは重なるもので、収穫前の畑の作物も次々に枯れ始めた。食べられるうちにと慌てて収穫しようとしたけれど、その頃には遅かった。蓄えていた食料も、みるみるなくなっていく。
他の村に助けを求めようにも、どこも似たような状況だった。流行病は、確実に、あっという間に、あちこちへ広がっているようだった。
僕は、大切な人たちを助けたかった。
でも、何もできなかった。僕には、どうすることもできなかった。
「……ニックス」
ニックスが日に日にやつれていく。
彼の家族は皆病気になってしまった。祖父母も両親も、大勢の幼い弟妹たちも、皆。
顔には真っ赤な腫れ物がいくつもできて、唇は紫色に、痩せ細った首や腕は真っ赤に腫れ上がり、ベッドは赤い血と黄色い膿で汚れている。家からはいつも異臭が漂うようになった。
不思議なことに、看病するニックスや僕には、症状は現れなかった。
ただ、精神的にも体力的にも、限界は近づいていた。
あんなに明るかったニックスが、笑顔を忘れてしまった。
「ニックス、君も少し休んだ方が……」
「休む? そんな暇、どこにあんだよ! 一番下の妹が、ヤバいんだ。今にも……今にも……ああクソッ! 俺は言ったんだ!! 旅人の見舞いなんて行くなって……!! 移るかもしれねえだろって、言ったんだ! なのに……!! また歌ってほしいからとか、そんなこと、言って……」
「ニックス……」
僕は、どうすればいいのかわからなかった。
苦しむ皆を治してやることは、僕にはできない。食べ物もない。
すっかり枯れてしまった畑を前に困り果て、山に入って食べられそうな山菜を採っては、できるだけ美味しくなるように願いながら煮て、皆に振る舞った。
頑張ったけれど……これじゃ、病気より前に皆餓死してしまうかもしれない。
僕は、意を決して狩りに出た。家にあった道具を使えば、罠くらいは張れそうだった。狩りはとても危険だから、子どもは禁止されているけれど、ほとんどの大人が病床に伏している今、大人とか子どもとか、悠長なことは言っていられない。
結果的に、僕は兎を三匹と、猪を二頭仕留めることができた。僕には狩りの才能があるらしい。
汗だくになりながら一生懸命捌いて、調理して、皆に振る舞った。
できるだけ食べやすいようにお肉を細かくしておいたおかげか、病気の人も何とか喉を通ったようだった。本当に、心からほっとした。こんな僕でも、彼らに少しでも恩を返せたような気がした。
ニックスは、ぽろぽろ泣きながら食べていた。お肉なんて普段でさえ滅多に食べられないし、まともな食事は本当に久しぶりの事だった。
「ねえニックス、明日一緒に狩りに出ようよ。次は鹿とか。二人ならきっと――――」
「悪い。……時間が、ねえんだ」
「え?」
「ごめん、ごめんな」
溢れた涙を拭って、ニックスは潤んだ瞳を僕に向けた。
「薬が……手に入りそうなんだ」
「薬? それって、流行病の……!?」
「ああ、隣村で聞いたんだ。薬を作った奴らがいて、頼み込めば分けてくれるって。それで今日そいつらに会いに行った」
「そしたら……?」
「金がねえって言ったら、それじゃ分けてやれないって。だから、何だってするって言ったんだ。こき使ってくれたらいくらでも働くし、うちの家も畑もやるし、なんなら俺の臓器だって――――」
「ニックス!!」
「……結局、何言っても分けて貰えなかった。だから、今夜盗みに行く」
僕はぎょっとして彼を凝視した。
盗みを働くなんて、彼が考えるとは思わなかった。
「大丈夫だ、どこに薬があるかはしっかり見てきたからな。けど、もし俺が朝になっても戻らなかったら…………家族には適当伝えてくれ」
「本気かい? 盗みなんて、そんな……。それに、その薬って本当に……」
「これしかねえよ。もう、これしか……。疲れたんだ。全然、良くなる気配もねえ。これ以上苦しんでるところなんて見たくねえ。知ってるか? 都の方じゃ、薬が行き渡って皆普通に暮らしてるらしいぜ。いいよなぁ、金持ち共は。金さえありゃあ、家族があんな苦しんでるところを見なくていいんだな。贅沢だってできるよなぁ、一生飢えを知らずに生きていくんだろうなぁ」
「ニックス……」
「新しい皇帝も、結局前と一緒じゃねえか。俺たちみたいな辺境の貧乏人がどんだけ苦しんでいようが、どうでもいいんだ。どうでも……」
その夜、ニックスの祖父は、容態が急変して、突然亡くなった。
他の家族には知らせなかった。皆、顔にできた腫れ物のせいで瞼が開かず、酷い発熱に苦しんでいたから、わざわざ伝えなければ悟られることもなかった。
遺体は驚く程軽かった。布で包んで、僕とニックスで静かに家の外に運んだ。それから、荼毘に付した。
毎日誰かが亡くなる。あちこちで、同じような火が上がっていた。
ニックスはぼろぼろ泣きながら、膝を抱えていた。僕は彼の背中を撫でながら、赤く燃え上がる火をじっと見つめた。
いつまで、こんなことが続くんだろう? 彼らが、一体何をしたと言うんだろう?
どうしてこんなに辛いことばかり、彼らに降りかかるんだろう。
僕は滲んだ涙をぐっと拭った。
一番辛い人の隣で、僕まで泣いてちゃいけないと思った。
「――――――――僕も、一緒に行くよ」
火が消えて、骨を壺に収め終えた後、僕はニックスにそう言った。
ニックスは、月明かりの下でもはっきりわかる程、泣き腫らして真っ赤になった目を僕に向けた。
「何言ってんだ、馬鹿。危険なんだぞ」
「わかってるよ。だからこそ、君一人では行かせられない」
「……お前、まだ七歳だろうが」
「猪を仕留めた七歳だよ? そんじょそこらの七歳と同じにしないでほしいね」
僕が胸を張ると、彼は「そうだったな」と小さく噴き出した。
まだ泣きそうな顔で、彼は微笑んだ。
「ほんと、お前は、すげえよなぁ……」
「すごくないよ。君の方がずっとしっかりしてるじゃないか」
「お前みたいに強けりゃ、俺も、もっと……。いや、とにかく盗みは俺一人でやる。お前は来るな。あいつら、何するかわからねえから……いいな」
「………………」
「俺の家族の事、頼む。……ごめんな、盗みより、辛い役目押しつけて」
「ニックス……」
「ごめんな」
ニックスは涙を一つ零して、逃げるように駆けていった。どんどん小さくなる背中を見て――――僕は、小さな足でその背中を追いかけた。




